第99話「魔法使いvs船妖」

 羽ばたく鳥は、自分がなぜ空を飛べるのか、と疑問に思ったりはしない。

 いまのエルミラがその状態だった。

 なぜ思っただけで実現するのだろう、と疑問に思ったりはしない。


 探知魔法など必要ない。

 いちいちそちらを向いて目視する必要もない。

 位置を確認しようと思うより先に、〈何か〉が知らせてくれる。


〈何か〉……万物の根源たる〈気〉だ。

〈気〉は彼女に尋ねる。


(エルミラはどうしたい?)


 彼女は即答できなかった。

 もうお終いだと覚悟を決めていたので、何も考えていなかったのだ。


 ——どうしよう?


 考えていると再び〈気〉が知らせてくる。


(早くしないと、エレクタルガが降ってくるよ?)


 ——ああ、まだ考えが纏まらないのに……


 最高高度に達した船妖が落下を始めた。

 乗員たちが目撃した空気の集束はその直後だ。

 すべて一瞬の内に起きているのだが、当のエルミラと〈気〉はゆったりとしたものだ。


(じゃあ、考える時間を作ってあげるよ)


 途端に、船妖の降下速度が落ちた。

 始原の魔法による〈時の減速〉だ。


 思うだけで実現するのだから、時を停止させても良かったのだが、エルミラの消耗を考慮して減速に留めた。

 少しでも長く友達エルミラといたかったから。


 船妖の落下が緩やかになったのを見て彼女は首を傾げたが、すぐに〈気〉のおかげなのだと理解した。

 シオドアが上を狙ったまま固まってしまったのもこのせいだ。


 船妖はゆっくりではあるが、確実に落下中だ。

 ファンタズマ号は依然、絶体絶命の危機にある。

 足を潰された状態でこの危機をどう回避すべきか?


 …………


 ——そうだ!


 緩やかに刻む時が気付かせた。

 彼女は女将の弟子だ。

 師匠の空間魔法を何度も見てきた。


 一度でも見たことがあるものは想像しやすい。

 本当にそうなるところを想像し、信じ抜けば始原の魔法は発動する。

 だからあの女将のように空間転移で躱せば良いのだ。


〈気〉はその様子に気付いた。


(早いね。決まった?)


 ——ああ。


 それだけで良い。

 その先を語る必要はない。

 本人が言葉で伝えるより正確に理解する。


(面白い! やってみよう)


 悪戯小僧のような答えの後、ファンタズマは二隻分ほど右へ瞬間移動した。

 証言した乗員たちはこれを見たのだ。


 このとき転移したものがもう一つある。

 シオドアの手にあった水晶銃だ。


 戦いの後、彼は語った。

 直上の船妖を狙っていたら、一瞬の内に手から水晶銃が消え、エルミラの手に戻っていた、と


 彼女もいつの間に移動したのか、左舷で水面に狙いを定めていた。

 甲板中央でノルトやリルを介抱していたはずなのに……


 船妖が牙から跳躍へ変更したように、彼女も変更したのだ。

 当初は水中から突き上げてくる頭に氷山を落とす予定だったが、これを逆にした。

 空間転移でファンタズマを右へ退かし、落下地点へ氷山を作っておくのだ。


 水晶銃を上ではなく、下へ撃たなければならない。

 これを説明しても〈緩やかな時〉の只中にいる彼の耳には届かない。

 やむを得ず、驚かせて済まないと詫びながら、黙って返してもらったのだった。


 ファンタズマの回避は済んだ。

 船妖はそのまま落下するしかない。

 友達も配置に着いた。


 すべての用意が整ったと判断した〈気〉は〈時の減速〉を解除した。

 世界は時の刻みを正しく再開する。

 それが合図だったかのように、エルミラは引き金を引いた。


 キィィィンッッッ!


 外法によって生み出された人造幽霊船ファンタズマ号。

 その力は凄まじく、次代の無敵艦隊と目されていた帝国第四艦隊を単艦で滅ぼした。

 柩計画の魔法使いたちは成功したと喜ぶだろう。


 しかしそれは違う。

 計画は失敗だ。

 リルの消耗が激しすぎる。


 魔法使い共は甘いと嗤うだろう。

 魔力核は消耗品なのだから、磨り減ったら交換すれば済むことなのに、と。


 魔力核にした人間は人数に入れないという考え方なのだろうが、ゆえに奴らは間違ったのだ。

 人間は消耗品のように交換できないし、してはいけない。

 奴らの言う通りに戦ったら、一度の海戦でリルが力尽きる。

 やはり船は皆で動かすものだった。


 撃ちだした氷力弾は皆の力を結集したもの。

 そこには祈りが込められている。

 明日も生きていたい。

 生きていてほしい。

 この艦も、リルも。


 けれど、力が足りない。

 魔法兵たちは最後の力を振り絞ったが、落ちてくる船妖を串刺しにするのには少し足りなかった。


 神とやらは「美しい団結だったが……」と多少の情け心を抱きつつも、奇跡で救おうとはしないだろう。

 どんなに冷酷でもそれが現実というものだ。

 理を曲げてまで彼女たちを救わなければならない理由はない。


 だが〈気〉は違う。

 神ではないのだから、別に公平である必要はないのだ。

 大好きな友達を依怙贔屓するなど当然のこと。


〈気〉は万物の根源、世界そのもの。

 神は奇跡を起こさなかったが、世界は足りない氷を始原の魔法で補った。


 ビキッ! ビシビシッ!


