第96話「信頼vs学習」
手伝えというが、一体何をする気なのか?
シオドアはエルミラに誘われて甲板へ下りてきた。
相手はこの最新鋭魔法艦でも手古摺る化け物だ。
魔法の心得すらない帝国軍人にできることはあるのか?
とにかく彼女の背を追うしかない。
大人しく付いて行くと、空間鏡の前で立ち止った。
彼女は振り返り、
「シオドア」
「ああ、何をすればいい?」
「…………」
彼女は何かを言いかけたが、別のことに気付いたような表情を浮かべて黙ってしまった。
一体、どうしたのか?
ここで何をしたかったのか?
わからない以上、助言も提案もしようがない。
彼は待つしかなかった。
彼女が沈黙してしまった理由。
それは作戦の欠陥に気付いてしまったからだ。
潜ったということは、現れたときのように下から突き上げてくるつもりだ。
これを逆手にとり、ギリギリで躱し様、勢いが止まらないその頭に特大の氷塊をお見舞いする。
ここまでは間違っていない。
欠陥というのは次だ。
誰が水晶銃を撃つのか?
?
エルミラが撃てば良いではないか?
いや、そう単純な話ではないのだ。
飛び出してくる勢いを逆用するためには、躱すタイミングが重要だ。
早すぎれば軌道修正され、遅ければ突き上げを食らう。
彼女が射撃を担当するなら、別の者が空間鏡に張り付いて、リルに回避指示を出さなければならない。
その係としてシオドアを連れてきたのだが、ここに来て気が付いた。
回避成功には指示係と少女の呼吸が合っていなければならない。
だが阿吽の呼吸が出来上がるには時間がかかる。
さっき会ったばかりの二人には無理だ。
最適任者は……エルミラだ。
では、射撃を彼に任せるか?
いまはもう慣れたが、彼女も初めて水晶銃を撃ったときは通常の短銃との違いに驚いたものだ。
考えていたより遥かに反動が軽い。
これは試射で感じ取ってもらうしかないのだが、そんな余裕はない。
銃の姿をしているが、これは杖に近い呪物だ。
完成した魔法をすぐに発動させず、維持するためには集中を持続させなければならないが、この呪物は集中し続けなくても魔法を維持してくれる。
銃を撃つというより、手の中で完成した魔法を目標に向かって放つというのが近い。
彼に任せるということは、魔法の心得がない素人に初弾で当ててみせろということだ。
指示係、射撃係、どちらにしても不安がある。
正解が見つからない……
困り果てたエルミラは思わず馬鹿なことを考えてしまう。
こんなときに自分が二人いたらいいのに、と。
だが彼女はこの世界に一人しかいない。
馬鹿な考えは捨て、冷静に考えるしかなかった。
彼を信じてどちらかを任せるしかない。
これは大前提だ。
では、どちらを任せるか?
その答えを導き出すのに、多くの時間は要しない。
射撃係だ。
和議成立後、彼女は第三艦隊の二人からエラケス艦長のことを知った。
助けてくれた理由を聞いて合点がいった。
同時に、暗い気分にもなってしまったが、そのことは良い。
いま注目すべきは、彼が帝国の正騎士になっていたかもしれなかったという点だ。
遊牧が始まる前、古代ブレシア人は狩猟生活を営んでいたという。
息が続けばどこまでも逃げられる広大な大陸は、脚力で劣る人間には不利な狩場と言わざるを得なかった。
そこで彼らは馬に跨って獲物を追い、馬上から矢を射かけた。
これがブレシア騎兵の始まりだ。
今日の騎士団もこの流れを汲み、馬上射撃が得意だ。
エラケスという艦長も、妨げがなければその騎士になっていた人物だ。
ならば、揺れる馬上から狙った箇所に命中させるのは得意だったはずだ。
提督によれば、海軍内にはエラケスのような者が少なくないという。
では、シオドアも?
「いや、すまないが——」
彼女の期待を裏切るようで心苦しいが、だからこそ嘘は吐けない。
気まずそうに転向組ではないことを詫びた。
シオドアもエラケスと生い立ちが似ていた。
違うのは最初から海軍志望だったという点だ。
彼も帝国で育った男の子だったから、かっこいい騎士に憧れたときはあった。
しかしエラケス少年ほど意志が固くはなかったので、立場を考えて早々に諦めたのだ。
彼は騎士崩れではない。
話を聞いたエルミラは落胆したようだが、それはまだ早い。
話にはまだ続きがある。
確かにエラケスほど、馬上射撃の訓練は積んでいない。
しかし士官学校卒業後、彼は海兵隊に所属した。
帝国海軍における海兵隊の役割は上陸戦と敵艦への斬り込みだ。
斬り込む前には接舷作業があるが、敵は当然これを妨害してくる。
そこで作業を援護するため、彼らは銃撃で敵の妨害を阻止する。
常に揺れ動き、時には急な高波でうねる甲板の上で。
落胆していたエルミラの目が明るくなった。
これが天佑神助という奴か。
いまの状況に最も合った射撃係ではないか。
彼女は手短に考えた作戦を伝え、水晶銃を差し出した。
「撃ち終わるまで銃身には触れるな。手が凍るぞ」
「わかった」
水晶表面の霜と漂う冷気を見れば、大袈裟に言っているのではないとわかる。
グリップをつまんで渡す彼女を見倣い、シオドアも注意深く銃を受け取った。
——これが水晶銃か。
思っていたより軽い。
そして反動も軽く、またその感触も通常の銃とは別物だという。
詠唱が完成した魔法を放つような感覚で、と言うが……
アルンザイト号で魔法はすべてリーベル兵に一任してきた。
彼は後悔した。
こんなことになるなら、彼らから手解きくらいうけておくべきだったと。
だがそれは無理ではないだろうか?
