第5話 消しゴム

誰かが「人生はブーメランだ」と言っていた。

「自分がしたことは必ず帰ってくる。因果応報なのだ」と。


確かに一理あるなと思った。

でも私は、人生は消しゴムだと思う。

嫌な過去も嫌いな自分も、都合の悪いことはいくらでも書き換えることができる。

なかったことにできる。


人はなぜ隠し事をするのだろう。

なぜ嘘をつくのだろう。


子供が嘘をつくのは、本当のことを言って信じてもらえなかった時から


何を見ているのかわからない瞳でその人は言った。


私は嘘つきだと思ってる。自分のことを。

初めて嘘をついた日のことは覚えていない。

思い出せないくらいたくさんの嘘をついてきた。


好きな人に好きじゃないと言ってしまう、そんなカワイイ嘘ではない。


保身


そのためだけに嘘をつき続けてきた。


小学生の卒業文集で、私は保育士になりたいと書いた。

「小さい子供が好きだから」

中途半端な理由を汚い字で書き連ねていた。


嘘をついてはいけないとたくさんの大人に言われてきた。

そのうちに一つの疑問を抱くようになった。


「この人たちはうそをついたことはないのかな」


電車に揺られているモノクロの服の人たち。

どの人を見ても必ずどこかに影があるように感じた。


他人に対して明確な嘘をついたことはなくても対象が自分になれば話は違う。


例えば、家族や兄弟、友人のために何かを我慢したとき。

それは自分の気持ちに“嘘をついている”ことにならないのか。

他人に対してでなければそれは嘘としてカウントされないのか。


先にこの世に生まれ、この世界を生きてきたから賢く歩いていくすべを知っているのはわかる。言っていることも時間とともにかみ砕くことはできた。

でもだからと言って自分も成し遂げられないことを子供に言いつけ強制するのはどうなのか。ふと浮かんだ大人たちへの疑問。


何かを手にするには必ず何かを犠牲にしなくてはならない。


誰かが言っていた、重要であるはずのこの言葉。

子供だったら、スマホだとか洋服だとか化粧品だとか

自分にとっては大切だけど生死に関わらないものがたくさんある。

だからそれらを犠牲にすればいい。


大人は?


その場所に行くまでに何を犠牲にしてきたの?


これは私の思い込み、偏見に過ぎないけれど

物理的にも、心理的にも、今の大人たちは純潔や純粋を犠牲にしていると思う。


子供のころに文集に書いた夢。

交換日記に書いた夢。

誰にも打ち明けなかったけど密かに守り続けていた本音。


何を犠牲にしたの?

何を犠牲にし続けているの??


純潔を忘れ去った大人たちによって回っているこの地球の中で

こんなちっぽけな場所で


私がどれだけ文字を書き連ねても



この世界に対して言いたいことは腐るほどある。

腐るほどあるから小説家になった、役者になった、脚本家になった、政治家になった

そうゆう人って、思っているよりたくさんいるのかもしれない。


みんな自分のできる限りで、自分が持っている力を使って形にするけど形にしようとするけれど

現代の“SNSに飼われている人間“の世界じゃ、届くはずがない。

運良く届いたとしてもいいね稼ぎの肴にされるだけ。

時間と労力の無駄遣い。


政治家に対して怒る人がいる。

電車の中で怒鳴ってる人がいる。

店員に対して文句しか言わない人がいる。


こんな冷たい世界で、僕の声はどこまで届くのだろう。

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