第4話 すきなことば
他人に感謝を伝えたい時
人は「ありがとう」という言葉を使う
多くの人間が、
「好きな言葉は『ありがとう』です」
と誇らしげに、でもしたり顔で言う。
確かにその5文字は相手や自分を暖かい気持ちにさせる。
でも私にとってはむず痒い言葉だ。
生まれて1度も「ありがとう」と言ったことがないわけでも言われたことがない訳でもない。
親、友人、先輩、教師
色んな人に「ありがとう」という言葉を渡してきた。
でもいざ、「すきなことばはなんですか?」と聞かれた時
私は素直に「ありがとうです」とは答えられない。
性格の悪さを自慢しているようで居心地が悪いが、私はそうゆう人間なのだ。
仲良くなった友人に決まって言われる、「感性が独特で、予想してない場所からことばを見つけてくるね」と
自分で自分のことをそんなふうに思ったことは無いし、そんな人間になろうと考えついた訳では無い。
性格が歪んでいるが故に発せられることばだとばかり思っていた。
たとえば、「幸せ」の定義。
一般的な人は多分、「大好きな人がそこにいること」と答えるだろう。
あるいは、「家族がいる家」や「大好きな友人と話している時、ご飯を食べている時」
生ぬるい。
単純に、そう感じた。
私はエゴイスト気味なのかもしれない。
欺瞞とも言えるのか。
「幸せ」とは何なのだろう
ただ大好きな人と一緒にいれば幸せな訳では無い気がする。
朝、目が覚めて。「おはよう」と声をかけると「おはよう」と返してくれる人がいること
靴を履き、ドアノブに手をかけ、「行ってきます」と振り返れば、「行ってらっしゃい」と、エプロンで手を拭きながら暖かい目を向けてくれる人がいること
放課後になれば「一緒に帰ろう」と下駄箱まで会話をする相手がいること
ドアノブに手をかけ「ただいま」と叫べば「おかえり」とオムライスの匂いを纏い微笑んでくれる人がいること
周りが暗くなり夜が来れば「おやすみ」と囁き安心して電気を消せる空間があること
些細なことが、些細な一言が、私にとっては大きな幸せになる。
なんでもない、平凡な時間が繰り返されることで産まれる安心感がある。
『一緒に帰ろう。』
『おかえりなさい。』
『夜ご飯は何食べたい?』
当たり前にする会話の中に混ざっている小さなことばたち。
僕はことばを大切に生きていたい。
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