第2話 老人も武器を持つ時代


 今年最後の南岸低気圧が通り過ぎた太平洋は酷く荒れた。台湾付近で発生した温かく乾燥したその低気圧は、天気予報が危険を告げるより早く日本列島を縦断した。僅かに残った桜の花びらを根こそぎ散らした烈風は低気圧と共に過ぎ去ったものの、海上には大きなうねりが残った。

 横浜港から出る大型フェリーは安全を理由に運航スケジュールの変更を余儀なくされ、その他諸々の事情が重なった結果として、帆高徹進は当初の予定から三日遅れで明乃島に上陸した。


「迎えが来てねえな」


 予定が大幅に変わったとはいえ、ロビーに見知った顔が一人もいないと知り徹進は肩を落とす。

 房総半島から南東に700海里と少し、フェリーで約二日の距離に明乃島は存在する。

 本島の人口はおよそ70万人、四国の7割程度の面積を有する明乃島の気候は年中温暖だ。日本の本州と異なり夏場であっても台風が接近することが少ないのでリゾート地として栄え、他にはIT関連企業の進出やコンテナ貨物の集積場としてのポテンシャルに目をつけられているが、とある事情により産業の発展が遅々として進んでいない。


「パスポートを見せてください」


 流暢な日本語で係員がパスポートの提示を要求する。

 停滞を招くとある事情とは、この明乃島が日本政府ではなく別組織の管理下に置かれている点である。

 明乃島の歴史は短く、発見から100年も経過していない。

 かつて漂流世界を航行中の日本船籍の商船が見つけアンカーを――要石を設置して現実世界に回帰させたのに始まり、各国の承認を得て入植者を送り込んだ。潜在的災害を取り除き島全土を平定するまでに何年もの歳月と資金を費やし、多くの犠牲を払って手に入れた領土である。住人の多くは日本人であり、使用される通貨や言語も日本と変わらない。


「ほら、免許証」

「いえ、パスポートの提示を……」

「日本人なら身分証で問題ない筈だ」


 徹進は所々に偽造が加えられた運転免許証を突き付ける。

 毅然とした物言いと徹進の鍛えられた体躯を前に怯んだ係員は、それ以上何も言えずに徹進を通した。

 徹進はその足で売店に向かい、ホットコーヒーと観光名所や飲食店が記載された明乃島のガイドブックを買う。


「どうも」

「見ない顔だね。観光かい?」

「半分。残り半分は仕事だよ」

「面倒事はよしてくれよ」


 売店に座っていた老婆がうんざりだといった様子で呟き、徹進から硬貨を受け取る。

 徹進は何も返さず、ガイドブックを丸めてケツポケットに突っ込むみコーヒーを啜る。建物から一歩外に出ると春先とは熱気が顔を撫で、手の中にあるホットコーヒーが強敵へと変わる。熱さ気にせず一息で飲み干した徹進は紙カップを握りつぶし、数メートル先のごみ箱に向かって投げる。


「顔、憶えられてると困んだよ」


 ピンポイントで吸い込まれていく紙コップを見届けた後、偶然見つけたバス停の時刻表と腕時計を見比べ、仕方なく市街地へ向けて歩き出す。


「三年か」


 そう呟き、停滞した街並みを眺める。

 行楽シーズンから外れている今の時期、玄関口であるフェリー通りに人通りはなく閑散としている。客が来ないと割り切っているのか土産物屋の半数はシャッターを下ろし、立ち並ぶ飲食店が賑わう昼時まではもう少し掛かる。並木沿いをゆっくりと歩くがタクシーを拾える気配もなく、背中にはじんわりと汗が滲む。


 三年前、明乃島は戦場となっていた。


 日本政府と実質支配している管理局――『第二世界及び異能者管理統括管理局』との最初で最後の抗争に、帆高徹進は数名の部下とともに参戦していた。敵方の管理局には名のある使い手はおらず、大多数は扇動と居住地域の関係で仕方なく巻き込まれた島民である。特に苦戦することもなく大勢は決し、スケジュールの隙間が極端に少ない徹進らは決着を見届けることなく次の仕事に移った。


