第76話「鬼提督の師」
これからロイエス自ら敵を追う。
救助のために残る艦に将官旗を移したかったがそんな暇はない。仕方なく伝声筒を用い、口頭で旗艦権限を委譲した。
「すまんが、終わったらこちらも拾いにきてくれ」
そう言い残し、ファンタズマ追撃を再開した。
ノイエッド号は元々王国第一艦隊旗艦ペンタグラム号の随伴艦だった。
旗艦が王国滅亡時に消滅しなければ、いまでも随伴艦のままだっただろう。
魔法艦は同じ艦型でも、その時の素材や関わった魔法使いの力量によってどうしても出来上がりに差が生じてしまう。
第一艦隊に配備される艦はその中でも特に出来が良かったものたちだ。
いざ実戦となれば大活躍ができる。
だがその機会がやってくることはない。
もし戦えば最強だと示せればよく、本当に戦ってくる必要などない。
魔法使いたちにとって第一艦隊は己の力を誇示するためのもの。
外に出して万が一傷がついたら、自分たちの功績にも傷がついてしまうではないか……
彼らにとって、この最強の艦たちは美術品のように飾っておくものだった。
もちろん艦は美術品ではない。
仮にそうなのだとしても、その作品が最も美しくなるのは帆一杯に風を受けて戦っているときだ。
魔法使いたちにはそれがわからない。
ゆえにウェンドア港で自慢げに展示していたのだ。
毎日毎日、ただ小綺麗に飾られているだけの存在。
しかも同じお飾りであっても、観光客のお目当ては旗艦ペンタグラムだ。
同じネヴェル型、同じ等級の出来上がりなのに。
敵なしと謳われた傑作艦もやがては朽ち果てる。
その時、旗艦の名は新型に引き継がれるが、その他の艦は……
気の毒ではあるが、こればかりは仕方がない。
強国としてのリーベルはペンタグラム号から始まったのだ。
他の艦と一緒に考えることはできない。
一方、帝国の魔法艦隊はノイエッドから始まった。
いつか朽ち果てる日がやってきても帝国海軍ある限り、何度でも生まれ変わることができる。
ペンタグラムのように。
船は海を走るもの。
艦は海で戦うもの。
ロイエスは魔法艦を美術品扱いなどしない。
艦として扱ってくれる提督たちのために、ノイエッドは生れて初めてのセルーリアス海を美しく疾走する。
生き生きと、伸び伸びと。
***
ファンタズマ号艦尾——
夜が明けた。
エルミラは空間鏡で追撃艦を見張っていたが、もう肉眼で確認できる。
艦尾から後方の海を見た。
昨日から続いていた高波は治まってきた。
ファンタズマにとっては良くない状況だ。
速度が同じ位ならあとは波をうまく捌ける方が優位だ。
帝国艦隊と違い、こちらは大波を事前に確認し、最適な向きで受けることができる。
船室のマルジオ一家には申しわけないが、多少波が荒れていてくれた方が引き離し易かった。
波の向こうに追手が見える。
数は一隻。
それを見たエルミラは少し安堵した。
捕虜がいるにも関わらず撃ってきたので、頭がおかしいのかと肝を冷やした。
だがさっきの砲撃は海賊の脅しには屈しないという意思表示だったのだろう。
本当は人命を大切にする人間のようだ。
だから自らは救助に残った。
そういう人物ならば交渉の余地があるかもしれない。
こちらの目的はシオドアに伝えてあるのだから、怪我人と一緒に向こうへ引き渡し、あとは彼から聞けば理解してもらえるはず。
隣で静かに話を聞いていたノルトは、片目で覗いていた望遠鏡を手渡しながら苦い表情を浮かべた。
「少々甘かったかもしれません……」
なぜそんな苦い顔をしているのか、渡された望遠鏡を覗いて合点がいった。
追ってきたのはノイエッド号だった。
帝国第三艦隊の旗艦。
マストには将官旗がはためいている。
ロイエス自ら追いかけてきた!
エルミラは前言を撤回した。
やはりあの提督は頭がおかしい。
僚艦を差し向けてきたのなら、人命第一だが任務も疎かにできないという折衷案だ。
だが救助を押し付けてきたということは、自分の狩猟本能を優先したということではないか。
こちらを狩ることしか考えていないようだが、あの旗艦もさっき沈めたのと同じネヴェル型だ。
逆に沈められる可能性だってある。
そのとき艦隊の指揮はどうするのだ?
「姫様、海賊狩りの秘訣は何だと思いますか?」
迫り来るノイエッドを一緒に見ていたノルトが唐突に尋ねた。
混乱していたエルミラはしどろもどろと、
「いや…… 海賊と戦ったことがないから何とも……」
当然だ。
海賊どころか、まともな海戦を経験したのはファンタズマに乗ってからなのだから。
では元海賊だったノルトが考える海賊狩りの秘訣とは?
