第4話 ピンチ
なんとか猪を倒す事ができた俺は、その場にへたり込んだ。
怪我は――猪の岩が掠めたのか、頬から血が出ている程度だった。それ以外は何ともない。
背中に浴びた熱風も、夏場の室外機の方が熱いくらいで、火傷もない。本当に運が良かった。
武器類というのも
即席で作った割には良い働きをしてくれたと思う。
唯一の食料だった赤梨は全てかじられていた。
あんなに食べ飽きていたのに、いざ手元に無くなると途端に食べたくなるのは何でだろう。
猪の食べかけも、ヨダレでベトベトだ。これを食べるには、人として何かを捨てなきゃならない気がする。
まだ赤梨の木は見つけてないので、今ある食材はこの倒した猪だけだ。
……処理するか。
本当ならこのまま横になってしまいたいが、このまま肉が傷んでしまうのも猪に悪いし、他の動物やモンスターが血の臭いに寄ってくる可能性もある。
俺は重い腰を上げて作業に取り掛かった。
まずは……血抜きか。
首筋を切って頭を低い位置に置いてみた。
血は滞りなく流れ出ている。
あとはどうすれば良いんだ?
魚の下処理だと、内臓を取り出したり、ウロコ取ったり皮剥いだり、三枚に下ろしたり……か。
黙々と作業をこなし、なんとか日が完全に落ちる前に解体する事ができた。
とは言っても、素人の作業だ。取れた肉は思ったよりも少なくなった。
無駄にしてしまった所や、食べられそうにない部分は川の中に捨てた。
身体中、血だらけだ。
川で血を洗い流し、干してあった寝衣を着た。
初めての解体だったが、普段から簡単な料理を作っていたので意外と平気だった。
あと、解体中に気付いたのだが……火がない。焼いた肉を食べられない事と、今の今まで気が付かなかった自分に落胆している。
火の起こし方も分からない。生じゃ食あたりが怖いし、火打石でも探してみるか。川岸には大小様々な石があるから、案外すんなりと見つかるかもしれない。
明日の昼まで石を探して、その後は、また赤梨や他の食べられそうなものを探しに行こう。それでも何も見つからなければ、猪の生肉を食べるか。
生肉は葉っぱを何重にも巻いて、冷蔵庫代わりの川に流されない様に囲って入れた。
ここ最近読んでいた自己啓発本の内容が役に立っている気がする。あの本を読んで、考える事についてのやり方と難しさを知れたと思う。
以前の俺は行き当たりばったりで、ここまで計画的に行動が出来なかった。先の事を考えて計画を立てていないから、何かあるとすぐにテンパって、ミスをしたり動けなかったりした。
こうやって振り返ってみると、自分がいかにダメだったかが良く分かる。
だが、過去の行動を検証はしても、後悔はしない。しても意味が無い。
今するべき事は、ただひたすらこれからの行動に最善を尽くすのみだ。それが困難でも楽しめる事になるんだと思う。
魔法について一つ引っかかることがあった。
先の戦いの最後の熱風だ。あれは魔法だった可能性が高いんじゃないかと思う。
この穏やかな気候の、さらに木々に囲まれたこの場所で、あの温度の熱風が吹くのはおかしい。
森が深すぎて、今まで風を感じることも少なかった場所だ。それが今回、場所が川岸に変わったとしても、まだまだ深い森の中だ。
俺が無意識に魔法を使ったか?
あの時、無我夢中で何を考えていたかあまり覚えていないが、もっと早く猪の死角に入ろうとしていたのは覚えている。
その状況で後ろからの熱風。うん、可能性はあるな。
毎日繰り返している魔法の練習――と言っても一度も成功していないが、さわりだけでも使えるようになったのかもしれない。
それとも、猪が岩の生成を中断して熱風を起こし……これは無いかな。
俺が猪だったら熱風は逆方向から吹かせるし、その前にもっと岩を小さく生成し連射速度を最大にしただろう。ただ、知能が低かったと考えると、この可能性もあるのかもしれないな。
あとは第三者が魔法を使った可能性かな。
実はエルフに見張られていて、無事に森の外に出れるようにサポートしてくれた?
