第3話 初戦闘

 


 それから十日が過ぎた。


 結果から言うと収穫はゼロだ。

 甘く見過ぎていた。

 まず近づけない。

 鹿を見つけても、ある一定距離以内に入るとこちらに気づき、一目散に逃げていってしまう。

 ダメ元で石やりを投げてみたりしたが当たるわけも無く、三日ほど繰り返したら鹿の姿も見えなくなった。

 ネズミやウサギもダメだった。


 今日も赤梨を食べる。

 ここ数年、運動らしい運動をしてこなかったせいだろうか、赤梨しか食べていないからか、身体に力が入らなくなってきている気がする。


「ヤバイ」


 このままではジリ貧なので、意を決して夜に行動してみようか。

 とてもサバイバル技術が身に付いているとは言えないが、今の状態ではどっちを取ってもリスクが高い。

 この十日間、東西南北へパターンを決めて進んでみたが、何のヒントもないのでお手上げ状態だ。


 木にも登ってみたが、木の高さがほぼ揃っているため外の景色は見られなかった。

 空を仰いで見ても、大きな山や建造物も無さそうだ。


 俺は夜に行動するため、早々と寝ることにした。




 夜、ホーホーとフクロウっぽい鳴き声が聞こえる中、新たな一歩を踏み出した。


 ――全く見えない。

 空の星も森の木々に遮られ、蒼白く輝く月も自らの存在を示すので精一杯のようだ。

 光の魔法とか、火の魔法が使えれば……まぁ、出来ないことを言ってもしょうがない。

 進む方向は南にした。寝間着一枚の薄着だから、寒い北より暖かい南だ。

 まぁ、ここが南半球だったら逆になるが。


 それにしても前途多難だ。

 ただでさえ進みにくい獣道を、目隠し状態で進んでいるようなものだ。

 しかし、この道は何十回と通っているため、ある程度は踏み固められている。

 この道を進めば、いつもならまた元の寝床に戻り着くので、先に進めたかもすぐに分かる。

 なるべく物音を立てずに歩く。まだ見た事はないが、獰猛な動物やモンスターに襲われたらヤバイからな。

 命の危険がすぐ隣にある――そう考えたら急に恐ろしくなってきた。

 しかし、歩みを止めるわけには行かない。


 どれだけ進んだだろうか、突如踏み固められた道がなくなった。

 どうやら迷いの先に進めるようだ。


「よし、行くぞ!」


 俺は再度気合を入れ、歩みを進めた。


 ――空が白み始めた。


 夜通し歩き続けたが、幸い襲ってくる動物もモンスターも居なかった。

 俺は取り敢えず寝床となる場所を探しながら進んだ。

 日の昇り具合から見て、進んでいる方角もずれる事なく南で合っているようだ。


 日が真上に差しかかる頃、沢を発見した。

 そこは上流から流れてきた川の流れが、ほぼ直角に方向転換している場所で、流れも穏やかだった。

 大きめの岩場もあるが、大人数でバーベキューできる程の川岸が広がっていた。

 ここは木々も少なく、太陽の光が直接川面に当たり、他とは別の雰囲気を醸し出していた。

 顔を洗おうと川を覗きこんだ時に、心底驚いた。


 自分の顔が……紫色をしていた。


 体調が悪いわけじゃない。肌の色が紫色だった。

 顔は自分の顔だが、髪の色は白髪っぽい色だ。

 試しに抜いて見たら、白髪よりも輝きがある気がする。

 エルフたちの反応に合点がいった。

 多分、この容姿が魔族の容姿なんだろう。

 Tシャツを脱ぐと、肌の色の変化は胸元辺りまで来ていた。

 胸から下は見慣れた肌色をしている。

 どうしてこうなったか、色々考えてみたが納得の行く答えが出なかったので、諦めた。

 こればっかりは、頑張って考えても答えは出ないだろう。


 気を取り直そう。

 川を下って行けば森から出られるのではないかと試してみたが、次のループに入ったようだ。

 また同じ場所のくり返しだ。

 どうやらある決まった時間の時にいる場所で、ループの位置が変わるらしい。

 試しに来た道を戻ってみたら、昨日までループ域だった踏み固められた歩きやすい道が途中まであったからだ。


 この森を抜けるには、ループの端の方に行き、決まった時間を過ぎたら先に進む。

 どこが端で、いつがその時間なのか分からない。

 一気に森を抜け出すことは出来ないようだ。


 とりあえず、衣食住だ。

 この十六日間着っぱなしだった寝間着を川で洗い、岩場に干した。

 ここは日も差して、風通しが良いのですぐに乾くだろう。

 パンツ一丁で大きい岩の上に寝転ぶ。

