第92話「現代の幽霊船vs古の幽霊船」
昔の軍艦は通常の砲撃が主戦法だったので、大量の砲と重装甲といういかつい姿をしていた。
その武骨さがたまらないのだという愛好家たちも多い。
そんな彼らに対して申し訳ないが、かっこ良さと速度は別だ。
重いということは遅いのだ。
軍艦が遅くて良いことは一つもない。
初期魔法艦の時代にはその武骨さが多少残っていたが、精霊艦の時代に入る頃には現在のような軽量快足になっていた。
ファンタズマもその方針に沿って建造された艦だ。
その高速艦より船妖の方が速い。
ジワジワと詰められている。
このままでは追い付かれてしまう。
ただ、さっきの攻撃を見る限り、突撃中は急旋回できないらしい。
だから仕掛けてきたときに合わせて急速転舵で躱し、南西へ針路を変更する。
もっとも、それもまた追い付かれてしまうので、そうしたら再び北西へ。
そのうち諦めてくれると良いのだが……
剣幕を見るにそれは難しそうだ。
さっき落とした氷の
誰だって食事を妨害された上、いきなりゲンコツを食らわされたら怒る。
出来れば撒いてから宿屋号に合流したかったのだが、無理そうだ。
女将にもその準備を整えておいてもらおうと、エルミラが巻貝に手を伸ばしたときだった。
「エルミラ」
リルだ。
戦闘中に彼女から声を掛けてくるとは珍しい。
「どうした? リル」
少女の視線を辿ると艦尾後方、船妖に釘付けになっているようだ。
要件はそのことについてだった。
「いますぐ取舵を切って」
「なぜ? まだ——」
舵を切るときではないと言いかけたが、少女は最後まで聞かず、さらに被せた。
「それと左舷をあの船妖に向けたらすぐに発射して。誘導じゃなくて、いつもの撃ち方で」
見上げる眼差しに有無を言わせぬ迫力があった。
——この真剣な眼差し、どこかで……
あれは確か、帝都を脱出した日だ。
脱走が発覚して門がすべて閉じられてしまい、ファンタズマでの脱出を提案されたときだ。
小型とはいえ、歴とした軍艦。
そんなものを
そう一蹴しようとしたが、信じてくれと言って引かなかった。
そして確かに少女自らが一人で操船してみせた。
あのときは言葉を信じたというより、やむを得なかったのだが、いまは違う。
荒唐無稽と思われる発言にも確たる根拠がある。
きっと、今回も。
エルミラはリルを信じた。
まずは操舵手へ、
「取舵一杯! 方位二二〇!」
「アイアイマム!」
舵輪が左に回り出し、甲板が左へ傾く。
艦の向きが変われば、風を受ける角度も変わる。
だが、ファンタズマの操帆手たちは手早く帆の向きを新たな風向きに合わせた。
おかげで帆の萎みは一瞬で済み、すぐに風を蓄えて失速を防いだ。
続いて砲手たちへ、
「誘導中止、通常の砲撃でいく! 目標、エレクタルガ!」
「アイマム!」
すぐに狙い直し、準備完了の報告が返ってきた。
ファンタズマも南西への回頭を完了した。
いまは突っこんでくる相手に横腹を晒している。
リルは左舷を向けたらすぐに撃てと言っていた。
いまがそのときだ。
「撃てぇぇぇっ!」
彼女の号令に各砲手たちの復唱が木霊していく。
復唱が終わるのと同時に、一番砲から順に氷が飛び出す。
キィン! キィーンッ!
二番砲の発射が完了したときだった。
船妖が浮上した。
とはいってもほんの少し、頭を上げた位だが。
水没していた大きな口が水上に現れた。
「何だ? 何をする気だ?」
隣のシオドアがエルミラの思っていることを代弁した。
誰もその問いに答えられない。
何らかの攻撃であることは間違いと思うのだが……
唯一知っていそうなのはリルなのだが、さっきから左右に水精と土精を従えて、左の海に集中している。
水と土——
複合精霊魔法の用意だと思うが、エルミラはまだ
何をするつもりなのか?
その間に五番砲まで発射を完了した。
各砲手たちはよく目立つ一本角の根本に狙いを定めていた。
普段の長距離なら躱されるかもしれないが、今回は引き付けてからの砲撃だ。
誘導射撃ではないが、必ず当たると確信していた。
ところが……
ビシュッ!
船妖が閉じた口の僅かな隙間から圧縮した海水を撃ってきた。
まるで水力弾のように。
しかしこちらも一点へ集束するように五つの氷山を撃ち出していた。
重なり合う射線上、
ゴガァッ! ビシャァッ!
水と氷が互いを砕き合い、海に落ちて無数の細かい水柱を立ち上げた。
危ないところだった。
舷側砲で相殺して正解だった。
あれは水を噴射するなどというかわいらしいものではない。
水の砲撃、水撃だ。
艦尾に受けたら障壁も装甲板も突破されて、リルが大怪我をするところだった。
辛くも水撃を防ぐことには成功した。
しかし、凌いだと安心するのは早い。
この船妖が人語を話せたらこう言うだろう。
「姫様もイスルード育ちなのに、もうお忘れになられましたか?」
何を?
