第95話「水晶銃」

 エルミラはずっと逃げ続けてきた。

 帝国軍から?

 違う。

 ファンタズマを悪用しようとする奴らから逃げ続けてきたのだ。


 この艦の価値を知る者は皆、悪用しようとする。

 ハーヴェン、ネイギアス連邦、そしていまや帝国も身をもってその真価を知った。

 誰にも渡してはならない。

 特にネイギアスには。


 さっきシオドアから抗魔弾の話を聞いた。

 恐ろしい砲弾だ。

 たとえ核室に命中しなかったとしても、甲板に当たれば詠唱陣の効力が消え、魔力砲にも悪影響を及ぼすだろう。

 魔法殺しは魔法艦殺しなのだ。


 彼女にもわかる。

 王国繁栄の陰で、連邦は歯軋りしながらこの特殊弾を作っていたに違いない。

 いつか雪辱を晴らしてやる、と。


 そんな奴らにファンタズマを渡すくらいなら、木端微塵にした方が良い。

 ただそれをエレクタルガに頼む気はない。

 物事には順番がある。

 リル本人をこの艦から降ろすのが先だ。


 その日まで待てないからどうしても今日食わせろというなら、代わりに氷を食らわせてやる。

 特大の奴を。


「じい、少しの間でいい。奴を食い止めてくれ!」


 エルミラはそう言いながら、霊弓カヌートを指差した。

 全員疲労困憊の中で、まともに魔法攻撃できるのはもうこの弓しか残っていなかった。


 見たところ、船妖の後半部は鱗で覆われ、角度によってはカヌートの矢でも弾かれる場合があるようだ。

 しかし前半部は巡洋艦の外殻で守られていたせいか、亀裂や隙間から見えた中身には鱗が生えていなかった。

 弓の名人でも難しいとは思うが、何とかそこに命中させて痛みを与え、時間を稼いでほしいのだ。


「亀裂へ……」


 ノルトは怒り迫る船妖を見た。

 確かに亀裂が開いたり、閉じたりしている。

 姫様は揺れる甲板から、荒れ動く船妖の一瞬開いたその亀裂へ命中させよとの仰せだ。


 岩縫いといえど、疲れはある。

 疲れは集中を妨げ、手元を狂わせる。

 事実、放った矢が外れ始めていた。

 平時でも簡単ではないのに、果たしていまの自分に可能だろうか……


 しかし、姫様の眉が八の字になっている。

 幼少の頃からそうだ。

 無理なお願い事をするときは決まってそういう顔をする。

 亡き陛下もそうだった。


 ——まったく、父娘おやこ揃って……


 ノルトはその顔に弱かった。

 こいつらはそのことを理解している。

 ゆえに、どうしても断られたくないときには必ずその顔をするのだ。


 ——卑怯な父娘め。


 特に陛下の卑怯さは娘以上だ。

 気絶している内に無断で家臣にするし、泣きべそをかきながら娘の教育係を引き受けさせた。


 教育係というのは口実で、本当のお願いは母子の命を守ること。

 母の病はどうしようもなかったが、娘はいまも健在だ。

 友のお願い事はいまでも続いている。

 エルミラを守らなければならない。


 ノルトは息を吸い込んだ。

 命を救ってくれた友の頼みは断れない。

 その友は処刑されてしまい、いまさら嫌だと断わることもできない。


 ——安心しろ、友よ。おまえの娘を化け物に食わせはしない!


 心は決まった。

 彼は吸い込んだ息で、


「アイアイマム!」


 姫様に了解を返すと、船妖の方へ向き直った。

 危険はすぐそこに迫っている。

 時が惜しい。


 矢を番えながら、亀裂を見据える。

 その目に、先程までの疲労の色はない。

 キリキリと、カヌートの弦を引き絞っていくにつれ、目の奥で冷酷な光が増していく。

 獲物の命を狙う冷酷な狩人の眼光だ。


 狩りとは冷酷なもの。

 無慈悲なもの。

 教育係というぬるま湯が心地良くて、つい居眠りしていたのだ。


 だがいま、彼の冷酷さは目を覚ました。

 そして思い知った。

 本当は獲物に飢えていたのだ、と。


 傭兵、海賊と戦い続けてきた彼にようやく訪れた平和だったが、どこか眠たい日々。

 母子を狙う暗殺者も、一つ目巨人も眠気覚ましにならなかった。


 船妖を見たとき、身体が震えた。

 自分では恐怖の震えだと思っていたが、そうではなかった。

 嬉しかったのだ。

 ようやく眠気が覚める大物に出会えた、と。


 宮廷の礼儀作法という薄皮を剥いたら、獲物を血の海に沈めて喜ぶ野蛮人だった。

 船妖を見ていると自然と笑みが止まらない。

 仕方がないではないか。

 嬉しいものは嬉しいのだ。


 ノルトは番えた貫通矢に飢えを込め、限界まで引き絞った弦から右指をそっと放した。



 ***



 船妖のことをじいに任せ、エルミラは甲板中央へ急いだ。

 時間を稼いでもらっている間に整えなければならない準備があった。

 艦尾を駆け下りながら、彼女は帝都沖での戦いを思い出していた。


 ガレーは衝角攻撃と斬り込み。

 船妖は一本角と噛みつき。

 どちらも相手に突撃して穴を開け、接舷や噛みつきで逃がさないようにする。

 戦法が似ている。

 ならば同じ手が通用するのではないか?


