楽園の神話とベルムの巡礼

 翌日、蟲使いベルムはふたたび病床のナディを訪ねてきた。固く閉じて開かぬ口で、母が作ってくれた昼餉の粥をどうにか食べようと、苦闘している最中のことである。

 薄く煙をたなびかせる小鉢を差し出し、彼は言った。

「この香をひと息ずつ、ゆっくり鼻から呑んでごらんなさい」

 ナディが恐る恐る、鉢の中を覗き込む。煙の源は彼女が想像したようなものではなく、黒く燻ぶる粉末の小山。つめたく喉へ抜けるような、独特の香気が漂う。

「ご安心を。蟲に由来するものではございません。聖樹ダンの高枝と、いくつかの樹上草から調合した薬香です」

 蟲を恐れる心が読まれたようで恥ずかしく、ナディは言われたとおりに香を嗅ぐ。ひと息。ふた息。深い呼吸を三度繰り返すころ、意に反して閉じ合わされていた口が、ぱかりと開いた。

 茫然とする少女。その枕元に腰かけた母親が、呪術師へ懸念の視線を投げた。

「聖樹の枝とは……その、貴重なものなのでは?」

 高くつくのではないか、と言外に窺う問い。今日も面簾を上げた姿のベルムはゆるくかぶりを振り、家計の心配をするハエルに、その無用を説く。

「貴重な薬とて、医者が使うべきときに使わぬのでは、宝の持ち腐れというもの。蟲を使わぬ療法も、契約のうちと捉えていただいて良うございます。のちほど、ジャクバ殿から正当なをいただく約束となっておりますゆえ」

 それを聞いても、夫は何を支払うつもりなのだ、とハエルは却って不安を深めた様子でいる。彼女も娘も、ジャクバがどのような契約で蟲使いを雇ったのか、詳しいことは知らない。それを秘密にすることも、契約の一部であるらしかった。

 母の気懸かりを脇目に、ナディは顎の調子を確かめながら、慎重に匙を口へ運んだ。ふやけた枝田米しでんまいの熱さと適度な塩気が、たった数日の病臥で痩せ衰えた身体に、やさしく染みわたる。

 昨晩などは結局、病毒が強いる咬合で歯が砕けぬように、束ねた布を噛んだままでいたのだ。当然、飯など食えなかった――思い出したように空腹感が追いついてきて、ナディは夢中で粥を掻き込んだ。飲むように食らい、気道に入って噎せ、それでも涙を滲ませながら啜った。ありがたきは母の慈愛。そして、顎のこわばりを緩めた呪医の薬香。如何ともしがたい生理的な忌避は未だ残るものの、すでに理性の上ではナディも認めている。蟲使いであるベルムを、少なくともその技倆を。

「手足や背すじ首すじのこわばりを抑える薬湯やくとうも、これより蟲を使わぬ素材で調合いたしましょう。病のもとを断つには至りませぬが、症状を緩和する役には立ちます」

 柔らかそうな毛皮の鞄から調薬の道具を取り出し、ベルムは床に並べてゆく。乳鉢と乳棒。瓶に入った木の実、薬草、小枝、その他諸々の薬の材料。確かにどれも植物由来のものらしく、蟲の身体や分泌物を飲まされることはなさそうに思える。

「これは食後にお飲みください。……楽になられましたらば、また昨日の話の続きでも」

 むろんこれも、蟲に怯えた小娘に対して蟲使いが示す、いささか露骨な気遣いではあるのだろう。

 そうとわかっていても、本領の技を封じられてなお呪医としての職責を果たさんとする姿勢には、確かにナディの心を打つものがあった。


 食前に嗅いだ薬香のおかげで口まわりが楽になり、食後には目の前でベルムが煎じた薬湯を飲んで、ナディは五体の弛緩を楽しむ余裕すらあった。

 あくまで対症療法であり、根治に至る処置はできていない、とベルムに釘を刺されてはいる。が、体調が良くなれば物事に楽観的になるのが人間である。

 もとより破傷風は、必ず死ぬ病でもないと父から聞いている。このまま症状を緩和させつつ、身体の抵抗力が回復し、病毒が弱まるまで待てば、あるいは蟲に頼る必要も……。

 光明が見えたと思った途端、自分が治さねばならないもう一つのを思い出し、ナディはまた声もなく消沈した。

 命が助かるだけでは足りぬ。その点で、ナディは父と思いを同じくしている。里長一族の権力には然したる興味もないが、蛆にも劣る狂人のせいでイオズフと添い遂げられぬ未来など、到底受け入れられるものではない。

