第105話「化け物の手加減」

 砲撃を終えたセイルジットが遠ざかっていく。

 宿屋号・ファンタズマ両艦は、彼らの芝居のおかげで時間が稼げた。

 名演だった。


 普段なら拍手するところだが、女将の両手は空間転移に必要な印を結んでいる真っ最中。

 途中で他の動作をすることはできない。


 術式はすでに終盤を超え、あといくつかの手順で完成する。

 あと少しだったのに……


 だが提督たちに対して恨み言はない。


 彼らは立場が悪くなるのではないかと心配に思うほど粘ってくれた。

 これ以上は無理だ。

 あとは自分たちで何とかするしかない。


 こうなると、セイルジットだけ転移させれば良かったのではないかとも思う。

 しかし女将が判断を間違えたわけではない。

 いろいろな可能性を考慮した上での三艦同時転移だったのだ。


 ご覧の通り、小竜隊はやってきた。

 提督たちとのやり取りを見る限り、〈老人たち〉の下僕ではなかったようだが、もしそうだったら?


 提督たちは知りすぎているので、単艦では全員暗殺されていたかもしれない。

 阻止できるのは女将たちだけだ。


 では、ファンタズマをセルーリアス海に残し、宿屋号とセイルジットだけというのは?

 提督たちの安全を確保できたら宿屋号だけ戻ってきて、改めて転移すれば良い。


 いや、ダメだ。

 それは大変危険だ。


 海に出た船妖はエレクタルガだけではないだろう。

 コタブレナ島で獲物を食い尽くし、飢えた他の一二妖も海へ進出したと考えるのが自然だ。

 船妖がいたということは餌となる大頭足もいるということ。

 そんな恐ろしい海に、航行不能のファンタズマを残していくことはできない。


 宿屋号は海で困っている人を救う船だ。

 どちらも危険と知りつつ見殺しにすることはできない。

 ゆえに三艦を同時にというのは絶対だ。

 ならばこの困難は避けられなかったと諦めるしかない。


 役目を終えたセイルジットはその間も北へ離脱し続け、精霊艦撃沈時の強制転移に巻き込まれる心配はなくなった。

 小竜隊隊長の手が上がる。


 彼らは〈老人たち〉の回し者ではない。

 彼らからは、回し者特有の冷たさ、非情さが感じられない。


 もしかしたら宿屋号と小竜隊が戦う必要はないのかもしれない。

 隊長に事情を話せば、攻撃を中止してくれるのでは?


 だがどうやって伝える?

 確かにエルミラは帝国が所有する軍艦を奪い、自衛のためとはいえ、看過できない損害を与えてきた。

 討伐命令が出て当然だ。

 それに与する宿屋号も討伐対象に含まれると解釈されるのは仕方がない。

 立派な敵ではないか。


 命のやり取りをする戦場は極限の世界だ。

 そこでは、より簡潔でわかりやすい話が通用する。

 味方が敵で、敵は味方ではないが敵でもないなどと、平穏時でもややこしい。

 対して〈老人たち〉の話は単純明快だ。


「敵を殺せ」


 これだけだ。

 どちらに耳を貸すか、考えてみるまでもない。


 上げていた隊長の手が振り下ろされた。

 ここへは、空に綺麗な円を描きに来たのではない。

 賊を討伐しに来たのだ。


 老いぼれ提督は司令部に怒られて北へ去った。

 もはや遮るものは何もない。


 千切れた円が隊長を先頭に、再び一つの黒点に戻る。

 突入角度五〇度。

 竜たちは翼を畳み、速度を上げていった。



 ***



 宿屋号甲板で小竜隊を注視していた水夫が叫んだ。


「来るぞ!」

 

