第91話「エレクタルガ級妖魔艦」

 船妖は元からこの世界に生息していたわけではない。

 海の魔法の解釈を誤ったリーベル王国によって生み出された存在だ。


 コタブレナに派遣した艦隊の潰滅。

 然も敵に敗れたのではなく、暴走した妖魔による同化……

 強気一点張りだった魔法使いたちもさすがにこの結果には衝撃を受けた。


 核室を備え、そこに妖魔を繋ぎとめておけば商船でも妖魔艦とする。

 これは交易船団の護衛につく魔法艦不足解消のために、当時の研究所が言い出したことだったが、勇み足だったと認めざるを得ない。


 失踪する前にロレッタ卿が訴えていた通りだった。

 妖魔を侮るべきではない、と。


 妖魔は性格や環境によって様々に変化していくので、分類するのが容易ではない。

 魔法使いたちは〈妖魔〉と一纏めに片付けてしまった。

 要するに面倒臭かったのだ。


 戦後、彼らが真面目に検証した結果、核室の強度不足が判明した。

 その程度の強度で妖魔を抑え込めると侮っていたのだ。


 調査後、一度は妖魔艦の廃止も検討された。

 しかし人間を超越した力を利用するという仕組みは捨てがたい。

 いまさら初期魔法艦の時代に戻ることなどできないのだ。


 妖魔艦をやめるのではなく、妖魔より制御しやすい魔力核に変えればよい。

 それが精霊だった。


 ところが妖魔用の核室をそのまま使うことはできないとわかり、精霊艦の研究は難航した。

 一方、交易船団の護衛も続けなければならず、危険と知りつつ妖魔艦を海へ送り出さなければならない。


 ならばもっと頑丈な核室にすればと思うが、そちらも簡単ではない。

 強大な妖魔を捕えておける核室より、まだ精霊艦の方が幾分易しい。


 そこで考えられたのが〈級〉で強度を表すことだった。

 危険なまま運用せざるを得ないのだが、どの位の妖魔までなら搭載可能かを表すことで暴走を予防しようとしたのだ。

 さすがに尊大な魔法使いたちも、コタブレナの二の舞は嫌だったのだろう。


 それでも核室の劣化によって船妖に化ける艦はあったが、一三隻ほどの力はなく、大半は見つけ次第退治されていった。


 戦時産にも後から級名がつけられたが、戦後産のように武器や精霊ではなく、載せた妖魔の名がそのまま用いられた。

 すでに名のある強力な妖魔だったからだ。


 名がつくということは他とは分けるということ。

 つまり分類だ。

 妖魔は分類できないのではなかったのか?