 風を通そうと木蓋の窓を上げれば、聖樹の枝に沿って広がる里の景色が望める。樹の上に立つ木の家々。周囲の木立から投げかけられる昼色の星苔光。物心ついたころより眺めてきた窓外の光景は、あの惨劇の日を経ても変わることがない。それが無性に理不尽と思えて、ナディは自分を愚かな女に貶めるような科白を吐かずにいられなくなる。

「なんで、処女でないと結婚してもらえないんだろ――」

 答えを期待した問いではなかった。わかりきったことだ。男の立場に立って想像してみれば、婚前の貞淑を守れぬ女など、妻に欲しいわけがない。

 案の定、母が気色ばんで娘を叱りつける。

「なんでって、あんた、当然じゃないかそんなこと!」

「ごめん、わかってるよ母さん」

 自分は積極的に恋人を裏切りはしなかった。しかしモラハンの蹂躙を許した時点で、そうさせる隙があったことも、抗う強さがなかったことも、自分の落ち度なのだ――。

 ごく自然にそう思えるナディであったから、ベルムがため息とともに洩らした呟きには、言い知れぬ衝撃を受けた。

「愚かな因習よ……」

「えっ?」

 耳を疑ったナディが振り向くと、微かにばつの悪そうな色を浮かべたベルムの顔。どうやら、彼も口に出すつもりのない言葉だったと見える。

「なんて……」

「いや、たいへん失礼――男が女の上に立つ里で、出過ぎたことを申しました。旅先の文化に口を出さぬは巡礼者の決まり事。どうか、聞かなかったことに」

 もの言いたげな母を制して、ナディが食いついた。

「ううん、誰にも言わない。だから教えて。

 あなたから見て、これって〝愚か〟なことなの?」

 流れ者の論理を盾にした逃げ口上を、遮るかたちで追及され、ベルムは狼狽えたように言葉を探す。その様は顔つき相応に若く見え、ナディは密かに新鮮味を楽しんだ。

 とはいえ、内心の動揺は収まっていない。

 マナセの里でも、交流のある近隣の里でも、女の地位は明確に男の下と位置づけられている。極論すれば妻は夫の、娘は父の、それぞれ家長たる男の財産である。

 女たちにとってもそれは当然のことで、疑問を差し挟むべきことではなかった。まして〝愚かな因習〟と断ずるなど。里長の耳にでも入れば、伝統への不敬を罪に問われかねない。

 だからこそ、ベルムの言葉は気にかかった。

 里の誰もが所与の常識として疑わぬ観念が、広く世界を巡る旅人にとっては一個の〝因習〟に過ぎぬとしたら。いったい自分を翻弄している運命の力とは、何であるのか――。

 ややあって、神妙な面持ちで居直ったベルムが、低くしずしずと切り出す。

「……昨日お話しした、〈樹界エルシノア〉のヒトの起源にまつわる神話は覚えておいでですかな」

「わたしたち人間のご先祖様が、もとはどこか遠い世界で生まれたっていう、あれのこと……」

 古びた伝承。かつて人は水と土の楽園に暮らし、その文明は栄華を極めたという。進歩と発展。生活のすべてが魔法の利器に支えられ、空を飛ぶも空気から食物を生み出すも自在の、想像を絶する神代の世界。

 だが、文明の進展と引き換えるように人間の精神は堕落し、まことの神への信仰を忘れてゆく。冒涜と頽廃。やがては自らに都合のよい、偽りの神を創造せんと試みるまでに至った。

