第4話 もちろん、企業秘密
「目ェ覚めたかい?」
斗貴子を眠りから引き戻したのは、粗暴さと快活さを混ぜ合わせた男の声だった。
薄暗い室内、埃臭く澱んだ空気。
そこは斗貴子の見覚えのない場所だった。
椅子に反対向きで座り背もたれで腕を組み、ソファーに寝かされた自分を見つめる男にも心当たりはない。
「心配しなくても、奴らはいねぇよ」
「あ……」
「間一髪、ギリギリ届いて良かったな」
そう言って帆高徹進は二ッと笑う。
徹進の声色、そして笑みの裏側に邪気を感じた斗貴子は、警戒を解かずに立ち上がり頭を下げる。
「助けていただき、ありがとうございました」
「どういたしまして」
「それで、えっと、ここはどこですか? あなたは?」
「ここは知り合いの、今は同僚か? そいつの居候先、地図だとどの辺りだ」
ページの減ったガイドブックを捲り、睨み、また捲り、それを何回か繰り返した徹進は、諦めて椅子から立ち上がる。
「ケイ! ケーイー!」
部屋の扉を開けて叫ぶ徹進に、階下から女性が応える。
「アイヨー」
「ちょっと来てくれ、ケイー!」
「叫ばなくても聞こえるよ! うるさいんだよ! すぐ行くよ!」
よく通る声だ、と斗貴子は感心する。
背を向けて、部屋の外に向けて声を発しているにも拘らず、斗貴子は思わず錯覚するほどの声量である。まるで耳元で叫ばれているようだ、と。
「呼んでも三回に一回は来ねえからな、あいつ」
苦笑いをする徹進につられて、斗貴子の表情も崩れる。
そして名前だけの簡単な自己紹介を交わしていると空いた扉の先から油を焦がしたような、食欲をそそる匂いが入り込み、即座に部屋を満たす。
ぐぅーっ、と腹が鳴り斗貴子は顔を伏せるが、聞こえないふりをした徹進は換気のためカーテンと窓を開けようと離れていく。
「はいよ、お待ち」
ケイと呼ばれた女性が二階の部屋に上がってきたのは、返事から二十分経ってからのことである。
来るの遅いだろ? と言いたげな徹進を尻目にケイはテーブルに料理を並べていく。
チャーハン、餃子、中華スープ。
熱々のそれらに吸い寄せられるかのように、斗貴子の身体は前のめりになる。
「召し上がれ」
そう言ってケイは料理の前の椅子を引き、着席を促す。
斗貴子はただ茫然と、目の前にいる女神のような女性を眺めていた。
「すげー美人だろ」
誇らしげな徹進の言葉に違わず、ケイの容姿は優れていた。
小さな顔に通った鼻筋、パッチリとした切れ長の目尻、長いまつ毛。化粧など無用と言わんばかりの綺麗で瑞々しい肌。ウェーブのかかったセミロングの緑髪は彼女の雰囲気を柔らかく、けれど快活さを損なわせない。右サイドの編み込みが更に強く彼女の個性を印象付ける。モデルと見紛うスラリとした体躯に、エプロンで隠しきれない女性的ふくよかさが絶妙なバランスで同居している。
ただの美人ではなく、すごい美人。
適切な評価だ、と斗貴子は心の中で何度も首肯する。
「おまけに料理もうまい。冷めないうちに食えよ」
「随分と持ち上げるね、テツ」
「正当な評価が行える上司は魅力的だろ? 俺はケイを頼りにしてるし、信じてるんだ」
「魂胆が見えたよ。テツの飯は下に用意してるよ」
「サンキュー、ケイ。大好き」
昼飯を求めて階段を降りる徹進の足音が聞こえなくなると、ケイはため息を吐く。
「冷めるよ」
「あ、いただきます」
チャーハンを口に運びながら、斗貴子は二人の関係性を邪推する。
恋人、夫婦、気軽に交わすやり取りの慣れ具合は、男女の仲を連想させてしまう。
「あいつとは、今はそんな関係じゃないよ」
表情に浮かび上がっていたのか、ケイは先んじて否定する。
今は、という大人な一言に斗貴子は胸躍らせるが、平静を保ち徹進の言葉を思い返す。
