第20話 忘れさられた記憶

『チュン、チュン、チュン……』


 カーテンから光が射し、耳につんざく小鳥の鳴き声。


「朝か……」


 龍牙は素早く起き上がり、二段ベッドのはしごを駆け降りて、強ばった体をコキコキと鳴らす。


 瞬時に頭は冴えわたり、肺を満たす新鮮な空気。


 少々肌寒いが、今朝の体も好調みたいだ。


「おい、朝飯にしようぜ。

俺は、もう腹ペコだぜ」

「……なあ、ゆ、」


 あれ?

 頭が真っ白になり、その先の言葉が出てこない……。


「何だよ。朝っぱらからうるさいなあ、龍牙君」


 下のベッドから寝ている体勢で顔だけをこちらに向けて不機嫌そうな表情でにらんでくる一人の人物。


 いや、いつもの眼鏡を外していて龍牙が見えにくいのだろう。


 眠たげな細い目をさらに細くして、発せられた声の主をじっと見つめている。


「……あれ、一瀬か」

「そうだけど、何を言ってるのさ」

「いや、ここにさ、ゆ……」


 まただ。

 また先の言葉が出てこない……。


『お湯がどうかしたの?』と尋ねながら、一瀬もゆっくりとベッドから起き上がり、枕元にあった眼鏡をかけ、台所に移動して銀のケトルに水を入れてお湯を沸かす。


「分かってるよ。龍牙君は目覚めの朝のコーヒーが好きなんだよね」

「……いつものブラックでいい?」


 龍牙が、その言葉に応じて無言でこくこくと頭をふる。


 ……さっきから何かがおかしい。

 頭の奥底で考えながら言葉を紡いでいるのに、口から発する言葉は違う。


 まるで、それだけを考えようとすると脳に閉ざされたフィルターがかかる感覚。


 胸から喉元を過ぎて、口からはいるが、肝心なその内容が出てこない……。


「はい、どうぞ」


 一瀬が部屋の中心にある茶色の丸いちゃぶ台に緑と赤のマグカップを置く。


 中から湯気が出る液体から、コーヒーの香ばしい匂いが広がる。


 龍牙が緑のマグカップを掴み、ずずっと液体をすする。


 熱い液体が喉元から空っぽの胃袋へと送られ、さっきまで何かに焦っていた気持ちがようやく落ち着いてくる。


「それはそうと、一体どうしたの?

今日の龍牙君、いつもより変だよ」

「ごめん。俺自身もよく分からないんだ……」


 一瀬が不思議そうな顔で龍牙を見ていたが、特に何も装わずに黙って赤のマグカップに入ったコーヒーを飲んでいる。


「……まあ、いいよ。食堂へ朝食を食べに行こうよ」

「そうだな……」


 二人は軽く身支度をして、二階にあるヨスガのキッチンへと向かった。


****


 家庭科室からは美味しそうな匂いが漂っていた。


 そう、このキッチンでは朝食のみ限られた食材で料理を提供している。


 忙しい朝に自分達で食事を作るのは大変だろうと教師達が判断して、調理師免許直伝の教師達自身が厨房に立ち、料理を振る舞っているのだ。


 また、大勢の生徒に作るため、献立のメニューは予め決まっているが、大体はワンコインという安価な値段で味は保証付きである。


 その『ヨスガのキッチン』には、慌ただしい朝の時間帯だけあり、たくさんの学生であふれていた。


 皆、白い丸テーブルに備え付けの背もたれのある丸椅子に腰掛け、茶色と白がコントラストの馴染みの料理を銀のスプーンで食している。


 辺りを漂うスパイシーなの香り。

 どうやら今日は朝からカレーを作っているようだ。


「朝からカレーとはヘビーだな」

「おはよう。龍牙に鳴武」

「おはようごさいます。石垣教師」

「ちぃーす!」


 厨房にいたお馴染みの教師が声をかける。

 今日の調理担当は龍牙達の担任の石垣教師だった。


「どうじゃ、ちと食材が大量に余ってのう。

いつものお手軽なカレーを作ってみたのじゃが……」


 グラサンをかけた石垣教師には似合わない白いエプロン姿。


 傍から見たら異様な格好で大きな鍋から、おたまでカレーをすくい、白の丸皿を取り出して、よそっていたご飯にかける。


 ほかほかご飯にカレーの香ばしい香りが食欲をそそる。


 ちなみに、ここには基本は缶詰しかなく、一部の米や食材は東京大学院から取り寄せている。


 基本は東京大学院では消費しきれない食材がこちらへやって来る感覚だ。


 そんな極力、食材のロスや無駄を省いた、まったくもって計算されたシステム。


 これには何ともありがたい事か。


「朝カレーは体にいいからの。熱いうちに食べるんじゃぞ」


 石垣教師が二人分のカレーの入った皿をカウンターのテーブルにのせる。


 それを手にした一瀬が、二人分のお茶の入った透明のグラスとカレーをのせた緑色のトレイを持ち、窓際の空いている席へと運ぶ。


「龍牙君、ここに座ろうよっ!」

「おい、一瀬、声がでかいって」


 一瀬が、こっちこっちと手招きする。

 男同士とはいえ、少し照れくさくなる。


「さてと」


 二人が向かい合わせに座り、目の前のカレーとにらめっこする。

 そして、二人してお子様のようなキラキラとした純粋な眼差しになり……、


「「いただきます♪」」


 ……声をハモらせながら、無邪気な子供心であつあつなカレーに手をつける。


 ──これは美味しい。

 少しピリリとした辛さに病みつきになる洋食レストランのような味に密かにアクセントするコリコリとした食感。 


「どうじゃ、ヨスガのキッチン特製のくるみ入りカレーの味は?」

「いつもながら美味しいですね」

「こりゃ、ウマイぜ♪」


 おかわりと龍牙が空になった食器を石垣教師に差し出す。

 それに応じて微笑みながら皿を取る石垣教師。


****


 ……その時だった。


「わぁ、何だ!」


 突然の和やかな食事を邪魔する男子たちの大声。


「大変だ、すぐに先生を呼べ!」


 龍牙と一瀬が真剣な顔で見合わせ、慌てて、その声の現場に駆け込む。


 そこには白い泡を吹きながら倒れている一人の男子生徒がいた。


 目を虚ろにさせながら、小言で何かをぶつぶつ言っている。


「こらっ、野次馬は散らんか!」


 たくさんの生徒を押しのけ、キッチンから急ぎ足でエプロンを外した石垣教師が駆けつけ、胸ポケットに忍ばせた黒色のスマホをかける。


「もしもし、沖縄か。

寝ているところすまんが、生徒が一人倒れた。

あと、それから北開にも伝えてくれ。

彼には保健室の手配を頼むと……」

 

 ──話の途中から生徒の列から離れ、部屋の隅で通話を続ける石垣教師。


「また、犠牲者がでおった……」


 ──龍牙の耳にはそう聞こえたような気がした。


 ──石垣教師が淡々と話していた『犠牲』の言葉が胸に引っかかる。


 しかも、『また』と言っていた。

 その漏れ出した言葉からは、想像がつかない。


 はたしてどういう意味だろうか……。




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