第97話「手札」

 言葉は通じずとも、思いは伝わる。


 いまの状況がまさにそうだろう。

 聞いてみなくてもエルミラにはわかる。

 エレクタルガがこちらを見逃す気はないということを。


 だからこそ不可解だった。

 なぜ減速する?

 なぜ水中で蓄電する?

 球体の中の船妖は、彼女の迷いを嘲笑うかのようにびったりと後ろをついてくる。

 やはり疲れて速度が落ちたのではない。


 一体何をするつもりなのか?

 真意を確かめるように彼女は艦尾を振り返った。

 潜航している相手をそこから見えるはずもないのに……


 当然、そこには艦尾と海しかない。

 あとはじいが次の矢を番えて海を睨んでいるだけだ。

 ノルトも他の者と同様、水中を見通すことはできない。

 浮上してきたら、カヌートの矢をお見舞いしようと待ち構えているのだ。


 四つん這いのシオドアも艦尾の方に向き直った。

 敵は艦尾から突っ込んでくる。

 確かなことはわからないが、舷側砲を警戒してのことかもしれない。


 気を抜いている者は一人もいない。

 安心したエルミラは空間鏡に向き直った。


 船妖の位置は変わらず。

 しかし一本角に変化が起きていた。


「ん? 何だ?」


 角に蓄えられていた電気が、先端と中間に分かれていた。

 意味がわからない。

 二発に分けて撃つということなのか?

 それでは一発の威力が落ちると思うのだが……


 どういう意図でそうしたのかは不明だが、雷撃してくるつもりであることは間違いない。

 敵は舷側砲を嫌って後方へ移動した。

 そこから例の三連撃にもう一つ雷を追加した四連撃をやるつもりなのだ。

 彼女はそう判断した。


 女将からは気にせず逃げてこいと言われているが、やはりここで叩くべきだと考え直していた。


 いま宿屋号の甲板は救助した帝国兵でごった返しているだろう。

 普段とは違う状況だ。

 また彼女の空間魔法はすごいが、今回は西進する本艦と東進する宿屋号が、セイルジット号を挟みながら転移するという離れ業をやってもらわなければならない。

 騒々しく、集中には向かない甲板で……


 そしてエレクタルガは妖魔だ。

 かつて女将が妖魔艦運用に反対したのは、奴らについて不明なことが多かったからだ。

 時は流れて現代になったが、いまでもあまり研究は進んでいない。


 ここまでの戦いで水撃と雷撃、そして高い速力があることは確認した。

 だが、これですべてだと断言することはできない。

 奴を引き連れたまま合流して、まだ秘めている能力を発揮されたら大変なことになる。


「総員、後方からの攻撃に備えよ!」

「アイマム!」


 各所から了解が返ってくる。

 海中にも聞こえたのか、まるでそれが合図だったかのように、エレクタルガは速度を上げ始めた。


 いよいよ決着のときがくる。

 例えるなら、互いの手札を場に出し合った状態。

 いまから変更することは許されない。

 これからそれぞれの札を捲り合いながら、どちらの役が勝っているかを確認していくのだ。


 だが……


 この勝負、残念ながらファンタズマが敗れるだろう。

 敗因は、疲労だ。

 身体は気合いと根性で多少の疲労は誤魔化せるかもしれないが、頭脳は正直だ。

 疲れているときは状況などお構いなしに、物事を単純化していく。

 その方が脳にとって楽だから。


 いまの彼女がその状態だった。

 だから船妖の攻撃が三連撃から、水・雷・雷・牙の四連撃に変更になったのだと単純化してしまった。


 疲れを自覚してしまったら挫けてしまう。

 彼女なりに挫けまいと頑張ったのだが、却ってそれが災いしてしまった。


 無自覚な疲労は知らぬ間に思考を鈍らせる。

 それゆえ疑問にも思わかったのだ。

 学習能力が高い妖魔が、なぜ失敗し続けた攻撃方法を繰り返そうとしているのかを……



 ***



 エルミラとエレクタルガは一枚ずつ手札を捲っていく。

 どちらの役が上回っているのか?


