第93話「大頭足の類」
世界初の魔法艦ペンタグラム号以来、リーベル海軍は小型艦艇を用いてきた。
理由は単純だ。
それで十分だったから。
高威力・長射程といえば戦艦の出番だったが、この小型艦はそれ以上の攻撃を一方的に加えることができるのだ。
また、小さいということは敵にとって狙う的が小さくなるという利点もあった。
魔法艦の登場により、莫大な資金と時間を要する大型軍艦が消滅していくのは自然なことだった。
小型艦は本来の機動力に加え、魔法という要素を加えたことで戦艦を易々と粉砕する戦闘力を手に入れた。
中型艦が上回っているものは積載量と耐波性能くらいか。
しかし小型艦がこれらの点で下回っていたとして、何の問題があるだろうか?
耐波性能が問われるような大時化の日は、戦艦でも海戦を避ける。
積載量の少なさについても、補給艦がいるのだから問題ない。
別に、単独無補給で世界一周を成し遂げろと言っているわけではないのだから。
そう考えると、中型艦艇も不要ということになりそうだ。
実際、邪魔なものとして扱われるようになっていった。
ウェンドア港は大きいが、それでも停泊できる艦の数には限りがあるのだ。
無駄にでかいだけの役立たずに、いつまでも良い場所を占有されると迷惑だ。
そこで、第一艦隊旗艦だった戦艦を地位も含めて退かし、その場所を
これは他の戦艦も同様だ。
港の中央から外れへ。
外れから造船所や離れた浜辺へ。
解体だ。
かつてリーベル王国は、森や風と協調しながら慎ましく暮らす自給自足の島国だった。
狙われるような資源もなく、ゆえに他国と揉めることもない。
そもそも戦艦など不要だったのだ。
それでも保有し続けたのは他国に見せるため。
たとえ弱小国とはいえ、一つの国として見下されまいとする虚勢だ。
だが海の魔法、そして魔法艦という新たな力を得たリーベルは弱小ではなくなった。
もはや虚仮威しの戦艦は不要。
不要なものから順に捨てていくのだ。
戦艦が終われば次は巡洋艦の番だ。
中型艦を妖魔艦に改装するという案が出なかったら、同じ末路を辿ったことだろう。
妙な話ではあるが、妖魔のおかげで巡洋艦たちは命拾いしたのだ。
もう少しで
その恨みを晴らさんとばかりに、船妖エレクタルガの顎がファンタズマに迫る。
砲手たちは一瞬のこととはいえ、雷鳴で身が竦んで遅れた。
まだ次弾は装填されていない。
障壁は……
おそらく雷鳴で魔法の集中が途切れたはずだ。
だが魔力砲の装填と違い、こちらはすぐに再展開可能ではある。ただ、魔法兵の障壁は本来、飛んでくるものを弾くためのものだ。
相手が砕けるまで力を加え続けてくる大顎は防げそうにない。
リルの土壁は?
確かにすごかったが、それでも無理だろう。
あの大きな牙を見ればわかる。
湿っていようが、渇いていようが、土など簡単に噛み砕けると。
——あと、できることと言ったら……
エルミラは艦尾を振り返った。
あと一つ、指示しておかなければならない用意があった。
できなかったことが悔まれる。
艦尾からの水流噴射だ。
いまその用意が整っていれば、迫る噛み付きから逃れることができたのに……
雷鳴で反応が遅れたのは確かだ。
だが、それだけではない。
敵を知らなかった。
知らないから三連撃を予測できなかった。
知らなかったのは王国が妖魔のことを子孫たちに秘匿してきたせいか?
違う。
セイルジット号と交差する前からずっと、彼女を含めたリーベル人たちの中で一つの油断があったのだ。
即ち、
「どうせ、大頭足の親玉みたいなものだろう?」
これから初めて遭遇する敵だから、警戒心がなかったわけではない。
それでも心のどこかで、大頭足の〈類〉なら我らの敵ではないと侮る気持ちがあったのだ。
現代の海で最も恐れられているのは大頭足だ。
海の三賢者たちの初陣以来、リーベル海軍はその脅威から世界の海を守ってきたという自負がある。
陸勤めのエルミラにもその自負があった。
自身はその組織に所属していたというだけで、直に戦ったことも、見たこともないのに……
それが〈類〉という捉え方に表れていた。
自然は公平だ。
油断していたのだと申し出ても、仕切り直しなど認めない。
弱点を突いてきて卑怯だと抗議しても無駄だ。
勝った奴が強い。
それだけだ。
もう他に対抗手段がないのなら、あとは食われるのみ。
船妖はその上顎をファンタズマの甲板目掛けて一気に振り下ろした。
「わあああああっ!」
甲板上の者たちは皆、落ちてくる牙に向かって叫ぶだけで誰も避けようとしない。
死の恐怖で硬直しているというのもあるが、それ以上に悟らざるを得ないからだ。
悟り……諦めと言い換えることもできる。
左舷至近にそびえ立つ上顎はこちらの船幅より長い。
ここからでは目視できないが、下顎も同じくらい巨大だろう。
そんな絶望から、どこへ逃げろというのか?
