第104話「予定」

 イスルード島南西沖——


 何もないその海面を突然何かが叩いた。

 直後、放射状に大きな水飛沫が起こる。

 その数、三つ。


 水中の魚たちにとっては、いきなり爆弾を投げこまれたようなもの。

 一目散にそこから逃げ散り、距離をとってから恨めしそうに振り返る。

 一体何だったのか?


 魚たちの丸い目の先、そこには三つの船底が浮かんでいた。

 ファンタズマ号、セイルジット号、宿屋号だ。


 三隻は無事、空間転移を成功した。

 ロイエスたちとはここでお別れだ。


 だが、すんなりとは終わらない。


 到着と同時に、セイルジット以外の二艦はその場で投錨した。

 これでは回避できなくなるが、ファンタズマは転舵不能、宿屋号は大きすぎる。

 どうせ避けられないのだ。

 ならば波に揺られて空間魔法の範囲から外れていかないよう、二艦とも現在位置に固定しておいた方が良い。


 竜が飛んでこないうちに、急いで逃げなければならない。

 女将は次の詠唱をすぐに始めた。


 宿屋号水夫たちも慌ただしい。

 周辺に危険がないか一斉に索敵を始めた。

 特に上空を。


 竜は……


 まだ飛んできてはいなかった。

 本日は雲一つない快晴。

 雲の上を飛んで、密かに接近することはできない。

 上空に敵影なし。


 水夫たちは一瞬安堵するが、すぐに引き締める。

 詠唱完了までもう少しかかる。

 気を緩めてはいけない。


 竜、特に海軍の小竜は速いのだ。

 遠くに点を見つけ、「はて、あれは何だろう?」と訝しんでいる間に飛来し、「竜だ!」と叫ぶより早く竜息を叩きこんでくるような奴らだ。


 緊張漲る無言の甲板に女将の詠唱が流れ続ける。

 その間にセイルジットは風を掴んで動き始めた。


 ——!


 様子を見守っていた宿屋号水夫は、帝国兵が信号を送っているのに気が付いた。

 内容は……


「二艦ノ無事ヲ祈ル」


 随分と簡潔な挨拶だが仕方がない。

 宿屋号と帝国艦を繋ぐ伝声筒はなく、巻貝では女将の邪魔になる。

 なので、伝える手段は信号しかなく、長文では送る方も受ける方も大変だ。

 信号は要点が伝わりさえすれば良い。


 対する水夫たちも手短に返信した。


「アリガトウ」


 別れは済んだ。

 セイルジットは一隻分、二隻分と離れていく。

 その甲板ではロイエスとシオドアが胸を撫で下ろしていた。


〈老人たち〉が刺客の竜を向けているのでは、と心配していたのだが杞憂だった。

 侮ってはいけない連中だが、誇大に恐れすぎていたようだ。


 冷静に考えてみれば、イスルード南西沖と言ってもかなり広いのだ。

 いくら視界が広くても、適当に飛んで行って見つけられるものではない。


 あとは自力航行でウェンドアへ帰投するだけだ。

 重くて速度が上がらないが、のんびりと航行すれば良い。

 急ぐ用事はないし、むしろ兵員過載で速度を上げたら危険だ。

 今日の波が穏やかで助かる。


 ウェンドアに帰れば、連邦の回し者相手に気が抜けない日々が始まる。

 せめてそれまではこの穏やかさを満喫しよう。


 二人でそんなことを話していたときだった。

 東を向いていたシオドアが、水平線の彼方に浮かぶ黒点に気付いた。


 あまり島に近い位置だと巡回の騎士団に見つかるので、転移先は街道からこちらが見えない遠くの地点が選ばれた。

 まだ見えないがもう少し北東へ進めば、東の水平線にイスルード島の島影が見えてくるだろう。


 提督は西向きだったが、シオドアはその正面に立って話していたので東の海がよく見えた。

 そのおかげで黒点を発見できたのだった。


 一拍遅れて見張り台から報告が届く。


「東より我が方の小竜隊が接近中!」


 大人しく了解を返すが、提督は正直、舌打ちしたい気分だった。

 来ると覚悟してはいたが、実際に飛来してくるとやはり苦々しい。


 このときに備え、セイルジットはを整えておいた。

 転移前に女将と打ち合わせておいたものだ。

 いざとなったら躊躇するな、と言われてはいたが……


 本日は雲一つない快晴。

 波は穏やかで照り付ける日差しが海面を温める。

 こんな日は水の気が普段より高いところまで立ち上るから、上手く低空を飛べば、敵魔法兵の探知を掻い潜ることができる。


 記録によれば、先人たちが無敵艦隊への奇襲に成功した日も、ちょうどこんな天気だったとある。


 いま、セイルジットには普段より多くの魔法兵がおり、全員ではないが探知を何重にも発動していた。

 それでも低空から迫り来る小竜隊を発見できなかった。

 仕掛けた側の武勇伝として聞いてきたが、仕掛けられる側にとってこれほど厄介だったとは!