曰く、
「海賊になることです」
…………?
じいは何を言っているのだ?
「……は?」
これが長考の後に出た声だった。
全く意味がわからない。
不思議なものを見るような目が直らない彼女に、ノルトは自らの見解を述べた。
海賊が商船を狩る。
海軍が海賊を狩る。
合法・非合法という違いはあるが、共通しているのは獲物を狩るということだ。
獲物は必死に逃げようとするから、狩る側は諦めずに追い続ける執念深さが必要だ。
しかしそれだけでは足りない。
狩りの成功率を高めるためには工夫が要る。
それには獲物の意表を突くことだ。
人は想像を超える出来事に直面すると思考が停止する。
思考が止まれば動きが鈍る。
丁度、いまのエルミラのように。
頭がおかしい——
敵の艦長がそう言っていたと知ったらロイエスは喜ぶだろう。
獲物の思考を上回ることができたのだから。
「海に出たあの提督を海軍様とは思わないことです」
エルミラにはわからない。
海軍軍人ではないのなら、一体何だというのだ?
ノルトが北の海で恐れられていた頃、ロイエスの戦いぶりが北まで伝わってきた。
そのとき彼が心に決めたことがある。
もしその海賊狩りと戦う機会があったら、決して育ちの良い海軍様とは思うまい。
奴は——
「海賊ロイエスと思うべきです」
ロイエスは若い頃から帝国南方で海賊と戦ってきた。
そうしているうちに自然と彼らのやり方が身に付いていったのだ。
海賊こそが彼の師。
軍人なら海賊を退散させれば任務が完了する。
それ以上は追わない。
だが海賊なら見つけた獲物は仕留めるまで追う。
彼の戦い方は海賊そのものなのだ。
獲物に対する執念深さ、卑劣さ、大胆さ。
師から学んだことはいまでも彼の中に息づいている。
だから討伐しに来たというより、ぶっ殺しに来たという方が正しい。
「なるほど、それなら部下には任せられないだろうな」
ロイエスについての人物考を聞き終えたエルミラは思わず呻いた。
部下に任せたら、ただの討伐任務になってしまう。
「それにしても、どうやってこちらをぶっ殺すつもりなのだ?」
増速の謎は解けている。
そこからさらに速度を上げてきたのだから、艦内は空っぽに近い状態だろう。
だから魔法弾しか撃ってこないとわかっている相手に撃ち負けることはない。
もうすぐお互いの砲の射程に入る。
ノイエッドは魔法と実弾両方に備えなければならないが、こちらは魔法障壁を張っておけば済む。
このまま撃ち合えば、一方的に破壊されるだろう。
これは指揮する者が軍人であろうが、海賊であろうが変わらない。
海賊呼ばわりしたがそれはあくまでも戦い方の話であって、彼は紛れもなく帝国海軍の提督なのだ。
そのことがわからないはずはないのだが……
無駄なことだが、それでも撃ち合いたいならそろそろ舷側をこちらに向けなければならない。
だがエルミラとノルトの眼前でノイエッドの針路は変わらなかった。
つまり……
「斬り込んでくるつもりか?」
ファンタズマの甲板は慌ただしくなった。
乗員たちはアルンザイトのときのように長銃や剣で武装して艦尾に集まった。
エルミラは艦尾から振り返って乗員たちを励ました。
「敵は残り一隻、これが最後の戦いだ! 絶対に勝つぞ!」
「オォォォッ!」
本当にこれが最後になるだろう。
昨日から続く高波の中、不眠不休で戦い続けた。
向こうは攻撃手段が限られて不利かもしれないが、こちらは体力の限界が近い。
それでも乗員たちは姫様に気合いの声を返した。
——まだ大丈夫だったか。
疲れているだろうに、彼らの士気は衰えていなかった。
安心したエルミラは敵正面を向き、魔法剣に付与を始めた。
そう、皆疲れていた。
ノルトも。
だから敵将は海賊だと言っておきながら、そのことを失念してしまったのだ。
通常時でもネヴェル型単艦でファンタズマを沈めるのは無理だ。
しかも下段砲列を捨て、あとから弾薬も捨てた。
その上、不眠不休はノイエッドも同じだ。
軍艦としては勝ち目がない。
任務は失敗だ。
提督としてのロイエスはそのことを認めざるを得ない。
だが海賊としてなら、敵をぶっ殺すための秘策がまだあった。
だから救助艦に言い残してきたのだ。
「すまんが、終わったらこちらも拾いにきてくれ」と。
彼の秘策は軍人には思いつかないし、思いついても実行できない。
それは艦というものをどう捉えるかという軍人と海賊の相違による。
艦は美術品ではない——
ファンタズマはこれからその意味を思い知ることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます