第81話「ロレッタ卿vsロイエス提督」

 宿屋号甲板——


 昨夜から戦闘続きで何も口にしていなかった一同は、あっという間に朝食を平らげた。

 エルミラとシオドアはまだ互いを警戒していたので出された分だけにしておいたが、ロイエスは女将と和やかに談笑しながらおかわりした。


 だがそれも一回だけだ。

 提督は大人なので適量というものを知っている。

 リルのように限界までおかわりするような真似はしない。


 少女はいま、以前と同じようにひっくり返っている。

 リスのようにほっぺたを膨らませ、満腹になったら河豚のように腹を膨らませる。

 水兵たちが笑いながら彼女を介抱してくれていた。

 とは言っても、落ち着くまで休ませておくしかないのだが。


 本日二度目のシオドアの雷が彼らへ飛ぶが、あちらは心配なさそうだ。

 聞き耳を立てて、話の流れが気に入らないからと乱入してくることはないだろう。


 こちらの席は食器が片付けられ、食後のお茶が四つ並んだ。

 話し合いを始める。


 改めて提督とシオドアが名乗った。

 続いてエルミラ。


「……エルミラだ」


 二人は帝国海軍から名前まで略さず名乗っているのに、これはあまりにも失礼だ。

 女将は彼女を咎めた。


「ちゃんと名乗らないと失礼よ」

「そうは言うが——」


 提督もシオドアも現在の肩書を名乗っている。

 しかし彼女にはそれがないのだ。


 元王女?

 元兵団長?

〈元〉なのだから現在はその身分ではないということだ。

 決して気に入らないからぶっきら棒な態度を取ったわけではない。

 ただのエルミラと名乗るしかないではないか。


 女将は彼女の言い分を聞くと、深い溜め息を一つ吐いた。


「肩書ならあるでしょう……まったく、これじゃ一体何のためにのか……」


 とりあえず三人の自己紹介が終わり、最後は女将の番となった。


「私は宿屋号の女将、そして元リーベル王国海軍魔法兵団初代団長ロレッタ。それから——」


 そこで女将は一旦区切ると、エルミラの方を向いた。


「彼女は私の弟子よ」


 彼女の自己紹介を聞いた提督は、その表情が僅かに強張った。

 これは弟子の言葉足らずを師匠が補ったというような微笑ましいものではない。

 女将に先手を取られてしまった……


 ロイエスは獲物とは一切取引しないと決め、撃ったり、斬ったり、殴ったり……

 永い間、そんなことを繰り返している内に彼は和議という言葉の戦いに対しての勘が鈍っていたのだ。


 彼は心の中で自らの迂闊さに舌打ちした。

 この和議、形式上の相手は海賊エルミラだが、実質的な相手は女将だ。

 魔女との戦いは着席したときからすでに始まっていた。


 魔女の先手は元初代団長と名乗ったことだ。

 いま提督の前に座っているのはただのロレッタではなく、リーベル救国の英雄、ロレッタ卿だということだ。


 今日、彼女はノイエッド号の核室を遠く離れた空間へ転移させてから火球で処理した。

 かつて魔法王国が認めた力は今日も健在だった。


 彼女は過去の栄光ではない。

 現役の大魔法使いだ。

 これを倒そうと思ったら一個艦隊では足りない。


 その強力な魔女がエルミラを弟子と呼んだ。

 つまり脅しだ。

 これ以上我が弟子を海賊扱いするなら力を行使する。

 それが嫌ならもう手を引け、と。


「ふむ……」


 提督は顎鬚をいじる。


 ——どう返そうか……


 少しすると何かを思い付いて手を下した。

 反撃開始だ。


「では、海賊エルミラはやがて女将の後を継ぐわけか?」

「私は海賊ではない! いい加減にしてくれ!」


 すでに駆け引きが始まっているのだが、そのことに気付いていない純粋なエルミラが割って入った。

 さらにシオドアが彼女の烈火の様な怒りに油を……


「まだ言うか! 罪状の数々が海賊だと名乗っておるわ!」


 全員名乗って早々、大人の交渉は空気が読めない若者二人によって決裂の危機を迎えた。

 だが、


「やめなさい」

「座れ、シオドア」


 女将と提督がそれぞれの若者を諫めた。

 本当は大人二人だけで話し合った方が円滑なのだが、艦に残しておけばいまのように戦を再開しかねない。

 うるさいが傍に置いて、余計なことを始めないように見張るしかないのだ。


 提督が尋ねてそれに女将が答えるところだったのだが、若者たちの乱入で途切れてしまった。

 しかしそのおかげで新たな問題点が見つかった。

 提督はまず、そちらから解決することにした。

 即ち——

 エルミラは何者なのか?


