第106話「弔火」

 世間では魔法艦より竜が強いと認識されている。

 その認識はこれからも変わらないだろう。

 女将もそれで良いと思っている。


 悪さばかりする弟子たちの仇を討つ気など毛頭ない。

 ただ、二隻くらい見逃してほしいと願っているだけだ。

 内一隻は解体予定なのだから。


 しかしそれは無理というもの。

 命令は正式なものであり、現にファンタズマと宿屋号は領海侵犯をしているのだから。

 それに、隊長や仲間をやられている。

 このままでは引き下がれない。


 小竜隊の指揮権限は隊長から二番へ、二番から三番へ。

 現、指揮官となった彼は叫んだ。


鷲の爪イーグル・クローっ!」


 直ちに四番と五番から了解が返り、三騎は三方向に散った。

 バラバラに逃げて仕切り直そうというのではない。

 なんとしても今次降下で仕留める。


 双胴船の甲板には魔法陣が描かれ、そこに立つ者たちが空に向かって魔法を用意していた。

 反乱軍の魔法兵に違いない。

 となると、この巨艦は……

 リーベルが極秘に建造していた魔法戦艦か?


 とんでもない誤解だが、仕方がない。

 竜騎士たちはまさか今日、昔話に登場するロレッタの宿屋号と遭遇するとは思っていなかった。

 ただ、楽勝できる相手ではないという判断は正しい。


 敵には竜を撃ち落とす力がある。

 現に隊長たちがその力でやられた。

 戦艦など、でかい的だと侮ることはできない。


 仕切り直せばさらに二騎が犠牲になり、残りの一騎だけでは何もできない。

 なんとか奴らの意表を突き、ここで仕留めねば……

 そのための〈鷲の爪〉だった。


 陣形〈鷲の爪〉——

 速度を維持しながら散開後、すぐに竜を操って逆さまの姿勢になり、そこから反転急降下。

 中心点目掛けて一斉に竜息を撃ち込むという高等技術だ。

 ある竜騎士が鷲の狩りから着想を得て編み出した。


 この技の難しいところは竜息発射後だ。

 三騎は中心点で衝突しないよう、上・中・下段に分かれてスレスレを吹き抜けていかなければならない。

 互いの鱗一枚でも接触すれば大惨事に繋がる危険な技であり、訓練中の事故も多かった。


 だが成功すれば、魔法使いたちを翻弄し、鷲が獲物に爪を食い込ませるように仕留めることができる。

 小竜隊三騎はこの技に賭けた。


 それぞれの竜を逆さまにさせながら、竜騎士たちが叫ぶ。


「三番、中!」

「四番、下!」

「五番、上!」


 隊の序列は熟練度に応じている。

 最熟練は隊長で、五番が最も低い。

 ゆえに鷲の爪終了後、五番は最も安全な上段になり、上下に気を付けなければならない危険な中段は最熟練の三番が飛ぶことになる。

 三人が叫んでいる上・中・下はその確認だ。


 勝負のときが来た。

 三騎の正面には、大きな魔法陣とその中心で詠唱する女の姿があった。

 おそらくあいつが魔法兵たちの隊長だ。


 魔法艦の構造上、魔法陣のすぐ下に核室がある。

 だから中心に立っているあの女目掛けて撃ち込めば、核室にを突き立てることができるはずだ。


「三番、てぇぇぇっ!」


 ついに溜炎が放たれた。

 四番・五番も続き、三方向から中心へ向かって炎の塊が飛んでいく。


 宿屋号とファンタズマは⁉


 残念だが、二艦に転移の気配はない。

 竜のことは給仕たちに一任し、女将は詠唱に専念していたのだが……


 やはり魔法は竜に敵わなかった。

 無敵艦隊がアレータ海で消えた日、海の魔法も一緒に終わっていたのだ。

 それでもわからない、わかりたくないというなら、これはどうだ?


 ——魔法戦艦とファンタズマが溜炎で焼かれて消える——


 これ以上わかりやすい終わり方はないだろう。

 二艦が帰らなければ、島の賊共も認めざるを得まい。

 反乱軍の悪あがきに、そして古い時代にトドメを刺すべく、三つの弔火は中心点へと伸びていった。


 ドォォォンッ!



 ***



 三方向からほぼ同時に命中した溜炎は、凄まじい爆音と高い水柱を上げた。


 …………


 ……水柱?