 ついにその傲慢が、まことの神の怒りに触れた。

 人造の神は名を言うも憚られる悪魔と化して楽園を滅ぼし、人類は暗黒の世界へと放逐された。暗く寒く、はてしなく広がる虚空を彷徨いながら、生き残った人々は怯え、悔い、ただ慈悲を乞うて、祈った。

 やがて、真に悔い改めた一握りの善き人々だけが、緑あふれる新天地へ降り立つことをまことの神に許された。彼らは二度と信仰なき文明に驕ることなく、自然に寄り添い生きることを誓った。

 この〝善き人々〟こそはいま在る人類の始祖であり、新世界の名を、〈樹界エルシノア〉という――。

「子供のころに森霊司ドルイドの説法で聞いたのと、大筋はあんまり変わらなかったけど」

 なにしろ広大な〈樹界エルシノア〉のどこでも、凡そ同じ内容が伝えられているほどの、古く知られた神話である。ナディも当然、もとから知ってはいる。教訓説話としても無駄に複雑で、わかりにくい話だと思っていた。

 里の一般的な子供たちが教わる内容に比べ、ベルムの話で新しいことといえば、祭司たちが教えぬ名詞にも詳しかった程度の違い。

 たとえば、失われた楽園の名を〈地球アース〉といい、神代の文明を繁栄せしめた魔法は、いにしえの言葉で〝科学技術テクノロギア〟という。その粋を集めて作られた偽りの神、のちに悪魔と変じた者の禁忌の真名を、〈偶像占い師イドロマンサー〉という――等々。いずれも里では失伝しているのか、里長らの意向で伝えぬことにしているのかはいざ知らず、ナディが聞いたことのない言葉ばかり。

 この神話が、男と女のことにどう係わるというのだろう?

「黒き天界よりこの星に降り立ったわれらの父祖は、進歩への妄信の果てに悪魔を生み出してしまった歴史を省み、科学技術テクノロギアへの依存を厳しく戒められました。そして医術や農業、まつりごとの運営といった必要欠くべからざる技だけを、祭司や呪術師たちの秘伝として、後世に遺させたのです。

 。これが、〈樹界エルシノア〉のあらゆる共同体を呪縛する根本原則……否、教義ドグマと申せましょう。

 本来は、技術発展の暴走を防ぐための教えであったもの。それがいつしか、人間の文化や思想をも支配するようになりました。〝男は女よりも貴し〟とは、進歩を憎めとの教えに従い掘り起こされた、〈地球時代アース・エイジ〉の古き考え方のひとつに過ぎませぬ」

 ナディは頭痛の兆しを捉え、こめかみに指を圧しあてる。病毒のためではない。ベルムの話の、情報量が多すぎるからだ。不変の真理だと思っていたものが、取って付けた人工物のように語られている。ごく自然に、当たり前のことのように。

「その考え方と、〝進歩〟との関係がよくわからないんだけど……」

「旧文明の絶頂期に、人類の多くは男女同権の社会に生きておりました。……少なくとも、建前としては。

 ですが、さらに古く〈地球アース〉の歴史を遡れば、むしろ性別が社会的階級に直結するような時代の方こそ、遥かに長くあったと言われております。

 然るに、悪魔の再臨を恐れた父祖の一派にとっては……男女同権とは〝進歩的〟な思想のひとつであり、楽園の破滅を思い起こさせるものとして、憎悪の対象となったのです。代わりに〝古き善き〟男権主義と家父長制を蘇らせ、この〈樹界エルシノア〉に復古の世を築くための一助とした。マナセの里長一統も、その類の宗門でしょう。

