第98話「始原の魔法」
二段雷撃の後、船妖はその牙で猛然と襲い掛かってはこなかった。
エルミラたちにとっては助かるが、決して見逃してくれたわけではない。
再び潜行していったのは、あくまでも魔法艦を仕留めるため。
獲物が魔法艦の場合、通常艦船とは仕留め方が違うのだ。
時折、魔法艦に護衛されたリーベルの船団が消息不明になることがあった。
護衛も含めて一隻も帰って来ないので、詳細は不明のまま。
魔法艦が海賊や大頭足如きに後れをとるはずはないので、役人たちは大嵐によるものだろうと片付けていた。
さすがの魔法艦も自然災害には敵わない。
確かに急な嵐で船団が全滅することもあっただろう。
だがすべてではない。
自然災害以外の理由、それが船妖だ。
すべて平らげるので目撃者が残らず、歴史に記されることはなかったが、魔法艦は船妖に負け続けてきた。
対魔法艦必勝の戦法があったからだ。
船妖がその戦法を編み出せたのは全くの偶然だった。
魔力砲に懲りた船妖は舷側を避け、艦尾から接近することにしたのだが、そこには魔法兵や水兵たちが……
舷側はダメ。
艦尾もダメ。
そこで苦し紛れに飛び掛かってみたのだが、これが大正解だった。
魔法艦は上からの攻撃に弱い。
後に竜騎士団が急降下攻撃で挑んだように、船妖も勢いよく跳躍し、甲板へ落下しながら噛みつきにいった。
以後、獲物が魔法艦だとわかると、この戦法をとってきた。
通常の艦船に対しては水・雷・牙という構成で挑むが、魔法艦の場合は水・雷・跳躍に変更する。
そして今日、水撃が効かない魔法艦もいると学習したので、新たな役を編み出した。
閃光と水中雷撃で獲物を弱らせ、あとは跳躍して上から噛み付けば、雷・雷・跳躍という役が完成する。
水中に潜った船妖は少し距離をとった。
あまり近すぎると獲物を飛び越えてしまう。
丁度、甲板中央へ落下できるように跳び上がるのだ。
魔法艦を何度も仕留めてきたので、その間合いを間違えることはない。
跳躍する力は十分溜まった。
勝利を確信したエレクタルガは溜めた力を開放した。
ザバアァァァッ!
水面を割って一気に空中へ飛び出すと、いろいろなものが目に映った。
海、太陽、獲物。
位置良し。
このままの軌道で落ちていけば、狙い定めた甲板中央に落下できそうだ。
さらに少し離れたところには大小二隻の船が見える。
小さい方は最初に追いかけていた船だ。
邪魔してきた
大きい方は初めて見るが、きっと肉が沢山詰まっているに違いない。
今日は肉をたらふく食える!
フジツボだらけの外殻の内側で、エレクタルガはご機嫌だった。
***
エルミラの視線の先、ファンタズマから少し後方の海が盛り上がり、潜行していた船妖が飛び出して来るのが見えた。
潜ったことも、距離をとったことも、なぜか疑問に思わなかった。
なんとなく、奴の考えていることがわかったから。
竜のように上から降ってきて、甲板を噛み砕くつもりなのだ。
そのためには垂直に近い斜め上に跳び上がらなければならず、適切な角度を得るために再度潜ったのだろう。
また、あまり近いと狙い通りの場所に落下できないから距離をとった。
時々、イスルード島西岸に難破船が漂着することがあったが、すべてが嵐のせいというわけではなかった。
きっとこいつらが中身を食べ終えた
女将の言う通り、妖魔は人の想像を超える存在だった。
制御どころか、倒すのも無理だ。
リーベル王国は彼女の言を退けるべきではなかった。
水から跳び出した船妖は放物線を描きながら上昇し、最高高度に達すると下降に転じた。
軌道から推測すると、二秒か三秒後には艦長以下、主だった者たちの上に落ちてくるようだ。
ファンタズマの旅はここまで。
彼女たちの生もここまで。
降りかかる死を見上げながら、エルミラはポツリと呟いた。
「何が、海の三賢者だ……」
いまも昔も実家の連中は変わらない。
自分たちにとって都合が良いかどうか。
それだけだ。
三賢者を祀っているのも、我々こそがその流れを汲む崇高な存在なのだと誇示するため。
都合が良いから三賢者を崇め奉っているだけで、信じてなどいない。
言葉ではロレッタ卿と敬っても、本心ではこれっぽっちも信じていなかった。
だから制止の言葉に耳を貸さなかったのだ。
そして海に妖魔が放され、多くの船が食われた。
今日は自分たちの番だ。
リーベルが生み出した化け物にリーベルの船が食われる。
まさに自業自得だ。
***
エルミラは直上の船妖を見上げていたので、背後の艦首方向を目視することはできない。
だが、不思議なことに見なくてもわかった。
宿屋号が近くまで来ている。
女将……いや、ロレッタ卿は正しかった。
海の魔法を悪用した私たちリーベル王国が間違っていた。
最後にそう詫びたかったが、もはや叶わない。
巨大な口がゆっくりではあるが、ジワジワと大きくなっている。
巻貝で詫びている時間はなさそうだ。
だが、こんなときにも関わらず、エルミラは気になった。
——こいつ、どうしてこんなに遅いのだろう?
