第85話「生きている船」
昔の船がこちらに接近している。
しかも海中を。
リルは見えた特徴を宿屋号の全員に伝えた。
「ファンタズマとは別の新型か?」
シオドアはエルミラにそう尋ねた。
水中を進む船など普通ではあり得ないが、リーベルが絡むなら話は別だ。
常識では不可能と思えることも、あの国の魔法なら。
現に、幽霊船を作ることに成功している。
ならば水中を航行できる船も作れるのではないか?
対するエルミラの答えは、
「いや、聞いたことないな」
本当だ。
ハーヴェンは籠の鳥に何も教えてくれなかったのだ。
だから彼女は明答できない。
代わりに彼女なりの考察を述べた。
もし実家の連中が絡んでいるのだとしたら、水精艦に改造を加えたものかもしれない、と。
「あり得るな」
シオドアだけでなく、他の五人もその考えに頷いた。
もっともな話だった。
あのファンタズマを作った魔法使いたちだ。
水中艦くらい作れそうな気はする。
その改造水精艦がこちらへ。
果たして敵か、味方か?
共和国を滅ぼしたとき、帝国軍は島にあった魔法艦をすべて接収したというが、その中に水中艦があったという話は聞いたことがない。
ただ極秘に建造されていたものを発見し、帝国も極秘に運用している可能性はある。
だとしても味方と名乗ってこない以上、向かってくる不審船は迎撃するしかない。
味方にも秘密の任務だというなら、味方に見つかる方が悪いのだ。
話は動けないノイエッドと迎えの艦でどう迎撃しようかということに移行していった。
水中にいるというなら大頭足と同じだ。
鋭く尖った氷塊を落としてやれば良い。
溜まらず浮上してきたら雷球をお見舞いする。
正体がわかった第三艦隊に恐怖はなかった。
ところが……
傍らで女将の表情が固い。
リルと同じ方向を見たままだ。
エルミラは現代の人間なので、あくまでも精霊艦という枠組みの中で考える。
当然、今回のような場合は水中を進めるという性能に着目し、改造水精艦であると予測した。
しかし、この考察にはリルが伝えてくれた大切な情報が抜けている。
少女はこう言ったのだ。
昔の船だと。
木材は長い間、海水に浸かっている部分が先に朽ちていってしまう。
水中艦ということは艦全体が水没するということだ。
たとえ新造した艦体だったとしても老朽化は早いだろう。
海水の腐食から木材を守る魔法がないわけではないが、永続させるのは難しい。
しかもどうしてそれを新造ではなく、古い船体でやらなければならないのか?
女将は不審船の性能ではなく
そうすると弟子の予測とは違う姿が浮かんでくるのだ。
不審船は改造水精艦ではない。
では?
その正体に思い当たった女将は、海から急に提督たちの方へ振り向いた。
「ロイエス、いますぐあなたの部下たちをこちらへ避難させなさい」
「——⁉」
いきなり何を言い出すのか。
理解が追い付かず、水兵たちは呆気にとられてしまった。
それは提督とシオドアも同じなのだが、指揮官としての自覚がすぐに思考を動かした。
二人は伝声筒を取り出して退避を命じた。
「総員退避! 直ちにノイエッドを放棄し、宿屋号へ移乗せよ!」
当然だが、ノイエッドからの疑問が聞こえてくる。
何事ですか、と。
しかし納得させている時間はない。
……というより、命令している方もわからない。
「説明は後だ! 直ちに取り掛かれ!」
さすがは軍人だった。
いつまでもグズグズしない。
命に関わる事態なのだと理解すると早かった。
「ア、アイアイサー」
伝声筒からは急に慌ただしくなったノイエッドの喧騒が流れてきた。
とりあえず、これで大丈夫だ。
提督たちが指示している間、女将も宿屋号の乗員たちへ救助の指示を出していた。
宿屋号もまた、ボートを下ろしたり毛布を持って来たり、と慌ただしくなった。
必要な指示を出し終えた頃には、提督とシオドアもノイエッドへの指示を終えていた。
「後は皆に任せるとして、そろそろ説明してもらえるかな?」
「……ええ、そうね」
彼らは訳が分からないまま、ただ緊急事態だからと即応してきたが、一体何だったのか?
