第68話「シオドアの戦い」
シオドアに光る刃が迫る!
彼が少年の頃、大人たちがリーベルの魔法剣士について話していた。
細腕で巨漢の胸板を陥没させたとか、斬り合いになったら剣を切られたとか……
やがて自分も大人になり、空想と現実の区別がつくようになると、大人は必ずしも真実だけを語っているわけではないと知った。
きっと酔っ払いが尾鰭をつけた話が、面白半分で広まったのだ。
だが実際に剣を切断された。
衝撃で折られたのではなく、スパッと切断されたのだ。
その斬撃が再び飛んできている。
今度の狙いは首だ。
その剣筋が鋭い。
魔法剣抜きでも海賊エルミラの剣術は侮れない。
身体に染み付いた癖で切れた剣で受け止めようとするが、寸前に魔法剣のことを思い出した。
——受け止めたら死ぬ!
初撃を躱せたのは運が良かっただけだ。
剣筋を読んでいたのと、躱し始めるのが早かったからだ。
彼は頭を下げて、深くお辞儀するような姿勢になった。
斬るはずだった首がなくなった空間を、光の剣風が吹き抜けていく。
——よし、躱した! 今度はこちらの……
回避に成功したシオドアは、今度はこちらの番だと頭を上げようとしたが、後頭部に重たいものが圧し掛かった。
エルミラが勢いをつけて飛び、片脚で彼の後頭部に乗ったのだ。
人は押されるとその方向に押し返そうとする。
気が強い者も弱い者も皆備えている自然な反射だ。
後頭部を上から押さえつけられたシオドアもその力に反発した。
彼女の狙いはそれだった。
高く飛びたかったので、踏み台になってもらったのだ。
しかし高度が足りない。
このままではタラップ中央に着地してしまう。
飛びながら彼女は背中越しにファンタズマへ叫んだ。
「飛ばせーっ!」
すでに詠唱を終えていた魔法兵がエルミラに向かって衝撃波を放った。
衝撃波は本来、突撃してくる重装騎兵を人馬諸共殴り倒すための魔法だが、今回は飛ばすのが目的なので威力を抑えてある。
次の瞬間、彼女の身体が空気に弾かれてさらに上昇した。
タラップで渋滞している水兵たちの上を高く飛び越えていく。
その間に魔法兵が再び着地点目掛けて衝撃波を発動した。
今度は落下の衝撃から守るためだ。
魔法兵の支援のおかげでエルミラは無傷でアルンザイトに下り立った。
そこは甲板中央、メインマストのすぐ近くだ。
「しまった!」
シオドアは叫んだがもう遅い。
エルミラは構えながらマストに駆け寄り、木こりのように横一文字に薙ぎ払った。
ザンッ!
彼が少年の頃に聞いた魔法剣士の逸話は本当だった。
細い剣で滑らかにマストを切り倒すと。
さっきは剣を切られ、今度は……
水兵越しに見えるアルンザイトのマストがズズッと横にずれてから海面に倒れた。
だがエルミラはまだ止まらない。
次の狙いは舵だ。
艦に残っていた者たちはそうさせまいと防戦するが、魔法剣には敵わない。
怒号が次々と悲鳴に変わっていった。
「いかん、あの女一人に艦が破壊される! 戻れ!」
シオドアは水兵たちを戻らせようとするが、背後から声をかけられた。
「来たばかりなのにもうお帰りか?」
振り返ると髪も髭も真っ白な老人がいた。
手には弓を携えている。
「姫様は多忙につき、おまえらの相手はできん。代わりに接待役を仰せつかった」
ファンタズマの銃兵たちはタラップの帝国兵たちに照準を合わせた。
最後に老人も弓を構える。
「せっかく来たのだ、ゆっくりしていけ!」
これを合図に矢と弾丸がタラップに降り注いだ。
同伴した魔法兵たちが障壁を張るが、老人の矢がお構いなしに貫通してくる。
アルンザイトは艦尾だけでなく、艦首でも被害が増えていった。
「何だ、あの矢は⁉」
若き帝国艦長の問いに答えられる者はいない。
帝国は共和国滅亡後、王国以来の高級士官たちを追い出した。
その空席にシオドアたちが赴任してきたのだ。
ゆえに、いまのアルンザイトに昔のことを知る者はいない。
もしいたら老人が誰なのかわかったかもしれない。
かつて北の海で恐れられた海賊、岩縫いノルトだと。
彼は一度艦尾に退いて態勢を立て直そうかとも考えたが、その動きに呼応して老人たちが押し込んできそうだ。
前に進むしかない。
歩兵は痛くても、恐ろしくても押し負けてはならないのだ。
シオドアはこの老人が最近一つ目巨人を駆除してきた豪傑だということも知らない。
無知は人を勇敢にする。
タラップを駆けて豪傑に突っかかっていった。
——距離を潰し、これ以上あの矢を射らせない!
