第78話「力加減」
第三艦隊旗艦が突然自爆した。
ファンタズマに立つエルミラからもその火柱が見える。
彼女には提督の笑みがわからなかった。
だがロイエスはそれを解説するようなお人好しではない。
乗り移った彼の部下たちへ命令した。
「時間を稼げ!」
——時間? 何の?
わからないが、考えている暇はない。
部下たちへの指示を終えた提督が彼女へ斬り掛かってきた。
どういうことなのか尋問したいがやむを得ない。
一刻も早く自爆した敵艦から離れなければならないことは確かだった。
それを阻止しようとするなら、魔法剣の一太刀で剣も提督も斬り捨てるしかなかった。
ところが——
ギィンッ!
提督の剣は魔法剣の斬撃を受け止めた。
「魔法剣⁉」
彼女は驚いたが、考えてみれば帝国はリーベルを倒してすべてを手に入れたのだ。
提督が持っていても不思議ではない。
彼はそれを察したのか、鍔迫り合いしながら皮肉交じりに反論した。
「勘違いするなよ? これは若い頃に買ったものだ。おまえの
帝国が海賊と目するエルミラ。
その海賊の盗品ファンタズマを買ってくれる商売相手。
つまりネイギアスだ。
「誤解だ! 私たちはネイギアスに向かっているのではない!」
「ほざけ! 海賊の盗品を堂々と買う国はネイギアスしかないわ!」
二本の魔法剣も主たちの意思を反映して鬩ぎ合う。
提督の魔法剣は現代の魔法使いの手によるもの。
作者はわからないが、おそらくリーベル製かネイギアス製の業物だろう。
伝説の魔法剣と鍔迫り合いができるのだから。
しかし……
ピキッ!
そのとき微弱ではあったが、提督の魔法剣から嫌な音がした。
刃が毀れた。
マジーアの剣圧に耐えられなくなったのだ。
これ以上続ければ剣をへし折られる。
たまらず前蹴りを放って彼女を押しのけようした。
しかし彼女はこれを読み、後へ飛び退って躱した。
「違うと言っているのに、海賊、海賊とうるさい奴らめ」
彼女にしてみればその時々でやむを得なかったのだが、やられた帝国側にしてみれば紛れもない犯罪の数々だ。
「フンッ、戯言は自分の行いを振り返ってからするがよい」
彼女のぼやきを一笑に付し、提督は突きの構えをとった。
剣にひびが入ってしまい、これ以上あの魔法剣を受け止めることはできない。
それどころか、斬りつけた衝撃でも折れるかもしれない。
突きしかない。
それもあと一回が限度だろう。
だからこの一突きで海賊エルミラを討ち取る!
二人の言い合いが止んだ。
互いに次の一撃で決めようと集中を高める。
ようやく提督のいう時間稼ぎが何なのか、彼女にも理解できた。
ノイエッドの精霊を暴走させ、ファンタズマを巻き込むつもりなのだ。
精霊が暴走するまでの時間はそれぞれ異なる。
火精は一律この位の時間だと明答することはできない。
それまでの時間を稼ごうということだったのだ。
いよいよそのときが訪れたら彼らは海に飛び込むのか、艦と運命を共にするつもりなのか。
どちらか知らないが、エルミラたちはお断りだ。
さっさと終わらせてノイエッドから距離を取らなければならない。
次の一太刀で決めなければならないのは提督もエルミラも一緒だった。
向き合う剣先がピクピクと揺らぐ。
少しでも相手を崩そう。
そして自分は崩されまいと、細かくフェイントを掛け合っているのだ。
膠着する気の鬩ぎ合い。
不利なのはエルミラだった。
もちろん提督は目の前の敵を討ち取りたいが、別にこのままでも良いのだ。
時間稼ぎという目的が一秒、また一秒と成功していく。
対する彼女は違う。
こういう戦いで焦りは禁物。
それはわかっているが、ノイエッドの転移はいつ始まってもおかしくない。
転移はこの世界のあらゆるものを球状に抉り取っていく。
このままではこちらの精霊室も核室もすべて持っていかれてしまう。
そうなったらリルの〈柩〉が……
相手が動かないなら、こちらから動いていくしかない。
彼女の爪先に力が入った。
それを見てとったロイエスも勝負の瞬間がやってきたと備える。
——いまだ!
意を決したエルミラが突撃する。
そのときだった。
「何だ、あれは⁉」
「提督! 至近距離に大型艦が!」
いつからそこにいたのか誰にもわからない。
気が付いたらすでにいたのだ。
魔法艦登場以来、徐々に姿を消していった巨大な戦艦。
その戦艦二隻を繋ぎ合わせた双胴船が。
敵も味方もその威圧感に圧倒され、斬り合う手が止まってしまった。
エルミラとロイエスもだ。
そんな二人に近付く者がいる。
濃紺のドレスに身を包んだ黒髪の女性。
およそ白兵戦が繰り広げられている軍艦に似つかわしくない優雅な風貌。
宿屋号女将ロレッタだ。
彼女はファンタズマ左舷にいた。
そのすぐ後ろはもう海だ。
巨大な双胴船は艦首前方で停船している。
では一体どうやってその場所に下り立ったのか?
