第67話「エルミラvsシオドア」

 セルーリアス海東部——


 いまこの海を三種類の魔法艦が走っている。

 ファンタズマ、スキュート型、ネヴェル型。

 これらの速度は同じ位だから距離が縮むとしたら積載の量による。


 ゆえにロイエス提督は攻撃力低下と引き換えに速度を優先した。

 そのおかげで艦隊全体の速度は敵艦を上回ることができた。

 予定ではセルーリアス海西部で包囲できるはずだ。


 敵はこちらの突然の増速に予定が狂ったことだろう。

 ただ、この狂いは簡単に修正できてしまう。

 同じように物資を捨てて身軽になればよいのだ。


 だが果たして思い浮かぶだろうか?

 不可解な問題に取組み、その解を出すのは大変だ。

 心が弱い者はその苦しみから逃れたくて他人に転嫁する。


「おい、一体どうなってんだ⁉」

「おい、どうするんだよ⁉」


 いま頃、向こうではこんな言葉が飛び交っているのではないだろうか。

 時間が経てば冷静になり、物資の投棄に気が付くかもしれないが、それを待ってやるつもりはない。


 さらに混乱してもらう。

 そのためにシオドアは提督の許可をとった。


 それはアルンザイト号搭載砲の全門投棄だ。

 そうなれば弾薬も必要なくなるから一緒に投棄する。

 提督が「さすがにそれは……」と難色を示したのがこれだった。


 増速した艦隊よりさらに先行できるようになるが、せっかく追い付いてもこれでは攻撃できない。

 提督の危惧はもっともだ。


 しかしシオドアの考えは違った。


 スキュート型を始めとする防盾艦本来の使命は、敵を砲撃することではない。

 ネヴェル型のような強力な魔法艦の矢面に立ち、絶好の攻撃位置まで味方を守ることだ。

 堅固な装甲さえ健在なら、艦隊の盾という本分は全うできる。


 これなら全速で逃げる敵に肉薄できるが、肝心の味方が追い付けない。

 その間、アルンザイトは一方的に撃たれ続けることになる。


 もちろんただ追い付ければ良いというものではない。

 追い付いた後のことも考えている。

 その後の作戦を聞いた提督は成功の見込みが高いと判断した。


 やると決まれば海の武人は尻込みなどしない。

 第三艦隊の任務は、新型を奪って旗上げした海賊エルミラの討伐だ。

 その役に立つことなら提督は躊躇いなく許可する。

 鉄拳制裁を恐れていては海賊狩りなど務まらない。


 アルンザイト号の全魔力砲と査問委員会。

 高い代償だ。

 シオドアはそれに見合う成功を収めなければならない。


 そのためにはあと一つ必要な小道具がある。

 作戦の許可を得てすぐ副長に命じて作業に取り掛からせていたからそろそろ……


 待っていると副長が小走りにやってきた。


「艦長、できました。これで準備完了です」


 そう報告する副長は手ぶらだ。

 敵はすぐそこだ。

 出来栄えを確認している時間はない。


 その小道具とは、接舷に使う鉤縄だ。

 縄といっても綱に近く、切断するには斧が必要なほど太い。

 その縄を付与魔法で強化させた。


 このまま敵艦尾に突っ込み、この強化鉤縄を何本もかけて捕まえる。

 海賊エルミラは魔法剣士だ。

 ただの鉤縄なら簡単に切られてしまうが、これなら手こずるだろう。


 それだけでは終わらない。

 接舷後は兵を送り込みつつ、こちらの錨を下ろして強制停船させる。

 あとは白兵戦を続けながら、味方が包囲するのを待つ。

 これが提督に提案した作戦だ。


 自ら立てた作戦に沿って、闇の中をアルンザイトは黙々と敵艦を追う。

 甲板には斬り込みの用意を整えた水兵たちがひしめいているが誰も言葉を発しない。

 ただ風が帆を叩く音と波を切る音だけが流れる。


 斬り込み前は緊張で静まるものだ。

 だが今回はそれだけではない。

 恐ろしいのだ。

 彼らがこれから斬り込む相手は幽霊船なのかもしれないのだから。


 艦長は幽霊船など迷信だという。

 仮に世界のどこかにいるのだとしても、これから戦う相手は違う。

 敵は幽霊船のように闇に溶け込める新型魔法艦にすぎないと。


 皆、艦長を信頼している。

 彼がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。

 それでも水兵たちが子供の頃から聞かされてきた幽霊船の恐怖は簡単に拭えるものではなかった。


 艦長は熱心に闇精艦について説明していたが、もしかしたら本物かもしれないではないか……


 本心は迷信だろうと、闇精艦だろうと、とにかく不吉なものに近付きたくない。

 だが艦長が斬り込みの先頭に立っている以上、諦めて一緒に斬り込むしかなかった。


 緊張と恐怖の中、敵が朧げに浮かんできた。

 魔法兵たちが手分けして斬り込む連中に〈暗視〉をかけてくれたので、暗闇でも見ることができる。

 艦尾に張り付けてある艦名のプレートにはこう記されていた。

ファンタズマ幽霊〉と。


 これが帝都で怪談騒ぎになり、今日、第四艦隊を滅ぼした幽霊船……


 シオドアの背後で息を呑むのが聞こえる。

 不吉がる部下たちを奮い立たせてきたのに、船名にそのすべてを打ち消されそうになっていた。


 ——いかん。このままでは恐怖に呑まれる!