もう生きられないと諦めるより他ない。
これ以上は無駄な足掻きと悟るしかないではないか……
では、常人ではない者は?
これが世の常だと言われても大人しく従わない人外が二人いた。
皆が死を受け入れても、この二人は従わない。
船妖に敢然と抵抗する。
絶対に嫌だ、と。
一人目は要塞スキュート。
彼は前に進み出て、大きな船妖の口に向かって右掌を翳した。
その途端、
「グォアアアァァァッ⁉︎」
牙の落下が止まった。
口の中で何かが閊えて、それ以上閉じることができないらしい。
妖魔の言葉は誰にもわからない。
だが言いたいことはわかる。
「どうして⁉︎」といったところだろう。
障壁は通常、攻撃が一方向から飛んでくる場合は板状に、多方向からの場合は球状に展開する。
そういうものだと思い込んでいる魔法使いは多く、リーベル王国でも師が弟子にそう教えているくらいだ。
だが違う。
板を球にできるなら、それ以外の形も可能なのだ。
スキュートがやったのはそういうことだった。
彼は今回、船妖の口の奥に棒状の障壁を展開した。
それが閊えて閉じられないのだ。
小癪な抵抗に腹を立て、船妖は顎に一層力を入れるがビクともしない。
障壁の展開位置が絶妙な場所だったというのもあるが、要塞は砕けないから要塞というのだ。
これを噛み砕きたかったら、雲より高い岩山を下から頂きまで一噛みで齧り取れるくらいでないと。
彼の後ろではシオドアがへたり込んでいた。
不覚にも皆と一緒に悲鳴を上げて死を覚悟してしまった。
牙は落ちてこない。
おかげで冷静さを取り戻せたが、落ち着いてくると段々、悔しさが込み上げてきた。
皆と一緒に諦めてしまっていた。
盾だけは、助かる方法をしぶとく探し続けなければならないのに……
へたり込む彼の前で、盾の名人はさっき語っていたことを有言実行している。
——盾は最後まで割れてはならない——
いま名人は船妖を食い止めるのに忙しいので、シオドアを振り返りはしない。
だがその背が語っていた。
盾はしぶとさが肝心だ。
さっきそう教えたではないか、と。
***
生ける要塞は棒状障壁で牙を防いだ。
だがこれでは不十分だ。
急場を凌いでいるに過ぎない。
危機を脱するにはあと一つ必要だ。
そこでもう一人の人外、リルの出番になる。
「皆、何かに掴まって!」
少女が叫び終えると同時に、乗員たちは全員、後から思いっきり突き飛ばされた。
正確には突き飛ばされるような衝撃に襲われた。
少女が用意していた水と土。
エルミラは複合精霊魔法の用意だと解釈していたが、今回はそうではなかった。
土は雷を防ぐため。
残る水は、水流噴射だ。
艦尾から噴射し、ファンタズマを強引に顎の軌道上からずらした。
それを欄干に掴まりながら確認したスキュートは棒状障壁を解除した。
口の奥にある見えない何かを粉砕しようと、船妖はずっと顎に力を加え続けていた。
その閊えが急になくなったからたまらない。
何か噛むものがあれば助かったのだが、そこには海水しかなく、上顎と下顎が激突した。
バシャアァァァンッ!
バキッ! ベキキィッ!
