第90話「誘導射撃」

 誘導射撃——

 これは霊式艦特有というわけではなく、リーベル魔法艦隊で採用されていた射撃方法だ。


 魔力砲の装填には実砲弾の装填手の他に、装力手として魔法兵がつく。

 通常、装力が完了したら次の魔法の用意を始める。


 だが誘導射撃の場合、発射後の軌道を魔法兵が操り、敵艦まで誘導する。

 これにより上下左右自在に方向を変えながら命中させることができるのだ。


 ただ、誘導中は次弾の用意をすることができないので、次の攻撃まで間が空いてしまうという欠点があった。


 リーベル魔法艦隊の強みは、いまも昔も遠距離攻撃だ。

 反面、接近されると脆い。

 白兵戦になれば敵味方が入り乱れ、魔法は使用不能に陥る。


 これを防ぐには、敵を懐に入らせないようにすることだ。

 そのためには絶え間なく撃ち続け、遠くへ釘付けにしておかなければならない。

 間が空いてしまうなど以ての外なのだ。


 それでも、このような欠点を抱えた射撃方法をとらなければならなかった。

 防盾艦が登場したからだ。


 折しもリーベルが妖魔艦から精霊艦へ転換していた頃。

 まだ妖魔と精霊の違いに慣れておらず、未熟な精霊艦が接近戦に持ち込まれるという不覚をとっていた。


 そこで考案されたのが誘導射撃だった。

 盾を最初に砕く必要はない。

 要は敵艦隊を壊滅させれば良いのだ。

 誘導された砲弾や魔法は防盾艦を迂回し、後ろに隠れる艦を精密に叩いていった。


 エルミラも今回、この誘導射撃をとった。

 艦砲は真下に向かって撃てない。

 だから発砲後、誘導によって氷の軌道を下に向けるのだ。


 左舷から艦首左前方へ視線を移すと、そこにはもうセイルジットが迫っていた。

 甲板員たちの姿もよく見える。


 ザァーッ……


 白波を立てながら二艦がすれ違っていく。

 とはいってもあまり近いと衝突の危険や、風下の艦が風を遮られて帆が萎んでしまう。

 なので、二艦は船一隻以上の間隔を取りながら、それぞれ東と西へ流れていった。


 艦首から舷側へと順に流れていき、艦前半部から後半部へ差し掛かったときだ。

 向こうの艦長がこちらへ敬礼しているのが見えた。


 思えば、エルミラが帝国艦とすれ違うのは今日で二度目だ。

 一度目は帝都沖のガレー船と。

 あのときは短銃を撃ち込んだが、今日は違う。

 昨日の敵は今日の友。

 友の敬礼にこちらも敬礼を返した。

 彼女はリーベル式、隣のシオドアは帝国式で。


 互いの艦尾が後方に流れ、別れは済んだ。

 彼女は敬礼する手を水面目掛けて振り下ろした。


「撃ち方、始めっ!」

「てぇぇぇっ!」


 キィンッ! キィィンッ——


 今回撃ち出すのは氷の魔法だ。

 ゆえに通常弾のような轟音ではない。

 透き通るような冷たい砲音の後、一番砲から順に飛び出していく。

 砲口から現れた小さな氷塊たちは空中でバキバキと音を立てて成長していき、あっという間に立派な氷山になった。


 ここから魔法兵の誘導が始まる。

 水上の敵艦と違い、潜っている敵に当てるのは難しい。

 目視できないので、探知も同時に発動しながら操っていく。


 ドボォォッ! ドゴォン! ドォォォッ——


 砲口から飛び出した勢いそのまま、大きな塊が次々と急降下で海に飛び込んでいった。

 まるで昨日の小竜隊の襲撃を髣髴とさせる。


 リルは欄干から氷山の行く先を見届けているようだが、常人のエルミラたちには無理だ。

 急いで空間鏡へ戻った。


 球体の中では五個の氷山が沈降を続けている。

 水面に衝突したときにどうしても減速してしまうが、それでも十分な速度を保っている。

 突入する角度が良かったようだ。


 だがここで問題発生だ。

 船妖は頭上で大きな音がしたので驚いたらしい。

 一瞬ビクッと震え、真下を避けるように迂回した。


 ハズレか?

