第5話 契約

 


 俺は大きく息を吸って――


「誰かー!! 助けてくれー!!」


 俺は肚の底から声を出し助けを求めた。

 エルフでもいい。この状況を打破出来れば、まだ世界を楽しめる。

 巨大猪も面を喰らった様子で、攻めあぐねているようだ。

 俺は歩みを止めずに残った可能性に賭けた。


「風の精霊シルフよ。力を貸してくれ!!」


 何も起こらない。


「水の精霊ウェンディー!! 我と契約し、その力を貸してくれ!!」




 巨大猪が動き出す。

 俺の行動や言葉は危険性が薄いと結論付けたのだろう。

 俺は迫り来る巨大猪に対して両手を出した。


「火の精霊よ。俺と契約しその炎で相手を焼き尽くせ!! ……ダメか」


 巨大猪を背に、俺は痛む身体を押して川の中に逃げ込んだ。

 流れ穏やかな場所を、腰までほど浸かりながら歩いて渡る。


『――を呼ん―。―が必――だ―』


 何かが聞こえた。

 川が流れる音、水中をもがく音、巨大猪の唸り声。そんな喧騒の中、確かに聞こえた。

 俺はやっとの事でたどり着いた岸に、力無く倒れこみながら後ろを振り向くと、対岸で巨大猪が棹立ちをしていた。

 川を隆起させて、こっちに来るつもりか!?

 巨大猪が両足を振り下ろそうとした瞬間、不自然にもその動きが空中で止まった。


『今のうち――私の名を――』


 今のうち……!? 巨大猪に赤い煙霧を纏った風が、荒れ狂う波のように次々と打ち付けるのが見えた。

 多分、俺を助けてくれた熱風だ。


 パズルのピースが埋まっていく。


 風の精霊シルフの魔法は緑色の風をしていた。今の熱風は赤色だ。

 火の精霊イフリータ。

 声を掛けてきたのは俺がピンチなのと、契約できる条件が揃っているから。契約に必要なのは精霊の名前と多分……血だ!!

 俺はその場で立ち上がろうとするが、目の前が真っ暗になり倒れこんでしまった。視界がなくてもわかる、足元には血だまりができている。

 自分の命の危機よりも、契約に必要な血は十分だなと思うあたり、まだ死ぬことは無いだろう。


「火の精霊イフリータよ、俺と契約しその力を貸してくれ!!」


 天を仰いでそう叫ぶと……何も起きない。

 絶対に精霊と契約できる自信があったが、何故だ!?

 精霊が違ったのか!?

 火じゃなかったら――風だったか?


 その間にも巨大猪が体制を立て直し、また自分の頭上に巨岩を作り始めた。


 名前が違ったのか? 血の量が足らなかったのか……? 契約に魔法陣的なものを書く必要があったのか? これだけ疑問が浮かんできて……何が絶対の自信だ。


「ただの過信じゃないか!!」


 声を荒らげながら拳を地面に叩きつけた。ビチャッと跳ね返り、顔にかかるその血が――熱い。

 俺は目を見開くと、血が……燃えている。 血の表面に、光沢を纏った黒い炎がかがよう。

 大きく揺蕩たゆたう炎はさらにその身を増し、糧となる血を吸い上げているようだ。

 炎が俺を包み、さらに上へ上へとあがっていく。何もかも吸い込みそうなほど禍々しい黒炎が渦巻く。


 これがファイヤーボール的なやつか! めまいや痛みが薄れ、俺は立ち上がりながら頭上のそれを見て心躍らせた。

 初めての魔法。名前言って、それっぽく手を動かせば飛んで行くのか?

 強い眼差しを巨大猪に向け、右手を上げて黒炎をコントロールする。あいつにも分かるらしい――この黒炎が自分を脅かす存在であることを!

