第5話.死人なんて出させるか!
京は暑いので
「父上、京の夏は非常に暑うございます。避暑に興聖寺に行くことをお許し下さい」
「確かに夏の暑さは辛かろう」
「それに父上が苦渋を舐めた興聖寺の暮らしを知りとうございます」
「儂をそこまで慕ってくれるか」
「お許し下さいませんか」
「許す、許す、許すぞ」
将軍(足利)義晴は涙をぬぐいながら許可をくれた。
旅は危険と言って止められるかと心配していたが無用な心配であった。
が、別の意味で心配ごとが増えた。
興聖寺は滋賀県高島市朽木岩瀬にある禅寺であり、細川晴元・三好元長の追撃から逃れる享禄元年(1528年)から享禄4年(1531年)までの3年間を過した場所である。
京極高秀や浅井亮政、朝倉孝景らの協力で造られた蓬莱池泉式庭園がある中々に豪華な寺らしい。
3歳と言っても数えだから実質2歳だ。
籠に乗って3日も掛けて移動することになった。
早く馬に乗れるようにならないと拙いと思った。
しかも父が心配して朽木家以外にもぞろぞろと付いてきた。
はっきり言って邪魔だ。
しかし、父が選抜したので文句も言えない。
「菊童丸様、お疲れではございませんか?」
「大丈夫だ」
皆が気づかうのも当たり前であった。
お宮様に『七五三』のお参りに行くのは伊達や酔狂ではない。
童話『とうりゃんせ』に出てくる7つ祝いに天神様にお札を納めに参ると唄われている。
これは天神様が
災いの神様である菅原道真の呪いが我が子に降り掛からないように願っている。
『七歳前は神の子』
7歳まで無事に育つことが難し時代だった。
因みに、朽木に行く前に『髪置きの儀』と称して前髪を綺麗に反られて丸坊主にされた。
マジで人々は神を恐れた。
◇◇◇
到着そうそう、朽木谷で争乱に出くわすとは思わなかった。
簡単に言うならば、朽木谷の村人と移住民とで、どちらが俺を出迎えるかで争っていたのだ。
将軍のご子息を迎える栄誉を村長達として譲れなかった。
一方、移住民は俺を神の如く崇めているので出迎えないという選択がなかった。
どちらが出迎えるのか?
そんなささやかな対立から始まった。
日が攻めるほど、迎える仕度で対立が目立つようになり、日頃の不満も重なったのか、武器を持ち出して睨み合いになってしまったのだ。
朽木当主の
「なにぃ、どちらが先に俺にあいさつするかで争っているだと!」
「はぁ、どちらも譲らず困っているそうです」
「よいか、そんな些細なことで争っておれば、菊童丸様はお主らを見限ってしまわれるぞ」
稙綱の一言で鎮静化したが、相互不信を払拭するまでには至らなかったのだ。
対立の火種を残して出迎える日を迎えた。
双方の不信はいつ決壊しても不思議でない所まで高まっていた。
村長らと移住民の代表が並んで俺を出迎えてくれた。
俺は籠を降りて労った。
「皆のもの大義である。しばらく世話になるぞ」
「「「「「「ははぁ」」」」」」
皆が頭を下げ、さて、どういった労いの言葉を掛けるべきかと悩んでいると、村人が青い顔をして走ってきた。
「大変だ、子供たちが!」
「どうかしたか!」
「菊童丸様に魚を献上すると言って川に行ったんだが、
「これぇ、その呼び名は止めよ」
この『さんか』とは浮浪者という意味だ。
京で浮浪者であった訳だから間違っていないが、今は俺の下人の身分を与えられている。
(朽木)稙綱からもそのような蔑む言い方を咎めてられているが簡単に払拭されない。
「今はそのようなことはどうでもよい。何があった!」
「そうじゃ、大変じゃ、魚を取る場所取りから言い合いになって!」
「言い合いになってどうした?」
「言い合いから喧嘩になってしまったらしく、その内の何人から川に流された」