 あちこちで一斉に撃鉄を起こす音が続く。

 全員反応が早い。

 余所見している者など一人もいなかった。

 竜から目を逸らせるはずもない。


 エルミラが第四艦隊の竜を迎撃したとき、銃兵を遠射・近射に分けたが、今回、宿屋号でも同様の戦法を取る。

 水夫たちは遠射を、給仕たちは近射を担当する。


 アレータ海以後、竜の戦いを遠目から見てきた女将たちも、リーベル海軍と同じ結論になった。

 対竜兵器ではない生身の人間は、遠近連撃で対抗するしかない。


 ジワジワと大きくなっていく黒点に長銃の照星を合わせながら、水夫の一人が呟いた。


「ウチはな——」


 ウチ——宿屋号はお客を出自や生業で差別したりしないが、行儀が悪い奴はお断りだ。

 行儀と言っても、宮廷作法など求めてはいない。


 当店がお客に求める行儀とは、暴れないこと。

 これだけだ。

 たった一つの決まり事すら守れない奴はお帰り願う。


 それに、


「毎日磨いている甲板に溜炎つばなんか吐くんじゃねぇっ!」


 そう、つばだけ吐き捨てて飛び去ろうという輩は客ですらないのだ。

 お帰り願うなどと生温い配慮は無用。

 銃弾と魔法で追い払う。


「てめぇらに振舞う酒はねぇっ! とっとと失せやがれぇっ!」


 それが合図となり、水夫たちの長銃は一斉に咆え出した。


 パパッ、パパパァンッ! パパパ……


 先述の通り、彼らはただの船乗りではない。

 元海軍軍人、元海賊、元冒険者たちだ。

 岩縫いノルトほどではないが、揺れる海上での射撃は苦手ではない。


 狙うは竜騎士と騎竜の頭部。

 ところが……


「お、おい……」


 銃弾は一発も当たらなかった。

 外れたのではない。

 銃声直後、先頭を降下していた竜騎士が左掌を前に翳した。

 その途端、竜の鼻先前方に突風の壁が現れた。

 風は中心から外に向かって吹き、すべての弾丸を逸らした。


 甲板からでは小さくてよく見えなかったが、おそらくその手にあったものは呪符だ。


 呪符——

 事前に様々な効果を込めておき、今回のような場面で咄嗟に魔法を発動できる呪物だ。

 基本的に一回使い切りという短所はあったが、それを上回る便利さから王国で広く普及していた。


 いまは魔法使いが迫害されているので、新たに作る者はいなくなったかもしれないが、これまでに作られたものはまだ残っていた。

 竜騎士の左手にあったものはその一つだ。

 効果から察するに、おそらくは風の呪符だ。


 遠射は失敗した。

 五騎がまっすぐ突っ込んでくる。


 次は近射の番だ。

 給仕たちは転移前から詠唱を始めていたので、魔法の用意は整っている。

 かつて無敵艦隊の魔法兵たちは為すすべなく敗れたが、今日はどうだろうか?


 竜たちが口を大きく開いて迫り降る。

 次の瞬間——


 ガァンッ!


「っ⁉」


 先頭竜が突然見えない壁に激突した。

 空に向かって張られた透明な壁——障壁だ。


 いや、待ってくれ。

 竜は障壁を粉砕できるのではなかったのか?


 結果としてはそういうことになるのだが、正しくは溜炎が粉砕するのだ。

 別に竜が頭突きで突き破っていくわけではない。

 だから溜炎を吐かずに突っ込めば今回のような目に遭う。


 ……吐けば良かったではないか?


 もちろん隊長はそのつもりだった。

 だが……


 障壁の展開範囲を広くとりすぎれば、魔法兵の消耗が激しい。

 消耗を押さえれば壁が薄くなり、防御力が弱まる。

 ゆえに消耗と防御力の兼ね合いから、どこの魔法兵も大体同じ位の展開範囲になるのだ。


 だから溜炎はその手前で発射すれば良い。

 こちらもあまり遠くから発射すると、威力が弱まってしまう。

 隊長はその丁度良い距離を測っていた。


 結果だけ見れば、展開位置を読み違えた彼の落ち度だ。

 しかし今回の障壁は、要塞スキュートによるものだった。

 それを彼の落ち度で済ませるのは酷というもの。


 盾の達人は急降下を見るや、障壁の展開位置を一般的な魔法兵たちよりずっと外側に設定した。

 もちろんこれでは消耗増大か防御力低下が起きてしまう。

 そこで半球状に展開するのではなく、狭い範囲に分厚く展開した。


 きっとその空中の一点は、堅牢誇るウェンドアの城壁のようだっただろう。

 見えない隊長は、そこに透明な城壁があるとも知らず、全速力で突っ込んだのだった。


 敗れた竜と隊長は、そのまま壁伝いに海へずり落ちていった。

 水面に落下するまでの間、身動き一つない。

 気絶しているのか?

