第72話「夢の後始末」

 エラケスは騎士を目指していたが、夢叶わず海軍へやってきた。

 気の毒ではあるが、そういう経緯でやってきた士官がこの艦隊内にも大勢いる。


 帝国の騎兵には三つの身分があった。

 試験に合格した者が初めになる従騎士。

 その上が準騎士、一番上は正騎士だ。


 通常、帝国の子供たちが「騎士になりたい」というのはこの正騎士のことを意味する。


 従騎士は現役の正騎士か準騎士について経験を積むのだが、家柄が良い者は正騎士につけられ、そうではない者は準騎士につけられる。


 準騎士は有能だが出自が良くなかった者たちだ。

 正騎士付きになれなかった者は準騎士にしかなれず、どんなに功績を積み上げようとも正騎士になることはない。


 騎士というものに対して執着する者はそれでも一騎兵として戦う道を選ぶが、嫌気がさした者は歩兵隊や海軍に転向する。


 提督はそこで首を傾げてしまった。

 エラケスの家は中流貴族だ。

 決して卑しくも貧しくもないから出自は問題ない。

 あとは本人の能力だけだが、彼なら若くして正騎士になれるだけの実力があったと思うのだ。


「提督はどんな試験かご存じで?」

「ああ、知っている」


 知っているも何も提督は騎士の名門の出だ。

 彼自身もかつてその試験を優秀な成績で合格し、一度は従騎士になる資格を得たことがある。


 提督も幼少時は騎士をかっこいいと思っていたし、馬はいまでも好きだ。

 そんなロイエス少年だったが、成長するにつれて騎士への憧れが薄れていった。


 原因は父だ。

 父は一応正騎士だったが、口を開けば「騎士の家にあるまじき!」と妻子や使用人に喚き散らしている小さな男だった。

 騎士の身分も家名も、彼には重すぎたのだ。


 騎士というものに幻滅していた彼は親の言いつけ通りに優秀な成績で合格した後、その合格証書を父へ叩きつけて従騎士を辞退した。


 だからどれだけ難しい試験なのかは知っている。

 いまもその難しさは変わっていないだろう。

 それでもエラケスなら合格できると断言できる。


「では審査のことも御存じですね?」

「……騎士たるに相応しい〈格〉を備えているかどうか……」


 格——


 自分で発した言葉だが、提督は苦い気分になった。

 帝国の悪い伝統だ。


 そこで問われるのは出自だけではない。

 家の財力も問われるのだ。

 それは受験者の戦支度を見て判断される。


 正騎士になればその後、騎士団長やそれ以上になって政治に関わる可能性がある。

 家にその資格があるかどうかを審査されるのだ。

 そのため、家々は競って高価な武具や名馬を買い集めた。


 帝国において、格とはそういう煌びやかなものなのだ。


 提督の家も豪華絢爛な戦支度で送り出してくれた。

 道々、好奇な目で見られて恥ずかしかったのを覚えている。


 これは名家として上位合格を目指していたからだ。

 審査に合格したいだけならそこまでする必要はない。

 だが……


「私は、その審査を辞退したのです」


 せっかく難関を突破できたのに、審査を辞退した理由——

 それは彼が貧しかったからだ。

 家ではなく、彼が。



 ***



 エラケスの実家は中流貴族で代々正騎士の家柄だった。

 正騎士だった父が年頃になると正室を迎えたのだが、なかなか子供が授からなかった。

 心配した祖父母が側室を持たせると、すぐに男の子が生まれた。

 この子がエラケスだ。


 ところがその翌年、正室にも男子が生まれてしまったことで家庭内に〈ねじれ〉が生じてしまった。

 側室の長男と正室の次男。

 この〈ねじれ〉がその後のエラケスたち母子に影を落としていく。


 幼かった頃、側室だった母が急逝した。

 正室は天罰が下ったと喜んでいたが、父は役所に事故死と届け出た。

 真相はいまでもわからない。


 それから彼の苦難は始まった。

 辛うじて学校には通わせてくれたが、一家に連なる者が文盲では自分たちが恥をかくからだ。

 努力家だった彼は成績優秀で、弟たちは歯が立たなかった。


 そんなある日、彼は帝都の大通りで騎士団の行進を見た。

 威風堂々と行進する彼らに見惚れ、正騎士になりたいと夢見てしまった。


 彼の初めての願いに父は難色を示したが、最後は支援を約束してくれた。

 弟の出来が良くなかったので、家長として万が一の保証が欲しかった。

 家に波風を立てたくないが、代々正騎士の流れを途切れさせるわけにはいかなかったのだ。


 試験は優秀な成績で合格した。

 あとは三日後の審査だけ。


 しかしそのときになって父から泣きつかれた。

 おまえに金は出せない。

 審査を辞退してきてくれと。

 そして、騎士になることは諦めてくれと懇願された。


 よくわからない話だ。

 当然理由を問い質す。


 父は領地から租税を送る馬車隊がモンスターに襲われたからと説明するが、息子に夢を断念させる理由としては説得力が弱い。


 馬車隊はそういう襲撃を警戒し、集めた税を数回に分けて運ぶ。

 その一つがやられたにすぎない。

 蓄えだってあるのだ。


 これで納得できるはずがない。

 食い下がると渋々白状した。


 本当の理由は弟だった。