「馬鹿者、先にそれを言え!」
「すみません」
「若様、ここを離れさせて頂きます」
「かまわん、すぐに行け!」
「はぁ」
(朽木)稙綱が頭を下げると振り返る間も惜しんで走り出した。
家来衆もそれに付いて行く。
大人の争いが子供達まで広がっていたようだ。
「
「畏まりました」
俺の足では現場まで何分掛かるか判ったものではない。
そんなときは、嫡男の晴綱か、次男の藤綱らに抱きかかえて貰って移動する。
晴綱が俺を抱きかかえると、供の者が俺を囲んだ。
主君たる者が軽率に動くものではないだのと、俺を止めに掛かるのだ。
いい加減にうるさい。
「黙れ! 次に口を開く者はこの場で成敗いたす。良いか、足利家は武門の長である。民が苦しんでおるならば、率先して先頭に立つ。それを邪魔立てする者はすべて薙ぎ払う。そう心得よ」
3歳の子供に怒鳴られて、供の者が怯んだ隙に晴綱を走らせた。
まったく、時間を無駄にした。
道を走ってゆくと、川の土手が見えてきた。
そのまま走り続けると河原で大勢の人が集まっているのを見つけた。
「どうだ、助かった?」
「はぁ、流された者は8人、すべて救助されましたが、一人手遅れの者が…………そのぉ」
「どけぇ、晴綱」
「はぁ」
俺を抱きかかえたままで晴綱が人ごみの中を突き抜ける。
子供ら、村人ら、移住者の者々が暗い顔をしている。
冗談じゃない。
俺が来た日に子供が死ぬなど許せるものか!
「作、作、作」
「どかせよ!」
俺は子供の側で泣き叫ぶ女をどかさせると子供着物を開いて胸に耳を当てる。
確かに動いていない。
「晴綱、俺の指示通りに動け!」
「畏まりました」
間に合うか、間に合うのか?
考えるのは後だ。
子供は8歳くらいだろうか?
「胸の真ん中に手を当てよ。このように両手で胸を押せ!」
同時に気道を確保する。
5回ほど胸骨圧迫をさせると、息を大きく吸って子供に口に息を吹き込んだ。
2回繰り返すと、胸骨圧迫30回ほど速度を上げて繰り返させる。
「帰って来い!」
そう呼び掛けて、再び息を吹き込む。
胸骨圧迫30回に人工呼吸2回を何度も繰り返すが息が戻らない。
糞ぉ、糞ぉ、糞ぉ、死なせないぞ。
見ている者らに絶望の顔が伺える。
一緒に付いて来て供の者が遅れてやってきて、その異様な光景に目を背ける。
「若様は何をやっておられるのか?」
「死者を甦らせようとしているだと」
「何を考えておられる」
「気が狂われたのか?」
糞ぉ、言いたい放題だ。
「いい加減に帰って来い」
俺は再び息を吹き込んだ。
ぴくぅ、動いた。
ごほぉ、ごほぉ、ごほぉ、子供が自ら寝返り打つと水を吐き出したのだ。
やった、手間を掛けさせやがって!
おおおおおおぉぉぉぉぉ、周りの者らに歓声が起きた。
「奇跡じゃ!」
「なんまいだー、なんまいだー、なんまいだー」
「仏様じゃ」
「ありがたや、ありがたや!」
村人や移住民らは只々喜びに声を上げて互いに抱き付いている。
「き、き、き、菊童丸様は人なのか?」
「(朽木)稙綱殿、これはどういうことですか?」
「さぁ、もしかすると阿弥陀如来様の生まれ変わりなのかもしれませんな」
「そんな訳が…………だか、死者を甦らせるなど、人の所業ではない。あるいは本当に!?」
俺の供に集められたのは、俺の護衛を兼ねた豪の者と教育係を兼ねた頭の固い連中と幕府重臣の嫡男や次男という若人たちであった。
護衛衆は顔を昂揚させ、ご老人衆は目を白黒させ、若人衆はあり得ない物を見た感動に震えていた。
俺はこれがどういう結果を招くかなど考えていない。
ただ、死人が出なかったことが嬉しかった。
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