 あるいは……


 急遽、指揮を執ることになった二番は即座に決断した。

 隊長の生死が心配ではあるが、ここまで来たら攻撃を続行する。


 さっきの水平攻撃中止とは状況が違うのだ。

 発射態勢に入ってからの中止では、降下から上昇へ転じる際に敵の至近で無防備な腹を晒すことになる。

 高空・水平、どちらへ逃れるにしても、安全確保のために溜炎を撃ち込んで、その爆炎に紛れながらだ。


 ——隊長が指揮不能に陥ったら、二番手が指揮権限を即時継承する——


 帝国の竜騎士は、この決まりを徹底的に叩き込まれている。


 迎撃はどうしても先頭に集中しやすく、撃ち落とされる危険が高かった。

 それで隊長が落ちたからと、隊が一々機能不全に陥っていたのでは作戦にならない。


 この決まりはそういう事態を想定して、淀みなく作戦を続行するために定められた。


 ゆえに心配な事態ではあっても、不測の事態ではないのだ。

 急に指揮を執ることになった二番は一切動じず、隊長が衝突した空間を避け、再び発射の態勢をとった。


 だが……


「二番、撃——」


 バンッ!


 撃てぇぇぇっ! と叫ぶことはできなかった。


 彼も見えない何かに弾き飛ばされた。

 隊長と違うのは、降下してきた方向へ真っ直ぐ突き返されたことだ。

 給仕が放った衝撃波だ。


 発射寸前だった溜炎は明後日の方向に飛んでいき、竜と人は血を吐きながら墜落していった。


 無敵艦隊敗北後、海戦は竜騎士同士の戦いが重要になり、空戦を制した側の竜が敵艦を仕留めに行くという流れになった。

 自軍小竜隊が敗れた時点で、海戦の勝敗もほぼ決したと言って良い。


 それでも諦めの悪い艦隊は徹底抗戦を試みる。

 兵は勝利を目指すのが使命なのだ。

 彼らにとっての勝利とは相手を倒すこと。

 ゆえに竜が飛来すると、艦隊は竜の急所や竜騎士を懸命に狙う。

 いわば〈点〉の攻撃だ。


 遠くからその様子を見ていた女将たちは気が付いた。

 あれほど俊敏に飛び回る〈点〉を捉えるのは無理だ、と。

 倒すことに拘り続けたから無敵艦隊は敗れたのだ。


 自分たちは兵ではないのだから、倒すことに拘る必要はない。

 竜を狭い〈点〉で狙い撃とうとせず、広い〈面〉の攻撃で追い払えば良い。


 そこで、これから通過しそうな空間に向かって、衝撃波を拡散して放ったのだった。

 もちろん当たった方が良いに決まっているが、別に外れても構わない。

 衝撃波が吹き抜ければ、周囲の気流が乱れて真っ直ぐ飛べまい。


 給仕たちは追い払うつもりで放っているのだが、それでも現役魔法兵が集束させて放つのと同じ威力があった。

 その結果が竜と人の吐血だ。

 化け物の手加減は常人の全力を上回るのだ。


 給仕たちの衝撃波は一発で終わりではない。

 右手と左手に各一つずつ用意したので、一人当たり二発撃てる。

 宿屋号の本格的な近射が始まるのはこれからだ。


 短時間のうちに隊長と二番が落ち、発射の直前になっていきなり指揮権限が三番に転がりこんだ。

 それをこんな風に言うのは酷かもしれないが……


 竜騎士は勇気と即決が命だ。

 彼は一刻も早く退避すべきだった。

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