第77話「鬼vs幽霊」

 ノイエッド号甲板に立つロイエスは頭に布を被り、後頭部で縛った。

 まるで海賊船の船長のようだ。


 本物の海賊と違う点は帝国海軍の軍服に身を包んでいることと、皮革のザックを背負っていることくらいか。

 甲板に集合している水兵たちも同様だ。

 軽い物を一点のみ携帯することを許可した。

 これから総員退艦する。


 艦隊八隻中、七隻が撃沈や救助で脱落した。

 第三艦隊提督としては素直に任務の失敗を認めざるを得ない。

 だが海賊としての狩りは終わっていない。

 まだ負けてはいない。


「野郎ども! 幽霊船が怖いか? 気味が悪いか?」


 彼は甲板に居並ぶ部下たちを振り返って尋ねた。


 もちろん鬼提督に向かって正直に怖いと答えられる勇者はいない。

 皆沈黙したままだが、それを咎めはしない。

 なぜなら、


「ワシは怖いぞ! 気味が悪いぞ!」


 鬼が幽霊を怖がる。

 面白い冗談だったが、兵たちは笑えない。

 笑ったらあとでどんな特別訓練をさせられるか……

 幽霊船は怖いが、頭巾を巻いてから口調まで変わった鬼提督のことも怖かった。


 提督は部下たちからどう思われているか知っている。

 上手い返しなど期待していない。

 彼は持論を述べようとしているだけだった。

 その狂った持論を——


「怖いからさっさとぶっ殺してあの世に帰ってもらえ! そうすれば怖いものはいなくなる!」


 これをエルミラが聞いたら、やはり頭がおかしいと確信が深まっただろう。

 シオドアがいたら、尊敬の念が消え去ったかもしれない。

 だが、この狂った言い分を直接聞いた水兵たちは盛り上がった。


「そうだ! ぶっ殺してやるぞ!」


 こういうものは理屈ではない。

 水兵たちの気持ちを掴めるかどうかが重要で、内容の矛盾など些細なことなのだ。

 徹夜明けで疲れていた兵たちの士気は最高潮に達した。


 これから艦を捨て、一部の魔法兵以外全員でファンタズマに乗り移る。

 その一部の者たちは?