 一枚目——


 先手、エルミラ。

 船体を穿つ水撃が来ると予測していたので、不規則なジグザグ航行で的を絞らせない。

 リルの水流噴射は雷撃回避に温存しておかなければならないので、最初に来る〈水〉は操船で躱すと決めていた。


 しかし後手、エレクタルガは水面の近くまで浮上してきただけ。

 予測していた水撃は来なかった。


 彼女は初手から読みが外れたことで僅かに狼狽したが、すぐに切り替えた。

 水撃の被害に遭わなかったのだから別に問題はないのだ。


 それより次だ。

 雷撃で獲物を行動不能にしてから噛み付く。

 これが奴の狩り方だ。

 ならば次は雷が来る。


「弓引けーっ!」


 ノルトの背にエルミラの指示が飛ぶ。

 理由は不明だが、船妖は角の先端と中間に雷を集めている。

 二回撃ってくるつもりだ。


 空間鏡の表示によれば、この二つの雷は均等ではない。

 先端の方は小さく、中間の方は大きい。


 そこでじいの出番だ。

 地下アジトで彼が教えてくれた。

 海賊時代、そうやってリーベル魔法兵の雷球を撃ち落としてきた、と。


 角の先端に灯る稲光から推測するに、雷球と同じくらいの大きさだ。

 初弾の小雷ならカヌートの矢で相殺できるかもしれない。


 リルの出番は次弾の大雷のとき。

 中間の稲光から、こちらが本命の雷撃だろう。

 矢で相殺するのはさすがに無理そうなので、水流噴射で躱す。


 これがエルミラの手札二枚目と三枚目だ。

 これらで二段雷撃を凌ぎ、突っ込んでくる奴の頭を氷撃で粉砕する。


 ——勝った!


 エルミラは勝利を確信した。



 ***



 人は敗れる前に、勝利の栄光が鮮明に見えるときがあるという。

 しかし気の毒だが、これは妄想や幻覚の類だ。


 現実は厳しい。

 弱者が強者に勝つことは絶対にない。

 稀に弱者の奇策が成功する場合はあるが、その僅かな瞬間に強弱が逆転したのだ。

 やはり弱者が強者に勝つことはないのだ。

 奇跡でも起きない限り……


 ファンタズマは人事を尽くした。

 だが神というものが奇跡を起こすのは、世界が滅びかねない一大事のときだけだ。

 ファンタズマが捕食されると、世界にとって困ることがあるだろうか?

 むしろ外法の艦はいなくなってくれた方が、世界のためには良い。

 ゆえに奇跡は起こらない。


 エレクタルガの二枚目と三枚目は確かに雷撃だ。

 しかし狙いが違う。

 この船妖が狙っていたのは……



 ***



 水撃は来なかった。

 船妖はいきなり二段雷撃で来るつもりらしい。

 エルミラは雷・雷・牙と、敵の考えを修正した。


 じいは弓を引き絞り、海面に全神経を集中させている。

 矢はカヌートによって付与が完了し、薄ぼんやりと魔力の光を放っていた。


 ファンタズマ・エレクタルガ、双方の用意は整った。


 互いに二枚目を捲り合う。

 先手はエレクタルガ。

 角を光らせながら浮上を開始。


 いつ来るかと空間鏡を睨んでいたエルミラは、その動きを見逃さない。

 すぐにじいの背へ指示を飛ばす。


「じい、撃ち方よーい!」

「アイマム!」


 ついに白波を引きながら角の先端が現れた。

 浮上はそこで止まり、中間から下は水中に留まったまま。

 船妖はその状態から雷撃を放った。

 迎え撃つノルトも同時に矢を放つ。


 疲れてはいてもさすがは岩縫いだ。

 勝負所と睨んで放った矢は正確に飛んでいく。


 一枚目のジグザグ航行は空振りだったが、二枚目は読みが的中したようだ。

 小雷は貫通矢で相殺される。


「…………」


 エレクタルガの頭部は外殻に覆われているので表情は見えない。

 そもそも妖魔に表情があるのか定かではないが、もしあったらきっとほくそ笑んだことだろう。

 よくぞ矢を撃ってくれた、と。


 狙いはファンタズマではない。

 ノルトだ。


 矢で撃たれるのは初めてではないが、外殻の隙間に飛び込んでくる貫通矢は痛すぎた。

 どうすれば防げるか?

 潰せるか?


 船妖は水中で考え、そして思い付いたのが二段雷撃だった。

 まずは……で弓兵の……を潰す。


 丁度いま、その小雷と貫通矢が正面衝突した。

 その途端、中間で爆ぜて強烈に光った。


 カッッッ!


