第101話「宣戦布告」

 役目を終え、艦隊へ戻るシオドアはタラップを渡り、一旦宿屋号の甲板に降り立った。

 残っていた数人の給仕たちが彼に気付いて会釈する。

 傷を洗うのに使う水を用意していたようだ。


 仕事の邪魔をしては申し訳ないので、敬礼を返しながら足早に反対側のタラップを目指した。


「ん?」


 セイルジットから何か聞こえる。

 参謀が提督に詰め寄っているようだ。

 甲板は船室に収まりきらなかった兵たちでごった返しており、その揉め事を取り囲んでいた。


 取り巻きの中にはアルンザイトの乗員も混ざっており、その一人がタラップを渡ってきた艦長に気付いた。


「おかえりなさい、艦長」

「ああ、ただいま」


 シオドアも敬礼を返しながら、その部下に目で尋ねた。

 何の騒ぎだ、と。


 部下によれば、全員がセイルジットに戻ってから揉め事が始まったという。

 ある参謀の進言を提督が却下したことが発端だ。


 彼の進言とは——

 宿屋号とファンタズマを直ちに制圧すること。

 彼はこの兵数差と残っている武器で可能だと力説したが、提督だけでなく、他の参謀たちも反対した。

 制圧可能かどうかという問題ではない。


 あの女将はセイルジットのことなど気にせず、ファンタズマと逃げてしまえば良かったのだ。

 だがそうはせず、船妖から救おうとしてくれた。

 もしかしたらいま頃、全員化け物の胃の中だったかもしれないのに、恩を仇で返すような真似はできない。

 場にはそんな空気が満ちていた。


 件の参謀はその空気を払拭せんと、さっきから提督や他の参謀たちに食い下がっているのだという。


 あの魔女は手強そうだし、艦隊を立て直してから出直そうと代案を示しても聞き入れない。

 命令違反の責任は提督が一人で負うと告げても納得しない。


 その辺りでシオドアが戻ってきたのだった。

 部下からあらましを聞き終えた彼は、その参謀に対して挙手した。


「参謀、質問があります」

「後にしろ!」

「いや、申してみよ。シオドア」


 参謀は退けようとしたが、提督が許可してしまったので渋々、引き下がった。


 質問は、仮にあの二艦を制圧したとして、その後はどうするのかということだった。

 参謀の主張通りに討伐命令の達成を目指すなら、この場で撃沈することになる。

 その場合、ファンタズマ乗員はともかく、宿屋号乗員はどうするのか?


 当然の疑問だ。

 だが参謀は返事に窮し、歯軋りしながら生意気な艦長を睨みつけている。

 その苦々しそうな横顔を見ながら、ロイエスは髭をいじり始めた。


(なるほど……面白い質問だな、シオドア)


 口に出せば聞こえてしまうので、心の中で褒めた。


 命令を完遂したいだけなら、返答に窮することはないのだ。

 討伐対象はエルミラ一味。

 手を貸した時点でその者も一味に含まれる。

 ゆえに宿屋号と女将も、同様の末路を辿ってもらうことになる。


 しかし参謀は歯軋りするばかり。

 他の者たちは首を傾げ始めたが、宿屋号での和議に参加した二人だけは彼の歯軋りの理由が思い当たった。


 参謀にしてみれば、このまま女将にファンタズマを持って行かれては困るのだろう。

 そして撃沈も困る。

 ……に引き渡さなければならないのだから。


 ——エラケスのようなことはもう沢山だというのに……


 提督のぼやきは溜め息となって鼻から抜けていった。

 あちらではまだ応急手当が続いているが、終わり次第、ウェンドア沖に運んでもらうことになっている。

 そのとき、こちらが揉めていては始まらない。


「わしからも一つ良いか?」


 髭いじりをやめた手で挙手する。


「……はっ、何でしょうか?」


 まさか上官に向かって「後にしろ!」とは言えず、参謀は提督に正対した。


 こんな茶番は早く終わりにしなければならない。

 彼も事情があって裏切ったのだろう。

 だが、この状況でも諦めるわけにはいかないというなら、たとえ〈子〉でもトドメを刺してやるしかない。

 それが〈親〉の務めだ。


「恩知らずではあるが、おぬしの言う通りに拿捕した後、二艦をどこへ連行する?」


 帝都ルキシオか?

