第94話「御利益」

 船妖エレクタルガは普段、鮫や鯨、大頭足を食べて暮らしているが、一番の好物は船だ。

 外側は木や金属の殻で覆われているが、中には柔らかい肉が詰まっていておいしい。


 ただ、この獲物は鮫たちと違って、肉の量が一定ではない。

 動きの遅い船には肉が沢山詰まっていることが多いが、毎回そうだとは断言できない。

 殻を破って中を探ってみたが鉱石石ころばかりということだってある。


 抵抗する船を捻じ伏せ、いよいよ食事だと思ったら肉が殆どないハズレの船では嫌だ。


 そこで、確かめてから仕掛けることにした。

 浮上してわざと姿を見せてやるのだ。

 すると鳴き声が上がるので、その大きさから肉の量がわかる。

 動きが遅いのに鳴き声が小さい奴は石ころの可能性が高い。


 この方法は当初、とてもうまくいった。

 だが船も一方的に食われてはいない。

 姿を見せようと頭を出すと、その頭目掛けて攻撃してくるようになった。


 痛いのは嫌だ。


 だから水中で聞き耳を立てるようにした。

 落ち着いているときの船はあまり大きな声で鳴かないが、声の数で判断して、下から襲い掛かることにした。

 以来、痛い目に遭うことはなくなった。


 今日もそうだ。

 いろいろな声がする動きの遅い船を見つけたので、安全に下から近付いた。


 遠くから船がもう一匹接近してきているのには気付いていたが、速くて静かな奴は肉が少ないので気にも留めていなかった。

 狙いを遅くて声が多い方に定めた。


 ところがこの速い方が食事を妨害してきた。

 そのせいで獲物に逃げられた。


 許せない!

 速くて声が少ない船は肉が少なく、黒い粒々砲弾がおいしくないが、それでも構わない。

 バラバラにしてやる!


 食欲を上回る破壊衝動が、いまこの船妖を突き動かしていた。



 ***



 ファンタズマの苦戦が続く。

 特に艦長のエルミラが追い詰められていた。


 エレクタルガの攻撃は水・雷・牙の三連撃か、雷・牙の二連撃という構成だとわかった。

 ただ、わかったからといって、楽に躱せるわけではない。

 躱すたびに攻撃がより厳しくなっていくし、速力で劣っているので逃げられない。


 さっき女将に伝えた通り、もう時間稼ぎの必要はない。

 あとはセイルジットに追い付くだけで良いのだが、それが難しそうだった。


 船妖は攻撃が失敗すると、次は修正してくる。

 失敗から学ぶ——

 やられる側にとってこれほど恐ろしいものはない。

 まるで、こちらの打つ手を一つ一つ丁寧に潰されているかのようだ。


 逆に、学習能力が高いというなら、あまりしつこいと酷い目に遭わされると学んでもらえば良い。

 何で痛い目に遭ってもらおうか?

 雷妖というだけあって、電撃は無意味だ。


 では、火ならどうか?


「…………」


 ダメだ。

 火傷を負わせるには持続的に熱を伝え続ける必要がある。

 引火して燃え続けてもらわなければならない。

 ところが魚の身体はもちろん、外殻の船体も水をよく含んでいるから燃えない。


 同じ理由で氷もダメだ。

 先程の氷力弾の攻撃は有効だったが、低温が辛かったというより、硬い氷が激突して痛かったというだけだろう。


 そう考えると、硬くて重い物をぶつけるのが一番か?

 いまこの場で用意できるのは……


 リルに大岩を出してもらおうか?

 一瞬そう考えたが、エルミラ自身がすぐに却下した。

 攻撃を躱すためには水流噴射が必要だ。

 これに専念していてもらわなければ。


 ファンタズマの力を借りず、魔法兵が用意できるもの……

 いろいろ消していって最後に残ったのは氷塊だった。


 方針は決まった。

 あとはそのぶつけ方なのだが……


 最初のように誘導射撃で当てるか?

 横向きに撃ち出した後、軌道を曲げてエレクタルガの鼻先にぶつけてやるのだ。

 こちらに突っ込んでくる勢いも加わるから大激痛だろう。


「いや、ダメだ……」


 昨日からの戦闘続きで皆疲れている。

 砲手は何とかなっても、魔法兵が限界に近い。

 誘導など無理だ。


 おそらく魔力砲に装填できるのもあと一回。

 ならば確実に当てなければ。


 誘導ではなく、転舵して一斉射撃をお見舞いするか?

 奴は至近だ。

 撃てば当たる。


 だが、水飛沫を上げながら一向に遠ざからない一本角が、この案も現実的ではないと告げていた。


 いまファンタズマは全速航行中だ。

 そのまま転舵したらバランスが崩れ、そこへ船妖が突っ込んできたら確実に横転する。


 舷側砲を使える状況ではない。

 そのことは理解できたし、安易に一か八かの賭けに逃げたりしない。

 切迫した状況だからこそ、確実な方法を採らなければならないのだ。


 それが理解でき、辛抱できるエルミラは有能な指揮官だ。

 決して自分で思っているほど無能ではない。

 けれども、状況の的確な判断だけではこの状況を打開できない。

 何か、妙計を思いつかなければ……


 しかしいくら頭を捻っても、そんな策は影も形も見えてこない。

 万事休す。

 そんな自分が歯痒くて唇を噛んだ。


 ——何かないか? 何か……!