 面倒事。


 老婆の口にした単語を反芻する。

 前の戦いは、島を東西二分にするものであった。

 西の勢力はフェリーの来航がある主要港を筆頭に観光関連や土木工事などインフラ整備に係る者が主流で、東は島唯一の大学とそこに出資するIT企業が主勢力となっていた。西は政府の助力が、東には管理局の後ろ盾が存在し、敗北した西が島内でどんな扱いを受けているのかは容易に想像出来る。勝利と敗北が明確に分かれた後では、手を出すのはあまりに難しい。


「面倒事、か」


 島の現状を考えるのを一旦やめ、徹進は自らに襲い掛かる日差しへの対策を練り始める。

 タクシーや路線バス、カフェに避難――多くの選択肢を抜き出した徹進は、最も簡単で慣れ親しんだ方法を選ぶ。


 漂流世界への浮上。


 建物や日差し、街の雰囲気まで、意図的に作り変えなければ現実世界と見紛うほど似通っている。

 唯一異なるのは、そこに降り立つ人間だ。

 水を得た魚、とは言いえて妙である。

 漂流世界は人間のポテンシャルを引き出す。漂流世界では身体機能は大幅に強化され、五感は限界を超えて研ぎ澄まされる。日差しがどれだけ強くても、歩くのが億劫になることはない。

 

「快適だ、快適」


 何千、何万回と訪れた漂流世界を徹進は吟味する。

 閑散とした現実世界と違い、街角には疎らだが人影が見える。

 現実世界ではシャッターの閉まっていた土産屋からは居眠りをした店主らしき男のいびきが聞こえ、並木に備え付けられたベンチに座る老人たちはハキハキと世間話に勤しむ。


「ん?」


 徹進の耳に飛び込んできたのは、そんな普遍的な日常生活の物音ではない。

 剣戟。

 アスファルトを蹴る靴裏。空振り空気を割く斬撃。余裕を失い荒くなった呼吸。

 一人が複数に追われている。


「じーさん、ちょっといいか?」


 決して表通りに逃がしはしない。そんな意図を隠そうとしない集団に意識を向けつつ、徹進はベンチに座った老人たちに話しかける。


「この近辺で最近物騒なこと、起きていないか?」

「なんじゃ藪から棒に」

「いや、協定にない戦闘が……」


 と口に出しかけて思い留まる。平日の昼前に世間話を楽しむ老人たちには、漂泊協定を根拠にしても怪訝を強めるだけだ。


「物騒と言えばアレじゃな。ええと、なんじゃったかな」

「辻斬りよ、カクさん」

「そうそう! 最近は若いのが暴れまわって迷惑しとるんじゃ」

「節操がなくてね。狂犬みたいに誰彼構わず噛みつくのよ」


 言葉を詰まらせた徹進に聞かせる。

 辻斬り、と簡単に言うが、今の世界でこれ以上に質の悪い犯罪はない。

 外傷が残らない漂流世界で無差別傷害事件を取り締まるのは難しい。警察などが現行犯で押さえる、もしくは返り討ちにして警察に突き出すかしない限りは解決に繋がらない。

 しかし辻斬りを繰り返す輩の多くは次第に手口を巧妙化させ、斬れば斬るほどに戦闘技能を向上させる。過去の事例に徒党を組んで派閥を作った果てに、誰も手を出せずに黙認せざるを得ない状況に陥ったこともある。


「いいね、辻斬り」


 徹進の口元に笑みが浮かぶ。


「俺が退治してきてやるよ」

「は?」

「ちょうど暇だから。ちょちょいのちょい、っとね」


 唖然とする老人たちを残し、徹進は足取り軽やかに裏通りに踏み込んでいくた。


「待つんじゃ、お前さん!」


 老人は杖を手に立ち上がり静止するが、既にその背中は薄闇に紛れて見えなくなっていた。


「素手はいかん。素手じゃ戦えんじゃろうて……」


 ベンチで世間話をする老人たちですら、自衛のために仕込み刀の杖を手に外出している。

 軽装で、何も持たずに駆け出して行った徹進の足跡を老人たちは呆然と見つめるしかなかった。



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