あれほど速かった船妖が落下軌道に入った途端、急に遅くなった。
女将相手にこれほどモタモタしていたら空間転移で避けられてしまうところだ。
彼女は慌てることもなく、静かにそんなことを思った。
舵を破壊され、リルが負傷し、じいも目をやられた。
シオドアは水晶銃を上に向けたまま、凍りついたように動かない。
——おまえが凍ってどうする!
心の中で彼に突っ込んだが、上に向かって撃ったら氷山が船妖と一緒に落ちてくる。
撃たなくて正解だ。
逃げられない。
迎撃することもできない。
もう助からない。
にも関わらず、彼女の中に恐怖も焦りもなかった。
死の恐怖で気がふれた?
そんなことはない。
彼女は、壊れてなどいない。
おかしくなったというより、雑念がなくなったという方が正しい。
そのせいか、いまは様々なことが感じ取れる。
空間鏡や探知魔法を使わずとも、どこに何があるのかがわかる。
相手に尋ねずとも、考えていることがわかる。
エルミラを不思議な全知感が包んでいた。
***
船妖との戦いの後、ファンタズマ号乗員の一人はこう証言する。
「あれは、空間転移だった」と。
空間転移といえば女将だ。
そのとき、宿屋号は現場海域に到着していた。
船首付近にいた給仕は前方にセイルジット号、その後方にファンタズマを目視確認している。
常人には遠すぎるが、女将がその位置から空間魔法を発動したのだろう。
さすがは英雄ロレッタ卿だ。
しかし彼女は首を横に振る。
ロレッタ
いくら何でも遠すぎる、と。
では誰が?
シオドアとノルトは論外だ。
考えられるのは魔法兵たちだが、空間魔法は大魔法だ。
彼らにその心得はない。
ならば、リルか?
いや、少女が呼び出せるのは精霊だ。
空間魔法を操る精霊など聞いたことがないし、仮にいたとしても苦しんでいる最中の彼女には無理だ。
水精すら定位させておけない状態だったのだから。
あとは、エルミラしか残っていない。
…………
まさか!
酒場で話したら、皆がそう嗤うだろう。
良い姫様だということに誰も異論ないが、人柄と魔法の腕前は別だ。
姫様は魔法の未熟を剣術で補っているような御方だ。
魔法剣士隊という兵科がなく、純粋に魔力の強弱だけを比べる時代だったら、落ちこぼれと呼ばれていたことだろう。
そんな未熟者が空間魔法を?
だが、よく考えてもらいたい。
魔法とは、そもそも何か?
それが明らかになったとき、目撃した者も伝え聞いた者も全員が認めざるを得ない。
確かにエルミラは空間転移を発動したのだ、と。
***
子供から、「魔法ってなーに?」と尋ねられたらどう答えようか?
