第71話「正騎士」
第三艦隊ガラジックス号の艦長エラケスは元々第二艦隊所属だった。
提督の異動と共にイスルード島へやってきたのだ。
第二艦隊は長い間、鬼提督の下で鍛えられてきた。
日々拷問のような訓練に耐え、海賊共を悉く仕留める。
帝国では彼らをロイエスの弟子たちと呼ぶ。
エラケスも弟子の一人だ。
その彼が指揮するガラジックスが殺気を放っている。
彼は突発的な行動を取る人物ではない。
師匠に殺気を向けるからには、その備えがあるのだ。
備え——
おそらくネイギアスの艦隊が救援に向かっている。
そろそろ合流する頃なのだろう。
だから時間を稼いでいるのだ。
「哀れだな……」
提督は誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。
救援艦隊はロミンガンを出航していない。
セルーリアス海東部から遥か彼方の様子を見えるわけがないが、そんなことは見なくてもわかる。
艦隊を動かすと大金がかかる。
〈老人たち〉が帝国の裏切り者のためにそんな大金を使ってくれるわけがないではないか……
彼らが欲しいものはファンタズマのみ。
ネヴェル型の一隻に用はない。
奴らの密偵は彼が安心して裏切るように抗魔弾を渡し、救援の派遣を約束したのだろう。
守るつもりがないのだからどんな約束もできる。
エラケスは騙されたのだ。
そしてこれは連邦による妨害行為であり、彼やガラジックス乗員はその生き証人だ。
用済みとなったいま、連邦は国際問題の証拠たちに早く消えてほしいはずだ。
もし約束通りに艦隊が来るとしたらそれは口封じのためだ。
いまのところ、魔法兵の探知が新たな艦隊を発見したという報告はない。
だとしたら、艦隊を使わずに葬る手段があるということだ。
つまりガラジックスのどこかに罠が仕掛けられている。
停泊中も艦が無人になることはないから、密偵が侵入して仕掛けるのは困難だろう。
考えられるのは〈老人たち〉からの贈り物だ。
ただ、抗魔弾は魔封じの効果により罠になりそうな魔法をかけることはできない。
あと考えられるのは……箱か?
貴重な特殊弾だから厳重な箱に入れて運び込んだはずだ。
仕掛けるとしたらその箱しかない。
罠がどんなものかわからないが、一瞬で皆殺しにするようなものであることは確かだ。
例えば、空箱になったときに大爆発を起こすとしたら?
あと何個残っているのか不明だが、これ以上抗魔弾を使わせてはならない。
いま五隻で取り囲んでいるが、この状況は非常に危険だ。
抗魔弾は防盾艦の装甲すら破壊できると立証された。
強引に拿捕しようとすれば撃ってくるだろう。
この考えを伝声筒で伝えたかったが、箱に何が仕掛けてあるかわからない。
罠の他に伝声筒が仕込んであって、エラケスたちの様子を探っているかもしれない。
気付かれたら、捨てられる前に〈老人たち〉が遠隔で作動させる虞がある。
何とか無理のない口実で、乗員たちを移乗させなければ……
提督は焦る気持ちを抑えながら説得を続けた。
「貴様が無理なら副長でも良い。こちらに来て理由を説明せよ」
ノイエッドで話せば〈老人たち〉に聞こえない。
危険が迫っていることを副長に理解させ、乗員を他艦へ移乗させるように誘導してもらうのだ。
だがこんなときでもエラケスは師匠の良く知る弟子のままだった。
どんな揺さぶりにも動じず、そして退かない。
「理由はさっきから何度も誤射だと申し上げております」
「…………」
……ダメだ。
おそらく夜が明けるまでこのやり取りが続くだろう。
あまり追い詰めたくなかったが、ロイエスは質問を変えることにした。
単刀直入に——
「なぜネイギアスに寝返ったのか?」
これは少し心に響いたようだ。
淡々と何の感情も含まなかったエラケスの語気が僅かに強まった。
「誤射は申し訳ないことですが、だからといって謀反人呼ばわりは心外です!」
「ならば答えよ。どうして——」
どうしてアルンザイトが先行した後、最後尾だったガラジックスを先頭艦にと申し出たのか。
そして許可するより早く二番艦の前に進み出た。
「それは……手柄を取られると焦ってしまい……」
「功名心か。だったらなぜアルンザイトの役目を取らなかった?」
提督の伝声筒に息を呑む音が伝わってきた。
功を焦ったというなら、アルンザイトに成り代わって敵艦を捕らえに行けば良かったのだ。
一番手柄ではないか。
これにどう答えるのか?