 透き通るような氷の発砲音の後に続いた凍結音。

 帝都沖のときより遥かに大きく、込めた魔力以上の氷山が鋭くそそり立った。


「っ⁉」


 エレクタルガは訳がわからなかった。

 確かに獲物の足を潰したはずなのに横へ瞬間移動し、直前までいたところには巨大な氷山が!


 いまさら止まれない。

 避けられない。

 ならば雷撃で!

 いや、もう必要ないと思って蓄電していなかった……


 まさかそこに氷山が現れるとは思わなかった?

 知っていれば飛び掛からなかった?


 現実は厳しく公平なもの。

 飛び掛かると決めたのはエレクタルガ自身だ。

 救えば理が曲がる。

 ファンタズマを救わなかったように、神はエレクタルガのことも救わない。


 この点だけは〈気〉も同感だ。

 友達でないものを依怙贔屓しない。


 船妖を救おうとする者は誰もいなかった。

 哀れ、とんがった先端目掛けてそのまま真っ直ぐ落ちていく。


「ギ……」


 エレクタルガは「ギャアァァァッ!」と叫びたかったのだろうか?

 だが悲鳴は激突音でかき消された。


 ゴガガガガァッ!

 バキバキバキッ!


 氷山は真上に向かっていくつも尖っていた。

 その一つ一つが外殻の船体を砕き、露わになった妖魔の肉を串刺しにしていった。

 特に、最も高くそびえていた先端が残酷だ。

 全開の大口へ飛び込み、そのまま奥まで貫通した。


「グオォ……」


 氷は身体の後半部まで達している。

 逃れようと身をよじるがびくともしない。


 串刺しになった箇所から血が流れているが、これで氷を解かすことはできない。

 魔法によって作られた氷山は超低温だ。

 何物もすぐに凍結させてしまうので、解かすどころか、逆に氷の厚みが増していく。

 噛み砕こうと突き立てた牙が、逆に凍りついて抜けなくなってしまった。

 あとできることは、悲し気に呻き声を上げることくらいだった。



 ***



 巨大な倒立像は宿屋号からも見える。

 ほんの数秒前まで、そこにいた誰もが覚悟していた。

 ファンタズマが船妖に食われる、と。

 女将ですらもだ。

 それが食われるどころか、空間転移で避けながら返り討ちにした。


 ロイエス提督以下、帝国軍の客人たちは口をあんぐりと開いたまま。

 驚いたというより、思考が追い付かない。


 その中で動けたのは女将一人。

 少しでも近くで見たくて、船首欄干に駆け寄った。

 彼女も驚いていたが、客人たちとはその理由が違う。


 直前の回避は紛れもなく空間転移だったが、先述の通り彼女ではない。

 一体、誰が?


 ウェンドアから連れてきた魔法兵たちではないだろう。

 疲れた状態で、しかも海の上で発動できるような簡単な魔法ではない。


 リルちゃんでもない。

 苦し紛れに、再び人型二三号と交代したのだとしても無理だろう。

 複合精霊魔法はすごいが、あくまでも精霊魔法なのだ。

 空間魔法を操る精霊など聞いたことがない。


 仮にいたとしても、対竜兵器には必要ない精霊だ。

 溜炎等の竜息を躱したかったら水流噴射で事足りる。

 体力の消耗が激しい大精霊を呼び出す必要はない。


 あとは、エルミラしかいない。


 純粋で、正直で、良いと思ったことはすぐに実行する。

 逆にいえば、単純で、馬鹿正直で、一度決めたら誰の制止もきかずに突っ走る。

 型に拘らないというより、型を守れない人物。


 空間魔法をはじめとする大魔法は、そういった型の集大成のようなもの。

 彼女は大魔法から最も縁遠い。


 ——あの子ではないはず……


 女将にしては、なんとも歯切れが悪い。

〈はず〉など付けず、〈ではない〉と言い切ればよいものを。


 十中、あのお馬鹿さんではない。

 だが、どうしても残りのを無視できないのだ。


 単純、馬鹿正直、型破り……


 これらが女将に示していた。

 彼女の師匠、マジーアですらその境地に達することが叶わなかった究極の魔法。

 師曰く、始原の魔法。


 この魔法に術式や呪文等の型は不要。

 ゆえに誰でも簡単に行える魔法だ。

 しかし術式や呪文に拘っている我々では、果てしなく遠い……


「あれが、始原の魔法……」


 宿屋号の船首に一人立つ女将はポツリと呟いた。

 まさかあの子が、という思いは捨てきれないが、だからこそ師の正しさを証明していた。


 彼女は女将の空間魔法を見ている。

 一度見たものなら、簡単に想像できる。

 あとは万物の根源が彼女の想像通りに実現してくれる。

 いまここで、それができる純粋な魂はエルミラしかいない。


 認めざるを得なかった。

 あれは始原の魔法による空間転移だった、と。

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