研究所の公式見解など、大人でも飽きてしまうから、簡潔に「便利なおまじないだよ」と答えておくのが良さそうだ。
無くし物を見つけたり、願ったことが実現したり……
子供は目を輝かせながらやり方を知りたがるが、幼子の頭に探知魔法の呪文を詰め込むのは無謀というものだ。
困った大人たちはこう誤魔化すだろう。
「見つかりますように、と強く願うことだ」と。
これはリーベル王国で昔からあるやり取りだ。
質問攻めに遭った大人が面倒臭かったからというのは否めないが、まったくの出鱈目というわけでもない。
リーベル人たちは言葉ではなく、感覚で知っているのだ。
魔法とは本来、「ここに火球が現れますように」と、ただ願うことなのだと。
もちろんこれだけで火球が出現したりはしない。
必ずそうなると信じる力——念が足りないからだ。
魔力の強さとは、要するにこの念の力がどれだけ強いかということだ。
燃え草も種火もないところに、火の塊が絶対に現れる——
頭は正常だと前提した上で、これを真剣に信じられる人間がいるだろうか?
本当の魔法を使える人間など、実はいないのだ。
だが、モンスターと比べて非力な人類が生き延びるには、絶対に必要な力だった。
そこでいつかの時代、誰かが世界に満ちる〈気〉の力を利用し、念の不足を補う方法を発見した。
世に様々ある術式や呪文がそれだ。
だから皆が魔法と思っているものは本当の魔法ではない。
人類はとっくに本来の魔法を諦め、魔法
魔法使いたちはこの魔法もどきに精通し、とても物知りだ。
反面、その知識が邪魔をして疑い深い。
呪文を一字一句間違えずに詠唱した——
術式を正しく行った——
そういった根拠がなければ、彼らは自分で作ろうと思った火球ですら信じられない。
ゆえに本来の魔法からすれば、彼らは魔法使いではないということになる。
本来の魔法に術式や呪文は不要。
むしろ邪魔だ。
必要なものは己が信じたことに一切の疑いを持たない純粋な魂のみ。
そんな術者の思いに応えて周囲の〈気〉が自然と集まり、実現に向けて協力する。
おそらく始原の魔法は、このようなものだったのではないだろうか?
彼女は純粋だ。
女将にしてみれば、もう少し利口に立ち回れば良いのにと片眉が下がるような人物だが、それで良いのだ。
柩計画を知ったら「胸糞悪いっ!」と激昂し、ハーヴェンに対しては「おまえたちは間違っている!」と啖呵を切る。
単純明快な魂だ。
万物の根源たる〈気〉だって、ややこしいことを並べたてる大魔法使いより、こういうわかりやすい奴と友達になりたいだろう。
始原の魔法などと大仰だが、実際は「ああ、こんなことが実際に起きたら嬉しいな」というエルミラの思いを〈気〉が察知し、「よし、任せとけ!」というやり取りをしているだけなのだ。
実現すれば彼女が喜び、その喜びが〈気〉も嬉しい。
たったそれだけのこと。
人と〈気〉の微笑ましい友情にすぎない。
だが、その境地に到達できた大魔法使いが何人いただろうか?
少なくとも史実や伝説の中には存在しない。
女将ですらその境地に達してはいない。
彼女も無動作で空間転移を行っているが、実は徹底的に簡略化した術式を心の中で思い浮かべている。
それがあまりにも短く、他者には思っただけで実現しているように見えるだけだ。
確かにエルミラは魔法が苦手だ。
このことは自他共に認めている。
だが正確には、魔法もどきが苦手だったのだ。
術式や呪文は、彼女にとって雑音だ。
これでは正しい手順かどうかが気になって、信じることに集中できない。
普段は苦手な魔法もどきと必死に取っ組み合っていたが、すべての生存の道が断たれたと理解したとき、気にしていたそれらすべてがどうでも良くなった。
術式の手順が正しいかどうかなど、どうでも良い。
長ったらしい詠唱など面倒臭い。
それらの雑音がすべて無価値になったとき、エルミラは始原の魔法に目覚めたのだ。
さっきのファンタズマ乗員には、彼女が空間転移を発動したように見えたのかもしれないが、それは違う。
発動したのは空間魔法ではなく、始原の魔法による空間転移だ。
別の乗員たちの証言がそれを裏付ける。
「食われる寸前、艦長の周囲に空気のようなものが集まっていた」と。
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