エレクタルガのもう一つの呼び名が〈雷妖〉だったということを。
蓄電完了。
一本角の根元から先端に向かって青白い稲妻が集束していく。
「まさか、撃ってくる気か⁉」
エルミラが呆然としながら呻いた。
攻撃はもう終わったと思っていたので、完全に意表を突かれた。
もし相手が帝国魔法艦隊なら、彼女は抜かりなく備えた。
魔力砲は様々な魔法や実弾を織り交ぜて撃つものだ。
攻撃は一回で終わりではない。
なればこそ、その構成を読もうという気が起きる。
ところが今回の相手は魔法兵ではなく船妖だ。
いくら元が妖魔艦だったとはいえ、現在は本能で動くモンスターにすぎない。
それがまさか、水を撃ってから雷を撃つという魔法艦のような攻撃を仕掛けてくるとは……
モンスターを甘くみていた。
ゆえに彼女の勘が発揮されることもなかった。
エレクタルガは核室で力を吸い出されながら、人間のやり方を学んだのだ。
獲物を狩るにはどんな魔法が必要で、どのような順番で発射すれば良いのかを。
人間共は雷を撃つ前に水を発射していた。
いきなり雷ということもあったが、それは雨天や高波の日だ。
当時はその理由がわからなかったが、餌を求めて海に出るようになってわかった。
水で濡れたものに、雷はよく効くのだ。
彼らの教えはいまもこの船妖の中で生きている。
世界各地に幽霊船の伝説があるが、風向きの影響を受けずに海を自在に走る無人船というのが多い。
まさにこの船妖のことではないか。
ファンタズマが現代の幽霊船なら、エレクタルガは古の幽霊船だといえる。
古の幽霊船は知っている。
魔力砲は一度発射したら、次まで時間がかかることを。
一斉射を終えた獲物は打つ手なしだ。
障壁?
あんな薄皮は易々と貫通できる。
勝ちを確信した一本角が放電しながら語っている。
幽霊船は一隻で良い。
人間共と和合する紛い物め。
消えよ、と。
船妖はファンタズマ目掛けて雷を撃った。
本当は水浸しにしてからの方が良いのだが、それでも獲物を即死させるだけの威力は十分ある。
もし仕留められなかったとしても、弱らせることはできる。
必要なら改めて水撃からやり直せば良い。
いや、もうこの距離なら一気に噛みつきに行っても良いかもしれない。
エレクタルガとエルミラの勝負は、水と雷の連続攻撃を読めなかった彼女の負けだ。
そこへ終わりを告げる雷が迫る。
一切の反論を許さず、と青白い光が彼女を照らした。
だが、意表を突かれなかった者がいる。
リルだ。
現代の幽霊船は古の幽霊船に敢然と反論した。
艦長の敗北即ち艦の敗北ではない。
まだ終わってなどいない、と。
反論開始だ。
「ノーム」
土精は一歩前に進み出て、青白い雷に向かって掌を翳した。
その途端、土壁が左舷を覆った。
かつて帝都沖でガレーの砲撃を凌いだ防壁だ。
ただし全く同じではない。
あのときは衝撃を和らげるために泥壁に近かったが、今度は乾燥している。
そして分厚い。
そこへ——
ドォォォンッ!
バチィィッ!
「うわっ!」
ノームの防壁は見事、船妖の雷を防いだ。
雷は人間のように壁にぶつかったら乗り越えよう、貫こうと努力などしない。
逃げ道を捜してそちらへ流れていく。
呼び戻して努力させようなどと考えても無駄だ。
「逃げるな、立ち向かえ」と声を掛けたときには、すでにどこかへ逃げ去った後だ。
衝撃音のすぐ後に続いたのがその音だ。
壁に弾かれた雷は素直に横へ流れて海水に落ちた。
ファンタズマは感電を免れた。
雷に遅れて、役目を終えた土壁も焼かれた命中箇所からボロボロと海に落ちていった。
艦に異常なし。
だが、乗員たちは生身の人間だ。
無事ではない。
土壁が防げたのは雷の直撃のみ。
多少は和らぐが、それでも至近距離から伝わってくる衝撃や音を完全に遮断することはできない。
乗員たちは思わず耳を塞いでしゃがみ込んでしまった。
流血を伴う怪我人が出なかったのは幸いだった。
ただ、流血や骨折がなかったというだけで、何の被害もなかったわけではない。
左舷砲手たちの耳がやられた。
耳の奥でキーンといったまま鳴り止まない。
こんなとき、神殿出身の魔法兵が乗船していてくれたらすぐに治癒してもらえるのだが……
ここにそのような使い手はいない。
よって彼らの耳はしばらく治りそうにない。
以後の命令は手旗で伝えなければならなかった。
これらはほんの僅かな時間の間のことだ。
しかし船妖が距離を詰めるには十分な時間だった。
攻撃はまだ終わっていない。
船妖エレクタルガの戦法は三連撃だ。
水撃で船体表面を穿ち、甲板も船室も水浸しにしてから雷撃で獲物の動きを止める。
そして、最後に噛み砕いてトドメを刺すのだ。
立ち上がったエルミラたちが見たものは、左舷に食らいつこうとしている大きな口だった。
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