 女将は弟子だという。

 シオドアは海賊だというし、提督もそう思っている。

 これでは平行線のままだ。


 こういうときは本人に自分自身をどう認識しているのかを尋ねるのが一番だ。


 三人の視線が彼女へ集中する。


「私は……」


 ——さあ、言え。


 提督は目当ての言葉を待っていた。

 おそらく、この小娘は「ただのエルミラだ!」と答えるだろう。

 それこそが狙いだ。


 彼女は自分で言っている通り、海賊ではない。

 海賊としてやっていくには真っ直ぐすぎる。

 真っ直ぐで下手くそだから、帝都からずっと隠密行動に失敗し続けているのだ。


 帝国軍を狩って海賊としての箔をつけようとしたのではない。

 見つかってしまったから戦うしかなかった。

 それが彼女の武勇伝の真相だろう。


 さっきの白兵戦では先頭に立って突っ込んできた。

 危険を他人に押し付けず、自らが真っ先に身体を張る。


 不器用な正直者。

 シオドアに似ている。


 だからこそ彼女は弟子とは名乗るまい。

 名乗れば女将が海賊の関係者として帝国から睨まれる。

 師匠を危険に晒したくはないだろう。

 これで厄介な魔女と小娘を切り離すことができる。


 対するエルミラは……

 提督の思惑通りに答えるつもりだった。

 しかしその直前、視界の下の端にマジーアの柄が見えた。


 魔法剣マジーア。

 女将の師匠、大魔法使いマジーア作の業物だ。

 永らく空想上の魔法剣だと思われていた。

 その伝説の名刀がなぜかいまエルミラの腰に下がっている。


 彼女は答えかけていた言葉を飲み込んだ。

 考えてみればおかしなことだ。

 ただのエルミラだというなら、なぜマジーアがここにある?


 気のせいか、彼女の目に映る名刀が怒っているように感じた。

 我を持つに相応しいと、師匠がおまえを認めたからではないか、と。


 瞑目して考える。

 弟子と名乗らなければ、女将に危険が及ばないようにできるかもしれない。

 だがそれは師匠を信じていないということだ。

 師匠は弟子を信じて愛刀を託してくれたというのに……


 エルミラは目を開いた。


「私は、何だね?」


 提督が彼女に答えるよう促す。

 彼個人も帝国も、伝説級の大魔法使いを敵に回したくない。

 そのためには小娘の口から弟子ではないと、女将の言葉を否定してもらう必要がある。


 エルミラなら女将と無関係だ。

 直ちに一味を逮捕して、ファンタズマ号はこの場で撃沈する。

 女将とは和睦し、ノイエッド号の核室にしたことは不問に付して戦争を回避する。

 これが提督の考える最善の道だった。


 果たして彼女の答えは……


「私は……」


 マジーアの重量、存在感がベルトを通して彼女の背を押す。

 大丈夫だ。

 信じろ、と。


 迷いは吹っ切れた。


「私は、女将の弟子エルミラだ。女将の後を継ぐかどうかはまだわからない」

「ふむ……」


 提督は困ってしまった。

 再び髭をいじりながら目を伏せて考え込む。

 まさか師匠の迷惑も顧みずに弟子だと名乗るとは……


 シオドアもこのやり取りを見て、ようやく意味を理解することができた。

 わかってしまった以上、さっきのように怒鳴りはしない。

 ただ、何て悪知恵が回る魔女なんだと、女将とエルミラを交互に睨んでいた。


 困っている提督に成り代わって、この魔女を言い負かしてやりたい。

 だが彼に向けられる優雅な微笑みが、おまえの浅知恵などすべてお見通しだと物語っていた。


 こちらが一つ屁理屈を出したら、矛盾を見つけだして返り討ちにした上、トドメ代わりの正論が一〇〇個位飛んできそうだ。

 勝てる気がしない……

 せめて提督の足を引っ張ることだけはするまいと、シオドアは口をへの字にして辛抱するしかなかった。


 提督は単独で魔女と渡り合わなければならない。

 どう切り返すのか?