「ぐあぁぁぁっ!」


 ノルトは両目を押さえながらその場に蹲った。


「じいっ⁉」


 心配するエルミラが思わず駆け寄ろうとしたが、気配を察したノルトは手を翳してそれを制止した。

 幸い、失明は避けられたが、視界の大部分が白く焼き付いたままだ。

 この戦闘中には治らない。


 船妖の手札二枚目は確かに雷撃だった。

 しかし狙いが違う。

 水中で考えていたのは、閃光で弓兵の目を潰すということだった。


 蓄えた雷を光に変え、外側を稲妻で包んで小さな雷球に見せかけた。

 正体は光球なので敵を感電死させる力はない。

 だが、衝撃を加えれば中の光が飛び散る。

 正面から凝視していたノルトの目を、この光が焼いたのだ。


 これでもう痛い矢は飛んでこない。

 焦るエルミラは三枚目を捲るどころではないが、敵は落ち着くのを待ってはくれない。


 彼女が捲らないなら、船妖は一方的に役を完成させるまで。

 弓兵の目を封じることに成功したので、次はファンタズマの〈足〉を封じる。

 何度噛み付こうとしても、横ズレや急前進で避けられてしまう。

 ゆえに舵を破壊して横ズレを封じるのだ。

 そうなれば残るは急前進のみ。

 方向さえ読めれば、多少速くても噛み付きにいける。


 本当は水流噴射によるものなのだが、今日初めて見たものをすぐに理解できるはずもない。

 過去の狩りを振り返り、舵捌きが巧みなのだという結論を導き出したのだった。


 目つぶしが終わった船妖は舵を潰すべく、再び潜航した。

 角をすべて水上に出さなかったのは、このためだった。

 水中の舵を破壊しようと思ったら、同じく水中から攻撃しなければならない。


 角の中間に蓄えられていた電気を、小雷が撃ち出されて空いた先端に集束していき、細く鋭く発射した。


 バチィッ!


 周囲は水だらけ。

 角先端より飛び出した瞬間から減殺されてしまう。

 しかし束ねた雷は易々とは海水に溶けず、一直線にファンタズマの舵へ。


 ゴォッ!

 ベキバキバキバキッ!


 舵に命中した衝撃が艦尾を突き上げ、その場にいた者たちが皆吹っ飛んだ。

 欄干に激突した者、甲板中央まで宙を舞った者。

 ノルトはエルミラの近くに落下した。

 ぐったりして動かない。


「じいっ! しっかりしろ!」


 エルミラが膝に抱き上げると、胸が上下動していた。

 息がある!


 盲目状態で不意の衝撃を受け、気絶しているようだった。

 あるいは甲板に叩きつけられたときに気絶したか。


 とりあえず命に別状はない、と安心した彼女は周囲を見渡した。

 被害状況を確認しなければならない。


 死者は出なかったようだが、重軽傷者多数だ。

 一番酷いのは、舵に最も近かった操舵手だ。

 突き上げられた衝撃で欄干に身体を打ちつけたらしい。

 苦しそうに呻いている。


 そして、舵がなくなっていた。

 舵輪も何も……

 水中の舵に命中した雷が、舵輪まで突き抜けたのだ。


 人間だけでなく、艦も被害甚大だ。


 …………


 そう、艦に甚大な被害が出ているのだ。


 …………


 ……!


 エルミラは慌てて振り返った。


「リルッ!」


 そこには想像した通りの光景が。

 人艦一体の少女は、艦に異常があればそれに因んだ不調に陥る。

 少女は甲板に倒れ伏せ、焼け爛れた足を抑えて苦しんでいた。


「だ、だいじょう、ぶ」


 抱き抱えるエルミラの腕の中で少女は気丈に微笑むが、痛みで血の気が引いた顔色がまったく大丈夫ではないと告げていた。

 さっきまで傍らにいた水精もいなくなっている。


 勝負はあった。

 転舵も横ズレもできなくなったファンタズマの負けだ。

 本物の賭けならここで下りることができるが、この勝負はそれが許されない。

 だが、エルミラたちはもう手札を捲るどころではない。


 ただ、この勝負には捲る順番などない。

 相手が捲らないなら、構わずどんどん捲って役を完成させてしまえば良いのだ。

 ゆえにエレクタルガはトドメの四枚目を捲る。

 閃光・大雷・牙という役を完成させるために。


 面舵も取舵も切れず、水流噴射も潰されたファンタズマに逃れる術はない。

 これから〈牙〉がやってくる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る