 結果的には何事も無く進んで来られたが、神経はかなり使った気がする。

 目を閉じるとすぐに意識が霧散した。


 次に目が覚めると、日は随分と傾いていた。

 岩の上で寝てしまい、痛くなった身体を伸ばしながら川岸に目をやると……いた、猪だ。

 俺の持ってきた赤梨を、器用にも袋から取り出し食べていた。

 念のため傍に置いていた石槍を手に身を屈め、ジリジリと猪との距離を縮めた。

 猪は体長一メートルくらいで俺でも何とかなりそうだ。

 赤梨に夢中で俺に背を向けている。


 作戦はこうだ。

 ある程度近づき、ダッシュし、石槍で刺す。

 うん、シンプルだ。

 刺す位置は頭か目か……心臓は無理そうだな。

 石槍一刺しでは死なないだろう。

 足を狙って機動力が落ちた所を、大きめの岩で頭を潰すか。


 俺は意を決して猪に飛びかかった。

 猪の不意を突けたようで、初撃が刺さった――猪のお尻に。

 けたたましい鳴き声を上げ、猪は一目散に走り去――らず、Uターンしてこちらに身構えている。

 怒っていらっしゃる。

 俺は急いで辺りに散らばっていた石槍と石ナイフを拾い、戦闘態勢をとる。


 猪突猛進。


 言葉通りであるなら、突進してきた猪を闘牛士のように避け、横から一撃を喰らわせる計画だ。

 お互い睨み合い、硬直状態がしばらく続く。



 最初に動いたのは俺だった。


 ――だってあの猪、魔法使ってきたんだもん。

 猪が唸り声を上げると、頭上にバスケットボール大の岩が形作られた。

 結構なスピードで岩が撃ち放たれ、俺は慌てて横に飛んで逃げた。

 パンツ一丁の俺には一撃で致命傷だ。いや、もちろん寝間着を着ていても致命傷だが。


 猪を見ると、また岩を生成している。

 猪と距離を保ちながら俺は逃げまわった。

 撃ち放たれる岩のスピードは避けられない程でもないが、それはこの距離を保っているからで、距離を詰めれば俺の移動速度と反射神経では当たる確率が高くなってしまう。


 俺は移動しながら足元の石を拾い、猪に投げつけた。

 何度目かの挑戦で猪に当たり、思惑通りになった。

 魔法のキャンセルだ。

 軽く当たると岩の生成が中断し、強めに当たると岩が崩壊した。


 いける!

 ほんの一瞬猪から目を離し足元の石を拾おうとした時、頬を掠めるように岩が飛んできた!

 猪はバスケットボール大からソフトボール大に大きさを変え、短い間隔で連射してくるようになった。

 避けるのに少し余裕があったが、これはヤバイ。

 一瞬の判断ミスが命取りになる。

 こう魔法の間隔が狭くては、猪に背を向けて森に逃げ込む事も出来ない。


 どうする?

 どうする?

 どうする?


 避けるのに精一杯で思考が纏まらない。

 この状態でどうすればいいんだ!?


『困難さえも楽しもう』


 こっちの世界に来てから呪文のように呟いてきた言葉。

 ある時は自分を鼓舞するため。

 ある時は自分を慰めるため。


 ――そうだ、これは狩りだ。

 新たな一歩を踏み出した時の気持ちを思い出せ!

 俺は狩られる方じゃない、狩る方だ!

 当初の予定通り、近づき石槍で突く。

 うん、シンプルでいい。

 あとは残った体力を全て使うつもりで走る。


 よし! 行け!


 俺は更に身を低くし走った。

 円を描きながら猪との距離を狭めていく。


 もっと早く!

 もっと!

 もっと!


 全ての音が消えた。

 いや、かき消されたようだ。


 一瞬の熱風が俺と猪を飲み込んだ。

 俺は熱風に背中を押され身体が浮き、猪の死角に入った。

 なぜこの好機が訪れたかは今はどうでもいい。このチャンスは逃せない!

 より確実に魔法をキャンセルさせるため、よろけながらも猪に石ナイフを投げた。

 それと同時にさらに回り込みながら、猪との間合いを詰める。

 石ナイフが猪の腹に刺さり、岩は崩壊した。

 猪の鳴き声が響く。


 今さっきまでる気満々だった。


 だが、痛みからか、それとも家族を想ってからか……悲しそうな猪の鳴き声に、手を止めてしまいそうになった。

 そんな弱い心を奮い立たせて、猪にとどめを刺した。


「……ごめんな」


 猪の断末魔が森に響き渡る。

 初めての戦いの勝利は、思ったよりも嬉しくはなかった。


 

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