 見張りが発見できたときにはもう手遅れなのだ。


 みるみる、黒点だったものの輪郭が鮮明になっていく。

 いまは竜の口から漏れ流れる火炎の揺らめきも視認できる。


 小竜隊は攻撃態勢に入っている。

 進行方向から予測して、目標は……宿屋号!


 ロイエスが動いた。


「面舵一杯っ!」

「おもかーじ、いっぱーい!」


 操舵手は命令を復唱しながら舵輪をカラカラと右へ回し、操帆手たちも帆の向きを転舵に合わせた。

 右舷に宿屋号が入ってくる。


 ——すまない、女将。


 いま頃、次の転移のために詠唱している最中だろう。

 できればそっとしておきたかったが、こうなっては致し方ない。

 ネイギアスの見えない侵略に抵抗できるのは自分たちしかいない。

 ここで死ぬわけにはいかないのだ。

 ゆえにこうするしかない。


「右舷、に撃ち方始めっ!」

「てぇぇぇっ!」


 ゴォッ! ボォンッ! ボゥッ——


 セイルジット右舷の魔力砲が一斉に火を吹いた。

 転覆の危険を少しでも減らそうと、捨てられる物は片っ端から捨てたので砲弾はない。

 魔法兵によって装填された火の魔法、火力弾だ。


 五発の魔法弾は恩を仇で返すかの如く、真っ直ぐに飛んでいく。

 そして——


 ドボォッ! ドォォォンッ!


 四発は宿屋号と小竜隊の間の海に着弾し、高い水柱を上げた。

 残り一発は反対側の海に。

 全弾命中せず。


 参謀を引き渡した後、女将は提督に伝えていた。

 向こうではもう竜を現場に待機させてあって、転移してきた直後を狙ってくるかもしれない。

 そのときは遠慮なく、を守れ、と。


 それを受けて、提督たちは予定を立てた。

 小竜隊接近の警報も兼ねて、二艦のへ撃とう、と。


 女将には本当にすまないと思っている。

 詠唱の最中にうるさくしてしまって……


 しかし、これで言い訳が立つ。

 狙って撃ったが、全弾外れるときだってあるではないか。

 わざと外れるように撃ったと、誰が断言できよう。


 この砲撃には、提督たちの言い訳と警報の意味が込められているが、竜息の連撃を妨害するという効果もあった。


 急降下にせよ、水平にせよ、小竜隊は一撃離脱が基本だ。

 竜は速度が命。

 決して止まってはならない。

 速度を緩めてはならない。


 とはいえ、変幻自在な動きの中で命中させるのは至難だ。

 そこでいよいよ発射の態勢に入ると、真っ直ぐ一列になる。


 そうなればもう、変則飛行で相手を翻弄することはできない。

 後できることは、一気に間合いを詰めることだけ。

 横殴りの雨のように飛んでくる銃弾や魔法に向かって速度を上げるのだ。


 世間は、もはや魔法艦など竜の敵ではないと簡単に言うが、彼らの勇気の賜物なのだ。


 だが勇気だけでは足りない。

 どうしても風に流されてしまうので、発射の瞬間まで手綱を操って目標を正面に捉え続ける必要がある。


 ここで竜騎士の巧拙が問われる。


 息苦しいほどの高速の中、手綱の力加減を間違えれば大きくズレてしまう。

 どれくらいにしておけば良いのかは、日頃の訓練で掴んでおくしかない。


 風向、風速、力加減、竜騎士と騎竜の相性、その日の竜の調子……

 これらがうまく噛み合ったとき、竜息の連撃が成功する。

 求められるのは、死をも恐れぬ勇敢さと針仕事の精密さ。

 毎回、神経が磨り減る……


 そのような精密作業の真っ最中、進路前方に突然、水柱が上がったのだった。


「ちぃっ! 余計なことをっ!」


 集中を乱された隊長が舌打ちする。


「攻撃中止! 散開!」


 彼は瞬時に第一次攻撃の失敗を悟り、後続の隊員たちに命令を飛ばした。

 伝声筒に次々と了解が返り、五騎はバラバラに上昇していった。


 その様子を見上げながら、ロイエスは次の手を打つ。

 伝声筒で上空の隊長に呼び掛けた。


「こちら第三艦隊セイルジット。わしはロイエスだ。隊長、聞こえるかね?」


 返事はすぐにあった。

 やはり差し向けられたのは州都防衛隊の小竜隊だった。

 司令部の緊急命令でここまで飛んできたのだという。


 そう、形式的には司令部からの命令なのだ。

 ゆえにややこしい。

 実質的には誰の指図で飛んできたのか?


 司令か?

〈老人たち〉か?


