Anchored ⚓ Saga

青ペン

明乃島攻略戦 前編

第1話 開戦前夜


「錨を下ろせ。だが焦るな。先走ると全てが水の泡になる」


 スーツで身を包んだボブカットの女性から紡がれた言葉は、苛立たし気に前だけを睨んでいた男の意識を引っ張った。

 冷静沈着。

 元々何事にも動じず恐れず部下たちを指揮してきた男は乱れていた心を整え、自らを苛立たせる鬱蒼と茂る木々と、そこにいる筈の敵から目を逸らす。


「これは彼の、相対する敵の根幹にある言葉です」

「助言は不要」


 そう言った筈だ、と眼光を強くする。


「お気になさらず。昔を思い出して湧き出た独り言です」


 向き直った軍服姿の男の強気を躱し、ボブカットの女性――北条潮は同じ軍服を纏った部下と、彼に紹介した知人がいる広大な森を眺める。

 季節は春先、柔らかな日差しの下で木々はその枝葉を伸ばしている。遠くに見える小高い地形まで緑で満たされ、そこにいる筈の知人は勿論、彼の部下すらどこにいるのか把握出来ていない。


 彼らが行っているのは、模擬戦だ。


 漂流世界と呼ばれるこの場所は、現実世界とは似て非なる不思議な空間である。

 そこでは殴られても、斬られても、撃たれても、首を跳ばされても、死ぬことはない。現実世界に帰るだけで無傷の身体に上書きされ元の生活を送ることができる。手軽で身近になった暴力行為が日常生活に蔓延ることを恐れたのか、それともテレビゲームの延長として捉えたのかは知る由もない。ただ、漂流世界での暴力行為はスポーツの一種として世に広まり、全世界共通のルールである漂泊協定が締結された。

 身近であるが、常にあるべき、と言えない程度に浸透した暴力行為は、老若男女、官民問わず多くの人種を魅了している。


「統一戦の腕試しに、と思ったが」

「暖簾に腕押しですね。ここまで徹底されてるのは私も想定外でした」


 順位付けはそれが他者と競う種類のものであるなら必ず存在する。

 軍服の指揮官が口にした統一戦とは、全日本統一選――謂わば日本で一番を強いのは誰かを決める戦いだ。

 二年に一度、老若男女問わず何万人もの人が、団体が、日本の頂点を目指して戦う。


 若い盛りを集めたから強いのか?

 体を鍛えているから強いのか?

 質の良い剣や銃を持っているから強いのか?


 否。


 強さとは、勝者の足跡に生まれる属性である。負けて地に伏した者が味わう屈辱だ。

 漂流世界を理解し、漂泊協定を遵守する。各人が己の特性を熟知し、そして適切な用兵により動くことで生まれるのが強さである。

 全日本統一戦も、若者最強を決めるインタースクールも、無理に相手を倒す必要はない。立ちふさがる相手を全て躱して撃破目標である相手の要石を壊せばいい。


「でも、模擬戦でこれはなしですよね。ちょっと連絡してみます」


 強い相手を、との要望を叶えた北条潮だったが、責任を感じて携帯端末を取り出す。

 模擬戦は二日目に突入していたにも拘わらず、要石への死に戻りは開始直後の数人のみである。開始直後の不意打ちで足止めを食らい、態勢を立て直した時には既に敵の影は霞の如く消え去っていた。

 広大な森林地帯に確かに存在する手練れを警戒する所為で本来のツーマンセルをスリーマンセルに切り替えなければならず、セルの総数を減らした影響で索敵範囲が狭まり手詰まりとなった。

 スリーマンセルをツーマンセルに戻し、苦肉の策で要石の護衛も前線に出した。敵を倒し、敵の要石を破壊しなければ勝利は掴めないからだ。

 しかし結果は空振り。

 どのセルも敵と遭遇できていない。


「連絡はいらないっすよ」


 背後からの声。

 携帯端末に文字を打ち込んでいた北条潮が顔を上げる。


「14人。最後の護衛含めて引き剥がせたから壊してこいって言われたんっすけど、2人居るじゃないっすか」


 腰から拳銃を引き抜き警戒する指揮官の眼前に広がる森から、一人の青年が歩み出る。

 最初の声の出処と青年の出現場所が明らかに違う、と潮は気づいていた。

 声色に口の動き――それらに違和感がないとするなら、あの青年の持つ能力は音や認知機能を撹乱する系統、もしくは悟られることなく移動を行える能力だ。

 冷や汗を流す指揮官は、そのことに気づいていない。


「どっちだろ、って思って観察してたんすよ。間違えて斬ると協定違反になって代行に殴られるし、どうしようかなーって」


 二人は森から出てきた青年の奇妙な装いに釘付けになっていた。

 一般的にツナギと呼ばれる円管服、上部にずらして赤髪を押さえつけるゴーグル、そして顔の下半分を覆い隠すガスマスク。

 作業現場から迷い込んだのでは? と一瞬疑念を抱いたが、その手に踊る銀のナイフは迷いを払うには十分である。


「くそっ!」


 指揮官が拳銃を発砲する。

 入隊してから何千何万回と繰り返してきたその動作は動揺を消し去り、弾丸は真っ直ぐに青年の額に吸い込まれていく。


「ダメっすよ」


 弾丸は青年に届くことはなかった。

 キンッと、甲高い音はナイフと弾丸が振れた時の音だ。

 距離は決して遠い訳ではない。引き金を引いて弾丸が届くまでコンマ数秒の猶予しかない。

 けれど青年は特に苦にすることなく、ナイフで弾丸を切り飛ばした。


「武器は自分の属性に合った武器使わないと」


 二発、三発、と銃弾が容易く弾かれる。それ見て指揮官は拳銃を捨て、腰からサバイバルナイフを抜く。


「斬、突、打、遠。この四つの分類に例外はないんすよ。補正っていうと妙な感じっすけど、使うなら馴染む武器使わなきゃ。斬なら刃の付いた剣とか刀とか。突なら長柄や尖った得物とか」