 男女同権が進歩的であったかどうかは、もはやうつつの世に関わりなきこと。連想がもたらす恐怖はまったく病的なもので、理屈などありませなんだ」

 かく言うベルムの口調は冷ややかで、口許に浮かぶ薄笑いも、およそ好意的なものとは思えぬ。その侮蔑が自分にも向けられていないことを祈りつつ、ナディは核心を問う。

「……でも、それを愚かだと思っている」

「敢えて無礼を申さば、その通りですな」

 ナディが食い下がるものだから、と開き直ったか、どこかふてぶてしさを含んだ声で蟲使いは言う。

「過去の過ちを恐れるならば、為すべきは過ちの根源に正しく向き合い、二度と繰り返さぬための道を自ら拓いてゆくことでございましょうや。

 いたずらに往時のヒトの在り方を否定し、〝先人と同じ道を往かねば悪魔にはゆき遭うまい〟などと願をかけながら上古代の猿真似に安住するのは、偉大な叡智の技を受け継ぐ呪術師としては、どうにも……無用の退行と思えてなりませぬ」

 言い終わりには、蔑みよりもむしろ無念を滲ませる声音であった。それは人類の精神的後退を嘆く、秘儀の守護者としての寂寥にも聞こえた。

 ちらりと、ナディは母を一瞥する。

 なんら疑問なく里の教えに従い、よき妻よき母として生きてきたハエルは、硬い顔を赤くして震えている。娘と違い、彼女は男を支える生き方を是として、すでに歳月を生きた。いまさら流れ者の批判を聞かされて、心中穏やかでないのだろう。

 反論を口にしなかったのは、呪術師という智者に論破されることを恐れたのではなく、いちおう男であるベルムの顔を立てることで、マナセの家婦のあり方を示す意地と思えた。そんな母にベルムが向ける視線は、決して冷たくはなかった。

 この異邦人との会話は、母には刺激が強すぎる。自分が引き受けるに如くはない――そう内心にさだめて、ナディは新たな話題を探す。

 里の文化や制度に対する批判を、それ以上ベルムが口にすることはなかった。しかし彼が説いた〝因習〟の意味は、ナディのうちにまたひとつ、重いしこりとなって残り続ける。

 人の世の在り方も、男と女の身分も、絶対ではないのだ。

 苔農家の子ナディは、呪術師ベルムの話を聞いてもなお、マナセの女の在り方を悪いとは思っていない。

 それでも、女には違った生き方があり得るのだという大いなる秘密を、爾後、彼女は忘れなかった。自分の道は選んで歩くのだという、小さな誇りとともに胸に抱いて、生涯忘れることなく、生きた。


 その日、その後の話題は、ベルムの旅にまつわることが中心となった。

「じゃあ、次は南へ向かうんだ」

 口が自由に回るぶん、ナディの口数も格段に増えている。ほとんど一方的な〝講義〟だった前日と比べ、より〝雑談〟らしい会話が成り立っていた。

「ええ。マナセから見て南方、わが〈白王遍路〉の十二本目となる、聖樹エフライムの里を目指します。ここまでは、先人たちの記録を頼りに辿ってゆけるのですが……」

「なにか、問題でも?」

「十三本目の聖樹、レビの所在は失伝しているのです」

 ベルム曰く、呪術師たちが夢みる〈白王遍路〉の完遂を成した者は、有史に未だかつて存在しない。道のりの長さもさることながら、最後の聖樹レビの在処が杳として知れぬためであるという。

「どこにあるかわからないのに、ことは確かなの……」

「ええ。聖樹の数は、最初期の文献より十三と伝えられており、これまでの旅で得てきた断片的な手がかりも、それを裏付けますほどに」

 彼が見聞した書物や伝承に、十三本目の位置を示す具体的な情報はなかった。だが〝その樹〟が実在し、古代の賢人たちにレビと名付けられたことだけは確かであるらしい。

「聖樹ともなれば、白く大きく目立ちますゆえ、近くに人里があれば知られていてもよいはずです」

 ガオシルの樹は年るほどに樹皮を白化させる。最古の世代たる十三聖樹ともなれば、ほとんど全身が白く染まっている。それゆえ聖樹の別名を〈白王〉と呼び、すべての聖樹に参拝する巡礼行を〈白王遍路〉と称す。