「帆高さんは同僚だと言ってました」
「同僚、なのは間違いないね。でもニュアンスの問題ね」
「帆高さんとケイさんは何のお仕事をされてるんですか?」
「もちろん、企業秘密よ」
ケイはウインクして見せる。
島外の人間が観光以外で訪れる時には十中八九、後ろ暗い理由がある。近年では日本政府の手が届かないのを良いことに指名手配犯やチンピラ崩れが多く入り込み、彼らが実効支配する管理局を避けて活動する結果として管理局に反抗する地域の治安が悪化している。
二人がどのような人種であるかの判別はまだ出来ないが、悪人ではないと斗貴子は感じ取っていた。
「でも、やることは単純よ」
「単純?」
「制圧、平定、防衛――辿り着くのは世界平和よ」
突拍子もない単語の羅列に思わず箸が止まりそうになるが、自慢の中華スープを飲むようにと促され、次の言葉はスープと一緒に腹の中へと消えていった。
⚓
「そういえば」
斗貴子が昼食を全て平らげると同時に、音もなく階段を上ってきた徹進が部屋の二人に声をかける。
「悪い、ケイ。さっき追っ払った奴らに居場所が漏れてる」
「ちょっ!」
その気軽な口調で紡がれた言葉に反応したのは、注意を促されたケイではなく斗貴子だ。
「そんな! ここが襲われでもしたら」
「了解よー」
「大変なことに――って」
「問題ないよ。テツにビビッて逃げる程度の相手なら何人来ようが返り討ち出来るよ」
ケイは徹進を指さしてケラケラと笑い、徹進も然もありなんとばかりに頷く。
「それにうちのボスはプロだから、本気になったらツーブロックすら尾行できずに見失うよ」
「おいおい何のプロだよ」
「逃走? 長いこと一緒に戦ってるけど、逃げてる最中にテツが敵と遭遇してるとこ見たことないよ」
「アッハッハ、そりゃ敵のいない方へと逃げてるから当然だ」
互いに突き合い談笑する様を見て斗貴子は二人の関係が男女ではなく友人のそれだと気付く。若干の疎外感を味わいながらも、気心の知れた相手を羨まし気に眺めていた。
斗貴子にも友人はいるが、その関係は二人ほど成熟していない。武道に対して真摯に向き合う斗貴子を知る者は、男女問わずに勝手に壁を悟り、一歩離れて付き合うのだ。壁など存在してはいないし、自ら一歩を詰める努力を怠っていたことを斗貴子は自覚し、そして始めて後悔した。
「そもそも今回の誤算は、迎えがフェリー乗り場にいなかったことだ」
「あいやー、私はフェリーが遅れたからだと思うよ」
「それは仕方ない。船ってのはそーいうもんだし、遅れる連絡と着時間は出航前に連絡した。現地協力員、と聞いてたんだが」
首を捻る徹進の話を聞いていた斗貴子は、ふと父親との会話を思い出す。
「三日前?」
「ああ。本当なら三日前に到着予定だったな」
「父さまの話だと、確か三日前にフェリー乗り場付近で重大事件あったとか」
「十中八九それね。迎えは始末されてる気がするよ」
「ケイが無事だから潮の、警察側からの漏れだな。昼のチンピラもそれ関係な気がする。ってことは、結構深い所まで繋がるな。ああくそっ、先にもう数人呼んどくか」
徹進は悪態を吐きながら端末を操作する。
慣れた光景なのか、ケイは特に口出しすることなく徹進の作業が一段落するのを待つ。
一通り鬱憤を吐き出した徹進は、プライベートからビジネスに意識を切り替える。
「ちょっと電話を――」
大きく息を吐いて通話ボタンを押そうとしたその指が、止まる。
「――する時間はなさそうだな」
端末をポケットに滑らせ、事態を察したケイに短く告げる。
「誰か来る。準備しとけ」
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