第83話「人艦一体」

 ロイエスとシオドアは女将の話を聞き終えた。

 俄かには信じがたい話だったが、なぜ撃沈すると殺害になってしまうのか、その理屈はわかった。


 二人共、悪い冗談だと思いたかったが、女将は真顔のままだ。

 すべて真実だと、その表情が物語っていた。


 本題に入る直前、給仕たちがお茶を交換してくれたのだが、立ち上っていた湯気はとっくに消えてしまった。

 呑気にお茶など啜っている場合ではない。


「あの子が……」


 やっとシオドアが言葉を発した。

 彼に魔法の心得はないが、外法は悪いことだと教えられてきた。

 その外法の産物が目の前にいる。

 実在している。


「ええ、そう」


 女将は短く答えると、ぬるくなってしまったお茶をグイっと飲み干した。

 お茶は熱い方がおいしいが、説明を終えて渇いた喉にはちょうど良い。


 彼女と帝国の二人が眺める先では、リルが食べ過ぎから回復していた。

 いまは水兵たちとポーカーで遊んでいるが、何だか揉めている。

 どうやらイカサマを見抜いたらしい。

 水兵たちは罰として腕立て伏せを科されていた。


 微笑ましい光景だ。

 それだけに痛ましい。


「いーち、にぃー、さぁーん……あ、顎がついていない! やり直し!」

「ええっ⁉ まるでウチの提督みたいだ……」


 声が大きい。

 悪口が風に乗ってロイエスの耳まで届いた。

 だが咎めはしない。

 そんな気分ではない。


「……ワシは鬼かもしれんが、幽霊ではないよ」


 鬼提督の反論の呟きは、彼らに聞こえないほど小さかった。


 リルは腕組みをし、腕立て伏せをさぼらないように目を光らせているが、彼女はリル本人ではない。

 人型という人体の代用品に憑依したリルの幽霊が水兵たちと遊んでいるのだ。


 女将の話によれば、誰も本人に会ったことがないことになる。

 艦長のエルミラでさえも。

 本物のリルはいまもファンタズマの〈柩〉の中に。


 だったらさっさと〈柩〉から出してやればいいと思うが、そう簡単ではない。

 開放の仕方を間違えれば、一気に〈いま〉が流れ込んで古代の少女を殺すかもしれないのだ。


 女将は魔法の使い手、つまり〈時〉についての専門家だ。

 専門家の言葉は非常に重かった。


「ワシも『目指すは人艦一体!』と部下を怒鳴りつけてきたものだが……」

「そうね。訓練目標としてならいいけど、本気で目指したら闇に堕ちるわ」


 艦船を一人では動かせない。

 だから集団で動かすしかないのだが、一人一人動作にズレがあるので、その分だけ操船が鈍るのだ。

 訓練はそのズレを少しでも減らすために行う。

 乗員たちが艦という一つの生物の中で、内臓や細胞のように誤差なく機能していけるよう努力するのだ。


 人艦一体はあくまでも目標に過ぎない。

 人と艦を外法で融合させ、人間を超越した存在になろうという話ではない。


 ゆえにこの目標は達成されなくて良いのだ。

 決して未達でも失敗でもない。

 目指して日々努力し続けていることが成功といえる。


 だが、リーベルの魔法使いたちは目標達成を追い求めた。

 それゆえ妖魔艦が登場し、その延長線上にファンタズマが生まれた。

 世界最高の頭脳集団は人間以上を目指した結果、人間以下の鬼になったのだ。


「リーベル人たちが自力で止まるのは無理だった。それを止めた竜騎士団とあなたたちはよくやったわ」


 これは本心だ。

 元々、彼女は〈海の魔法〉を作りたかったわけではない。

 リーベルが沿岸輸送に留まらず、外洋へ進出した結果、大頭足や海賊に対する備えとして必要になってしまったのだ。

 その結果、お得意の魔法を海で使う術があると、リーベル人たちへ教えることになってしまった……


 以後、無敵艦隊の存在は彼女をずっと苛み続けてきた。

 おまえは間違っている、と。


 その間違いを竜たちが正してくれた。

 彼女は恨みどころか、帝国に対して感謝していた。



 ***



 給仕がぬるくなってしまったお茶を淹れ直してくれた。

 ユラユラと湯気が立ち上るが、東風がすぐに吹き飛ばしてしまう。


 せっかくのお茶がまた冷めてしまう。

 ロイエスは一口つけた。


 ——それで女将は精霊艦が嫌いだと言っていたのか……


 白兵戦の只中で女将がエルミラに言った言葉だ。

 妙だと思っていた。

 魔法艦の生みの親なのに精霊艦が嫌いだなどと。


 彼はようやく合点がいった。

 だとすると帝国魔法艦隊など論外だということになる。


「本当はワシらにも魔法艦隊などやめてほしいのか?」

「……できればね」


 そう、可能ならばそれが一番望ましい。

 だが女将はいまさら無理だということも理解していた。

 いまさら魔法艦など最初からなかったことにはできない。