人質として連行したエルミラ姫が海賊になるかもしれない。
その後、和解して船妖相手に共闘することになるから、いまのうちにリーベル兵から魔法の手解きを受けておこう。
こんなことを予測できる人間はいない。
ともかく、水晶銃の作者は魔法を銃のように撃ってもらおうと思ったから銃の形にしたのだろう。
ならばどんな反動にせよ、銃口がぶれないようにすることだけを心掛ければ良い。
心が決まったシオドアは両膝と左手を甲板につき、四つん這いのような体勢になった。
これからさっきのような横ズレが来る。
この艦では水流噴射と呼ぶらしい。
その横ズレで突き上げを躱し、直ちに撃たなければならない。
立っていては反応が遅れる。
四つん這いで衝撃に耐え、可及的速やかに舷側へ急行するのだ。
帝国の軍人さんが大真面目な顔で四つん這いになっている。
普段なら面白い光景だが、エルミラは笑わない。
彼女の作戦をよく理解し、たとえかっこ悪くても成功に向けて最善を尽くそうという姿なのだから。
射撃係の問題は片付いた。
あとは彼女がその時を見逃さずにリルへ指示を出すだけだ。
見れば、リルは水精を従えて俯いている。
落ち込んでいるように見えるが、そうではない。
海中から迫り来る船妖を目で追っているのだ。
艦長が指示すれば、すぐに水流噴射を行う用意ができている。
準備は整った。
あとはエルミラの合図ですべてが動き出す。
彼女も空間鏡の台座に両手で掴まり、足を肩幅ほど開いた。
噴射を指示した本人が吹っ飛ぶわけにはいかない。
そんな醜態を晒したら、後で何を言われるか……
足に力を入れ、しっかりと踏ん張った。
***
エルミラ、リル、シオドアを中心とする新たな迎撃作戦が始まった。
ただ、何も知らない者がその様子を見たら不思議がるだろう。
落ち込んだ少女が甲板中央で俯いているのに、艦長は球体と睨めっこ。
その横ではブレシア帝国の軍人が四つん這いになっている。
何をしているのか、と苦笑交じりで尋ねられるのは避けられないが、これで良いのだ。
これが対船妖の戦闘態勢なのだから。
勝負は一瞬で決まるだろう。
皆助かるか、あるいは皆食われるか……
食われたくなければ人目など気にせず、最善と思うことを全員が為すしかない。
その一瞬を見逃すまいと、エルミラは空間鏡に食い入る。
船妖はファンタズマのすぐ下を悠然と泳いでいるが、かなりの速さだ。
本艦は現在、追い風を斜めに受けて全速航行中だ。
敵は潜航状態にも関わらず、余裕で付いて来る。
どうやら水中でも速力は向こうが上らしい。
だがそのことはもう良い。
逃げられないと悟り、それゆえに撃退すると決めたのだから。
いまは突き上げ前の加速を見逃すまいと、全神経を集中していた。
ところが——
「……何っ⁉」
ここに来て、船妖に変化があった。
魚体が細い稲妻をいくつも纏い始め、それらがやがて一本角に集束されていった。
新たな行動だ。
——海中から電撃を?
しかしそれではこちらに当たる前に四方八方に散ってしまう。
もちろんこちらへも多少は届くが、あまりにも能率が悪い攻撃だ。
船妖の不可解な行動が続く。
意図がわからない彼女を更に混乱させるかのように、蓄電の次は減速を始めた。
少しずつ、真下から艦尾後方へと遅れていく。
彼女は首を傾げながら、一人呟いた。
「追い疲れた……というわけではないよな。」
その通りだ。
疲れてなどいない。
にも関わらず減速するというのは、明確な目的があるからだ。
忘れてはいけない。
妖魔は学習するのだ。
人間のように瑕疵があるとわかったのに、過ちを繰り返すような愚は犯さない。
失敗したら反省し、すぐ改善に取り組む。
奴らにはその恐ろしさがある。
エレクタルガは考えた。
さっき下から突き上げようとしたら、横にずれて躱されてしまった。
このやり方では獲物に角が当たらない。
何か工夫が必要だ。
また、電撃で痺れさせようとしたら、水も雷も防がれてしまった。
角を水上に出した方が電気を溜めやすいのだが、獲物に気付かれてしまう。
これも何か工夫が必要だ。
追いかけながら、ずっと考えていた。
そして導き出した答えがいまやっている水中蓄電と減速だ。
エルミラが自分で打ち消したことは正しい。
これは新たな攻撃の用意なのだ。
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