第82話「撃沈と解体の違い」
宿屋号甲板の和議の席上、ロイエスは女将の言葉に驚いていた。
いや、女将というよりいまはロレッタ卿か。
〈海の魔法〉を始めた彼女自らが、間違っていると。
この船はいつ訪れても楽しい。
毎回飲んで、歌って、殴って……
だがそれだけだった。
彼女は客の話相手になるばかりで、自分のことを殆ど話さない。
彼もこれまで直接聞こうとはしてこなかった。
リーベルの英雄が地位を捨てて海を彷徨っているのだ。
何か嫌なことがあったからに決まっているではないか。
彼女とは長い付き合いになるが、その個人的な気持ちを聞いたのは今日が初めてだった。
「私たちは間違っている、か…… 今日の女将は自虐的だな。リーベルはいまでもあんたを崇めているぞ?」
「そうね…… なんだか民衆を騙しているみたいで気が咎めるわ」
シオドアは初めて聞く話かもしれないが、エルミラは違う。
初めて会った日に本人から歴史の真相を聞いた。
女将の心にはいまでもコタブレナの惨劇が焼き付いているのだ。
「ペンタグラムを作るべきではなかった。そうすれば魔法艦が現代まで続くこともなかった。だから——」
女将はロイエスに向き直った。
「…………」
それが齢数百を数える魔女が放つ魔力なのか、あるいは〈海の魔法〉を正そうとする者の気迫なのか。
提督とシオドアだけでなく、エルミラも思わず背筋が伸びた。
「だからファンタズマに関わるのはやめなさい」
反則に頼らなくても帝国には竜があるのだから、魔法艦は不要だ。
特にあの艦を研究し、量産しそうな連中には絶対に渡さない。
あの艦は彼女たちが責任もって解体するといって譲らなかった。
提督は心の中で首を傾げた。
解体の話ならシオドアから聞いている。
物の値打ちがわからない小娘の戯言だと思っていたが、いま女将の口から同じ言葉が飛び出した。
よくわからない話だ。
それでも——
提督たちは撃沈したい。
女将は解体したい。
あの艦を消したいという一点は一致しているのだ。
そこで提督は妥協案を提示した。
彼としては獲物を自分の手で仕留めたかったが今回は譲る。
彼とシオドアの見ている前で、女将がさっきの火球でも何でも、好きに解体してもらって良い。
木端微塵になったところを確認さえできれば、こちらも討伐命令を達成して帰還できる。
その後、一味の身柄をどうするかという問題は残るが……
しかし女将は首を横に振った。
「別に私の獲物を横取りするなと言っているわけじゃないのよ。私たちはあの艦を〈解体〉したいの。〈撃沈〉は困るわ」
提督とシオドアは顔を見合わせた。
武器を使わず、一つ一つ丁寧に分解したいということか?
二人共、そのくらいのことしか思い浮かばなかったが、たぶん違う。
「不勉強で済まないが、その二つはどう違うのだ?」
撃沈と解体の意味の違いなど、深く考えたことはなかった。
ロイエスの人生を振り返ると、陸より海にいる時間の方が長いが、女将に比べたら最近海に出たばかりの新米同然だ。
彼は素直に未熟を認めた。
「いいえ、あなたたちは決して不勉強ではないわ。ただ——」
撃沈と解体。
女将やエルミラにとって二つは全く違うものなのだ。
これらは別の言葉に置き換えるとわかりやすい。
彼女たちにとって撃沈は〈殺害〉を意味し、解体は〈救出〉を意味するのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、女将……」
隣のシオドアと違い、ロイエスは思考することをまだ放棄していない。
それでも難解すぎた。
殺害?
船をか?