 騎士になりたい一心で気付かなかったのだが、継母の正室が対抗して弟にも受験させ、その結果が不合格だったのだ。

 正室の子が落ちたのに側室の子が抜け抜けと合格した。

 いまそのことで家が荒れていると明かされた。


 おまえは知らなかったかもしれないが、と非難がましい。

 普段除け者にされているのだから知るはずがないではないか。


 父の話が続く。

 正室の怒りを鎮めるために、これから大金を使って弟の不合格を覆さなければならない。

 だからエラケスの費用は工面できないということだった。


 そして弟が正騎士になるのだからおまえは騎士を目指すなと告げた。

 今年も来年も、その後も……


 優秀なエラケスなら来年も合格でき、あっという間に弟を追い抜いていくだろう。

 そうすればまた家で波風が立つ。

 父はそれを危惧していた。

 それゆえの「もう」なのだ。


「…………嫌だ」


 何もかも我慢してきたが、これだけは譲れない。

 彼は生れて初めて父に逆らった。

 どうしてもあの日憧れた騎士団に入ることを諦めたくない。

 準騎士でも良いから騎士になりたいと。


 だが保身のことしか頭にない父はこれすらも退けた。

 代々正騎士の家から準騎士が出たら家が世間から嗤われる。


「ともかく無理なものは無理なのだ。諦めよ」


 父は頭を抱えながら息子を書斎から下がらせた。


 不思議と涙は出なかった。

 胸が張り裂けそうなほど悲しかったのだが、どうしても涙が出ない。


 泣きたいのに泣けない。

 その苦しみの中で、彼は母の亡骸を見て学んだことを思い出していた。

 希望に目が眩んでうっかり忘れていた。


 夢など見てはいけない。

 もし夢見てしまったら、心の底に封印して誰にも知られてはいけない。


 それをよりにもよって家族に明かしたから穢されてしまったのだ。



 ***



 提督は言葉がなかった。

 最初から海軍を志望する者は変わり者だ。

 皆何らかの事情によって海軍に流れてくるのだが、いま聞いた話はその中でも酷い。


 大陸最強の騎兵。

 自分が弱虫だと認められない弱虫ほどこの名に縋り、その重みでおかしくなっていく。

 弱虫を父に持った者同士、エラケスに同情できる部分はある。


 しかしだからといって何をしても許されるわけではない。

 ネイギアスと内通し、僚艦を攻撃してエルミラ討伐を妨害した。

 もはや鉄拳制裁では済まない。


「気の毒だったと思うが海軍に罪はなかろう。なぜ攻撃する?」

「はい。艦長に任命していただいたことを感謝しております」


 感謝……

 思いもしない言葉が飛び出してきた。

 だったらなぜ感謝の相手に抗魔弾を撃つのか?


「おかげで代金を完済することができました」


 代金とは審査のために揃えようとしていた戦支度の代金だ。

 不要になったからと踏み倒さず、真面目に払い続けてきたのだった。

 彼が初めて受けた人の情けだったから。


 武器商や工房にとってはとんでもない慣習だが、不合格なら買い取りを断ることができた。

 だから彼らも客を選ぶ。

 正騎士になれそうにない者の注文は受けないのだ。


 審査は合格発表の三日後。

 合格してからでは間に合わないので、受験者たちは試験日より前に注文しておく。

 エラケスはこの注文で難儀した。


 彼は能無しではなかったが文無しだった。

 代々、家で贔屓にしていた武器商にも断られた。

 家での彼の立場を知っているからだ。


 それでも世の中は薄情者ばかりではない。

 一軒一軒頭を下げて回り、ようやく受けてくれる工房が見つかった。


 そこの親方は人情に厚く、たとえ合格しても本当に払えるのかわからない若造の夢に付き合ってくれた。

 また審査を辞退したから不要になったと告げても怒らず、不合格扱いにしてくれるとも言ってくれた。


 そんな親方に迷惑をかけるわけにはいかない。

 エラケスは何年かかっても代金を完済すると約束した。


 見事な鎧だったが持っていても嫌なことを思い出す。

 少しでも代金の足しにしようと親方の勧めで売りに出したが、満額では売れなかった。

 残りも結構な額だ。


 元々、親方は不合格扱いにしようとしていたくらいなので、この誠実な若者を追い詰める気は毛頭なかった。

 儲けが大事なら最初から貧乏人の注文など受けない。


「気長に待っているから忘れずに払いに来てくれれば良い」


 残額もそのときのエラケスが簡単に払える額ではなく、親方の厚意に甘えるしかなかった。


 それで選んだのが海軍だった。

 歩兵隊より少しだけ給料が高かったからだ。

 海に希望を見出したからではない。


 海軍の者たちはエラケス艦長をこう評価する。

 敵が見せるまやかしの希望に騙されない冷静な軍人だと。

 しかしそうではない。

 冷静も何も、最初からそこには罠しかないと知っているだけだ。


 まやかしの希望などない。

 希望こそがまやかしなのだ。

 鎧が売れた日にそう学び、艦に乗る前にまやかしを陸に捨ててきた。


 彼が生きる海に夢や希望はない。

 あるのは冷酷な現実のみ。

 人も国も、先がないと知れば直ちに切り捨てる。

 ゆえにネイギアスと内通したのだ。

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