女将はその理由を説明し始めた。
彼女には心当りがあったのだ。
件の水中艦はネヴェル型の後に続いているのではない。
追いかけているのだ。
食べるために。
捕食と聞いて、水兵の一人がすぐに思いついた。
「大頭足か?」
海で人間を食おうとする生物といえば、鮫か大頭足だ。
鮫は海に投げ出された者を襲うが、大頭足は船を攻撃して乗員を食らう。
「いいえ、リルちゃんが昔の船って言ってるでしょ? 大頭足ではないわ」
一口に大頭足といっても様々な種がおり、中には殻を欲しがるものもいる。
その様な種が襲った船の残骸を殻代わりすることはあるのだが、破壊された船体は海水に弱く、すぐに次の殻を探すことになる。
では、何だ?
付与魔法を除外して考えた場合、そのままの状態で海中にあり続けるというのは難しい。
早いか、遅いか、の違いがあるだけでいつかは腐食する。
例外は生物だ。
新陳代謝を繰り返せるものだけが、海で姿を保つことができる。
つまり件の船は生物なのだ。
「いや、待ってくれ女将。いくら何でも……」
六人はもちろん、弟子のエルミラですらその表情で不可解だと訴えた。
ファンタズマではあるまいし、生きている船などと……
しかし女将は反論を遮って続けた。
「いるのよ。数が少ないから遭遇することは稀だけど」
その生物は元から船の形をしていたわけではない。
いま船の形をしているのは、あるとき、船と同化したからだ。
かつてロレッタ卿がリーベルから去る原因となった船の形をした生物。
それは——
「船妖よ」
***
船妖——
妖魔が船に取りつき、同化した海のモンスター。
現れたのはコタブレナ海戦後だ。
かつてネイギアス連邦加盟国コタブレナとリーベル王国との間で戦争があった。
その戦でリーベル側は妖魔艦を主力とする魔法艦隊を派遣した。
ところが海戦終了直後、核室内の妖魔が暴走し、艦と同化してしまった。
これが船妖の始まりだ。
以後、この世界の住人はコタブレナ島に近付かない。
島に棲みついた船妖に食われるから。
そこでシオドアが疑問を口にした。
「なぜこの海域に船妖が?」
船妖は元々、陸の妖魔だったものだ。
ずっと、島に上陸したり、沿岸に近づかなければ危険はないと考えられてきた。
そこで当該海域を領有するネイギアス連邦が立ち入り禁止にした。
これにより船妖の犠牲になる者はいなくなるはずだった。
コタブレナ海はここから遥か西だ。
船妖が出るような場所ではない。
なのに、なぜいまこちらへ向かっている僚艦が追われているのだ?
不可解だった。
シオドアや水兵だけではない。
提督も。
だが女将にはわかる。
知っている。
海嫌いの船妖が海に出た訳を。
「あなたたちが生まれるよりずっと昔——」
形こそ船だったが、ずっと陸暮らしだった船妖は海が怖かった。
コタブレナ島はイスルード島に比べればやや小さいが、決して小島というわけではない。
島内にはいくつもの街や村があったので、しばらくは
けれども船妖たちを養うには小さい。
上陸から半年、彼らは島中の生物を食べ尽くしてしまった。
人も獣もいなくなってしまったら、あとは魚を食べるしかない。
恐る恐る一体目が海に入っていくと、二体目、三体目と続いていった。
それから時は流れて現代……
船妖は水陸両棲に進化し、人や魚はもちろん、船や大頭足も捕食する。
女将は永い時の中で、その進化を見てきた。
船妖もまたペンタグラムの子。
彼女が提唱した〈海の魔法〉から生まれたもう一つの
生みの親として、捨てた子の顛末を見る責任がある。
だから女将は、なぜこの海域に船妖がいるのか説明できるのだ。
誰よりも詳しく……
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