 彼は振り返って気合いを入れた。


「幽霊と名乗る幽霊船などいるかっ⁉ ただの虚仮威しだ!」


 副長もそれに続ける。


「そうだ! あんな新品の幽霊船があるか⁉ どう見ても新造艦ではないか!」


 二人の発破は功を奏した。

 危うく崩れかけた士気が盛り返し、水兵たちの雄叫びがあがった。


 これで良い。

 特に今回は強制停船のという重要な役目を果たさなければならない。

 たとえ本物の幽霊船だろうと、ビビっている場合ではないのだ。


 防盾艦は敵の矢面に立つ艦。

 気合いで負けたら終わりだ。


 ついに鉤縄を投げ込む距離になった。

 敵の迎撃を警戒していたが、艦尾砲も銃も撃ってこなかった。

 甲板に何かあるのかもしれないが、危険を恐れていては斬り込めない。

 このまま接舷する。


「強制接舷用意!」


 艦長の号令で強化鉤縄を投げ込む水兵と魔法兵が進み出た。

 最初は魔法兵から。

 迎撃はなかったが、障壁は張られているかもしれないので火球を撃ち込んで破るのだ。


 短い詠唱の後、ファンタズマの艦尾に飛んでいった火球は艦体手前の空間で爆発した。

 やはり障壁が展開されていた。


 火球は役目を果たし、敵の障壁に穴が開いた。

 時を置いてはならない。

 もたつけば、すぐに次の障壁を展開されてしまうだろう。

 水兵たちはその一瞬を逃さず、鉤縄を次々に投げ込んだ。


 ガキッ! ガリッ! ギギッ……!


 金属の鉤爪が艦尾のあちこちに食い込む。

 ついに捕らえた!


 残って指揮を執る副長が素早く指示を飛ばす。


「錨を下ろせっ! すべての帆を畳めーっ!」


 程なく、アルンザイト全体に引っ張られる力がかかった。

 これでもうファンタズマは全速で走れない。

 あとは味方のために少しでも多く時間を稼ぐだけだ。


 鉤縄をかけた水兵がタラップを渡した。

 いよいよ幽霊船に斬り込む。


 甲板はどんな様子だろう?

 新型といっても案外、普通の艦と同じかもしれない。

 もし本物の幽霊船だったら、やはり幽霊が待ち構えているのだろうか?


 恐怖と好奇心が織り交ざる中、シオドアは剣を抜いて高く掲げた。


「突撃―っ!」


 剣を振り下ろすと同時に「ワァァァッ!」と喚声が続いてタラップに雪崩れ込んでいった。


 艦尾の様子が先頭シオドアの目に飛び込んでくる。

 敵兵が陣形を整えて待ち構えていると覚悟していたが何もない。

 ただ士官らしき人影が一人で待ち構えていた。


 近付くにつれて体格から女性だとわかった。

 幽霊船の士官らしき女性——こいつが海賊エルミラか?


 彼女もこちらに気が付いたのか、被っていたトリコルヌを脱ぎ捨て、右手を左腰に伸ばした。

 当然だが、やはり降伏する気はないようだ。


 帝都での暴行と脱走、接収艦の強奪、帝都沖でのガレー船撃沈、そして今日の第四艦隊……

 たとえ降伏しても死刑は確実だ。

 戦って死ぬことを選んだのなら、その通りにしてやるまでだ。


「オォォォッ!」


 柄に手をかけたまま固まっているエルミラに、気合いの声をあげながらシオドアが迫る。


 艦尾で待っていたエルミラは怖気づいていたのではない。

 速度を上げてきた時点で斬り込んでくるつもりなのはわかっていた。

 だから十分に引き付けていたのだ。


 先頭で突っこんできたこの士官についてもそうだ。

 剣を構えて待っている必要はない。


 魔法剣にかけた付与の効果は抜剣したときから薄れていく。

 戦闘中に付与し直すのは面倒だ。

 だからギリギリまで剣を鞘に収めたままにしておく。

 魔法剣の鞘も一つの呪物であり、剣にかけた付与を維持してくれる。


 待っていると敵士官が間合いに入ってきてくれた。

 エルミラの右手が閃き、まるで何かを鞘から発射するかのような勢いで魔法剣を抜き放った。


 対するシオドアはそれを予測していた。

 鞘から抜きざま斬りつけようと思ったら斜め上の剣筋になる。

 受け流してから斬り返そうと、彼女の剣に自分の剣を合わせた。


 ギィンッ!


 ——ん?