 

「行け! ファイヤ――」

「ようやくこっちにやって来れた! よくやったわ魔族!」


 遮られた言葉を堪えに堪えながら飲み込み、声のする空を見上げる。

 そこには、ひとりの少女が腰に手を当て仁王立ち……いや、仁王浮きしていた。

 優しくなびく髪は純白に輝くプラチナブロンドで、整ったその顔立ちの美しさは、表現するにふさわしい言葉が見つからない。

 黒の半袖ショート丈のワンピースを着ていて、下から見上げると――うん、真っ暗で見えないけど目のやり場に困る。

 少女はふわっと地面に降り立ち、俺を正面に見据えマジマジと観察しだした。

 その瞳は燃えたつような赤色をしていて、年齢は十五、十六といったところかな。ワンピースの上からでも出るところは出ているのがわかる。


「あれ? あなた……魔族じゃないよね? 人間? エルフ? 変わってるね。うん、気に入ったわ! 数日前から私の名前を連呼するんで、珍しくてついて回ってたけど、そのおかげであなた命拾いしたのよ。それに契約したから傷も治ったでしょ? あなた、血流し過ぎでホントあぶなかったんだから。まぁそのおかげで私はここに居るんだけどね」


 捲し立てるような言葉の波を理解するのに悪戦苦闘していたが、言い終えた時の屈託のない笑顔に、すべてを忘れ見惚れてしまった。


「あっちから干渉できるのは私クラスじゃないと無理なのよ。イフリータの名に恥じ――」

「グオオオォォォ」


 頭上に巨岩を完成させた巨大猪の雄叫びが、この森を支配した。

 俺達が完全に存在を忘れていた事に怒りを感じているのか。


「うるさい」


 少女が指先をピンと振ると、巨大猪を火柱が包み込む。巨大猪は断末魔と共に、のたうち回るが、火柱の勢いは増すばかりだ。完成された巨岩が制御を離れ自由落下し、あれだけ俺を苦しめた巨大猪は、自分の創り出した岩で最後を迎えた。


「よし、これで静かになった。で、何だったっけ?」


 巨大猪が崩れ落ちるのを見届けて、少女がこちらを向くその何気ない動作も、目が離せない程の絵になる。

 敬語を使おうか迷ったが、容姿的には年下のようだし、さっきの喋り具合からみて、フレンドリーに接したほうが良さそうだと感じた。


「あ、あの、助けてくれてありがとう。俺の名前はケンタ」

「よろしくね、ケンタ。あ、知ってると思うけど、私はイフリータ。リタでいいわよ」


 お互い自己紹介を済ませ一拍の間が空いた時、俺の腹が盛大に鳴り響いた。

 ――あぁ、穴があったら入りたい。


「ふふっ、傷は回復したけど体力はまだだもんね。アレを食べましょ。私もこっちでの食事は初めてだからワクワクするわ」


 指差すアレとは巨大猪だ。気遣って貰った嬉しさと恥ずかしさに俯きながら、その申し出を受け入れた。

 

 リタの魔法で薪に火を点け、適当な部位を選び焼いて食べた。火柱の魔法で消し炭になった部分が多々あったが、そこは巨大猪、二人では到底食べきれないほどの肉が取れた。

 味については、弾力と臭みが少々強くて癖のある感じだが、肉の旨みが口いっぱいに広がり、味付け無しでも割と美味しく頂けた。リタもうんうんと頷きながら、黙々と口に運び入れている。


「あのさ、実は俺――」


 俺は意を決してすべてを話した。自宅で寝ていたら空に居て、エルフに追われてこの森で暮らしていたことを。

 ひと通り話終えると、彼女の反応を待った。この話がもしかしたらリタの何かに触れ、怒りを買うかもしれない。最悪殺されてしまうかもしれない――そんな考えも一瞬頭を過ぎったが、彼女が居なければ確実にあの猪に殺されていただろう。だから話した。もとより彼女に助けて貰った命だ。これ以上失うものは何もないと高を括った。


「……そうだったの。多分それは召喚術ね。ほら見て、月が蒼いでしょ? 月は本来黄色なの。でも五百年に一度、こんな風に月が蒼くなる時があって、その蒼い月が空の真上に来た時、月から勇者を呼び寄せられるって言い伝えがあるのよ」