 この里を支える聖樹マナセとて、大の男が千人で輪になってもとうてい囲い切れぬ、巨大な白色の幹で立っている。あたかも一つの森を束ねたかのよう。これほどの偉容、まともに探して見つからないのなら、なにか理由がある。

「人が住めぬ未踏の地に根付いているか……焼け落ちるなどして、すでに滅びているのか……それとも、他の聖樹とは見た目や在り方が根本的に異なるのか……興味が尽きませぬ」

 ことによっては自分が辿りつけないかもしれぬ、最後の聖樹の謎を語りながら、ベルムは笑っていた。見慣れたこの里が世界のすべてであるナディにとって、神秘を追う求道者の瞳のきらめきは、少しく眩しい。


 巡礼の旅の目的を、問うてもみた。

「なんのために、〈白王遍路〉を続けているの?」

 長き時を費やし、終着点も見えぬ。かくも難儀な巡礼を、なんのために。

 しばしの黙考を経て、ベルムは答える。身構えた分だけ、それはナディの耳に稚気じみて聞こえた。

「……わが父ゴルディンも蟲使いであり、呪医であり、巡礼者でした。道半ばで倒れましたが……私はその後を継いで、同じ夢を追っております。

 郷里の伝承に曰く、〈白王遍路〉を成し遂げた者には、呪物と呼ばれる〈地球時代アース・エイジ〉の遺産を扱う資格が与えられるとのこと。〝行使権限アカウントの登録に必要な手順〟らしいのですが……とかく、それこそは父が求め、いまは私が求めたるもの。

 わが隠れ里に伝わる遺産の名は、神器〈血脈の槍エランヴィタール〉。古代の聖賢たちが用いた、〝生命の原型〟を書き換える力を持つ、強大な呪物です」

 呪物やら生命の原型やらについては、もとよりナディの与り知らぬ分野の話である。それでも、わかることはある。

 目の前の男は、亡き父の遺志を継ぎ、伝説の秘宝を求めて旅する者――まるで御伽噺の主人公ではないか。

 かつて里長となる運命に反発し、冒険の旅への憧れを口にしていたイオズフの横顔が、ふと思い出された。出会ったばかりの頃、まだ声も変わらぬ愛らしい少年であった彼と、結婚する未来など想像もしなかった。

 懐かしさと慕わしさに、ナディの頬が緩む。覚えず、涙がこぼれた。

「ああ、生命の原型というのは……生き物が成長したり、傷を癒したりするときに〝あるべき形〟を決定する、見えない因子のことで……古代人の言葉でいえば〈遺伝子ゲーヌ〉ですな。われらの友たる蟲たちや、諸々の枝上作物、はては聖樹アシェルの里に住む獣人なども、みな〈血脈の槍〉によって人工的に生み出された種であると……おや、どうされましたか?」

 ナディの落涙にようやく気付いたベルムが、戸惑うように饒舌を打ち切る。その落差も、すでに好ましいと思えた。

「大丈夫。ちょっと、昔のことを思い出しただけ」

 妖蛆使いベルムは人間である。父が追ったと同じ夢を追いかけ、呪医として働きながら旅に生きる、血の通った男である。いまや頭だけでなく、腹にも落ちて納得している。

 ただ、蟲を道具にしているというだけの――。

「ベルム……いえ、ベルムさん。お願いがあります」

 背筋を正し、あらたまってナディが言えば、蟲使いは泰然と笑んで、続く言葉を待ち受ける。

「はい。何でございましょうや」

「ひと晩……時間をください。いろいろ考えてみて、明日までには、決めます」

 頭巾カウルの中で、ベルムの白い顔に驚きの表情が閃いたのは、果たしてナディの目の錯覚であったか。

 気付けば、笑みを深めた呪術師が面簾を下ろすところ。

「〝正解はなく、選択があるのみ〟……どのようなご決断であれ、あなたの意思で決めたことを、私は尊重いたします」

 古い格言を引用し、妖蛆使いは深く一礼すると、滑るような足取りで部屋を出ていった。


 ――その夜、最初の発作がナディを襲った。

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