 待っていると、彼の髭いじりが止んだ。


「女将はそれで良いのか?」


 師匠が弟子を庇う姿は微笑ましいが、それに免じて手を引くというわけにはいかないのだ。

 哨戒任務中に不審船を発見したのではない。

 エルミラ一味を討伐せよという名指しの命令だ。

 加担する者にも討伐命令が及ぶ。


 対する女将の返事は簡潔だった。


「ええ、それで構わないわ」

「いや、しかし……それでは女将が……」


 女将が構わなくても、提督が構うのだ。

 それでは魔女と帝国の戦争になってしまう。


 女将の戦力は宿屋号とファンタズマ号、それと彼女自身だ。

 海戦は魔法戦になる。


 帝国側は日々鍛えてきた魔法艦隊の出番だ。

 ところが第四艦隊は昨日全滅し、第三艦隊も壊滅してしまった。

 リーベルから接収した魔法艦はまだあるが訓練中で、無理に出せば何もできないまま沈められるだろう。

 すぐに動ける魔法艦隊はこの二つだけだったのだ。


 帝国には魔女と戦える武器がない。

 そんな弱音を聞いたら、帝都の竜騎士派は叫ぶだろう。

 それこそ竜騎士団の出番だ、と。


 竜——

 魔法艦を葬った海軍の小竜隊や陸軍の大型竜たち。

 次の時代を担う精鋭たちならば……


 だが魔法艦の護衛がない竜母艦を、どうやってファンタズマの夜襲から守る?

 陸軍の大型竜に叩いてもらおうにも、宿屋号を沿岸まで追い込まなければならない。

 その追い込む作業に魔法艦隊が必要だという矛盾に陥ってしまうのだ。


 また帝国はすでに二つの敵を抱えている。

 東の反乱軍と南のネイギアスだ。

 その上さらに第三の敵など追加するわけにはいかなかった。


 席を挟んで提督は難しい顔で困っているが、女将はその都合に付き合うつもりはない。

 リーベル人たちに歪められてしまった彼女の〈海の魔法〉を本来あるべき姿に戻す。

 これが女将の悲願、今日まで生き永らえてきた理由だ。


 その悲願を成就するのに必要なエルミラを引き渡すはずがなかった。

 例え帝国と戦争になっても構わない。

 邪魔する者はマジーアで斬って捨てる。

 それが女将の愛刀がエルミラの腰にある意味だ。


 坊やロイエスはまだその意味を理解できていないようだ。

 いや、野蛮さと聡明さを兼ね備えている彼のことだ。

 本当は理解できているのだが、受け入れられずにいるのだろう。


 ——だったら受け入れやすくなるように、わかりやすく話してあげるわ。


 彼女は提督に向かって両手を差し出した。


「お預かりするわ」

「な、何をだ?」


 たった一言で何のことかわかるはずがない。

 提督が尋ねるのも当然だった。

 他の二人も同じだ。

 一体何を預かろうというのか。


「ウチでお買い上げいただいた剣は、責任もってお手入れさせてもらうわ」


 提督が若い頃に魔法剣を買ったというのは宿屋号のことだったのだ。


「そうだな。さっきヒビが入ってしまった」


 女将は両手で受け取ると、少し抜いてその箇所を確かめた。

 確かに鍔迫り合いしていたところに、はっきりとわかるヒビが入っていた。

 控えていた給仕に渡し、彼女はクスクスと笑った。


「だめよ、坊や。物は大切に扱わないと。特に——」


 そこで一旦区切って女将が真顔になった。


「我が愛刀マジーアと斬り結んだら、刃が負けるに決まっているでしょう」

「! ……マジーアだと⁉」


 ロイエスもシオドアもこの魔女の本気を知った。

 彼女がこの小娘を使って何がしたいのか知らないが、その邪魔をするなら世界と戦争になることも辞さない覚悟だ。

 伝説の魔法剣はその証だ。


 帝国との戦争回避などと、想定していた話が小さかった……

 提督は呻いた。


「この小娘にそこまで…… 女将、あんたは一体何がしたいのだ?」


 形式上ではあるが、交渉相手であるエルミラを小娘呼ばわり。

 大変な無礼だが、彼女は怒らなかった。

 いまはそれどころではない。


 女将は一体、何をしたいのか?

 宿屋号の航海目的なら以前聞いたが、その航海を通して女将が何を叶えたいのかは知らなかった。

 質問したのは提督だが、エルミラもその答えを知りたい。


「何って、それは——」


 女将は横を見た。

 その先にはリルがまだ食べ過ぎで苦しんでいる姿があった。


「私たちは間違っている。だから間違った〈海の魔法〉を正しい姿に戻したい」


 間違いの根源たる〈海の魔法〉を考案したロレッタ。

 それを歪めて増長していったリーベル人たち。

 その間違いを引き継ごうとしている帝国。

 そして、外法を用いてでも魔法王国に取って代わりたいネイギアス。

 これらすべてがなのだ。

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