第84話「たとえ火種になろうとも」

 宿屋号甲板——


 リルたちのところでは腕立て伏せの刑が終わり、ポーカーを再開していた。

 イカサマを見逃すまいと少女は目を光らせ、水兵たちは何とかその目を誤魔化そうと鬩ぎ合う。


 一方、和議の席では鬩ぎ合いが終わった。

 帝国側は女将の案を概ね了承した。


 受けた命令は海賊の討伐だ。

 海賊でない者を討伐するわけにはいかない。

 ましてや、何の罪もない子供の命がかかっているというなら尚更だ。


 第三艦隊はこれより母港ウェンドアへ帰還する。

 司令部への報告書はロイエス自らが作成することにした。

 こういう陰謀に前途ある若者を巻き込むべきではない。

 果して司令は大人しく報告書を受け取るのか、もしくは怒られている提督を誰が取り成しに来るのか。

 彼の中で、恐怖と好奇心が織り交ざっていた。


 ただ、提督たちは帝国軍人だ。

 第三艦隊を立て直した後、命令に変更がなければ、再びファンタズマを追わなければならない。

 これだけは女将たちにも覚悟しておいてもらわなければならない。


 エルミラたちの事情はわかったが、帝国の被害が大きすぎるのだ。

 帝都では、晩餐に招いた皇帝陛下を欺いて逃亡した。

 その夜には沿岸警備隊のガレーを沈め、島では街道巡回中の騎士団に艦砲射撃を浴びせた。

 そして昨日からの海戦……


 もはや自衛の一言では済まない。

 帝国に多少の貢献をしたくらいでは赦免されないだろう。

 誰がネイギアスの手先かわからない状況では、事情を明かすこともできない。

 ゆえに今後も捜索は続くし、見つからなければ賞金も上がる。

 だから、


「幽霊船は幽霊船らしく、白昼堂々人前に出ないでくれ」


 これが提督たちの精一杯だった。

 通報があれば、出動しないわけにはいかない。

 少なくとも領海には近付かないでほしい。


 探しているのはファンタズマ建造に関わった外法の使い手だ。

 いるとしたら帝国以外の地域だろう。


 帝国は永らくブレシア騎兵が大陸を縦横無尽に駆け巡ってきたという歴史を持つ国だ。

 それゆえ、未だに陸以外のものを軽視するところがある。

 即ち海軍や魔法だ。


 外法を操れるような術者は高位魔法使いだ。

 わざわざ魔法に対する偏見や差別が強いところへ来るだろうか?


 仮に裏をかいて潜伏していたとしても、お尋ね者のエルミラが探し出すのは難しい。

 内陸から遷都して以来、ルキシオは大都市になったのだ。

 件の術者を見つける前に、彼女が見つかって危ない目に遭うだろう。

 他で手掛かりを探すべきだ。


 女将もそのことには賛成だ。

 本当はウェンドアにも行かせたくなかったくらいだ。

 エルミラは帝都の宮殿に軟禁されていたのだから、ルキシオの土地勘は全くないと言って良い。

 賞金首が帝都で人探しなど自殺行為だ。


「それじゃ、これで決まりということでいいかしら?」


 女将はまとめに入った。

 提督たちは事情がわかったので、普段のような執拗な追撃はかけない。

 エルミラたちは提督たちに迷惑がかからないように、帝国の領海には近付かない。

 これで双方異論がなければ和解成立となる。


「異議なし」


 帝国側は提督がそう答え、シオドアも同意した。

 エルミラは?


 彼女の右手がスーッと上がった。

 異議ありだ。


「何かしら?」


 女将は尋ねながら嫌な予感がしてならない。

 こういうときの弟子はろくなことを言わないのだ。


 そんな師匠の心を知らず、右手を下げて話し始めた。


「いまの和解内容に異議はないのだが、一つ誤解されているようなので解いておきたい」


 彼女以外の三人は互いに顔を見合わせた。


 何の誤解だ?

 さあ?


 表情や目配せを言葉にするとこんな会話になる。


「さっき『皇帝陛下を欺いた』と言われたが——」


 三人は思い出した。

 確か、帝国の被害が甚大なのでエルミラの罪は消えないだろうという件だ。

 それのどこに誤解があったのか?