それとも他の迷っている人が助けてくれた?
うーん、無いかなぁ。
魔法の事を考えると気分が良くなっていく。
小さい頃はエネルギー弾だったり瞬間移動だったり、小枝を持って呪文を唱えてみたりしていたな。
ここではそれが出来るかもしれない。
大人げないとは思うけど、その頃の想いが溢れ出して来ている。
森はもう真っ暗で、下手に動くと危ない状況だ。
だが川岸は空を遮るものが無いため、蒼白く輝く月の明かりを受けて映画のワンシーンのように、神秘的な表情を浮かべていた。
生贄のように岩の上で寝るのも夜は危険なので、今日は森に少し入ったところで寝ることにした。いつでも動けるように木に背を預け、何があってもすぐに体勢が取れるように手元には石槍を準備した。
揺れを感じた。
僅かな揺れだが、気を張っている俺にはそれがわかった。
そして段々大きく、間隔が短くなっていく。
鳥が空に模様を作り、動物たちがソレから逃げるように走り回る。
夜の森が一気に慌ただしくなった。そして誰もが目覚め、怯える咆哮が森を包んだ。
身体の芯まで響くその咆哮に眠気も飛び、素早く石槍を手に取り周辺を見回した。
――居た。
川岸に……象ほどの大きさがあるだろうか、巨大な何かが蒼白いスポットライトの下で佇んでいた。
それが昼間の猪の親だと理解するには少々時間がかかった。
あまりにも大きく、あまりにも動物とかけ離れた容姿をしていた。
体型は猪そのものだが外皮は石で出来ていて、その隙間から生える被毛がみえる。それは日本各地にある城の城壁のように見えた。
口元から生える二本の牙は石で出来ているみたいで、俺の石槍よりも巨大で鋭い。
俺が夕方に処理した場所辺りを歩きまわり、月の光の加減か、悲しげな表情で呟くように……誰かと会話するように鳴き声を上げている。
逃げた方がいいのか、このまま身を潜めていた方がいいのか……。
だがあの猪からは逃げられないだろう。
戦ってもまず勝ち目はない。
どうすればいい?
どうすれば生き残れる?
考えろ!
二度目の咆哮が空に向かって放たれた。
一瞬の静けさの後、巨大猪がこちらにゆっくりと身体を向けた。
バレた。
先ほどの悲しげな表情はどこにもない。
あるのは怒り一色だ。
巨大猪が
串刺しになれば一溜まりも無いが、それほどスピードがあるわけじゃないので何とかなった。問題なのはこの地面の隆起によって樹々が次々となぎ倒されていることだ。
俺は森の奥に行く道を塞がれ、必然的に巨大猪のいる川岸に、引きずり出された格好になった。
絶体絶命。
お手製の石槍三本と石ナイフで倒せる相手じゃない。森にも逃げ込めない。川に飛び込んだ所で、さっきの魔法を使われたら終わりだ。
考えても考えても、俺が死ぬ結果しか見えてこない。
俺にあと何が出来る?
何が残っている?
巨大猪が低い唸り声を上げると、その巨躯と同等の巨大な岩を造りだした。
音もなく、放物線を描き迫り来る。
不意を衝かれた俺は、ギリギリのところで避けることができたが、落ちた際に弾け飛んだ川岸の石を多数もらってしまった。
全身の打ち身と割れた石が肌に食い込み、寝衣を赤く染めた。
疼くような痛みが全身を駆け巡る。
だが、痛みでうずくまっている暇はない。俺は刺さった石で取れそうなものは手で抜き、川へと歩みを進める。
もしここまでが計算された攻撃だったら、この場に居れば確実に死に直結する。
ここに来る前の俺だったら、もう諦めて死んでいるだろう。
死ぬのが怖いのか、それとも……いや、答えは分かっている。
楽しみたいからだ。これから先も楽しみたい。まだ見ぬ世界を、人々を、魔法を。
その為に、出来る事は全てやろう。
「まだ、死んでやるもんか!」
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