即答というほどではないが、案外早く返ってきた。
「そんなこと……できるわけがないではありませんか」
元々声が高い男ではなかったが、伝声筒から聞こえる声は明らかに低く、そして凄みを帯びていた。
それは覚悟を決めた者が放つ凄みだ。
「そんなことをしたら、捕らえられた新型艦を誰が救うのですか?」
ロイエスは彼の殺意が急激に増大しているのを感じ取った。
だが僅かに遅い。
「ガラジックス、発砲!」
傍らの水兵が叫んだ。
抗魔弾が飛んでくる。
いまから帆を全開にしても避けられない。
甲板で砲炎を見た全員が命中を覚悟した。
しかし高波がノイエッドを守った。
弾が砲口を抜ける直前、ガラジックスを下から突き上げた。
そのせいで大きく軌道がずれ、旗艦の前にいた艦に命中した。
障壁も、呪物である鋼化装甲板も意味をなさず、抗魔弾は易々と舷側を突き破ってみせた。
間もなく、「総員退避!」の掛け声が響き、士官や水兵たちが次々に飛び込んでいった。
最後に艦長が飛び込むと、破壊された核室から脱出した火精サラマンダーが甲板に現れた。
すでに艦内を火の海に変え、次は甲板を火の舌で舐めまわす。
精霊艦は火の塊と化した。
核室から逃げ出した精霊は暴走してからそれぞれの精霊界に帰っていく。
なぜ暴走するのかについては諸説ある。
閉じ込められた仕返しだという説。
力が残っている内はこの世界に顕現し続けてしまうので、帰るためにすべて使い果たそうとしているのだとする説。
各精霊界へ帰るのに多大な力が必要なので、己の属性に合った力場を作り、その力を利用するためだという説。
人間の魔法使いがいくら考えてもわかるはずがなく、精霊に尋ねても要領を得ないので、結局どれが正しいのかは定かではない。
仕返しも兼ねて力場を作り、力を使い果たしたのか?
あるいは使い果たすために力場を作ったのか?
火精は何も語らず、艦も炎も巻き込んで故郷へ帰った。
残りは四艦。
提督は説得を諦めた。
「全艦、ガラジックスを撃沈せよ!」
艦隊が合計二〇門なのに対し、裏切り艦は一〇門だ。
普段なら艦隊の圧勝だが、今日は事情が違う。
抗魔弾によって艦隊は無防備同然だが、相手は障壁と鋼化装甲板で守ることができる。
四隻は防御を捨て、攻撃に専念することにした。
障壁展開から解放された各艦の魔法兵は魔力砲への装填だけでなく直接火球や雷球を撃ち込んだ。
ところがすべて弾かれてしまう。
相手は防御に専念しているからだ。
どうせ何も付与することができない弾なのだから、エラケスはその分で障壁を厚くする戦法をとった。
四艦は艦体中央に受けることだけは何としても避けようと、懸命に艦を操り、厚い障壁に絶え間ない攻撃を浴びせ続けた。
「怯むな! 障壁を削り続けろ!」
もう励ましなのか怒鳴り声なのかわからない掛け声と砲音が鳴り止まない。
そしてその合間に木材を砕く音が混ざる。
高波の中、自分の砲弾を当ようと距離が近くなるので、完全に躱すことはできない。
核室への致命傷を回避する代わりに、他の部位が削られていくのだ。
その喧騒の中、提督の伝声筒から声がした。
まだエラケスと繋がっていた。
「提督やシオドアたちにはわからないのです」
「何がだ?」
非凡な者たちと渡り合っていかなければならない凡人の苦しみが……
ロイエスは反論した。
彼は決して凡人ではない。
人聞き悪いが、帝国の者たちは第二艦隊を地獄と呼ぶ。
その地獄を耐え抜き、一艦を任される者が凡人であるはずがない。
「我慢強さも才能の一つ、という奴ですか?」
エラケスは提督の反論を嗤った。
だが、提督は本当に彼を高く評価していたのだ。
敵の小細工に惑わされない、どんな揺さぶりに対しても動じない。
言葉にすると簡単だが、いざその場に立たされたら何人が貫徹できるだろうか?
ある程度は訓練できるが、それ以上は本人の強い信念が要る。
彼にはその信念があった。
これは立派な才能だ。
しかし彼の考える才能は違った。
彼のいう才能とは魔力の高さや射撃の巧さ等、比較ができる才能のことだ。
「私は正騎士になりたかったのです」
帝国では珍しいことではない。
子供に将来の夢を尋ねれば、ほぼ全員が正騎士になりたいと即答する。
だが、その夢を叶えるには難しい試験を突破しなければならない。
大半の者たちは力及ばず、夢破れて他の道へ進む。
すんなりと諦められる者ばかりではないが、いつかはあれが己の力量だったのだと受け入れていく。
無念は残っているだろうが、だからといって彼のように反旗を翻そうとはしない。
何が彼だけを裏切りに駆り立てたのか?
提督に明かした思いは未練以外の何物でもないが、正騎士にしてくれなかった帝国に一泡吹かせてやろうというのではない。
エラケスはそんな下らない男ではない。
いまの彼を突き動かしているものは怨念だ。
自分の力不足で夢が破れたのではない。
夢を穢されたのだ。
その恨みを晴らすために彼はネイギアスの策略に乗ったのだ。
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