第2話 修羅場を後にして交わされる会話
手足に包帯を巻かれたアンナが自販機コーナーの前に現れる。
遅れてやって来たトモヒデはアンナより遥かに重症で、手足にギプス。松葉杖でよたよたしながら寄ってきた。
アンナはトモヒデの方にまったく注意を払わず、自販機でコーヒーを買う。
トモヒデはその横で所在なさそうに立っている。
アンナは自販機横のベンチに腰掛け、缶を空け、ひと口飲み、空中に向けて溜息を放った。吐き出したはずの見えない溜息が周囲の空気と混じり合って分からなくなってしまった頃にふと視線を変え、横でじっとしているトモヒデにぶっきらぼうに声を掛ける。
「何してんの」
「い、いえ」
「ここまで来たんなら座りなよ」
「では、お言葉に甘えまして」
トモヒデ、座る。
「なんか飲む?」
「いえいえ、お構いなく」
「遠慮すんなって」
「は、はい」
トモヒデは気まずそうな顔をしている。
アンナは自販機でコーヒーを買ってトモヒデに渡すと、トモヒデの肩をぽんぽんと叩きながら横に座った。
トモヒデは缶を空けずに
「大丈夫ですか?」と言った。
「何が?」
「さっきの、なんというか」
アンナ、肩を竦める。
「私、修羅場というものを初めて生で見ました。修羅場がなぜ修羅場と呼ばれるのか、理解できた気がします」
「まあ、ちょっと失態だったよね。みんな、すぐ見舞いに来るって言って、こっちの言うこと聞かなくってさ」
頭を掻くアンナ。
「男三人が鉢合わせる修羅場というのもあるんですね……男の嫉妬は女よりも根が深いとかいう話を聞いた事がありますが、実感させられるものがありました。怖いです。怖かったです。でも、ありがとうございました」
「何が」
「僕らの病室に最初に入ってきたあの金髪ピアスさんがゴンドラ転覆させたのはこいつかって、僕を殴り倒さんばかりの勢いの時に、そうじゃないって、自分のミスだって、庇ってくれたじゃないですか。ゴンドラの操作は僕の担当なのに」
アンナ、にやっと笑い、トモヒデの腹の肉をつまんで揺らす。
「ああでも言わないと、トモちゃん今ごろ半殺しにされてたよー」
「ト、トモちゃんって、や、ちょ」
トモヒデ、アンナの言葉にビビりつつ、腹をつままれてちょっと嬉しそう。
「あいつは手ぇ速いんだよ。まあでも女は絶対殴らないから。そこが良いとこだったんだけど。案外嫉妬深かったんだな」
「あの白髪の紳士が現れた時の彼の顔は、忘れられません。あれは、怒りと憎しみと恨みの集約のような表情でした。彼らは、お互いの事は元々知っていたのですか?」
「うーん、さすがにそういうのいちいち説明したりしないけど、知ってたっぽかったね。調べてたのかな。あーやだやだ。あんな粘着体質だとは思わなかった」
「それに比べるとあの白髪紳士は非常に落ち着いておられました。金髪さんの勢いを軽くいなして自分の意見を主張するあたり、大人の貫録を感じました」
「あのままなら、まだ現場は荒れなくてすんだんだけどなー」
「アフロさんの登場で、流れがまったく違う方向に向かいました」
「来ちゃいけない奴が来ちゃったよな……あいつには入院したって事も知らせてないんだけど。どこで聞いたんだろうなー。なんつうかさあ、情報源広過ぎなんだよね、あいつ」
「あのアフロさんは、ジョーカーでした」
「あはは。あいつのあだ名、ジョーカーだよ」
「ほんとですか」
「マジマジ。ほんっと、読めないよね」
「彼はずっとあんな風に(手でヒップホップ風の動きをしながら)ラップ調で会話するんですか」
「人前ではそうだったね。あれは、ああいう場面じゃ相手の神経逆なでするよな」
「あのノリは、白髪の方もあからさまに不快な表情を見せていました。無理もないです。突然現れた第三者が、ことごとく自分の言葉に韻を踏んだラップで返してくるんですから」
「よくあんだけ言葉知ってるよな」
「しかもかなりの早口で」
「俺、あいつが何言ってるか半分も分かんなかった」
アンナ、首を振る。
「内容はしっかりと会話の体を成していたと思います。かなり頭の回転が速い方ですね。何故表現がああいう方向にいってしまったのか分かりませんが」