 今回、俺はその言い伝え通りに召喚されて来たってことか。


「多分、エルフと魔族が同時にその召喚術を行って、その両方からケンタが呼ばれたっぽいね。だから上半身と下半身で魔族とエルフの容姿に分かれているんだと思う」


「え? 俺下半身エルフなの?」


 思わず下半身を凝視するが……心なしかすね毛が減った?くらいしか変化が分からなかった。

 身体を占める魔族の割合が低いのは、魔族の魔力よりエルフの魔力のほうが勝っていたことになる。その結果、エルフの村に召喚され、ここまでの道中も痛い目にあってきたわけだ。

 だが何故この世界に来たのかが分かり、何となくだがようやく地に足がついたような気がした。

 それはこの地に生きていくという決意なのかもしれない。


 食事を終えた俺達は、火を囲みながらお互いの距離を縮めるべく会話を弾ませた。


「この世界について色々と教えて欲しいんだけど」

「私だって詳しくないよ? ええと、何が知りたい?」

「じゃあ――魔法って何?」

「魔法は、この世界に数多に存在するマナを物質変換する事をいうの。その物質変換は精霊や聖獣、魔獣と、伝説級以上しか出来ないのよ」

「伝説級って?」

「ケンタの所にも昔からの言い伝えとかあったでしょ? そういう話はほとんどが事実なのよ。そして永遠なの。名前を呼んでもらう事で力を得るの。良くも悪くものね」

「リタも、その伝説級なの?」

「そうね、でも下の方よ。兄のイフリートの方は神級だけどね」


 ちょっと寂しそうに、でも嬉しそうにつぶやいた。兄の存在は複雑なようだ。

 イフリートか……やばい、俺イフリータとイフリート間違って覚えていたみたいだ。もっとイカツイ猛獣を想像していたから、彼女を目にした時はピンチだった事もあってか、本当に女神のように見えたんだよな。

 でも『間違えて呼びだしちゃいました』なんて言ったら、烈火のごとく怒られるのは明々白々だ。心の内に仕舞っておこう。


「そ、そういえば、今日戦った猪は魔獣だったって事?」

「そうよ、ストーンボアーよ。さっきのを相手しようと思ったら、人間なら二十人は必要ね」


 上手く話を逸らせたか。でも、人間二十人っていうと、結構な相手だな。今更ながら違った未来を考え、冷や汗を垂らした。


「そっか……じゃあ、人が魔法を使うには?」

「魔力を以て精霊に乞い、魔法を以て人に与えん。分かりやすく言うと、人の魔力を精霊に与えて、精霊がマナを物質変換して人に渡すの」

「魔力って俺にもあるの?」

「あるわ。気付いていないみたいだけど、あなた何度も精霊に魔力を与えてるのよ。気分が落ち込む事あったでしょ? あれ、魔力の枯渇が原因でなってたのよ」


 心当たりがあった。毎晩日課にしていた魔法の練習。アレをやり終える時は決まって沈んだ気持ちになっていた。ホームシックか成功できないから、とも思ったが、実は魔力が空になっていたから、だったなんて……。


「魔法を使うには具体的にどうしたらいいかな?」

「まずは使いたい属性の精霊にお願いするの。火の精霊だったらサラマンダーよ。次に規模。小さい火なら少ない魔力を、大きい炎なら大量の魔力が必要よ」


 リタは指先に火を灯し、それの大きさを変えて説明してくれる。


「じゃあ、形を変えたりするのは?」

「それは自分の魔力を使ってやるのよ。でも人間は魔力の総量が少ないから精霊に頼んでるわね。自分でやるよりお願いしたほうが魔力の消費量が少なくすむみたいね」


 今度は指先の火で螺旋を描いてみたり、槍の形を象ってみたりしている。

 その指先に心奪われ目が離せない俺に、リタは子供に笑いかけるような笑顔を見せた。


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