第11話.丹波守護代内藤国貞の陥落。

天文7年(1538年)10月、細川元全の子である細川 国慶ほそかわ くによしが丹波で守護代内藤 国貞ないとう くにさだを立てて蜂起した。


「(伊勢)貞孝、国慶とはどういうものであるか?」

「国慶は土佐守護代家の遠州家の細川元全の子でございます。畿内には勢力はございませんでしたが、天文法華の乱に乗じて京都周辺の土豪や商人を取り込んで自らの与力・内衆(被官)にしたようでございます」

「丹波守護代の内藤国貞はどうか?」

「此度、(内藤)国貞が国慶に組みしたのは、管領(細川)晴元に対抗する為でございます」

「解せん」

「簡単でございます。(内藤)国貞の国の字は、前管領(細川)高国より偏諱を受け、国貞と名乗りました。つまり、(細川)晴元にとって憎き高国の残党と目の敵にしているのでございます」

「そんなことを言っておれば、六角も武田も我が父も敵であり、日の本の半分を敵に回るぞ」

「それが判っておられれば、争乱はもっと早く終わっているでしょうな」

「そうであった」


享禄4年6月4日(1531年7月17日)に大物崩れだいもつくずれで細川高国が亡くなると畿内は混迷の時代を迎える。


高国を倒した(細川)晴元が管領職に就きたいが為に方針転換して、父である将軍義晴と和睦したことで、俺は将軍の息子でいられる。


しかし、政敵を排除する為に本願寺を捲き込んだことで、享禄・天文の乱きょうろく・てんぶんのらん天文法華の乱てんぶんほっけのらんを引き起こした。


簡単に言えば、政敵、一向宗、法華宗を捲き込んだ戦いを起こし、畿内が滅茶苦茶になった訳だ。


天下を治めるべき、将軍と管領が何やっているんだと言いたくなる。


結果として、京も焼野原になった。


その間にも管領(細川)晴元は(細川)高国の残党狩りをしている。


丹波守護代内藤 国貞ないとう くにさだは、丹波国西部を支配する国人である波多野 稙通はたの たねみちが管領(細川)晴元に寝返って、(細川)高国派の国人を打ち倒しているのだ。


そもそも(波多野)稙通は八上城やかみじょうを居城する丹波国西部を支配する国人の一つに過ぎなかったのに、(細川)高国の温情を受けて周辺の国人を従えるまでになったというのに、(細川)高国を寝返って(細川)晴元派に付いたのだ。


(内藤)国貞からすれば酷い裏切りであった。


ただ(波多野)稙通の弟である(細川)高国の重臣であった香西 元盛こうざい もともりが自害に追いやられたのだから、(細川)晴元に付いた事を責めることはできない。


「蜂起したというより、蜂起させられたという感じか!」

「左様でございます。すでに討伐隊として、三好 政長みよし まさながを総大将に河内衆が丹波に入っております」

「であるな。準備していなければ、丹波入りは来年の春以降になったハズだ」

「冬が来る前に終わらせるつもりなのでしょう」

「ならば、亀山から北上する(三好)政長の河内衆、南丹から南下する(波多野)稙通の西丹波衆で、上下から挟み撃ちにするつもりじゃな」

「そのようです」


抜かりはないと言わんばかりに(伊勢)貞孝が八木城の絵図面を広げた。


俺に解説をしろというつもりか?


まぁいい、乗ってやろう。


「八木城は山城のようであるな」

「左様で」

「山城を落とすのはかなり大変だ。守る方が圧倒的に有利だからだ」

「では、此度は内藤の勝ちということですか」

「いやぁ、南北に十字に伸びた山城は(三好)政長、(波多野)稙通に十分な兵がいるなら話は逆になる」

「それは如何に?」

「兵をいくつかに分けて分断してやればいい。あとは各個に撃破する。俺ならば、東西南北を攻める時間をワザとずらして、兵は散った所で連絡部を奪い取る」

「なるほど、然すれば、本丸を守りたい武将は無理をしてでも奪い返しに来てくれる訳ですな」

「そうだ。それで攻守逆転だ。兵の少ない内藤が部分的に砦攻めをすることになる。しかも背後から正規兵も襲ってくる。守備兵にとって悪夢であろう。籠城した時点で内藤の負けは決まるであろう」

「若様なら如何なさいますか?」

「亀山に入る前に、河内衆に夜襲を掛けて敵の大将の首を取る。最悪、追い返せればいい。然すれば、敵は(波多野)稙通の一人になる互角以上に戦えるぞ」


(内藤)国貞がそのような積極的な対抗策を打つことはなかった。


そりゃそうだ!


(波多野)稙通が寝返った桂川原の戦い(大永7年2月12日(1527年3月14日)で、八上城やかみじょうを攻め落として(内藤)国貞が丹波を掌握しておくべきであった。


(波多野)稙通は(細川)高国を倒す為に山崎まで出てきているのだ。


空の八上城やかみじょうを落とす絶好のチャンスだ。


しかし、おそらく姦計で自害させられた香西元盛への同情的であろう。


寝返った(波多野)稙通に手心を加えている時点で負けである。


同情するなら一緒に(細川)晴元派に鞍替えするべきだ。


積極で抵抗しないことで、(細川)晴元に反抗する意志がないと言いたかったのだろうが、どうやら(細川)晴元は猜疑心の強い男らしい。


あいさつを交わしたことが一度だけあるが、品定めされているような線の細い感じが印象であった。


残念ながら(細川)晴元は度量がないのは承知している。


アイツが言っていた。


三好長慶は寛容な人物だったと。


その寛容な三好長慶に見限られるほど、(細川)晴元は愚かだったと推測できる。


長慶は後に『天下の副将軍』と称される。


敵にしたくない。


三好長慶を懐柔したい。


だが、今の俺に決定権はない。


つまり、愚かな(細川)晴元は、高国派であった(内藤)国貞を討伐する隙を窺っていたのだ。


ジワジワと(内藤)国貞よりの国人を落とし、(細川)国慶と接触したことを良しとして、ワザと小競り合いを大きくして(内藤)国貞を立たせたのである。


(波多野)稙通との戦のつもりが、管領(細川)晴元を相手にしての戦いになるとは思っていなかったのではないだろう?


予想通り、和議の使者が管領晴元に走り、そうこうしている内に支城を落とされ、士気が落ちた八木城で籠っても勝ち目はなかった。


守護代殺しの汚名は避けたようで(内藤)国貞は追放され、丹波は(波多野)稙通のモノになった。


あっさりしたもんだった。


 ◇◇◇


次の狙いは(波多野)稙通だと思う。


(細川)高国に恩を受けていながら裏切って、(細川)晴元に付いたのだ。


一度裏切った奴を信じる訳がない。


また、機会があれば、裏切るに違いないと(細川)晴元は考えるハズだ。


当然、活躍ほどの褒美を与えない。


(波多野)稙通に力を付けさせることを避けるハズだ。


そうなると、波多野家に不満が溜まってゆく。


不満という膨れた風船はいずれ破裂する。


まぁ、今日、明日の話ではない。


今は気にしないでおこう。



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