第103話「口封じ」
宿屋号に戻った女将は甲板中央に立った。
そこにはリーベルの魔法艦と同様の詠唱陣がある。
艦船一隻くらいなら簡略化した術式で十分だが、三隻と大勢の乗員たちをいっぺんにとなると、正式な方法をとらなければならない。
これより空間転移の詠唱を始める。
彼女は人間という枠をはみ出しかけた弟子とは違う。
万物の根源に対して正しく呪文を唱え、転移に必要な力を引き出していくしかない。
魔法使いに限ったことではないが、指を差すとその一点に意識が集中する。
指を差すという行為・形に〈印〉としての力があるのかもしれない。
ゆえに彼女も詠唱しながら足元に置いた地図の一点を指差した。
そこには赤い印が。
印が示しているのは、ウェンドア南西岸から遠く離れた沖合。
そこなら交易船団の航路から外れ、厳重な哨戒網もない。
だが何も知らない漁船がそこで漁をしているかもしれない。
うっかりその上に転移してしまったら、船も漁師も押し潰してしまう。
そこで詠唱に入る前に給仕の一人を呼び、転移先に何もないことを確認してもらった。
その給仕も女将ほどではないが、長い時を生きる魔女。
広域探知よりも遠くまで見通せる〈
地図の赤印は彼女によるもの。
いまも目標地点を監視し続けている。
見渡すと、他にも数名の給仕たちが女将に背を向けて囲むような配置についていた。
手当を終えたスキュートも混ざっている。
彼以外は皆若い男女だが、見た目と実年齢が一致していないのがこの船だ。
集まっているのはその昔、人々から大魔法使いと呼ばれていた者たちだ。
彼ら、彼女らは、未だ衰えぬその魔力で女将を助ける。
さすがの女将も三艦同時は重すぎるか?
いや、そうではない。
彼女は詠唱の時間さえ確保できれば、艦隊でも運ぶことができる。
では、何を助けるのかというと、詠唱の時間を稼ぐのだ。
?
イスルード南西沖は海上封鎖するには範囲が広すぎるので、魔法艦隊も通常艦もいない手薄な海だ。
その分、騎士団による沿岸街道の巡回は厳重だが、近寄らなければ見つかることもない。
落ち着いて詠唱できそうに思えるが、それは甘い考えだ。
魔法艦は来ないが、代わりに竜が来る。
ここでのことは、内通者たちに持たせたネイギアス製伝声筒を通して〈老人たち〉に筒抜けだった。
こんな末端の艦隊ですら、裏切り者が二人もいたのだ。
当然、ウェンドア司令部にもいると覚悟するべきだ。
向こうに転移した宿屋号たちが再び転移するのに、それほど多くの時は要しない。
それでも次の地点への詠唱中は、どうしても無防備な状態が発生してしまう。
奴らの狙いはそこだ。
すぐに動ける魔法艦隊は壊滅したし、健在だったとしても間に合わない。
間に合うのは竜だけだ。
いま頃、州都防衛の任に着いていた小竜隊が、目標地点へ急行していることだろう。
何としても、〈老人たち〉は陰謀を知る者たち全員を始末するつもりなのだ。
現状、これに対応できるのは宿屋号のみ。
この時代遅れの双胴戦列艦で魔法艦の天敵を退けなければならない。
人型二三号が出てくるまで、万全のファンタズマですら苦戦したというのに……
宿屋号の元となっている戦列艦は、その巨大さゆえに大量の砲を搭載できた戦場の主役だった。
しかし、より強力で小型俊敏な魔法艦によって時代から退場させられた。
時代が違うので直接対決することはなかったが、もし竜と戦ったら全敗したことだろう。
女将はそんな時代遅れの巨艦を拾って宿屋号とした。
そのことで今日の不利を招いている。
結局、彼女自身も時代遅れだったということなのか?