 彼らには大事な使命があるので一緒には行かない。


 その使命とは、ノイエッド号の核室を破壊すること。

 弾薬をすべて捨ててしまったので魔法兵がやるしかない。

 それが済んでから彼らは海に飛び込む。


 いくら艦は消耗品だからといってあまりにも粗末にしすぎる。

 提督の心中を知らない者はそう思うだろう。

 だがそうではない。


 ロイエスにとってもノイエッドは大切だ。

 ただこの艦を作った魔法使いたちとはその意味合いが違うのだ。

 軍艦としての使命を大切にしてやりたい。


 撃ち合っても勝ち目がない相手に勝つには……

 彼が考え付いた方法がこの自爆だった。

 密着した状態で火精を暴走させ、強制転移に巻き込むのだ。


 精霊はこの世界を球状に抉りながら各精霊界へ転移する。

 もし丸ごと巻き込めなかったとしても、これで向こうの核室を抉ることができる。

 そうなれば中の闇精が暴れ出して手に負えまい。


 一緒に転移するか、遅れて転移するかが違うだけで、この方法が最も確実だ。


 あとはどこに接舷するか……

 艦尾でも良いが、できれば横付けでやりたい。

 艦型は違うが精霊艦同士、核室の位置は似たような場所だろう。

 即ち艦中央部だ。

 横付けしてから自爆すれば核室をより深く抉れる。


 うまく接触できたら、ありったけの鉤縄を引っ掛けてアルンザイトと同じようにする。

 向こうへ斬り込んで火精が転移するまでの時間を稼ぐのだ。


 ロイエスは最後の仕上げにすべての魔力砲を投棄した。

 どうせ撃ち合っても負けるのだ。

 ならばその分身軽になった方が良い。

 ノイエッドは最高速度に達した。


 段々とファンタズマ艦尾に集まっている敵兵の姿がはっきりしてくる。

 沢山の長銃や抜き身の剣が見える。


 ロイエスはそれを見て、我が策は成ったとほくそ笑んだ。


 追撃艦がものすごい速度で艦尾に迫ってきたら、誰だって当然艦尾から斬り込んでくると思うはずだ。

 だからそう思われるように速度を上げて突っ込んでいる。


 斬り込みは仕掛ける。

 しかしそれは艦尾ではなく舷側からだ。

 そのとき、魔力砲や長銃で待ち構えられているとやりにくくなる。


 確かエルミラ一味は一〇名程と聞く。

 艦尾の銃や剣を数えてみると数が符合した。

 砲手たちも白兵戦に備えて集まっている。

 海賊ロイエスは育ちの良い海軍様の意表を突き、敵を艦尾に集めることに成功した。



 ***



 元兵団長だったエルミラは軍人か、海賊か、と問われたら軍人だ。

 海軍軍人だった彼女にとって艦は消耗品ではない。

 壊れたら修理するし、常日頃から万全の状態に保っておく愛刀のようなものだ。

 だから敵艦を巻き込んで自爆するという発想はなかった。


 ノイエッドの様子がおかしいと気付いたのはノルトだった。


「姫様、妙です」


 帝国兵たちの喚声は聞こえるが、艦首に敵兵の姿が見えない。

 こちらの艦尾に突っ込むつもりなら、鉤縄やタラップの用意が必要だが、敵艦首にそういったものは一切ない。


 ——では、一体何が……


 何が狙いなのか、と彼女が呟いたのとほぼ同時に上から声がした。

 マストの見張り台からだ。


「敵兵は甲板中央に集結中!」


 上からしっかり見張っていたのだが、帆が邪魔で甲板がよく見えなかったのだ。

 そのために敵兵の位置発見が遅れた。

 急に見えるようになったのは、敵艦が帆を動かしたからだ。


 見つけ次第すぐに報告したのだから見張り員として、彼の仕事は決して遅くはなかった。

 遅いのはエルミラの判断だ。


 ——甲板中央? なぜそんなところに?


 意図がわからないことは気持ちが悪い。

 スッキリしない。

 こういうことはいつまでも頭に残って気になる。

 指揮官なら尚更だ。


 指揮官は齎される様々な情報を元に決断を下さなければならないので、不明なことがあれば明らかにしたい。

 だから迫る敵を前に、彼女は一瞬考えてしまったのだ。

 そのために指示が遅れた。


 海賊ロイエスはその隙を見逃がさない。

 帆を動かしたから見張り員が敵兵を発見できたのだ。

 つまり、


「敵艦が面舵へ急速転舵! 本艦右舷に出ます!」


 再び見張り員の報告が甲板にいる者たちの頭上に降り注ぐ。

 また意表を突かれてしまったエルミラは混乱したままだ。

 代わりにノイエッドが波を切る音で答えた。


 ザザザァーッ!


 白波を立てながら右へ出た後、少し取舵を切ってファンタズマと並走する針路をとった。


 提督の策は成功した。

 エルミラ一味は艦尾に集められ、甲板中央部はがら空きだ。

 狙い通り、敵舷側から斬り込みを仕掛けることができる。


 敵は魔法艦だ。

 障壁がある。

 そのままでは鉤縄を投げ込んでも弾かれるので、甲板の魔法兵が火球を撃ち込んだ。


 ボォンッ!


