第70話「魔法殺し」
先頭艦の突然の裏切りによって第三艦隊は騒然となった。
伝声筒からは指示を求める声がひっきりなしだ。
その中で落ち着いていたのはロイエス提督ただ一人。
「フゥ……」
提督は残念そうに溜め息を吐いた。
やっと先行していたアルンザイトに追い付けた。
これから賊を討伐、若しくは降伏させるところだったのに。
皆の混乱も仕方がない。
もうすぐ砲撃位置につくが、敵艦と裏切り艦、一体どちらを優先すれば良いのか?
早く皆に指示しなければならない。
提督は伝声筒を掴んだ。
「提督より全艦へ——」
第三艦隊は総勢八隻でウェンドア沖を発したが、現在指示に従ってすぐに動ける艦は五隻になってしまった。
アルンザイトは航行不能。
ネヴェル型の内、一隻は第四艦隊救助に残り、一隻は裏切った。
提督はその五隻に指示した。
「ガラジックスを捕らえよ!」
提督が優先したのは裏切り者への対処だった。
指示を受けた五隻は混乱から脱し、海軍内で最も統率されていると称される第三艦隊らしい動きを取り戻した。
提督の指示により艦隊は二手に分かれた。
裏切り艦に続いていた後続二艦はアルンザイトの右舷を抜き去り、先頭艦ガラジックスを追い抜いて右前方を塞ごうとする。
速度が同じネヴェル型同士なのになぜ追い抜けたのか?
それはガラジックスが一瞬減速したからだ。
アルンザイト艦首を精密に狙うために。
残り三艦は左舷を通り過ぎて、裏切り者の取舵転舵を阻止した。
全艦、見事な艦捌きだった。
ネヴェル型はトルビーヌ型やファンタズマのような特殊航行はできない。
両舷前方を遮られたら停船するか、強行突破しかないが、五隻の魔力砲は裏切り者に照準を合わせている。
強行突破は無理だ……
ガラジックスはその場に停船した。
あとは鉤縄が外れてしまい、自由を取り戻したファンタズマをどうするかだ。
参謀や艦長たちから問われたロイエスはチラッと一瞥した。
敵艦はアルンザイトと一緒に停船していて動く気配がない。
それを確認すると短く答えた。
「いまは良い」
裏切り者への対処が終るまで、敵がずっと停船していてくれる保証はない。
だが、もし逃げようというなら……
難しいところだが、この場は見逃しても良い。
あくまでも
ここはセルーリアス海東部で、ネイギアス海は遥か先だ。
速力は第三艦隊が上回っているのだから、またすぐに追いつける。
ただ、敵も砲を捨てて増速する可能性はある。
そうなったら追い付けなくなるが、そのときには帝国南方の第二艦隊の一部に待ち伏せてもらう。
第二艦隊は通常艦編成だが、正面突破だけ阻止してくれれば良い。
その間に追い付ける。
だからこの場で仕留めることには拘らない。
しかし裏切り者はここで片付けなければならない。
裏切り者を放置したままファンタズマを追えば、また妨害してくるだろう。
同じ艦型で先頭を走っていたのだから、皆と同じように砲を捨てているはず。
なのに、その弱くなった砲撃でアルンザイトの装甲を砕いた。
鋼化装甲板を何重にも補強してあった防盾艦をまるで通常艦のように……
ロイエスは裏切り者を幽霊船より危険な相手と認めた。
この新たな敵には魔法艦を叩く何らかの備えがある。
彼はその備えについて心当りがあった。
それを確かめるために伝声筒で呼びかける。
「応答せよ、エラケス」
呼びかけている相手はガラジックス号のエラケス艦長だ。
シオドアのように目立つ才覚はないが、常に堅実で困ったときに頼れる男だった。
提督の信任厚かった裏切り者は特に狼狽えることもなく、淡々と呼びかけに答えてきた。
「申し訳ございません。提督」
彼は誤射だったと報告した。
そして報告が遅れてしまったことを詫びてきたが、詫びるべきはそこではない。
アルンザイト艦尾に試射した後、明確に艦首を狙った集中砲火だった。
この場にいる全員が目撃している。
断じて誤射ではない。
ゆえに必要なのは詫びではなく説明なのだが、その集中砲火すら砲手の焦りで片付けようとする。
提督の側にいた者たちにも伝声筒が漏れ聞こえ、甲板は怒りに包まれた。
怒号の中、もっとも激昂しそうな提督だけは冷静だった。
話を続けたいのだが、ノイエッド乗員たちの怒りはまだ治まっていない。
仕方なく待っていると、士官たちがその様子に気付いて水兵たちを静めていった。
ようやく双方の声が聞こえる。
提督は尋ねた。
「エラケスよ、理由を聞きたい」
ロイエスは自分が周囲から狂人と呼ばれていることを自覚している。
狂った海賊狩りという悪名は第二艦隊で一戦隊を任されてから付けられた。
第二艦隊は帝都沖からネイギアスの北までを警備する大艦隊だ。
とはいっても広範な警備範囲を漏れなく哨戒するには足りない。
ゆえに自分の戦隊を厳しく統率してきた。
数が足りないなら一騎当千になっていくしかなかったのだ。
第二艦隊提督になってからは戦隊に課してきた訓練を艦隊全体に課してきた。
影で鬼提督と悪口を言われていることも知っている。
決して人から尊敬される生き方ではなかった。
イスルードに赴任してきてからも鬼のような訓練を各艦に課してきた。
それを恨みに思っての裏切りなのか?