噛み砕かれた海水の爆発と、上顎と下顎が互いに砕き合った牙が飛び散った。
「ゲャアアアァァァッ!」
自分の牙は相当痛かったようだ。
ファンタズマ後方でのたうち回っている。
その間に乗員たちは態勢を立て直した。
「針路このまま、全速離脱!」
セイルジットのために時間を稼ぎたかったが、これ以上はファンタズマが危ない。
一計思いついたエルミラは巻貝を手に取る。
女将の協力が必要だ。
「エルミラだ。女将、聞こえるか?」
「ええ、聞こえるわ」
返事はすぐにあった。
いつでも転移できるように備えてくれていたのだ。
だが、そのことについて変更してもらいたいことがある。
おそらくまだ宿屋号からセイルジット号の艦影は見えないはずだ。
そこで……
「わかったわ」
女将は端的に了解を返した。
相手はコタブレナ一三妖の一体だ。
焦るエルミラの説明は手短で、断片的なので要領を得ない部分もあったが、却ってその焦りが緊迫した状況を雄弁に伝えていた。
通信が終わった女将は広い甲板を見渡した。
エルミラと話している間に、ノイエッド号の移乗は完了したようだ。
甲板には同じ軍服姿が溢れていた。
その中からロイエスを探す。
目印は白髪髭だ。
やがて——
「提督、もう出発してもいいかしら?」
人混みの中で部下を労わっているロイエスを見つけて、声を掛けた。
さすが女将というべきか、場というものを弁えている。
大勢の部下たちの前で、坊や呼ばわりは控えた。
「ああ、おかげで救助は完了したが、どこへ?」
ロイエスは東を見るが、まだその海にセイルジットは見えない。
ここで二艦を待つのではなかったのか?
「予定変更よ」
女将は短く告げると、宿屋号の水夫たちへ抜錨を指示した。
エルミラの話はこうだ。
時間を稼ごうとしたが、船妖は想像以上だった。
よってこれ以上の時間稼ぎは諦め、宿屋号との合流を急ぐ。
ただ、このままでは船妖を引き連れたまま、乗員過多のセイルジットに追い付いてしまう。
そこで予定を変更し、宿屋号とファンタズマが中間のセイルジットに合流しようということだった。
***
錨をすべて巻き上げた宿屋号は東へ面舵回頭し始めた。
ノイエッド号とはここでお別れだ。
提督たちはノイエッドから精霊艦の扱いを学び、大頭足との戦闘を経験した。
そしておそらくは世界初となるリーベル製魔法艦艇同士の海戦も経験できた。
乗艦してからまだ日は浅かったが、内容の濃い付き合いだったと思う。
置いていくのは残念だが、ウェンドアまで引っ張れる艦はなく、宿屋号に曳航してもらうわけにもいかない。
いま優先すべきは人命だ。
だからここでお別れなのだ。
帝国兵たちは右舷に整列した。
「敬礼っ!」
ロイエスの号令で一斉に敬礼した。
女将も提督の一歩後ろに並んだ。
もっとも、帝国軍人ではないから敬礼はしないが。
終わったとき、彼女は提督に一言詫びた。
「ごめんなさい」
曳航できないことについてなのか、核室を魔法でくり抜いたことについてなのかは不明だが、もし壊したことなら謝ってもらう必要はない。
元々、ノイエッドをファンタズマにくっつけて転移消滅に巻き込むつもりだった。
提督が壊すか、女将が壊すか。
どちらにしても壊れる運命だったのだ。
それに——
「もう他国に見られて困るような物は残っていないしな」
だから気にするな。
ロイエスは悪戯っぽい表情で女将を宥めた。
この艦はこれから漂流を始め、やがてどこかへ流れ着くだろう。
艦名から旧リーベルの精霊艦だとわかり、その国は徹底的に調べる。
精霊艦の最重要箇所、核室を。
だがお目当ての核室は、女将がくり抜いて消滅してしまった。
また魔力砲も手に入らない。
ファンタズマ追撃の際、提督がすべて捨ててしまった。
ワクワクしながら宝探しをしてみたら、肝心なものが何一つないとわかったときの徒労感……
それを思い浮かべると、彼の顔は自然と悪戯小僧のようになってしまうのだった。
——そういえば、坊やは執着しない子だったわね……
ロイエスにとって艦は消耗品だ。
無駄に永らえて腐らせるくらいなら、たとえ短命でも艦として使命を全うできた方が良いという人物だった。
落ち込んでいないなら何より。
安心した女将は艦首に立った。
「三隻同時なんて、年寄りには堪えるわね」
回答を終えた宿屋号は逆風の中、東を目指す。
針路〇五〇。
その先にまだセイルジットの姿はないが、女将は空間転移の準備を始めた。
転移させるのは一二〇門級戦列艦二隻分と精霊艦二隻。
これほどの大質量を一度に転移させるのは久しぶりだった。
しんどい仕事になりそうだ。
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