 いや、誘導は一度で終わりではない。


 その昔、防盾艦を避けても、後ろの艦が安穏と守られているだけとは限らなかった。

 勘の良い艦長が迂回を予測して、回避行動に入っている場合だってあるのだ。

 それでもリーベルの魔法艦は彼らを悉く沈めてきた。


 小竜のような変幻自在な動きこそ追えなかったが、艦船や大頭足の方向転換なら余裕で追えるのだ。

 盾の後ろにいなければ、いるところへ向かって何度でも軌道を変えるまで。

 いまこそ、各国から無敵艦隊と恐れられた力を見せるとき。


「追えっ!」

「…………」


 魔法兵たちの応答がない。

 これは決して無視したわけではない。

 魔法を発動している最中なので返事ができないだけだ。

 了解はしている。

 その証拠に氷山たちがいま、船妖目掛けて一斉に向きを変えた。


 そして——


 ゴッ! ゴンッ!


 かつては人が操る船だったかもしれないが、いまはもう障壁を張って守る者もいない。

 剥き出しの外殻を五個の氷山が砕く。


 砕けた氷、朽ちた木片、永い年月の間に住み着いていた付着生物。

 それらを撒き散らしながら、激しく身体を揺さぶっている。

 どうやら外殻越しでも痛かったらしい。


 船妖はセイルジット目掛けて浮上中、突然上から叩かれて中止となった。

 暫し苦しんでいたが、痛みが治まると怒りが込み上げてきたらしい。

 一本角がこちらへ向けられている。


 挑発は成功だ。

 そのことは嬉しいが、喜んでいる場合ではない。

 すぐに逃げなければ。


 素早く指示を出していく。


「リル、左舷水流噴射用意!」

「アイマム!」


 続いて乗員たちへ、


「総員、左舷の衝撃に備えよ!」


 怒った船妖が猛烈に速度を上げて浮上している。

 これを舵捌きだけで躱すのは無理だ。

 リルの力を借りざるを得ない。


 少女の隣に水精が現れ、左舷喫水下で波がうねり出す。

 あとは艦長の合図を待つのみ。


 いつ来るか。

 注目する視線の先、エルミラは空間鏡の水中部分を睨んでいた。

 タイミングを誤れば、ズレた先へ方向を変えて突っ込んでこられる。


 水精ウンディーネによる水流噴射。

 乗員たちは第四艦隊との戦いで経験済みだが、シオドアはこれから初めて味わう。

 皆が何かに掴まっているので、彼も同じように左手で欄干に掴まった。


 欄干を選んだ理由は特にない。

 左舷から船妖がいる辺りの海を見下ろしていて、ちょうどそこにあったからというだけだ。


 しかし、そこは大変危険だ。

 ノルトはシオドアを呼び寄せて、空間鏡の台座に掴まらせた。


「両手でしっかり掴まれ。暴れ馬より暴れるぞ」

「——っ⁉ そんなに……」


 初心者はギョッとしながら言う通りに従った。


 エルミラに二人のやり取りは聞こえているが、そちらを見る余裕はない。

 船妖がおかしな動きを見せているのだ。


 ここまで接近するとどんな姿なのか、その輪郭からわかってきた。

 海で暮らす生物は泳ぐのに適した姿に進化していく。

 それは船妖についても同様だ。


 妖魔艦と同化した当初は舷側から足や触手を突き出し、コタブレナ島を闊歩していたのだろう。

 それが海で暮らす内、手足が鰭のように変化していったようだ。

 まるで魚だ。


 魚の姿をした船妖は、尾鰭に相当する部分をはためかせながらこちらに近付くと、あと少しのところで止まった。

 いまは身を屈めている。


 ——?


 一体何だ?

 もしや、いま頃になってびびったのか?


 身を屈めるという動作を見たら、真っ先にそう思いつく。

 傍らで同じ物を見ていたシオドアも同感だった。


 しかしここが生死を分かつ分かれ道だった。

 もし指揮を執っていたのが彼女でなかったら、全員、船妖の餌になっていたことだろう。


 命がかかった分かれ道で、正しい選択をするために不可欠なものは?

 合理的な判断能力か?

 だが今回のように、常識が通用しない場面では?


 ゆえに生死を分ける場面で、合理的な判断能力というものは必ずしも艦長必須というわけではない。

 どちらかというと、艦長が乗員から信用されるために必須のものだといえるだろう。


 それよりも生存に必須のものは?