 ジリジリと間合いをはかる指揮官とは逆に、ガスマスクの青年は無遠慮に歩み寄る。


「打は棍棒とか拳? 遠は弓や銃は分かり易いっすけど、馬鹿正直に使う人はいないっすね」


 実力差は明白だ。

 要石まで接近を許したことも、接近してからの対処も、全て後手に回った結果と言える。

 ここまでお膳立てしてガスマスクの青年を送り込んだ相手が、残った中年の隊長よりも弱い人員を送り込む愚行を行うとは思えない。


 刃が交わる距離まで残り数歩――青年の足と、そして口がピタリと止まる。


 左手に握ったナイフの切っ先がゆらゆらと揺れることはなくなり、元々少なかった殺気や闘争心といった気配が更に薄れていく。

 代わりに溢れ出るのは警戒心だ。

 ガスマスクの下で口が何度も開き、そして一声も発することなく閉じられているのが分かる。

 苦しそうな呼吸が自身にも伝播しているのを指揮官は感じた。背中が汗でぐっしょりと濡れている。そしてそれは、目の前の青年も同じだと気付く。


「……っ!」


 客観視など必要ない。

 青年の足を止めたのは、もう一人の存在だ。 

 敵でも味方でもない第三者。ただの仲介者。

 ボブカットの、女剣士。


「もう十分です。隊長さん、降参を」

「あ、ああ」


 ドッと、堰を切ったかのように張り詰めた空気が解ける。

 腰が抜けた指揮官はその場にへたり込み、青年はガスマスクをずらして大きく呼吸をする。


「ガスマスクの君も、この状況なら降伏を勧告するべきです。別に協定では定められていませんが、至って一般的な、人道的な処置です」


 刀の柄から手を放し、北条潮は腕組をする。

 それは小さい子供を叱る教師のような仕草であるが、迂闊な動きをして拳骨で済むとは思えなかった。


「こりゃ代行が逃げるのも分かる気が」

「はい?」

「何も言ってないっす」


 溢れ出んばかりの剣気は鳴りを潜めていたが、ガスマスクの青年は一歩も足を踏み出さなかった。

 距離にして数メートル、しかし北条潮の間合いは鼻先だ。

 踏み込んでも斬られることはない。

 理解していたが、本能が、経験が、決して進んではならないと警鐘を鳴らしていた。


「じゃあ、模擬戦は終了ってことで」

「待って」


 そそくさと引き上げようとしたガスマスクの青年を北条潮が呼び止める。


「反省会、いいえ、彼らのミーティングに付き合ってもらえないか代行に聞いてくれないかしら?」

「数日中にデータ化して送るっす」

「直接会えない?」


 相対して感じた印象を知り、弱点を炙り出さなければ模擬戦をやった意味がない。

 やんわりとした口調で紡ぎだされた要請の裏側を把握したガスマスクの青年は心底呆れ、口をへの字にしたまま首を振る。

 昔の男と逢うために利用されてはたまらない。


「こっちは忙しいんっすよ。夕方にはドックっす、ドック。戻らないとチョッサーに殺されるっす」


 腕時計をこれでもかと見せつけた後、ガスマスクの青年は木々の合間に入り、すぐに気配ごと消え去った。

 北条潮は少しだけガスマスクの青年が進んだ方向を睨んでいたが、すぐに思い出したかのように携帯端末に文字を打ち込んでいく。


「北条さん」


 途中から蚊帳の外に置かれていた指揮官が背後から声をかける。

 北条潮は指を止め、携帯端末をスーツの内ポケットに収容する。大きなため息を挟んで以降、苛立つ様子は見せず平静を保てているようであった。


「あなたはいったい、誰を宛がったんですか?」


 模擬戦の相手を選ぶ条件は、自分たちより強いことである。日本代表に度々選抜されている北条潮に期待していたのは、自分たちと同じような軍隊系統か彼女の職場である警察系統の相手、もしくは活力を持て余した大学チームなどである。

 相対した敵は確かに強かった。

 しかし強さのベクトルがまるで違う。

 見た目も戦い方も異質で、何時間と対峙したにも拘わらず人数すら把握できない相手は何者なのか。


「古い馴染みです」


 北条潮はそう答え、どう続けたらいいのかを思案する。


「最近は船乗りをしていると言ってました」


 悩んだ末、無難な単語を並べてお茶を濁す。

 学生時代は互いに切磋琢磨した彼が、代行と呼ばれる昔馴染みの青年が、今や漂流世界の未開地域を跳梁跋扈し、海賊などと呼ばれ世界の半分から多額の懸賞金を掛けられている存在だとは言えなかった。


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