 隠遁生活を始めた頃、彼女には魔法艦そのものを否定する気持ちしかなかった。

 それから月日は流れ、いまの彼女は危険でなければ良いのではないかと考えるようになっていた。


「せめて、スキュート型やトルビーヌ型くらいにしておいてほしいわね」


 この二種はペンタグラム同様、魔法攻撃を人力で行う。

 彼女が提唱した〈海の魔法〉の範疇内にある艦型だ。

 また竜も人が制御している。

 ゆえに第四艦隊のようなものなら女将は反対しない。


 逆に第三艦隊はダメだ。

 アルンザイト以外は全艦ネヴェル型精霊艦だ。

 人の手に余るものを海に持ち込むべきではないとする〈海の魔法〉に反している。


 ロイエスとシオドアは段々と事情がわかってきた。


 女将たちにとってファンタズマは精霊艦以上に存在していてはならない艦だ。

 一刻も早く消し去りたいが、外法によって少女と艦が結び付けられているから手荒なことはできない。

 エルミラは本当に海賊として一旗上げたわけではなかったのだ。

 艦というより、少女を守ろうとしていただけだった。

 自衛というには被害甚大だったが……


 シオドアは一つ提案した。


「〈柩〉を宿屋号に移してはどうか?」


 もちろん柩だけでなく、全乗員も移乗する。

 総員退艦を確認した後、になったファンタズマを撃沈するのだ。

 エルミラ一味については、敵艦の転移に巻き込まれたと司令部に報告する。

 これで討伐命令は一応達成できる。

 あとは落ち着いて少女の救助方法を探せばいい。


「ありがたい提案だけど……」


 女将とエルミラは困った表情を浮かべ、提案を拒否した。

 提案冒頭の柩を移すというのが無理だった。

 それができれば少女を連れて哨戒網突破などやらない。


 柩からは大小様々な管が伸びており、少女から艦へ何かを送ったり、逆に艦から受け取ったりしているらしい。

 どの管が何を司っているのかわからないのだ。


 わからないまま引っこ抜いたら、少女が危険なのはもちろん、柩から何かが漏れ出して世界に危険が及ぶかもしれない。


 忘れてはならない。

 用いられているのは外法なのだということを。

 柩の扱いを間違えたら中から外法の何かが噴出し、世界が不死に包まれるということだってあり得るのだ。


「むう……」


 シオドアは呻き、黙り込んでしまった。

 代わりにロイエスが、


「ワシらにはどうにもできんが、女将でも無理なのか?」

「できるとは断言できないわね」


 確実なのは外法を施した本人に解除させることなのだが……

 術者は強力な魔法使いであることが多いのだ。

 運よく見つけられても大人しく従ってくれることはない。


 よって女将やエルミラが少しずつ解いていくしかないのだ。

 女将が彼らに引き揚げてくれと頼んでいるのは、彼女たちの都合だけではない。

 世界のためにも、外法の解除を邪魔しないでくれと言っているのだ。


 俯いたまま聞いていたシオドアが再び思い付いた。


「司令に事情を説明し、解除法が見つかるまでウェンドアを拠点にしてはどうか? 解体する場所だって必要だろう」


 その方が帝国側も安心だ。

 他国に譲り渡すのではないかと気を揉まなくて済む。

 正直者の彼らしい提案だったが、女将より先に提督が止めた。


「シオドアよ。エラケスはなぜ死んだ?」

「それは、奴がネイギアスと……あっ……」


 抗魔弾は密かに積み込まれたというが、簡単なことではない。


 ネイギアスから直接ウェンドアに運び込もうとすれば、哨戒艦の探知に捕捉される。

 エルミラのように島南部から上陸し、陸路で運ぼうとすれば街道巡回の騎士団に発見される。

 街道を避け、モンスターだらけの森を通ってウェンドアに着いても城門で荷物を調べられる。

 これらをすべて突破できたとしても、ガラジックス号に積み込むまでには、まだ役人や軍人たちの許可がいくつも要る。


 哨戒艦から積み込み許可の役人たちまで、全員内通者である可能性があるのだ。

 もしかしたら司令も……


〈老人たち〉は心の隙に付け込んでくる。

 敵にも味方にも、老人たちのに汚染されている者はまだ大勢いると警戒すべきだ。


 敵味方双方に内通者がひしめいているのだとしたら、リーベル征服について提督たちが不審に思っていたことも合点がいく。


 竜に対する警戒を強めていたリーベルを、上陸部隊を満載した兵槽船だけで征服する。

 こんな無謀な作戦がよく承認されたものだ。


 大国を攻め落とそうとしたら、その準備に大金がかかる。

 ところが帝都付近の物の相場に目立った変動はなかった。

 つまり特別な準備はしていなかったということだ。

 敵方の主だった者たちを買収済みだとはいえ、ナメすぎではないか?