意を決して突撃する彼に、カヌートの鏃が向けられた。
障壁を貫く矢が自分の命を狙っている!
それを思うと身が竦みそうになるが、勇気を出して一直線に走り続けた。
歩兵は前に進むもの。
活路は前にしかないのだ。
さっきの魔法剣と一緒だ。
防ぐことはできないので躱すことに集中する。
目は鏃ではなく、老人の右手に釘付けになった。
絶対外さない距離まで引き付けているのがわかる。
狙っているのは頭か?
それとも胴体か?
どちらでも良い。
狙いが腹より上であってくれれば。
——来る!
彼は老人の右手が微かに動くのを見逃さなかった。
ビィンッ!
弦を弾く音と共に彼の心臓目掛けて矢が飛ぶ。
しかしそこに彼の上半身はない。
右手の動きと同時に前へ倒れ込み、そのまま床を転がっていた。
そのまま老人の足元まで転がっていき、老人の膝目掛けて剣を横に薙ぐ。
十分引き付けてから撃ったので、躱されたときにはもう弓の間合いは潰されている。
並の弓兵なら動揺して横薙ぎを食らってしまうかもしれない。
しかしノルトにとって矢が躱されたということはそれほど重大な出来事ではない。
ゆえに動揺することなく、横薙ぎを俊敏に飛び退った。
着地と同時にカヌートを肩から斜めにかけ、空いた手で剣を抜く。
無駄のない動きだ。
シオドアは老人が相当な手練れだと認めた。
立ち上がりながら少し後ろに下がり、タラップを渡ってきた水兵に手を伸ばした。
「その長銃を貸せ! 弾はいらん」
「はっ、どうぞ!」
目は老人に向けたまま、まだ硝煙燻る長銃を受け取った。
長銃の先端には銃剣が付いている。
切られた剣ではこの手練れに敵わないのでこれで戦う。
改めて構え直した。
それを見たノルトは不敵な笑みを浮かべる。
「賢明だ。お若いの」
初めて見たシオドアの印象は親の七光りにしか見えなかった。
一艦を率いるにはあまりにも若く、貴族の馬鹿息子が親の権力で艦長にしてもらったのだと。
斬り込みについてもだ。
殺し合いの恐ろしさを知らないお坊ちゃまが粋がって先陣を切っているのだと思っていた。
だが違った。
おそらくこの若者の機転で砲を捨てたから追い付けたのだ。
そして折れた剣ではなく、長銃の銃剣を選んだ。
優秀な軍人だ。
ここで散らすのは惜しい若者だが、敵として出会ってしまったら仕方がない。
それでもせめて名前だけでも聞いておきたいと思った。
「お若いの、名前は?」
「シオドアだ。貴様は?」
一瞬名乗るのを躊躇ったが、尋ねておいて名乗り返さないのも失礼だ。
「ワシは……ノルトだ」
「そうか。ではいくぞ、ノルト!」
名を聞いても何も動じていない。
中途半端な自称豪傑は名に反応しないことを不服に思うかもしれないがノルトは違う。
内心、ホッとしていた。
せっかく楽しい一騎打ちになりそうなのに、尻込みされてはつまらない。
シオドアとノルトの戦いが始まった。
それを合図とするかのように他の者たちも突撃と銃撃が再開した。
「艦長に続けーっ!」
「副長を援護しろーっ!」
複雑な戦いとなった。
両艦にとって、この白兵戦は早く終わった方が良いのか、長引かせた方が良いのか?