対するエラケスは真意を話そうとしない。
ひたすら誤解だと繰り返す。
——これは困った。
提督は心の中で舌打ちした。
なんとか艦長を説得してガラジックス乗員を一人残らずこちらへ移らせたかった。
彼らは処罰のことを気にしているようだが、それどころではないのだ。
彼らの命が危ない。
さっきノイエッドの士官や水兵が、逮捕しに行こうとボートの準備を始めていたのでやめさせた。
高波の中、ボートは危険だというだけではない。
こちらから向かうわけにはいかない理由があるのだ。
何とか自然な流れで乗り移らせたかった。
もし恨みによる犯行なら説得して穏便に済ませたかったのだが……
提督は質問を変えた。
ノイエッドも他の艦も一連射で防盾艦の装甲を砕くことはできない。
ではなぜガラジックスだけ成し得たのか?
これで提督の心の中で思い浮かんでいた
心当りとは、昔耳にした小さな噂だ。
アレータ海海戦以前、各国は無敵艦隊への対抗手段を模索していた。
しかし無敵という看板は伊達ではなく、各国の期待や希望は悉く粉砕され続けた。
やがて帝国の竜騎士団がその看板を下ろさせることに成功したのだが、戦勝騒ぎの裏で一つの噂が聞き流されていた。
あまりにもか細い声で囁かれていた噂だったから、戦勝騒ぎにかき消されて誰も気にしなかったのだ。
その噂とは——
ネイギアスが〈魔法殺し〉を完成させたというものだった。
***
ネイギアスの〈魔法殺し〉——
その名を〈
帝国は艦隊戦では敵わないと諦め、小竜隊によって魔法兵の死角を突く道を選んだ。
これに対してネイギアスはあくまでも艦隊戦で無敵艦隊に勝利する道を目指した。
魔法で敗れた雪辱は魔法で晴らすしかないからだ。
そのために作り出されたのが抗魔弾だ。
エルミラが帝都でかけられていた魔封じの手錠と同じ効力を持ち、触れた魔法はすべて無効化されてしまう。
この呪物の砲弾の前では鋼化装甲板はただの薄板になってしまうし、魔法兵の障壁も無力化する。
抗魔弾も付与弾の一種なので、魔封じを解除する障壁を張れば防げるかもしれないが、そんなことができる大魔法使いは指折り数えるほどしかいない。
ネイギアスがよくぞそんなすごい呪物を生み出せたと感心するが、連邦もかつて魔法で栄えていた時代があったのだ。
リーベルとネイギアスは呪物の二大産地だった。
ところがコタブレナの戦い以後、ネイギアス製の呪物は衰退の道を辿ることになってしまった。
連邦の足並みが揃わず、彼の国だけで応戦せざるを得なかったのが敗因だった。
しかし世間はそう受け取らない。
コタブレナの敗北即ちネイギアスの魔法はリーベルに劣ると解釈された。
その結果、世界各地でネイギアス製呪物の相場が下落していったのだ。
これを覆すには魔法で勝ってみせるしかないが、相変わらず足並みが揃わず、連邦の魔法艦隊を組織するどころではなかった。
以来、連邦は魔法を捨て、交易に力を入れるようになっていった。
……表向きは。
裏では雪辱を晴らそうと研究を重ねていた。
代々の〈老人たち〉は特に。
魔法艦隊創設が無理なら、通常艦で魔法艦に勝つ手段を考えなければならない。
真っ先に思いついたのはリーベルの物より長射程・高威力の魔力砲だった。
だがリーベルは他国が魔力砲を保有することについて神経を尖らせていたので、密造していると発覚すれば無敵艦隊が潰しにくる。
そこで魔法を無力化できる付与弾を作ろうということになったのだが……
完成したのはアレータ海海戦の後だった。
長い月日がかかってしまった。
この特殊弾には魔封じという高位魔法を永続的に付与しなければならず、これを行える術者が滅多にいなかったからだ。
こうしてせっかく完成した抗魔弾だったが、その存在意義が失われてしまった。
世界は竜の時代になっていたのだ。
魔法艦が消えるなら魔法殺しを作っても仕方がない。
〈老人たち〉は計画を捨てようとしていた。
ところが魔法艦は消えなかった。
リーベルを滅ぼした帝国が魔法艦隊を引き継いだからだ。
計画は蘇った。
現在も術者不足は変わらないが、来たる帝国魔法艦隊との決戦に備えて日々コツコツ作り貯め、いまもロミンガンで厳重に保管されているはずだ。
その魔法殺しがネイギアスから遠く離れたこの海でアルンザイトを破壊した。
「エラケス、さっきのは抗魔弾だな? なぜおまえが持っている?」
尋ねる提督の声は静かだが、これ以上の言い訳や誤魔化しを許さない迫力があった。
周囲で騒いでいた者たちも気圧されて静まり返った。
この迫力は伝声筒越しにも伝わっているはず。
果たしてエラケスの返答は……
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