船乗りにとって船は大切なものだ。
愛着が湧くということも理解できる。
それを撃沈されたら、身内を殺されたような気分になるのかもしれないが……
彼は女将の正気を疑ったが、もちろん彼女は狂っていない。
狂ってなどいられない。
狂った〈海の魔法〉をあるべき姿に戻すためにも、あの少女を救わなければならないのだから。
女将は隣を振り返った。
「リルちゃんのことを説明するわよ? でないと、話が噛み合わない」
エルミラは一瞬固まり、チラッと向こうの席を見た。
視線の先では少女がまだひっくり返っていた。
「…………」
できれば女将以外に知られたくなかった。
エルミラにとってリーベルはいまでも実家だ。
悪行三昧の家だったが、それでも他国の者に知られるのは気分が良いものではない。
また友人の事情を初対面の者に聞かせることにも抵抗があった。
だが、女将の考えにも一理ある。
リルとファンタズマを切り離す方法がいつ見つかるか見当もつかない。
妨害は少ない方が良い。
現在、ファンタズマに目を付けている勢力は三つ。
ハーヴェン軍と帝国、それとネイギアス連邦だ。
ハーヴェンとはアジトで話がついている。
残るは二国だが、エルミラはこの旅を通して連邦がどういうところなのかわかった。
ロミンガンの〈老人たち〉は狡猾な連中だと聞く。
ウェンドアで籠の鳥だった彼女の耳にもその悪名が届く位だ。
まともに交渉できる相手じゃない。
そんな連中のところへ出向いて行ったら、リルとファンタズマを騙し取られるだけだ。
止めてくれた女将とじいに感謝している。
ネイギアスは諦めてくれないだろう。
これからも隙あらば奪取しにくることを覚悟しておかなければならない。
そうなると、あと交渉できそうなのは帝国だけだ。
少なくとも、〈老人たち〉よりは目の前の二人の方が信用できる。
エルミラはリルから帝国の二人に視線を戻した。
二人共、不思議なものを見るようにこちらを見ていた。
それはそうだろう。
彼らは霊式艦のことを知らない。
なぜ少女を見て悩んでいるのか、その意味がわからないのも無理はない。
彼女は少女を見ながらうまい説明を考えてみたが、何も浮かばなかった。
人型のことに触れないなんて無理だ。
女将も無理だから承諾を求めてきた。
不思議そうな目を向け続ける第三艦隊の二人。
こいつらはウェンドア沖に帰ってきた夜、こちらに十字砲火を仕掛けてきた。
そのことについて恨みはない。
むしろ期待が持てる。
遮光という魔法の存在を知らなかったのに、よくぞこの辺に見えない敵がいるのではないかと見当がついたものだ。
彼らは状況判断を放棄し、命令だからと盲目的に従う石頭共ではない。
そうでなければ、何もないはずの海へ一斉射撃などできはしない。
交渉するなら、このような柔軟な思考の持ち主たちにするべきだ。
うまくいけばネイギアスを警戒しなければならない者同士、手を組めるかもしれない。
エルミラの心は決まった。
「……やむを得んな……すまないが、女将からこいつらに教えてやってくれ。私は……うまく説明できそうにない」
そう言ったきり、下を俯いてしまった。
女将が正しい。
敵の敵は味方につけた方が良い。
だが現時点ではまだ味方ではなく敵なのだ。
これからその敵に実家の悪行と友人のことを洗いざらいバラしていく。
聞いたあと、理解したこいつらの態度は変わるかもしれないが、同時に少女を見る目も変わるだろう。
こいつは化け物だ、と。
だがそれを非難することはできない。
帝都沖で自分も一度は同じことを考えてしまったから。
だからこいつらが思うことは理解できる。
それだけに最悪の気分だった。
ファンタズマ号艦長としての責任がなかったら、席を立ってどこか遠くへ行きたい。
それが叶わないのなら、下を向いて大人しくしているしかなかった。
女将は言葉短く承った。
「ええ、わかったわ」
それだけだ。
他には何も言わない。
痛みを伴う決心をした者に、いたわりや寄り添いの言葉が必ずしも思いやりになるとは限らないのだ。
せっかく固めた決心にヒビを入れることにもなりかねない。
そういうときは無駄口を叩かず、すぐ本題に入れば良いのだ。
それがこの場における思いやりだ。
エルミラのことはこれで良い。
次は帝国の二人だ。
女将は正面を向いた。
「それじゃ、二人共よく聞いてね」
「ああ。お聞かせ願おうか、女将。一体どういうことなのかね?」
これで二人にも事情がわかる。
愛する船が壊されたら、まるで殺害されたような気分になってしまう——
女将はそんな妄想と現実の区別がつかない人間ではない。
その点については提督だけでなく初対面のシオドアも同感だ。
だが、どういう意味なのか尋ねたら、彼女たちはなぜか少女のことを気にしだした。
あの子とファンタズマ号は何か関係があるのか?
おそらくそのことも語ってくれるのだろうが、エルミラの様子から察するに只事ではなさそうだ。
心して聞かなければならない。
ロイエスとシオドアは何が飛び出してきても動じないよう、心を構え直して女将の話に耳を傾けた。
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