舵を斬りに行ったエルミラのために、ノルトはこのまま帝国兵を引き付けておいた方が良い。
しかし彼女ために稼いだ時間は、そのままネヴェル型六隻のための時間になってしまう。
早く逃げたいが、そのためにはシオドアたちを押し返さなければならず、そうなれば敵を姫様の方へ追いやることになってしまうのだ。
一方、シオドアも悩ましいところだ。
本来は艦隊が包囲するまで白兵戦を長引かせたい。
だが長引かせた分だけアルンザイトが女海賊に壊される。
艦に残してきた兵だけでは防ぎきれないので、斬り込みの兵を差し向けるしかないが、それではノルトたちに鉤縄を切られる。
強化してあるとはいっても、切断不可能というわけではないのだ。
縄を切られないようにするためには白兵戦を続けるしかない。
最善の道は幽霊船を一刻も早く制圧することなのだが、それが最も難しい。
シオドアが劣勢だ。
相手は筋肉隆々の巨漢というわけではない。
だがその斬撃が重い。
長銃で受ける度に手が痺れた。
白髪の老人のどこからこんな怪力が出てくるのか?
エルミラの魔法剣は危険だが、この老人の剣も侮ることはできない。
リーベルのノルトという名に聞き覚えはなかったが、間違いなく豪傑だ。
そんな豪傑相手に時間稼ぎも制圧も無理だった。
短くなった剣を捨て、長銃の銃剣で戦うという判断は良かったのだが……
戦いが始まってすぐは銃剣の突きを繰り出していたが徐々に押されていった。
シオドアは勇敢だが、一つ目巨人を一人で倒すことはできない。
相手が悪かったのだ。
ついに長銃を叩き落され、喉元に剣先を突き付けられた。
「艦長っ⁉」
水兵たちから悲痛な叫びが上がり、思わず助けようとする。
しかしノルトはそれを許さない。
突き付けた剣に少し力を入れる。
「うっ……」
鋭い金属が喉に食い込み、苦しそうに低く呻いた。
艦長の苦悶を見た水兵たちは止まらざるを得ない。
幽霊船に尻込みしている水兵を奮起させるため、艦長自ら先陣を切るしかなかったのだが、こうなるとその勇敢さが裏目となってしまった。
ファンタズマ艦尾では睨み合いが始まった。
その間に銃撃していた一人がシオドアへ縄をかけて捕虜にする。
その首筋に刃を当てながらノルトは水兵たちを恫喝した。
「武器を捨てろ!」
勝負はあった。
白兵戦はノルトたちが勝利した。
しかしこれですべてが終わったわけではない。
いまの白兵戦も海賊エルミラ討伐戦の一部にすぎない。
戦局はファンタズマに不利だ。
アルンザイトの使命は足止めだ。
シオドアは捕えられたが、その使命は見事果された。
だから——
ファンタズマの見張台で警鐘が狂ったように鳴り響く。
乗員たちは何事かと見上げるが、ノルトは水兵たちを睨んだままだ。
皆で見上げたら捕虜を取り返す隙を与えてしまうし、何が起きたのかは聞かなくてもわかっている。
敵艦の後方に光がいくつも現れたから。
第三艦隊ネヴェル型六隻が追い付いてしまった。
不思議な力が使えなくなったファンタズマでは勝ち目がない。
こうなったら捕虜を利用して交渉するしかない。
だが、「人質の命が惜しくば追撃を断念しろ」と迫るより、「人質を返すから見逃がしてくれ」と頼む方が不利だ。
ノルトは難しい交渉になると唇を噛んだ。
シオドアは相手を正しく認識していなかったために敗れた。
だがそれはノルトにも言えることだった。
交渉相手のロイエス提督については、海賊狩りで活躍した提督程度の認識だ。
提督が戦っていたのは帝国の南、ノルトはリーベルの北。
二人は一度も戦ったことがない
もし交戦したことがあったら、交渉などという常識的な考えは捨て去ったことだろう。
ロイエスと交渉するのは不可能だ。
奴は狂っているのだから、と。
ゆえに見張りが甲板に向かって叫んだことは別に驚くことではない。
「敵艦発砲!」
ノルトだけでなくシオドアも驚いた。
執念深さを説いてはいたが、まさか投降も呼びかけずに接舷中の味方諸共沈める気なのか?
提督の答えは——
「ヒュゥゥゥッ」と潮風を切りながら一発の砲弾がアルンザイトの艦尾甲板に命中した。
そこには舵を賭けて戦闘になっていたアルンザイトの兵とエルミラが……
「姫様ぁぁぁっ!」
叫ぶノルトの視線の先では、砲弾が爆発して艦尾甲板の人も舵も木端微塵に吹っ飛ばしていた。
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