「内容、わかったんだ……すげえじゃん、トモちゃん」
アンナ、またちょっとトモヒデの腹をつまむ。
「やっ。いやあ、今にして思えば、でして。さっきはもうびっくりしちゃって。それに、人を罵倒するのにこんなにもいろんなやり方があるのかという事に唖然としてしまって」
「あいつ、ほんとに、心の底っから、他人を見下してるんだよね。頭が良いから?」
「さあ、それはどうでしょうか」
「でもな、あの中で切れたら一番怖いの、白髪のおっさんだぜ」
「えっ」
「多分だけど。一回街中でチンピラとぶつかって絡まれたんだけど、そん時いきなりすんげえオーラ出し始めてさ。ひと睨みだよ。チンピラ、その場でションベン洩らしちゃってたよ」
「マンガのボスキャラみたいじゃないですか」
「うん。かなり、この世のものではない雰囲気、あったよ。もしかしたら裏の世界では有名なのかも知れねえな」
「はあー。しかし何というか、三人とも味わいが濃いというか、個性の強い人達ばかりでしたねえ」
「俺さ、面白い奴が好きなんだよね」
「それは、分かった気がします」
トモヒデはそこでようやく缶を開け、コーヒーをひとくち飲んだ。
アンナも間を合わせたように飲む。
今度は二人でため息をついた。
「あれで、良かったんですか」
空中を眺めながらトモヒデは聞いた。
「何が」
「差し出がましい事とは知りつつ、こんな事を聞いている自分が、ああ。いえ何でもないです。すみません。……すみません」
アンナ、トモヒデの横顔を見て、それから力の抜けた表情で宙を見つめる。
「あいつらのやりあってるの聞いてたら、急につまんなくなってきたんだ。こいつらも、こんなもんかって思って。だから振った」
「こんなもん、ですか」
「ダメなんだ、つまんないのは。俺は、それは、耐えられない」
アンナ、まったくの無表情。
トモヒデ、アンナの横顔をしばらく見つめ、手元のコーヒー缶に視線を落とし、しばらくいじっている。
「しかし、みんな納得はしてないようでしたね。かなりしつこく食い下がってました。看護婦さんが追い出しにかからなければ、いつまでもアンナさんを説得しようとしていたでしょう」
「まったくなー」
「案外みんな女々しいところもあったというか。私が言えた事ではないかも知れませんが」
「トモちゃんは、女々しくないよ」
「いいえいえいえ、私などはとても。女々しい限りです」
「女々しくないって。だって庇ってくれたじゃん」
「……庇う?」
アンナの言葉にトモヒデはきょとんとしている。
「いや、先ほど庇ってもらったのは私の方で」
「そうじゃなくて、もっと前の話だよ。ゴンドラから落ちた時、一回下の木に引っ掛かってさ、そのとき俺をつかまえて、地面に落ちる時、自分が下敷きになってくれたでしょ」
「私が、そんなことを?」
「覚えてないの?」
「すみません、事故の前後の事はちょっと」
「お陰で俺の怪我はこんだけで済んでるんじゃん」
「私が、そんなことを……」
「まさか、その前に言ってた事も覚えてないなんて言わないよな?」
「わ、私、何か言いましたか?」
アンナ、腕組みして、トモヒデの顔をまじまじと見る。
「俺に、言ったじゃん」
「な……何を?」
「ほんとに覚えてないの?」
「ええっと……すみません。いろんな意味でごめんなさい」
唖然とするアンナ。次第にニヤニヤした顔になる。
「何言ったか、知りたい?」
「うわー……知りたいような知りたくないような」
「知りたいよな?」
「はい」
「奴隷にして下さいって」
「はい?」
「僕をあなたの忠実な豚にして下さいって言った」
「そこまで踏み込んだ発言を!?」
アンナ、うんうんと頷く。
放心状態のトモヒデ。
アンナは内心、(そこはちょっと否定ぐらいしろよ)と思わないでもなかったが、意地悪をしたい気持ちが収まらなくなっていた。
「退院したら、たっぷり付き合ってもらうから、覚悟しなよ!」
アンナはトモヒデの脇腹を責めながらいうと、トモヒデは困惑の表情を浮かべながらも顔を赤くしていた。
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