 違う。

 上がるべきは火柱だ。

 水柱ではない。


 発射後、交差も無事に成功した三騎は上昇しながら振り返るが、そこにあるはずの光景がなかった。

 驚いて戻り、いまは二隻がいた辺りの低空を旋回し続けている。


 少し離れたセイルジットの甲板上、ロイエスとシオドアは、


「行ったか」

「はっ、ギリギリでした」

「うむ。心臓に悪い奴らだったな」


 初めて見た竜騎士たちには不可解かもしれないが、望遠鏡で眺めていた二人にはわかった。

 女将が間に合った。

 いま頃はどこか遠くの海だろう。


 降り注ぐ火の玉が当たる寸前、二隻は忽然と消えた。

 何もない海に溜炎を撃ち込めば、上がるのは火柱ではなく水柱だ。

 別に不思議なことはない。


「さて、報告書にはどう書いたものかな?」


 望遠鏡を下げながら、提督は傍らのシオドアに尋ねた。

 小竜隊の手柄と書くべきか。

 あるいは正直に書くべきか。

 直撃寸前に消えた、と。


「彼らの手柄と書きたいところですが……」


 シオドアの返答が鈍い。

 本音を言えば、面倒臭いので小竜隊が全滅させたことにしてしまいたい。

 しかし彼らが正直に報告してしまう可能性がある。

 そのときにこちらが褒めちぎるような報告書を上げたら、嘘が浮き彫りになってしまう。


 思案の結果、見たままを書くことになった。

 要領を得ない報告書になってしまうが、それで良いのだ。

 これから第一に心掛けなければならないことは、怪しまれないこと。

 内容の筋道が通っているかどうかは二の次だ。


 司令部へ事実だけを淡々と報告し、事情を知らない味方から怒られ、事情を知る回し者が取り成しに入る。

 それで事が済む。


 忽然と消えてしまったので生死不明ではあるが、小竜隊の活躍によって海賊一味は立ち去った。

 エルミラ王女の帝都脱走から始まった一連の幽霊船騒ぎはこれにて終了だ。


 あとは落ち着いて帰投するだけだったのだが、その前にもう一仕事しなければならなくなった。

 遠くて手旗は見えないだろうから、太陽の反射光を利用して旋回中の隊へ通信を送った。


「我、貴隊ノ負傷者ヲ救助ス」


 小竜が墜落した隊長と二番を拾い上げてウェンドアに帰るのは無理だ。

 セイルジットがやるしかない。


 竜は落下の勢いで全身が水没したものの、すぐに浮上して大暴れの真っ最中だ。

 望遠鏡を使わなくても水飛沫が確認できる。

 大嫌いな水に落ちて錯乱状態に陥っているようだ。


 竜騎士は鞍から伸びるベルトで全身を固定する。

 変幻自在な飛び方をしても振り落されないのはそのためだ。

 まさに命綱とも呼べるものなのだが、時としてその綱のために命を落とすことがある。

 今回のような場合だ。


 竜が海に墜落しても鞍が衝撃に耐え、竜騎士をベルトで固定し続けてしまうことがある。

 そうなったら地獄だ。


 興奮状態の竜は人間の手に負えない。

 周囲の者にできることはないので、大怪我している竜騎士自らがベルトを切るしかない。

 成功した例はないが。


 竜騎士の死亡原因は大きく二つ。

 一つは墜落死。

 もう一つが溺死だ。

 竜の水浴びは乗っている人間の命を簡単に奪ってしまう。


 これまでに助かった竜騎士は、鞍かベルトが衝撃で壊れて水面に投げ出された者だけだ。

 今回もうまく外れていてくれると良いが……


 そうしている間にセイルジットは転舵を完了した。


 帝国は国内で竜を殖やせる。

 だからといって、魚のように大量の卵を産んでくれるわけではないので、一匹も無駄にすることはできないのだ。


 人も竜も両方救いたい。

 その思いで魔法兵たちが詠唱陣に集まっている。

 詠唱が進むにつれ、翳した掌に氷塊や岩塊が形勢されていく。


 時間はかかる。

 それでも人には竜にない意志の力があるから、いつか身心の傷を乗り越えた竜騎士は、再び空に戻れる可能性がある。


 一方、竜はこのまま二度と水の上を飛ばなくなる可能性が高い。

 人と違い、恐怖に打ち克つ必要がないのだ。

 おそらく水浴び中の二頭も海軍の軍竜としては再起不能だろう。


 それでも救おうとしているのは、最近のブレシア人が馬への愛着を竜にも抱き始めているからというだけではない。

 その竜は、軍竜になれるほど優秀だったのだ。

 繁殖にまわせばその素質を引き継いだ仔がとれるかもしれない。


 あとはその救助方法なのだが、用意しているものは氷塊と岩塊だ。

 竜の頭にぶつけて気絶させる。

 随分と手荒いが、これしかない。


 これが馬なら〈眠りの霧〉を仕掛ければ良いのだが、竜は魔法に耐性があるので効果が薄い。

 眠り薬を鏃や槍の穂先に塗って突き刺そうにも、固い鱗を貫けない。

 電撃や火球では竜騎士にも被害が及ぶ。

 こうして消去していくと、頭を強打して気絶させる案が残る。


 難を逃れた三頭は旋回しながら、不安そうに水浴びを見守っている。

 目の前で苦しんでいる仲間がさらに傷めつけられたら、竜たちはどう思うだろう?

 若干の気まずさを覚えつつも、準備が整ったセイルジットは静かに近付いていくのだった。

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