 首を傾げている三人を順に見ながら、彼女は話を続けた。


 そもそも、共和国と帝国の親善のために彼女が皇子の一人に嫁ぐという話だったはずだ。

 それが軟禁中に共和国を滅ぼし、リーベルという名をこの世界から消し去った。

 欺いたというなら帝国が先だ。


 そこまで聞いたシオドアが席を立って激昂した。


「だから皇帝陛下との晩餐を利用して逃亡を謀ったのか⁉」

「その皇帝陛下についても、おまえたちは誤解しているぞ」


 今度ばかりは隣の提督も止めなかった。


 いま彼女は海賊でも、ただのエルミラでもない。

 リーベル王国のエルミラ王女だ。

 少なくともロイエスはそのつもりで彼女の言葉に傾注している。


 語る内容によっては、まとまりかけたこの和議が決裂となる。

 その後は女将に申し訳ないが、この場で……

 と、いうこともあり得る。


 静かにその殺気が高まっていく中、亡国の姫君はブレシア帝国の臣シオドアに向かって言った。


 おまえたちの皇帝陛下は——


「ただのエロジジイだ!」



 ***



 ブレシア帝国当代皇帝がただのエロジジイ。

 リーベル王国がいまも健在だったら、戦争に発展しかねない暴言だ。


 女将の悪い予感は的中してしまった。


 その後が大変だった。

「おのれ、貴様!」とシオドアが剣を抜き、エルミラが応じようとする。


 提督は……

 殺意漲っていた彼の脳にエロジジイという言葉がジワジワと染み込んでいった。

 それが隅々まで浸透したとき、とうとう堪えきれずに爆笑しだした。

 もはや喧嘩を止めるどころではない。


 彼が部下を止めないなら、女将一人で止めるしかない。

 宿屋号で決闘は困る。

 仕方がないので再び空間魔法を用い、両者の剣を鞘に転移させた。


「私の船で殺し合いは禁止よ!」


 女将の雷が二人に落ちた。

 はシオドアから提督にも側撃する。


「ロイエスも笑ってないで自分の部下を止めなさい!」

「あ、ああ、すまない。ほら座れ、シオドア……エロジジイ、クックック」


 彼は笑いすぎで痛む腹筋を押さえながら、何とか上官としての務めを果たした。


「……はっ、申し訳ございません」


 我らが陛下を侮辱されたのに、にはまっている提督の神経が理解できない。

 それでも上官の命令には従わざるを得ず、シオドアは無礼者を睨みつけながら着席した。


 エルミラも最後に着席する。

 やっと四人が席に戻り、和議は決裂の危機を回避した。


「クックック…… エルミラよ、それが逃げた理由なのか? 陛下から何かエロいことを?」

「されていたら、八つ裂きにしている!」


 再び提督は爆笑するが、彼女にしてみれば笑い事ではない。


 共和国になったとはいえ、そこに住む者たちはリーベルの民たちだ。

 彼らが安心して暮らせるなら、と彼女は屈辱に耐えて海を渡ったのだ。


 ところが晩餐のときにはすでに共和国は滅ぼされ、リーベルは消滅していた。

 だったらもう、何番目かわからない皇子の一人と結婚する必要もない。

 しかも父親が息子の結婚相手を横取りするなど気持ち悪い。


「たとえ皇帝だろうと、ただの下品なエロジジイだ!」

「それは難儀だったな……クックック」

「て、提督⁉」


 今度はシオドアの雷が提督に直撃した。

 確かにこれが庶民同士の話なら気の毒だったと思うが、相手は皇帝陛下だ。

 自分たちの主君がけなされたのに、爆笑している場合ではない。


「だがな、シオドアよ」


 やっと笑いが治まり始め、涙を拭いながら真面目な部下へ反論を返す。


「相手はエルミラだぞ? いちいち目くじらを立てるでない」


 彼女自身がずっと言っているではないか。

 自分はただのエルミラだ、と。

 だから口の悪い一人の小娘が何を言おうと、帝国としていきり立つことはないのだ。


 もし小娘ではなく王女だとするなら、帝国にとってみっともないことになる。


 人質は晩餐のお招きを利用して逃亡した。

 誰のせいにしようと、元はといえば陛下のスケベ心が原因だということになってしまう。

 帝国としての失態だ。


 だから彼女は小娘であり、陛下もただのエロジジイだ。

 年甲斐もなく小娘を追いかけた一人のエロジジイが、あと一歩のところで逃げられたのだ。

 その方が面白いし、血も流れない。


 さもないと、帝国が反乱軍リーベルからしてやられたことになる。

 陛下の名誉のためにも、解放軍を勢い付かせないためにも、このまま笑い話にして終わらせた方が良い。


 シオドアは笑っている提督に対して、あまりにも不敬だと憤っていた。

 だがいまは違う。

