契約

「……つまり、ご息女の病を癒し……加えて、引き裂かれたを修復せよ、と」

「くれぐれも秘密裏に、だ。可能か」

 テーブルの上に身を乗り出し、向かいの男に念を押すジャクバ。対する蟲使いの表情は、読めない。顔が見えないからだ。

 呪術師の装束は――たいていどこの流派でもそうだが――頭巾カウルの前面に玉簾ぎょくれんを下ろし、顔を隠すようにできている。彼らなりに深遠な意味を持つ文化らしいものの、むろん門外漢には呪術のことなどわからない。ただ人間味を損ない、不気味に映るばかり。

 この深更、ジャクバが家へ招いた蟲使いも、赤龍珀ダハルコの玉片を連ねた面簾もれんで、顔を覆っている。表情は読めぬ。代わりに彼が口を開き、あるいは身じろぐたびに、紐で連ねられた赤橙色の小片群が踊る。ちゃり、ちゃり、きゃらり――と、不可思議な光彩を撒いて、鳴る。

「傷を塞ぐは造作もないこと。施療を秘とするも、患者と家族がお望みあらば、呪医の倫理にかけて約しましょう。

 病の方は、いかなる種のものかによりますが……」

 面相が見えぬため、歳さえ測りがたい呪術師だが、声のみで強いて推し量るなら、ジャクバの耳には若く聞こえた。もっとも、落ち着いた雰囲気や言い回しの古めかしさのせいで、気分としては老人と話しているのに近い。

「交合でのみ伝わる類のものではない。おれの経験から判じて言えば、破傷風テタルであろう」

「ほう?」

 断言に近い口ぶりで推測を語るジャクバに、無貌の呪医は興味を示した。

「ちなみに、なにゆえ破傷風と」

「昔それで死んだ友の症状と、よく似ているのだ。口が開かなくなり、首が硬くなる。あとは……重ねて言うが、決して他言無用に願うのだが……」

 神経質なほどに言い募るジャクバに、蟲使いは忍耐強く応じる。頷くたび、赤玉の簾が擦れて音を立てる。

「重ねて守秘を誓いましょう。さあ」

「……糞だ」

「なんと?」

「妻が言うには、傷口に、糞がこびりついておったと――」

 顔を歪め、ジャクバが震える。いまなお臓腑を焦がすような怒りが、声をかすれさせた。

 脇に座るノジームが、同じ怒りを若さゆえに御し切れず、テーブルを殴りつける。

「モラハンの野郎……もう百ぺんは殺してやらないと、気がすまねえ!」

 筋肉の塊めいた巨体で唸り叫ぶノジームを、蟲使いがちらりと見やる。視線は読めぬ。ただ、玉簾の赤いきらめきがかしいで戻る動きから、そうと知れた。

 説明を求められているのだろう、と忖度して、ジャクバは再燃しかけた怒りのわけを、つとめて冷静に語ろうと試みる。

「忌々しいモラハンめは、酒に酔ってナディを襲い……しかしその……を間違ったのだ。途中でそのことに気付いて、一物を洗いもせず……

「ああ」

 得心がいった、とばかり、頷く呪術師。

「誤って後門ポゾルに押し入り、そのまま未開の前門プロルを破ったと――それは、破傷風にもなりましょうな」

 前門、後門とは古雅な婉曲表現であり、それぞれ女性の膣と肛門を指す。理解できなかったノジームが間の抜けた顔をする傍ら、ジャクバは苦々しげに訴える。

「破傷風はとかく進行が速い。早期に対処せねば、手遅れになる」

「然様です。痙攣が全身に及んでからでは、治療も間に合わぬことが多い。患者の合意さえいただければ、すぐにでも施術に入るがよろしいかと……?」

 呪医の言葉が尻すぼみになったのは、ジャクバが首を横に振ったがため。

「ナディは齢若い女だ。きさまらの使う蟲など、身体に触れさせることを許すとは思えん」

 内密の治療を頼む立場としてはあまりに無礼な言いようだったが、言う側も言われる側も、それを気にするふうではない。およそ〈樹界エルシノア〉のどこへ行こうと、蟲使いとはそうした扱いを受けるものであった。

「ですが、患者ご本人の許可なくして蟲を用いるのは、いささか気が引けますな。俗世の人はどうしたわけか、われらの可愛い蟲を厭われますゆえ……」

 蟲使いにそんな配慮があるのか。ジャクバは小さく驚き、すぐに納得した。考えてみれば、彼らがいかにもまともな医者づらをして患者に蟲をけしかけていれば、嫌われるどころかこぞって狩り殺されるであろう。慇懃な気配りも、邪法を医術に転じてひさぐ者たちの、当然身につけるべき処世術と思えた。

「家長であるおれが許すと言っているのだ。薬で眠らせるなりして、その間に蟲の治療とやらをやってしまえばよい」

「なりませぬ。患者の命は患者のもの。これも、呪医としての職責なれば」

「ええい、強情なことを――」

 ジャクバはちらりと息子に目をやる。気付くそぶりもない。それでも、父がひと声命じれば、ノジームは巨体を凶器と化し、蟲使いを叩き伏せるだろう。得体の知れぬ力を持つ呪術師といえど、職掌はあくまで医療。この近間で、単純な筋肉の暴力に対抗し得るとは思われぬ。

 いつでも力で脅せるという剣呑な発想が、逆にジャクバを冷静にした。まだ癇癪を起こすには早い。要は、ナディの口から施術への同意を取り付ければよいのだ。

「……わかった。では明朝、おれとノジームが娘に事情を話し、説得する。それでよいな」

 マナセの里は、多くの枝邑しゆうがそうあるごとく、男権社会である。父親が娘を服従させる術など、いくらでもある。

 そう踏んで〝説得〟を申し出たジャクバであったが、返す呪術師の言葉に、思わず顔を引きつらせた。

「結構にございます。私も同席いたしましょう。正しき合意のためには、ご息女にも、わが医業のを見ていただかなくてはなりませぬ」

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