 基本的にはそうなのだが、稀に進化の大成功を収め、その環境における絶対的な強者となるものが現れる。

 そのような個体はそれ以上変わる必要がないので、環境が変わらない限り、その形質を保ち続けるのだ。


 形を保っているなら分類することができる。

 そういう妖魔には例外的に名がつくのだ。


 ファンタズマを追っているのはその名前付き。

 リルによればその名は、エレクタルガ級妖魔艦。



 ***



 妖魔エレクタルガはイスルード伝承に登場する雷の妖魔だ。

 雷妖ともいう。


 普段は雷雲の中に住み、暗雲立ち込める日に広い草原を往く旅人へ雷を落とすと恐れられた。

 これを避けるには草より身を低くするか、洞穴に入ってやり過ごすしかない。

 エレクタルガは飽きっぽい性格なので、そうしていれば退屈してどこかへ去る。


 落雷の恐ろしさを子供に教えるための空想だと考えられてきたが、手練れの冒険者たちによってこの妖魔は捕らえられた。

 リーベルが妖魔艦に載せるために多額の賞金を懸けていたからだ。


 雷妖は実在するかどうかも怪しかった伝説の妖魔だ。

 決して侮れない相手だったのに、人の手で捕らえることができたという事実が、魔法使いたちの過小評価をさらに促進していった。


 ゆえに彼らは何の疑問も持たない。

 至極当然に、この大妖魔を核室搭載型に改装しておいた通常巡洋艦へ載せた。

 これがコタブレナ戦後、エレクタルガ級と名付けられた妖魔艦だ。


 あとは歴史に記されている通りだ。

 暴走し、船妖になった。


 旅人を襲って食べていた頃は進化の必要はなかったのだが、苦手な海で餌を探さざるを得なくなったことで、再び進化することになった。

 それがいまの魚型だ。


 ただ、雷妖だった頃の能力はいまも健在だ。

 鮫程度の小魚なら周囲に電撃を放って仕留め、艦船のような大物には一本角と化したマストで船底を突き破り、内部に電撃をお見舞いする。



 ***



「それがあいつか」

「うん」


 リル、というより人型二三号の知識なのだが、エルミラは再びこちらへ一本角を向けている敵の情報を聞いた。

 ここまで詳しく聞いたのは初めてだ。


 イスルード島の者は、妖魔やコタブレナについてはあまり詳しくない。

 王国が隠蔽してきたためだ。


 彼女も含めて皆、魔法艦隊が妖魔に苦しめられていたコタブレナの人たちを救ったと習っている。

 親から子へ、子から孫へと……


 王国はずっと嘘をついてきたのだ。

 知ったときは実家に腹が立ったが、いまは怒っていない。

 いや、怒っていないわけではないが、怒っても仕方がないというのが正しいか。


 いまはこう思っている。

 そんな連中だから女将の制止も聞かずに妖魔艦を作り、やがて賄賂で滅ぼされるようなことになるのだ、と。


 何と尊いご先祖様共か。

 彼らの不始末がいまにも子孫を食おうとしているのだ。

 ありがたすぎて歯軋りが止まらない。

 もし目の前にいたら感謝いかりを込めて、衝撃力強化を付与した拳でぶっ飛ばしてやりたい。


 しかしそれは叶わない。

 ならば偉業を称える言葉だけでも捧げようと、エルミラは天を仰ぎ見た。


「やっぱりは先祖代々ろくでもない!」


 実家の連中は大馬鹿者だと呆れていたが、実際に船妖を前にすると腹立たしさが込み上げてくる。

 女将が見捨てるわけだ。

 リルのことといい、船妖のことといい、やっていいことと悪いことがある。


 隣でシオドアが驚いていたが、気にしない。

 大きな声を出してスッキリした。


 彼女の乳母だったら「まあ、なんとはしたない!」と金切り声をあげたことだろう。

 ノルトも教育係だったが、彼女を咎めはしない。

 代わりに、


「転舵完了しました!」


 彼のよく通る声がエルミラを王女から艦長に引き戻した。

 そう、いまは先祖に怒っている場合ではない。

 逃げて生き延びなければ。

 真上に向けていた顔を水平に戻したとき、彼女はいつものエルミラに戻っていた。


「針路このまま! 左舷氷力弾用意!」

「アイ!」


 いまファンタズマは北西に向かっているが、船妖から距離を取りたかったからだ。

 だが、向かいたいのは西だ。

 どこかで南西へ転舵しなければならない。


 ただ、あまり早く西へ向かうと、船妖を引き連れた状態でセイルジットに合流してしまう。

 少しの間、鬼ごっこに付き合わざるを得なかった。


 鬼役の船妖が猛然と追い上げてくる。

 帆船にとって、斜め後ろから風を受けたときが最も速度が出る。

 いまのファンタズマはその状態なのだが、ジワジワと距離を詰めてくる。


 最高速度は向こうが上か。

 自慢の一本角だけを水上に出し、久しぶりに見つけた大きな餌を夢中で追いかけてきている。

 角が波を切り、後ろに白波が流れていく。


 それを見ていたシオドアがあることに気付いた。


 ——あれでは却って泳ぎにくいのではないか?


 その点はエルミラたちも気付いていた。

 確かに水の抵抗が増してしまう非効率な泳ぎ方だ。

 いっそ潜ってしまった方が楽なのではと思う。

 おかげで速度が低下してくれて助かるのだが……


 しかし妖魔も含めて、自然に無駄なものはない。

 適応していくためにその形になり、一見無意味と思われることにも必ず意味がある。


 船妖エレクタルガの一本角もそうだ。

 水上に出しておくから、波を受けて負担がかかる。

 それは確かに不利だ。


 だがそれを帳消しにした上、お釣りが返ってくるほどの利点があるからやっているのだ。

 いま、人間共に気付かれぬ内にその準備が整った。

 何も知らないエルミラたちはこのままその毒牙にかかるだろう。


 リルだけがその危険に気付いた。

 少女はでもあり、またそうではないともいえる存在だった。

 なんともややこしい。

 しかしそのややこしさが仲間たちを救うことになる。


 決して内緒にしていたわけではない。

 もう一本角がこちらに向かって来ているので、説明している暇がなかったのだ。


 さっきエレクタルガ級の説明のとき、一緒に話せば良かったのかもしれないが、相手が実際にかどうかわからなかった。

 一度に多くを捲し立てても訳がわからなくなるので、取り急ぎ必要と思われることに絞ったのだ。


 目を瞑ると、先に言っておいてくれとエルミラに怒られている様が思い浮かぶ。

 そのときは素直に謝ろう。


 それもお互いに生きていればこそ。

 リルは一人、準備を整えた。

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