 ただの小娘の言葉尻を捕らえて剣を抜いた己の浅はかさを恥じた。



 ***



 誤解も解け、双方異議がなくなったので和解が成立した。

 ようやく和議の席にも洋上の清々しい風が吹いてきた。

 帝都から始まったエルミラとリルの戦いがとりあえず終わる。


 これからもエルミラの首には賞金が懸けられたままだし、リルとファンタズマを手に入れようとネイギアスが追ってくる。

 それでもとりあえず平和が訪れた。

 少なくとも徹夜で戦い続けた身体を、ベッドに横たえる時間はあるはずだ。


 朝食会はこれにて終了。

 エルミラたちは一度ファンタズマに戻る。

 宿屋号と一緒にどこかへ転移するのだが、もう少し近くへ寄せる必要があった。


 提督たちは半壊したノイエッドに戻る。

 ひどい状態だ。

 核室とその上にあった甲板とマストがすっぽりとなくなっている。

 味方に曳航してもらわなければならない。

 ただ、到着までもう少しかかるようなので、女将たちをノイエッドの甲板から見送ることになりそうだ。


「ごちそうさまでした」


 帝国の六人は女将に敬礼した。


「いえいえ、またどこかの海で」


 それで終わりかけたのだが、女将がシオドアを呼び止めた。


「おみやげにどうぞ」

「おお、巻貝の首飾りか。海の宿屋らしいな」


 価値を知っている者が聞いたら、シオドアは怒られたに違いない。


 それはただの首飾りではない。

 ロレッタ卿が認めた者にしか渡さない遠音の巻貝だ。


 何も知らない若者は無邪気に受け取った。

 だがそれで良い。

 巷では、手に入れた者は出世できるという迷信が流行っているらしい。

 だからその価値を知り、欲しがる者には与えられない。


 出世を追いかけることは別に悪くないが、迷信など頼らずに自力で叶えるべきだ。

 女将としてもロレッタ卿としても、そんな野心に助力するつもりはないのだ。


「使い方はあとで提督さんに聞いてね」

「提督に?」


 振り返ると、悪戯っぽく笑う上官の手に同じ物があった。

 もらったばかりの新品と比べると、少し古くなってはいるが。


 彼らは次にエルミラの方を一斉に向いた。


「な、何だ?」

「敵の我々が言うことではないかもしれないが……」


 シオドアはそう言うと彼女に対して踵を合わせて敬礼した。

 その先を察した提督たちも後に続く。


「良い航海を」


 彼女の航海はリルの救出方法を探す旅だ。


 目的地はどこなのか?

 あと何日で辿り着けるのか?

 目指すべきものは人なのか、古文書なのか、あるいは言い伝えなのか?

 その一切がわからないまま、魔女と一緒に大海原を漂う。

 しかも辿り着けたときが、自分の艦を解体するとき。


 真面目に考えたら頭がおかしくなりそうな航海だ。

 敵同士ではあったが、シオドアたちは「良い航海を」と願わずにはいられなかった。


 そのときだった。


 帝国の六人は前に提督とシオドア、後ろに水兵四人という並びだったのだが、端の水兵がリルの異常に気が付いた。


 その様子に女将とエルミラが気付き、さらに彼女たちを見た前列二人も一体何か、とそちらを見た。


 リルは邪魔をしないようにと、少し離れてお別れを見守っていたのだが、横を向いて海を凝視していた。


「どうした、リル?」


 代表してエルミラが尋ねると、少女は海を見たまま「何か来る」と答えた。

 帝国の六人は味方の艦が迎えにきてくれたのだと安心させようとしたが、首を横に振る。


「もっと後ろから何かが……」


 エルミラも東の彼方に目を凝らしてみるが、まだ迎えの艦も見えないし、さらに後ろから接近しているというその何かも見えなかった。


 ノイエッドだけでなくファンタズマも互いに挑発しないよう、乗員たちの殆どが船室待機となっていた。

 だから甲板に上げたままになっている空間鏡を見ている者はいない。


 その空間鏡はいま広域表示になっている。

 中央には自艦とすぐ隣にノイエッドがあり、その近くに大きな双胴船が浮かんでいた。

 これは宿屋号だ。


 そこから東へ視線を移していくと、球体の端に小さな二つの影が。

 一つは西進してくるネヴェル型。

 これは提督たちの言う通り、迎えに来た第三艦隊の残存艦だから心配いらない。


 リルが警戒しているのはもう一つの方だった。


 艦型は不明。

 ただ、随分古い型のようだ。


 その不明艦も先行ネヴェル型に続いて西進中だった。

 ……海中を。

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