 あの夜、活躍したのがこの水晶銃だ。

 これなら舷側以外でも魔力砲のような攻撃ができる。


 あのときはリルに氷精フラウの力を込めてもらったが、今回は魔法兵たちに頑張ってもらう。

 まともに魔力砲へ装力できるのはせいぜいあと一回。

 その一回をこの銃に込めてもらう。


「魔法兵、集合!」


 中央の詠唱陣に辿り着いたエルミラは彼らを呼び寄せ、作戦を説明した。

 この場にいるのは皆、リーベル人だ。

 物心ついたとき、周囲に魔法があった。

 何を見てもリーベルならあり得ると疑問を抱かない。


 そんな環境で育った彼らなので、水晶銃にも驚かなかった。

 見たのは初めてかもしれないが、我が国ならあり得るとすんなり理解してくれた。

 同時に自分たちがその銃に何をすべきかということも。

 その銃へ氷の魔法を装填するのだ。


「疲れているところをすまないが、この攻撃で決めたい。よろしく頼む」


 彼女は魔法兵たちを見渡すと、水晶銃を下へ向けた状態で前へ翳した。

 皆から水晶の銃身がよく見える。


 詠唱は一人ずつ行われた。

 陣が大きくないので全員そこに立って一斉に、というのは無理だった。

 そうしていくしかない。


 一人終わると、次の者へ。

 順に氷力が装填されていく。

 銃身から漂う冷気が増していき、潮風の水気が当たって結露していく。

 露はすぐに凍結し、滴り落ちて彼女の手を濡らすことはない。


 やがて最後の一人が装填を完了し、魔法兵たちの仕事は終わった。

 全員、精魂尽き果て、その場にへたり込んでしまった。


「よく頑張った。そのまま休んでいてくれ」

「大丈夫です。それよりも、お急ぎ下さい」


 副長の弓はすごいが、いつまでも船妖を防げるものではない。

 最後の者は口もきけない状態だが、最初の者はやや立ち直っていたので、エルミラに急ぐよう伝えた。


「ああ、すまない。行ってくる!」


 彼女は労うために片膝をついていたが、彼らの意思を無駄にしてはならない。

 スッと立ち上がると、来た時と同じ駆け足で艦尾を目指した。

 右手に冷気迸る水晶銃を握りしめながら。


 銃を前に掲げて走っているので、ひんやりとした冷気が彼女の顔に当たる。

 リルのときは、ここまでの冷気ではなかった。

 いま水晶の内側には、あのときを遥かに上回る力が込められていた。


 一抹の不安がよぎる。

 魔法兵全員の魔力を一つに集めて撃ち出す。

 銃は耐えられるだろうか?


 しかしこれは無謀な試みというわけではない。

 前例があった。


 精霊艦の時代、ある戦いでリーベル艦隊が敵の港を制圧しようとした。

 ところが、堅固な城壁に遮られ、魔力砲の一斉射撃でも歯が立たないということがあった。


 いくら洋上で敵艦隊を撃滅できても、港を陥落させなければ作戦は失敗だ。

 そこで考案したのが集中装填だった。


 もちろんそんなことをしたら砲がもたない。

 無事に発射することはできたが、一発で砲身に亀裂が入り、使用不能になってしまった。

 だがそれと引き換えに、城壁の破壊に成功した。


 戦後、研究所によって魔力砲は改良を重ねていった。

 現在では、集中装填した攻撃一発ですぐに壊れるようなことはない。


 ファンタズマには彼らの名誉回復がかかっていた。

 その大事な艦にいい加減な物は置かないだろう。

 ならば艦長室に置いてあったこの水晶銃には、魔力砲と同じ技術が用いられているのではないか?

 試してみる価値はある。


 集中装填は問題なかった。

 あとは発射に耐えられるかだ。

 艦尾に上がれば、すぐ明らかになる。


 彼女が艦尾に至る階段に足をかけたときだった。

 船妖を見ていたシオドアが振り返って叫んだ。


「奴が潜ったぞ!」


 エルミラが装填に行っている間、ノルトはその妙技で何度も突進を食い止め続けていた。

 カヌートの矢は岩をも貫く。

 それが亀裂の隙間から覗く柔らかい本体に刺されば、いくら化け物でも怯む。


 もう痛いのは嫌だ。

 だがここまで追い詰めた相手を諦めたくない。

 エレクタルガはあることに気が付いた。


 真っ直ぐ突っ込むから痛いのではないか?


 そこで頭を不規則に振りながら接近するということを考えついた。

 これなら的確に命中させるのは難しい。


 だが相手は岩縫いノルト。

 暴れる一つ目巨人の黒目を射抜く弓の化け物だ。

 どんなに頭を振ろうと精密に亀裂を射抜き続けた。


 そこで船妖は痛みの中で考えた。

 どうすれば痛い矢から逃れられ、逆に憎いこいつを食ってやれるのかを。


 必死に考えた末、一つの答えを導き出した。

 基本に立ち返ればよかったのだ。

 水中から突き上げてやればよい。

 上から降ってくる氷も痛いが、うまくいけば避けられるかもしれないし、細くて見にくい矢に比べればマシだ。


 報告を聞いたエルミラの足が止まった。


 ——どうすればいい?


 船妖の鼻先に特大の氷塊をぶつけてやる予定だった。

 だが奴は戦法を変え、下から突き上げてくる。

 これでは水晶銃もじいの矢も届かない。


 瞬きほどの短い思案——

 思案というより勘という方が正しいかもしれないが、彼女は一つの方法を思いついた。

 ……これしかない


 考えが纏まったエルミラは顔を上げた。

 彼と目が合った。

 奇遇だ。

 丁度呼ぼうと思っていたところだ。


「シオドア、手伝ってくれ!」

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