そうではない。
彼女の戦いは遥か昔に終わっているのだ。
だから戦列艦二隻を拾ったのは戦うためではない。
人殺しの武器ではなく、助け舟として生まれ変わらせたのだ。
小さな相手には弱点にしかならないが、船客を乗せたり、一人でも多くの遭難者を救助しようとしたときは、むしろその巨大さが光る。
とはいえ、如何に尊い考えに基づいていようと、冷酷な現実が木端微塵に粉砕するということはあり得る。
海賊……いや、行儀の悪いお客さんや島蛸のような大頭足類だ。
彼らに戦うつもりはないと訴えてもわかってはくれない。
そこで宿屋号に詠唱陣を設置し、外板のすぐ内側には鋼化装甲板を張ってある。
仕組み的には、かつて彼女自身が考案した初代ペンタグラム号に近い。
戦わないという主義には反するが仕方ない。
船旅を楽しんでくれているお客さんや、九死に一生を得た遭難者に安心してもらうためだ。
それがまさか今日、竜と戦うことになろうとは……
客船として優秀でも、いま求められているのは軍艦としての優秀さだ。
その点においてはファンタズマどころか、ネヴェル型以下と言わざるを得ない。
傍から見れば絶望的な状況だ。
されど、宿屋号一同に絶望は微塵もない。
確かに仕組みは初代ペンタグラムと似ているかもしれないが、乗員たちの力はこちらの方が何倍も上だ。
彼らの目にはそんな思いの力が満ちていた。
当時のペンタグラムに乗っていたのは、アルシール卿とデシリア卿率いる新米魔法兵たちだったが、こちらは現役の大魔法使いたちだ。
決して世の中の連中が予想している通りにはならない。
……なってたまるか。
大魔法使いたちは魔法の準備を完了した。
竜たちは現れた瞬間を狙ってくるだろう。
ゆえにここで用意しておけば、向こうですぐに発動できる。
魔法の心得がない水夫たちも武装を整えてきた。
皆、武器の扱いが慣れている。
まるで自分の身体の一部のように。
宿屋号乗員になってから身についたものではない。
給仕たちがただの給仕ではなかったように、彼らもただの水夫ではなかった。
元水兵、元海賊、元……
すべての準備が整うと、三艦は一斉に消えた。
果たして、その先で待ち受けるものは……
***
イスルード島南西部、沿岸街道上空——
ウェンドアを発した小竜隊は、街道を南へ飛行していた。
彼らはいつも通り、州都上空の警備につこうとしていたのだが、出発直前、司令部から緊急命令を受けた。
——海賊艦隊がイスルード島南西沖に接近している。
小竜隊は直ちに現場海域へ急行し、敵艦隊を撃滅せよ——
空から睨みをきかせておかなければ、反乱軍に隙を見せてしまう懸念があったのだが、巡回兵を増やして対応するとのこと。
何も憂うことなく、南の空へ飛び立った。
海賊は街道で騎士団を砲撃した奴らだという。
我が魔法艦隊が直ちに討伐に当たったのだが、第三・第四艦隊はセルーリアス海で壊滅した。
たった一隻で二個艦隊を⁉
命令の伝達とは、事実を淡々と伝えるものなので大変驚いたが、後に続く捕捉説明を聞いて納得がいった。
海賊には仲間がいたのだ。
素直に大したものだと感心した。
まだ完全に物にしたとは言えない不慣れな魔法艦隊ではあったが、それでも元リーベル艦隊だったものだ。
歴とした帝国正規軍を海賊の群れが返り討ちにした。
奴らにとっては大手柄だ。
海賊として箔が付いたといえる。
しかし……
「馬鹿な奴らだ」
隊長は鼻で嗤った。
図に乗ってお礼参りなどしに来ないで、さっさとアジトへ凱旋すれば良かったものを。
それとも戦利品が足りないから略奪に戻ってきたか?
だが、どこを略奪するというのだ?
島南西部から南部まで、海賊が満足できるような街はない。
ウェンドア?
外側から正攻法で攻略するのは無理だ。
だから帝国も内側から崩す策をとった。
戻ってきても奴らが得るものは何もない。
海賊というものは損得勘定が命というのは本当だ。
それを間違えたから、今日これから命を落とすことになる。
そうそう、奴らが得るものが一つあった。
小竜の溜炎だ。
地獄への良い土産話になるだろう。
かつて無敵艦隊を焼き払った火はいまでも熱かった、と。
隊は街道に沿ってひたすら南を目指していた。
敵は街道ではなく、海に現れるのだ。
急行せよという命令なのだから、南ではなく南西に飛んだ方が良いのではないか?
できれば小竜隊もそうしたい。
彼らは船の見張台より高いところから見渡せるが、それでも海は広く、すべてを目視で把握することはできない。
南西沖と一言で言ってもかなり広いのだ。
そこで司令部は騎士団にも命令を出していた。
付近を巡回中の街道警備隊に海賊共の〈探知〉をさせる。
魔法騎兵の出番だ。
馬上でも魔法の集中が途切れない彼らだが、下りて地に足をつければ魔法兵本来の力が戻る。
探知範囲は増大し、水平線の向こうにある小さな漁船も発見できるようになる。
その力で海賊艦隊を捕捉し、飛んできた小竜隊に位置を知らせるのだ。
小竜隊はそのために南西直行ではなく、南で探知中の味方を目指していたのだった。
急がば回れだ。
やがて前方に小さな集団が見えてきた。
数頭の馬と跨っている人影たち。
騎士団の街道警備隊だ。
近くには雑草をつついている馬が一頭と、海の方を向いている人影が一つ。
そいつが魔法騎兵だ。
向こうからもこちらの五頭が見えたらしい。
先頭を飛ぶ隊長の伝声筒に声が届いてきた。
「敵艦隊は旗艦と思われる大型艦一隻、随伴小型艦二隻。現在、ここからまっすぐ西の洋上で停船中!」
「了解!」
情報を得た小竜隊は直ちに右旋回。
曲がりながら地上を見下ろすと、魔法騎兵が西の海を指差しているのが見えた。
騎兵たちも槍や長銃を西へ向けている。
再び地上から通信。
「貴隊の武運を祈る!」
「ありがとう!」
騎兵たちに見送られながら、小竜隊は街道を逸れて海に出た。
本日の天気は快晴。
竜たちの機嫌はすこぶる良い。
今日は良い日だ。
せっかく助かった命を捨てに戻ってきた馬鹿な海賊共。
奴らを地獄へ送るのに良い日だ。
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