 知る方法は一つだ。

 遙か上空、再び黒点と化した隊長へ仕掛けていく。


 海賊共の猛反撃に遭い、ここまで逃げてきたが、小竜隊の援護があるならまだ戦える。

 よって、


「本艦はこれより敵艦隊に突撃する!」

「いや、それは……提督……」


 困った隊長は下を振り返った。

 見れば砲撃の後も面舵を切り続け、敵大型艦と小型艦の間に突撃する構えだ。


「…………」


 正直言って、邪魔だ。

 大型艦の方は初めて見るが、小型艦の方は討伐対象のファンタズマ号だ。

 魔法艦なので核室を破壊すれば跡形なく転移する。

 そんな艦に肉薄されたら竜息で攻撃できなくなってしまう。


 だが相手は提督だ。

 そのまま伝えれば失礼に当たる。

 隊長は高空で編隊を組み直しながら、うまい言い訳を考えた。


「提督、海賊船二隻程度なら我が隊だけで十分です。そのまま戦域より離脱して下さい」

「いや、こいつらを甘く見るでない!」


 それから、二個艦隊が為す術なくやられてしまい、提督として無念の極みだ、何だ、と愚痴の数々が続いた。


「黙れ! 作戦の邪魔だ!」と一喝することもできず、隊長以下五騎は大空をグルグル旋回待機しながら、老将の愚痴に付き合うしかなかった。


 彼らは味方を巻き込んでしまうことを気にして、必死にロイエスを説得しようとしていた。

 どうやら〈老人たち〉の手先ではなかったようだ。

 でなければ、こんな馬鹿なやり取りに付き合ったりしない。

 さっさと三艦を始末して帰投するはずだ。


 提督たちは彼らが回し者ではなかったことにホッとしたが、危機が去ったわけではない。

 依然、二艦は竜に狙われている状態にある。


 ——急げよ、女将!


 まさか隊に帰れと命じるわけにもいかず、ロイエスは祈りながら愚痴を続けるしかなかった。

 とんだ醜態晒しだが、時間を稼げるなら何でもやる。


 だが老将の必死さを嘲笑うかのように、セイルジットの魔法兵に司令部からの念話が届いた。


 遠すぎて伝声筒では届かないが、高位の魔法使いなら直接相手に声を届かせることができる。

 巻貝と違って、長々と会話することは難しいが……

 それでも命令を伝達するには十分だ。


 念話の内容は——


「海賊共は小竜隊に任せ、セイルジットは直ちに帰投せよ」


 命令はすぐに甲板の提督へ伝えられた。


「…………」


 恨めしそうに上を見上げると、五つの黒点がクルクルと旋回を続けていた。

 ロイエスの苦い顔が治らない。


 いつまで経っても、派遣した小竜隊から戦果報告がない。

 痺れを切らした司令部の魔法使いが隊長へ念話を試みると、流れ込んできたのは提督からの愚痴。

 司令部は、なぜ戦果報告が遅れているのかを察した。


 だからこれは警告だ。

 これ以上ゴネれば、竜の標的が三隻へ変更される。


 竜から視線を甲板へ戻すと、命令を伝達した魔法兵がまだいる。帰れないのだ。

 司令部は提督の返答を求めている。

 何と伝えれば良いのか?


 ——おのれ、〈じじい共〉め!


 ガラジックスに引き続き、ファンタズマと宿屋号までも見殺しにするしかない。

 ロイエスの歯軋りが止まらない。


 もう時間稼ぎはできないのに、二艦はまだそこにいた。

 女将に何かあったか?

 それとも砲音に驚いてやり直しになってしまったのか?


 いろいろと気を揉むが、セルーリアス海からの転移も発動まで時間がかかった。

 一艦減ったからといって、その分だけ詠唱が短くなるわけでもない。

 致し方ないことだった。


 ロイエスは艦隊提督だ。

 一人の戦士ではなく、部下たちを率いる指揮官だ。


 己の一存で命令に背けば、全員まとめて反逆者になってしまう。

 また、仮に皆が反逆に賛同してくれたとして、あの竜たちをどうする?

 身重のセイルジットでは全く勝ち目がない。


 皆の命を預かる者として、軽率なことは許されないのだ。

 提督の言葉を待っている魔法兵には「了解」と伝えるしかなかった。


 彼も余計なことは言わない。

 ただ内容の復唱だけして立ち去った。


 ——すまない、女将。わしらはここまでだ。


 冷静に考えてみれば、あの女将が砲音如きで集中を途切らせたりはしないはずだ。

 きっといま頃は詠唱の終盤にかかっているに違いない。


 そう信じ、ロイエスは再び部下たちに命令した。


「取舵一杯っ! 左舷、予定通りに撃ち方用―意っ!」


 各所から復唱が返り、艦体を軋ませながら右旋回から左旋回へ切り替わっていく。

 右前方に捉えていた宿屋号とファンタズマが、今度は左後方へ移っていく。


 二艦を左舷魔力砲の射程に捉えた。

 狙いは


「左舷、撃てぇぇぇっ!」

「てぇぇぇっ!」


 ボォンッ! ゴゴォンッ! ボゥッ! ドォゥッ!


 提督たちが祈る中、最後の火力弾がまっすぐ飛んでいく。

 その結果は……


 近、近、近、遠、近。


 全弾命中せず。

 だがロイエスは怒らない。

 むしろ、さすがは我が艦隊の砲手たち、と内心で誇らしく思った。

 五発中、四発が至近。

 見事な腕前だ。

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