 州都ウェンドアか?

 三艦はその中間にいるので、どちらも遠い。

 セイルジット号の水・食料は途中で尽きてしまうが、宿屋号から没収すればよいので、無補給で直行できる。

 そういうわけなので、ここからロミンガンは近いが、立ち寄る必要はまったくない。


 さあ、どう答えるか?


「兵たちを休ませる必要があるので——」


 余裕がない参謀は兵の疲労を理由に、ロミンガンを経由して帝都へ帰還する航路を示してきた。

 対するロイエスは、


「ロミンガンでは誰も気が休まらん」


 周囲からも嫌がる声が木霊した。

 帝国と連邦は国交断絶こそしていないが、両国不仲であることは有名だ。

 そんなところへ帝国の軍艦が行っても決して歓迎されず、余計に気疲れするだけだ。


 兵の休息というが、宿屋号には酒があった。

 だから帝都直行の道すがら、兵たちを交代で休ませることもできるのだ。


「なかなか良い酒があったぞ。なあ、シオドア?」

「はっ、海上とは思えない品揃えでした」


 酒と聞いて場の空気が少し華やぐが、相変わらず参謀の表情は苦いまま。

 むしろ苦みが増した。

 帝都直行では困るのだ……


 俯き苦悩する部下を見ながら、ロイエスは心の中で呟いた。

 ……白状させるにはあと一押しか?