知らない者たちは不気味に感じたことだろう。
だが当の彼女はお構いなしだ。
コツコツと靴音を鳴らしながら二人のところへやってきた。
どうやら右舷に用があるようだが、交差寸前だった二人の剣が邪魔で通れない。
「通れないし、物騒だからしまってくれるかしら?」
「お、女将、どうしてここへ?」
「ロレッタ?」
エルミラはここに女将がいることに驚いた。
同時に提督が彼女を知っていたことにも驚いた。
しかし女将は弟子の疑問に答えてはくれない。
何となくだが、師匠は機嫌が悪そうだ。
こういうとき、彼女から剣をしまえと言われたらさっさとしまった方が良い。
それをグズグズとしまわないから……
「えっ⁉」
「うぉっ⁉」
突然エルミラとロイエスの手から剣が消えた。
落したのかと慌てて同時に下を見る。
「…………」
「…………」
二本の剣はそれぞれの鞘に納まっていた。
女将の仕業だ。
「ありがとう」
女将はこれ見よがしに礼を述べながら間を通り、まっすぐ右舷へ向かった。
強引に戦闘を終了させられてしまったが、文句を言うどころではない。
二人共呆然とその背中を見送るしかなかった。
斬り結んでいた兵たちも剣を引いて道を空けていく。
いまのやり取りを見てしまったら空けないわけにはいかない。
魔法の心得がない者でもわかる。
常人が敵う相手ではないと。
全員が注視する中、彼女は右舷に辿り着き、その欄干に手をついた。
そこから先には燃えているノイエッド号しかない。
「エルミラ」
「な、何だ?」
不意に名を呼ばれてエルミラはどもってしまった。
皆と一緒に呆けて見ていたので、彼女はまさか自分が呼ばれるとは思っていなかった。
何を言われるのかと構えていると、
「私、精霊艦って嫌いなのよ」
当然だろう。
妖魔艦の一件でロレッタはリーベルを去った。
その流れを汲むものを好ましく思うはずがない。
ただ、彼女は精霊艦と精霊魔法を分けて考えている。
決して精霊魔法という一つの体系まで一緒に否定しているわけではない。
精霊艦は妖魔艦と同じ軽はずみな呪物だと言っているだけだ。
精霊を帰らせるには、呼び出すときと同じだけの力を要する。
この世界に出現させるときには〈旅費〉を出してくれた術士が、帰るときはもう用済みで面倒だからほったらかす。
だから転移消滅が起きるのだ。
術士が帰りの〈旅費〉をくれないなら、周囲にあるものを旅費代わりにするしかないではないか。
核室から暴走した火精が、艦を火の塊に変えるのは仕方がないことだ。
それだけの火を用意しなければ旅費として足らない。
精霊艦は帰港前に核室の精霊を空中へ放出することになっている。
転移消滅の被害を防ごうとしているのだろうが、空気中には風の〈気〉がある。
これを〈旅費〉にされているのだ。
どうやっても、精霊艦のためにこの世界の何かが削られていく。
何が海洋魔法大国だ。
何が無敵艦隊だ。
ゆえに女将は精霊艦が嫌いだった。
その嫌いな精霊艦ノイエッド号の炎に向かって、彼女は右手を翳した。
「だから、こんなものを私の近くで暴走させないでちょうだい」
次の瞬間、炎がすべて消えた。
消火したのではない。薪のように燃えていた甲板の床板やマスト、船室の材木、それらの中心にあったはずの核室がすっかり消え去っていた。
だが核室の火精が帰ったのではない。
帝国兵の一人が気付き、ノイエッド号右舷のさらに先を指差して叫んだ。
「お、おい! あれ……!」
敵も味方も一斉に示す先に注目した。
遠く離れた空中に燃え盛る火の塊があった。
女将の空間魔法だ。
二艦を巻き込まない場所に転移させたのだ。
核室から這い出る寸前だった火精の姿も見える。
「少し足らないかしらね」
ノイエッドは全焼を免れてしまった。
確かにあの火勢では、火の精霊界まで旅費が足らないかもしれない。
女将は人差し指の先に小さな火球を作り、ピンッと弾いて火精の方へ飛ばした。
スウッと伸びていき……
カッ!
強烈な閃光が見ていた者全員の目を襲った。
「うわっ⁉」
「目が……!」
目が眩んだ人間の本能なのか。
女将以外の全員が目を抑えてその場に伏せた。
そこへ遅れて爆風がやってくる。
ゴォォォォォッ!
「うわあぁぁぁっ!」
あちこちから悲鳴が上がった。
海の男とか、軍人とか、そんなことを気にしている場合ではない。
皆、早く終わってくれと祈るのが精一杯だ。
火球爆発の衝撃波だからすぐに過ぎ去る。
それでも苦しんでいる者にとっては長い時間だ。
…………
轟音がようやく止んだ。
恐る恐る、一人、また一人と抱えていた頭を上げていく。
閃光で焼き付いた目がまだ治らず、ぼんやりとしか見えないが、女将は閃光の前と変わらず佇んでいた。
海に目を向けると、火の塊はどこにもなかった。
火精は火の精霊界に帰ったのか?
あるいは、あの女の火球で木端微塵にされたのか?
見られているのに気が付いた女将は皆に詫びた。
「ごめんなさい。久しぶりだったから小さく作るのが難しくて」
「…………」
……あれでも小さかったのか……?
その場にいた者は全員理解した。
常人が敵わないどころではない。
この女は人間じゃないと。
何か気に障ることをしたら命はない……
全員がそう怯える中、エルミラだけは平然としていた。
彼女は伝説の英雄ロレッタ卿。
口に出すと怒られるから言わないが、人外の者であることは明らかだ。
その彼女が火球を作ったらどう手加減してもあの位の爆発は起きるだろう。
それよりもさっきの質問の答えが聞きたい。
彼女は改めて尋ねた。
「ところで女将、ここへ何しに来たのだ?」
それは皆も知りたいことだった。
特に、敵なのかどうかは一刻も早く。
目障りな精霊艦が
いつも見せる優雅な微笑みを浮かべながら、尋ねたエルミラ以外にも聞こえるように答えた。
「私の船に来て、朝食でもどうかしら?」
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