 この場にいる者は誰も知らないが、その問いに答えた者がいる。

 女将だ。


 そんなに大昔ではない。

 つい先日、ハーヴェンと交渉していたときのこと。

 艦長必須の能力とは何かという話になり、彼女はこう答えたのだ。

 勘だ、と。


 救国の英雄が認めたエルミラの勘が、警鐘を打ち鳴らしていた。


 ——ヤバい! 何かはわからないが、とにかくヤバい!


 自分でもわからないその何かが極大に達し、居ても立っても居られなくなった。

 たまらず、


「左舷、水流噴射!」


 ずっと注目して待っていたリルは反応が早かった。

 艦長の命令が下るや否や、艦を左から右へ力一杯突き飛ばすような衝撃が襲う。


 皆しっかりと何かに掴まって揺れに耐えた。

 一人を覗いて。

 シオドアだ。


「うわあああぁぁぁっ⁉」


 ノルトの注意を受け、自分なりにしっかり掴まっていたつもりだったのかもしれないが、それでも甘かった。

 帝都から出航するときのエルミラのようにゴロゴロと転がり、右舷欄干にぶつかって止まった。


 見れば後頭部を抑えて苦しんでいるが、痛いということは生きている証拠だ。

 無事ならそれでいい。


 視線を左舷の海へ戻す。

 艦は右へ大きくズレ、そこには噴射で起きた白波だけが残された。

 直後、その白い水面が急速に盛り上がっていった。


 リルが叫ぶ。


「来る!」


 雪の代わりに白波で冬化粧をしたような小高い山。

 その頂きを突き破って、黒くてゴツゴツとした鋭いものが飛び出してきた。


 船妖の一本角だ。


 昔も今も艦船は木製だ。

 当然メインマストも。

 大昔の材木など、とっくに朽ち果てているはずだが、現在まで形を留めてきた。

 妖魔に取り込まれて身体の一部になっているからだ。

 メインマストを角代わりに使っているのではない。

 もう正真正銘、角なのだ。


 先端部から根本まで出ても勢いは止まらない。

 続いて頭に相当する艦首部分が表出してきた。


 危なかった。

 もしエルミラの判断が遅かったらいま頃……


 船妖は白波を四方八方へ蹴散らしながら、ついに空中へ飛び出した。

 尾鰭も完全に水面から上がった。

 ものすごい跳躍力だ。


 左舷方向から跳び出した後も上昇を続け、いまはファンタズマ号メインマストの更に上を通過中だ。


「……これが、船妖……」


 見張り員が真上を見上げながら呟いた。

 あまりにも巨大で、あまりにもあり得ない光景だった。


 身体の前半部を付着生物だらけの船体が覆い、喫水線と思われる部分に亀裂が見える。

 おそらくこれが口だ。


 視線を移していくと途中で船体が終わり、そこから魚のような身体が尾鰭まで続いている。

 中で成長した妖魔の身体がに収まりきらず、いつかの時代に船尾を突き破ってしまったのだろう。


 獲物へ静かに近付き、いよいよとなったら身を屈め、蓄えた力で一気に突撃する。

 そのためには身体の後半部は自由に動けた方が力を溜めやすい。

 この船妖にとって外殻が前半部だけしかないということは、却って良かったのかもしれない。


 放心状態になったのは見張り員だけではない。

 一人を除いて甲板にいた者たちも全員呆気にとられている。

 最年長のノルトですらも。


 皆が呆気に取られている内に船妖は高度を下げ始め、右舷から少し離れた海に着水した。


 ドゴォオオオンッ!


 隕石が落ちてきたような轟音が全員の鼓膜を叩いた。

 良い気付けだ。

 おかげで皆、我に返った。


「全速離脱! 方位三二〇!」

「取舵一杯」


 静寂の後、甲板は慌ただしくなった。

 誰に教わらずとも全員理解できた。

 あんな巨大なものには敵わない。

 セイルジットが逃げることに専念したのだから、これ以上ここに留まる理由はない。


 喧騒の中、リルは船妖の着水で起きた真っ白な爆発を左舷から眺めていた。

 彼女も実物を見たのは初めてだ。

 だが皆と違い、知っている。

 リーベルの魔法使いたちが人型を作るときに様々な敵の情報を刷り込んでおいたから。


 宙を舞う巨体を皆と一緒に見上げていたが、呆気にとられていたわけではない。

 ファンタズマを横切っている船妖がどれに該当するか、照合していたのだ。


 照合完了。

 空間鏡の中で、こちらへ旋回中の船妖に赤い印と名前が表示された。

〈エレクタルガ級妖魔艦〉と。

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