 そこで、


「気は進まんが、どうしても陸が恋しいというなら立ち寄っても良いぞ。連邦はまだ正式な敵国というわけではないし……」


 上官からの思いがけない言葉に、俯く困り顔が少し上がった。

 しかしこれは助け舟を出してやったわけではない。

 八方塞がりに追い込んで白状させるためだ。

 だから、


「その場合、ファンタズマはここで撃沈しよう。連行するのは宿屋号だけで良い」

「っ⁉ お待ちください! なぜ……」


 当たり前ではないか。

 連邦がエラケスを手懐けておいたのは、ファンタズマが欲しかったからだ。

 そんなところへ曳航していったら、奴らにどうぞ受け取ってくださいと言っているようなものだ。

 ロミンガンへ宿屋号は連れて行って良いが、ファンタズマだけはダメだ。


 提督は参謀に向かって話しているのだが、周囲の者たちにも当然聞こえている。

 だから徐々にひそひそと声が上がり始めた。

 確かに、宿屋号を押さえたらロミンガンへ行く必要はないのではないか、と。


 それに、どう解釈しても生命を救ってくれた恩を仇で返すことになる。

 なんとも、後味が悪い……


 やめよう、やりたくない、と兵の士気は下がり続けた。

 エルミラたちほどではないが、彼らも疲れていた。

 それをもう一合戦しようなどと拳を振りかざしたところで、付いてくるわけがない。


 しかもその相手は空間魔法を自在に操る大魔女、そして恩人だ。

 こちらを全滅させることもできただろうに、逆に助けようとしてくれた。

 振舞われた朝食もおいしかった……


 もう士気を気にしている場合ではない。

 とうとう参謀に対する疑問が噴出し始めた。

 どうしてそんなにロミンガンへ行きたいのか、と。


 しかしその疑問には答えられない。

 ネイギアスに引き渡す約束だからなどと言えるわけがない。


 そんな苦しい事情など知らない兵の一人が非難の声を浴びせると、疲れて気が立っていた者たちが我も我もと後に続く。


 中央で非難の的と化した彼は、口をへの字に結んだまま耐えている。

 拳を固く握りしめながら……


 ——まずいな。


 様子を見守っていたシオドアは限界を感じ取り、背後にそっと近づいた。


 進退窮まったエラケスは撃ってきた。

 ならば参謀も……


 読みは的中した。

 固めていた拳から力が抜けた次の瞬間、素早くホルスターから短銃を抜き、正面のロイエスに向けた。


「大人しく指示に従っ——」


 従ってもらう、と最後まで言うことはできなかった。

 暴挙を読んでいたシオドアが後ろから飛び掛かり、右腕を取り押さえたのだ。


「放せ、貴様ぁっ!」


 振り払おうとするが、全身で巻き込むように右腕を掴まれているので、逃れることができない。


 シオドアは強引に銃口を上に向けさせ、何もない空に向かって引き金を引かせた。


 パァーンッ!


 提督に向けられていた悪意は、軽い破裂音と共に青空へ吸い込まれていった。

 だが参謀のホルスターには、同じ悪意がもう一丁差してある。

 右手は封じられているが、自由な左手でその一丁を抜き、右前すぐにある後頭部を狙う。


 提督は正面数歩の距離に立っている。

 狙えば当たる距離だ。

 それでもシオドアに狙いを定めたのは、真に計画を妨害した者への復讐心からだった。


 ——余計なことをする悪い頭は吹っ飛ばしてやる!


 参謀が憎しみを込めて引き金を引こうとしたときだった。


「させるな!」

「とっ捕まえろ!」


 発砲音で我に返った水兵たちが殺到し、揉みくちゃになってしまった。

 乱闘……

 いや、袋叩きという方が正しいか。

 しばらく続いたが、静まった後には縄で縛られ、ボコボコにされた参謀が転がっていた。


 皆、このまま海に放り込もうと叫ぶが、ロイエスはそんな彼らを制止した。

 皆が怒る気持ちはわかる。

 他でもない。

 彼が最も怒っているのだから。

 エラケスの一件からずっと……

 だからこそやることがあった。


「シオドア」

「はっ」


 横たわる参謀に提督が顎を向けただけで、命令の目的を理解した。

 片膝を付き、縄と衣服の上から身体検査をし始めた。


「や、やめろ……」


 腫れ上がった口で呻いているが気にせず調べていく。

 やがてお目当てを見つけたのか、縄と縄の間から衣服の中に手を入れ、何かを引き摺り出した。


「ありました。提督」

「うむ、ご苦労」


 それは二つの伝声筒だった。

 一つは帝国軍で使っているもの。

 もう一つは、見覚えがない。

 ロイエスとシオドアも初めて見るものだ。

 しかしそれがどこの物なのかは見当がつく。


 提督はその不明な伝声筒を掴んだ。


「やあ、ロミンガンの〈くそじじい共〉、聞こえるかね?」

「…………」


 返事はない。

 代わりに側で聞いていた水兵たちがどよめいた。


「ロミンガン⁉」


 また騒ぎ出しそうになったので、シオドアは手を翳して彼らを静まらせた。


「ずっと聞き耳を立てていたのだから、わしが誰で、いまどんな状況かわかるな?」


 そこまで言うと、声が一段低くなった。


「よくもわしの〈息子たち〉をそそのかしてくれたな」


 もはや静粛に、と静まらせる必要はない。

 ロイエスが本気で怒鳴ったら伝声筒が壊れるので、声量を抑えなければならない。

 そのせいで却って怒りが滲み出て、周囲の空気を凍りつかせていた。


「エラケスの仇は必ず討つ。その日まで長生きして待っていろよ」


 言い終えると足元に落し、力一杯踏み潰した。

 伝声筒はそれほど脆いものではないが、武器ほどの強度はない。

 足を退かした途端、潮風が攫っていった。

 細かく砕けた破片を。

 そして裏切りも……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る