 伝わってくる衝撃に違和感を覚えた。

 いままで様々な相手と何度も刃をぶつけ合ってきたが、初めて味わう感触だ。


「なっ⁉」


 一体何かと一瞥して、彼は驚いた。

 彼の剣は受け止めたところからスッパリと切断されていたのだ。


 女海賊の薄ぼんやりと光る剣が顎下に迫っていた。


 ——しまった! こいつは魔……!


 魔法剣士だ。

 斬り込みの興奮でうっかり忘れていた。

 慌てて仰け反ると、顔の前を光が掠めていった。


 顔を削ぎ落される寸前だった。

 勢いがついていたので、シオドアはそのまま後ろに倒れ込んだ。


「艦長!」


 すぐ後ろに水兵たちが続いていたので、倒れ込んだ彼は抱きかかえられた。

 立ち上がった彼にエルミラは剣先を向ける。


「おまえが艦長か」


 自分とそんなに変わらない歳で一艦の艦長とは大した出世だ。

 海軍だから出世できたというわけでもなく、実際優秀なのだろう。


 実家の連中は負けたくせに帝国海軍を弱小と嗤っていた。

 しかし聞くのと見るのとでは大違いだ。


 提督もこの艦長も優秀だ。

 どうやったのかわからないが、すでに全速だったはずの艦の速度をさらに上げて追い付いてきた。


 いまの立ち合いはエルミラの勝ちだったがこれで終わりではない。

 本番はこれからだ。


 対するシオドアもこちらに剣を向けている女がエルミラだと確信した。

 幽霊船、魔法剣、リーベル人女性。

 これらが名乗っているようなものだ。


「おまえたちはすぐに包囲される。降伏しろ、海賊エルミラ!」


 討伐命令は出ている。

 それでも彼は投降の機会を与えた。


 帝都の法廷で何を申し開きしようと船長の死刑は免れないが、部下たちは投獄で済むかもしれない。

 ただし本格的に白兵戦が始まってしまえば、生き残っても全員の死刑が確実になる。


 エルミラの返答は……

 シオドアに向けていた魔法剣を鞘に収めた。


 彼の背後でホッと息を吐くのが聞こえる。

 彼女は己一人の命で事を収め、部下たちを救う道を選んだ。

 賢明な判断だ。

 ……と知らない者は考えてしまうだろう。


 一般的に剣を収めるという行為は戦わないという意味だが、魔法剣士の納刀は必ずしもそうではない。

 先述の通り、魔法剣に付与した魔力は刻々と薄れていくので、呪物の鞘に収めて維持しておくのだ。


 魔法剣士が付与を解除するなら一般的な意味になるが、付与したまま納刀するならそれは戦闘継続の意思有りだ。

 つまりエルミラの返答は戦闘続行だ。


 彼らは勘違いして喜んでいるが、彼女は容赦なく冷や水のような言葉を浴びせた。


「おまえたちは間違っている」


 シオドアは先頭にいたので誰よりも早く彼女の言葉が届いた。

 水兵たちは敵が降伏したと勘違いして浮かれている。

 その一人が逮捕しようと不用心に近付きかけていたので慌てて止めた。

 様子がおかしい。


 ざわつく帝国兵に構わずエルミラは続けた。


 私は海賊ではないし、そう名乗った覚えもない。

 元王族というだけで、解放軍の一員でもない。

 それを勝手に思い込んで、街道では騎士団が、海ではさっきの艦隊が襲撃してきたから仕方なく応戦したにすぎない。


 貴様らはこの艦を奪ったというが、そもそも帝国が作ったものではない。

 だから誰にも渡さない。

 帝国にも、解放軍にも。


 帝国も解放軍も、島を手に入れたいなら正々堂々戦え。

 こんなに手を出そうとするな。

 私はどちらにも加担するつもりはない。

 だが、


「貴様らだけは……許さん」


 こいつらは弱って寝込んでいるリルに鋭い鉤爪を食い込ませた。

 何本も……

 万死に値する。


「覚悟は良いか? 帝国の馬鹿共!」


 エルミラは重心低く、前傾姿勢になった。

 飛び掛かる勢いを足に溜めているのがよくわかる。


 来る!

 シオドアたちが緩んでいた気を引き締め直したときだった。

 彼女が叫んだ。


「撃てぇぇぇっ!」


 それを合図に、ファンタズマの見張り台や甲板に潜んでいた乗員たちがタラップ目掛けて銃撃を開始した。


 パパッ! パァンッ! パン、パァン……


 上から狙い撃ちにされた帝国兵たちが浮足立つ。

 しかしこれで引き下がるシオドアではない。


「怯むな! 我に続けーっ!」


 数では勝っているのだ。

 気で負けて、そのことを忘れてはならない。

 切断されている剣をなおも振りかざし、部下たちを鼓舞しながら突撃しようとする。


 そんな彼に飛び出したエルミラが迫る。

 刃を切断する魔法剣の斬撃が再び彼を襲おうとしていた。

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