 火球は空中で爆発し、空中に波紋が生じた。

 さらにもう一発撃ち込み、障壁に穴を開けた。

 すかさず鉤縄を投げ込み接舷を完了する。

 同時にボートを海へ落とし、何人かの水兵も飛び込んだ。

 彼らは後から飛び込んでくる仲間を拾う係だ。


 ベテラン海賊ロイエスは新米のようにモタモタしない。

 これらの作業をテキパキと終え、剣を抜いて高く掲げた。

 そして——


「突っ込めぇっ!」


 ついに突撃の号令が下った。

 だがそこへ、


「撃てぇぇぇっ!」


 エルミラも艦尾から右舷の敵へ銃撃を開始した。

 彼女は火球の爆発音で正気に戻った。

 正気に戻れば決断は早い。


 斬り込みの先陣目掛けて銃弾が降り注ぐ。


 ノイエッド甲板から魔法兵が障壁で援護していたが、それでも何発かは突破する。

 数名の帝国兵がこちらへ到着早々倒れ伏した。

 だが彼らは怯まない。

 負傷者を飛び越えながら続々と雪崩れ込もうとしている。


 ——まずい……


 エルミラは魔法剣を構えて突撃した。

 突撃しながら銃撃を終えた乗員たちに命じた。


「奴らを下に行かせるな!」


 下——

 甲板の下にはマルジオ一家の船室があり、さらにはリルが……


「姫様に続け!」

「オォォォッ!」


 ノルトたちも遅れじと彼女の後に続いた。


 先頭を走るエルミラは右舷に急行する。

 急行しながら指揮官を探していた。


 水兵より身なりが良いのが士官たちだ。

 その士官たちの中に一際立派な初老の軍人を見つけた。

 おそらくこいつが斬り込みの指揮をとりにきた艦長か副長だ。

 彼女はその軍人に狙いを定めた。


 軍人は伝声筒でノイエッドに向かって何か叫んでいる。

 水兵たちの声がうるさいのだが、「やれ!」というのだけが辛うじて彼女の耳に聞こえてきた。


 何をやろうとしているのか知らないが、どうせこちらが困ることであることは確かだ。

 これ以上余計な指示を出される前に討ち取る。

 軍人の前に辿り着いたエルミラは魔法剣を構えた。


 彼も魔法剣の光に気が付いて伝声筒をしまう。

 剣を構え直し、立ちはだかる女艦長に尋ねた。


「おまえがエルミラだな?」

「そうだ。貴様は?」

「ワシは帝国海軍第三艦隊提督ロイエスだ」


 ——っ! こいつが……


 ノルトの話は本当だった。

 一目見てわかった。

 確かにこいつはやばい奴だ。


 将などという上品な輩ではない。

 もっと野蛮な、親玉とか首領とかそういう類のものだ。

 彼女の警戒心が否応なく上昇していく。


 そんなエルミラの心中など気にせず、親玉が口を開いた。


「海賊エルミラ、おまえには討伐命令が出ている」


 ロイエスは彼女の罪をあげていった。

 帝都での暴行及び少女の誘拐から始まり、昨日の第四艦隊の壊滅とさっきまでの追撃戦……


 黙って聞いていたエルミラだったが、少女の誘拐だけは首を捻った。

 身に覚えがない。


 少し考えて思い当たったのはリルのことだ。

 おそらく帝都で見られたのだ。

 だがそれをここで弁明することはできない。

 リルについて説明するのは難しい。


 それに誘拐の誤解が解けたとしても、他については申し開きのしようがない。

 どう否定しようと帝国にとっては凶悪な犯罪者そのものだった。


「そしておまえはもう一つ罪を犯した」

「な、何を?」


 ここにきてロイエスのやばさが増大した。

 怒りが込み上げているのがエルミラの目にも明らかだった。


 彼女が重ねたという罪、それはシオドアたちのことだった。


「なんだ、そのことか」


 ホッと胸を撫で下ろし、彼らのことを説明した。

 そちらの同士討ちに巻き込まれて怪我をしていたから手当てをしていたのだ。

 彼らの身柄は返すから大人しく帰ってほしい、と。


 だが提督は応じない。


「そんな話は聞けんな。この艦をネイギアスに売り渡そうとする輩を見逃がすわけにはいかん」


 シオドアもそうだったが、まったくの誤解だ。

 説明すればわかってもらえると思うが、いまこの状況においてエルミラは敵なのだ。

 敵の言葉を信じてくれるわけはないし、女将のことを明かすわけにもいかない。


 八方塞がってしまい黙ってしまったのだが、提督には図星と映った。

 また折り悪く、帝国兵たちが甲板に横たわっていた負傷者たちを発見した。

 縛られているシオドアも。


「捕虜は救出した。おまえと取り引きすることは何もない」


 では、大人しく降伏しろということか?

 エルミラの質問に対してロイエスは首を横に振る。


「おまえたちは降伏しても処刑は免れん。潔くここで死ぬがよい」


 丁度、言い終えたとき——


 ドォォォンッ!


 ノイエッドで爆発が起きた。

 ファンタズマ乗員は驚いて爆発の方を振り向いた。

 帝国兵も作戦通りに爆発したかと同じように見た。


 爆発は艦内中央部からだ。

 下から爆風に突き上げられて甲板の一部が吹っ飛んだ。

 エルミラは陸勤めだったが、それでもネヴェル型には何度も乗ってきたからわかる。


 あの場所はまずい。

 核室が……!


 まもなく精霊の暴走が始まるだろう。

 そうなればノイエッドは転移する。

 ロイエスたちはファンタズマに取り残されるのだ。

 形勢は逆転した。


 だがこちらも勝ちを拾ったと喜べる状況ではない。

 距離が近い。

 すぐにここから離れなければ転移に巻き込まれてしまう。

 もはや戦っている場合ではなかった。


 彼女は降伏を促そうと爆発から提督に視線を移した。

 もし向こうに残っている兵がいるならこちらに避難させなければ。

 だがその表情を見てギョッとした。


 ロイエスは背で知った爆発を嬉しそうに、ニヤリと笑っていた。

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