 すでに思いつく限りのことをやった。

 皆も精一杯やった。

 人事は十二分に尽くしたはずだ。

 これでも足りず、食われるのが天命だというなら、神というものは随分と酷い奴だ。


 あるいは、どんなに人事を尽くそうと外法は外法。

 世界も神もこれを許さず。

 外法の船は死すべし、ということなのか?


「世の理など知ったことか……! 私たちは生きたいんだ! もしこのまま食われたら——」


 彼女は空を睨みつけた。


 神殿によれば、神とやらは遥か高き天というところにいるそうだ。

 その天を睨みつけるなど、司祭共が知ったら神をも恐れぬ所業と仰天するだろう。

 だが化け物に食い殺されそうになっているいま、そんなことなど知ったことか。


 少女の頃は無知だったが、大人になって分別がつくようになると、神殿の話はでっち上げだと知った。

 奴らは美辞麗句を並べて宮廷から金を集り、天罰で脅して民衆から生きる糧を巻き上げる。

 ウェンドア旧市街で奴らの苦情を聞かない日はなかった。


 神は天から見下ろし、すべての悪を罰するというなら、なぜこんな生臭坊主共を罰しない?

 天などと、遠いところにいるから地上の悪事が見えないのだ。

 あるいは生臭坊主共が崇める神は生臭神か?


 ゆえに、居もしない神の天罰など恐れる必要はない。

 居たとしても生臭神だ。

 そんな奴が一丁前に天罰などと片腹痛い。


 奇跡の一つも起こせなくて何が神か。

 いまこそ必要なのに!


 憤りを込めて、エルミラは天に向かって叫んだ。


「もしこのまま食われたら、幽霊船になって化けて出てやるぞ!」


 世に様々な魔法があり、それぞれに第一の使い手と呼ばれる術士たちがいるが、神をはっきり知覚できたという者はいない。

 知覚できないものは無いのも同然だという者もいるが、それは暴論というものだ。


 ウェンドア沖で帝国第三艦隊は遮光中のファンタズマを知覚できなかったが、それを無いのも同然とは言わない。

 知覚できないからといって、存在しないと断言することはできないのだ。


 だからもし神が本当に存在していて、彼女の暴言を聞いていたら、ムッとしながらこう言い返すだろう。

「エルミラよ、おまえは二つ間違っている」と。


 一つ目は、生臭神ではないということ。

 悪を見逃しはしない。

 ただ、いつ罰するかが人間の考えとは違うというだけだ。

 民を苦しめる生臭坊主共にはいつか天罰を下す。

 生前に下らなかったとしても免れたのではない。

 地獄に落してから罰するということだ。


 二つ目は——

 人事を尽くしたと彼女は豪語しているが、まだだ。

 まだやり残していることがある。

 人事を尽くしていない以上、奇跡を起こしてやるわけにはいかない。


 ただ、正直者は嫌いではない。

 言葉遣いは乱暴だが、その意思は間違っていない。

 彼女は正しい。


 奇跡を起こしてやるわけにはいかないが、日頃の正直と今日までの頑張りに免じて指摘してやろう。

 彼女がやり残している人事を。


「このうっかり者め」


 神は苦笑いしながら、エルミラの斜め後ろに立つシオドアを動かした。

 とはいっても、ある事を思い出すように仕向けただけで、奇跡と呼ぶには程遠い。



 ***



 シオドアはファンタズマに乗船してから気になっていることがあった。

 エルミラの武器についてだ。


 彼女のベルトには剣と銃のホルスターがついている。

 剣は知っている。

 伝説の魔法剣マジーアだ。

 知ったときは驚いたが、いま気になっているのは銃の方だ。


 彼女は二丁短銃の使い手らしい。

 腰の左右に一丁ずつ差している。


 一つは普通の短銃のようだが、もう一つが気になった。

 水晶の銃?


 ずっと気にはなっていたのだが、尋ねられずにいた。

 さっき宿屋号で皇帝陛下を侮辱したことを非難しておきながら、女性の腰をジロジロ見ていたことになる。


 こんな跳ねっ返りの暴力女に何もやましい気持ちはないのだが、「ほら見ろ、エロ皇帝の家来はエロ軍人」と言われるのが目に見えていた。


 とはいえ、いつまでも気になっていたわけではない。

 セイルジットとの交信で焦っていたし、すぐ後には船妖との戦いが始まってしまったので忘れていた。


 彼女は上を仰いで叫んだ後、項垂れてしまった。

 何もできないが、せめて励まそうと一歩足を踏み出したとき、腰の銃が目に止まった。

 そのときになって疑問を思い出したのだ。


 こんなときにどうかと躊躇う気持ちはあったが、なんとなくいま尋ねてみようと思った。

 根拠は特にない。

 いま尋ねた方が良い、という不思議な気持ちが背を押したからだ。


「なあ、エルミラ。こんなときに何だが……」


 声を掛けられた彼女は艦尾の欄干に両手をついたまま、顔半分だけ振り向いた。

 表情には疲れと諦めが入り混じっている。


「どうしても気になっていることがある」

「……何だ?」


 シオドアは彼女の腰を指差した。


「変わった銃だな。それもリーベルの呪物銃なのか?」

「呪物銃?」


 そんなものあっただろうかと、指差されているあたりを探ると銃のホルスターに当たった。

 一気に引き抜き、顔の前に持ってきたとき、彼女は思わず呻いた。


「あ……」


 水晶銃だ。

 虚ろだった彼女の目に光が戻ってきた。


 ——うっかりしていた。


 あまりにも目まぐるしくて、つい忘れていた。

 考えを改めなければならない。

 天に向かって恨み言を言っている場合ではなかった。

 尽くさなければならない人事がまだ残っていたのだから。

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