 だが双方の高級軍人や大臣たちがネイギアスの手先になっていたのだとしたら、何の心配もない話だ。

 王国の哨戒艦隊から攻撃されないと知っているから、安心して兵槽船を出せたのだ。


 いまのウェンドア司令も怪しい。


 彼は戦後すぐに赴任した。

 元は別の地で司令を務めていたのだが、兵槽船が出撃する少し前に帝都へ帰ってきていた。

 まるでイスルード全島が占領でき次第着任できるように備えていたみたいではないか。


 もちろん憶測にすぎない。

 司令については単なる偶然の可能性もある。

 ならば副司令は?

 さらに下の者は?

 司令からエラケスまでの間に内通者が一人以上いたことは確実だ。


 帝国所属のガラジックス号がネイギアスの特殊弾を発射した。

 これは憶測や考えすぎではない。

 第三艦隊が目撃し、体験した事実なのだ。


 ウェンドアの城門には今日も帝国の旗が掲げられていることだろう。

 でも、その旗を破れば中からネイギアスの旗が出てくるかもしれない。



 ***



 ロイエスは腕組みして悩んでしまった。


「ややこしいことになったな」


 ウェンドアでファンタズマを解体することはできない。

 解体したことにしてネイギアスに送られる可能性がある。

 他の港も安心できない。


 この場で撃沈するのが確実だが、女将とエルミラが許さないし、帝国の二人もリルを見てしまってから気が引けてしまった。

 海賊はぶっ殺せるが、少女は無理だ。


 そうなると、女将の案が最も妥当だということになる。

 常に所在不明な宿屋号の下で少女を外法の柩から救出する方法を探す。

 少女だけでなく、世界にとってもこれが一番安全だ。


「致し方なしか……」


 白髪混じりの頭をいくらひねってみても代案が見つからない。

 提督は腕組みを解き、女将の案を受け入れた。


 隣でシオドアの表情が苦いが、ここまでの話を理解してはいるようだった。

 納得するには時間がかかるだろうが、いまはそれで良い。


「さて、どう報告したものか……シオドアに任せて良いか?」

「て、提督っ⁉」


 上官が面倒な仕事を部下に押し付ける。

 やられる方は笑い事ではないのだが、異常な話の後にやってきた日常的なやり取りが面白く、女将は笑った。


「まあ、ひどい」


 一頻り笑った後、彼女は提案した。


「こういうのはどうかしら?」


 提出する報告書には、「あと一歩まで追い詰めたところで敵が忽然と消えた」と記すのだ。


「そんなふざけたことが書けるか!」


 こんな滅茶苦茶な話をどうまとめれば良いのかわからずに悩んでいるのだ。

 そう書ければ誰も苦労しない。

 シオドアの怒りはもっともだった。


「そう? 帝都の怪談話になっている幽霊船だから信じてもらえると思うけど……」


 女将は怒る若者をあしらうように嘯きながらロイエスの方を見ると目が合った。

 彼もこちらを見ていた。

 どうやらこちらは怒っていないようだ。


 顎鬚をいじりながら、


「……なるほど、それは面白いな」


 彼は小さく呟いた後、テーブルに両手をついて怒っているシオドアに向かって、


「もう良い、シオドア。報告書はワシが書くことにしよう」

「は? ……いや、しかし」


 敵が消えました、とウェンドア司令部に報告する。

 面白い手だ。

 こんな面白くて危ないことを部下には任せられない。


 内通者たちはあまり騒ぎを大きくしたくないはずだ。

 できれば静かに、密かに、ファンタズマをネイギアスに届けたい。


 だから司令がされていた場合は、それほど声を荒げずに報告書を受け取るかもしれない。

 潔白だった場合にはふざけた報告書だと激しく叱られるが、副司令か誰かが取り成しに入る。


 その後、彼らはファンタズマの能力を見た提督たちに接触してくるだろう。

 もしくは消しに来る……


 シオドアはふざけていると怒ったが、女将は大真面目だ。

 真面目に、内通者を特定して用心しろと言っているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る