第66話「古の魔法艦」

 夜の海。

 アルンザイト号艦長シオドアは、初めて幽霊船と戦った夜を思い出していた。


 新型の正体はおそらく、世にも稀な闇精艦だ。

 どういうカラクリか不明だが、新型は魔法兵の探知からも消えることができるのだ。

 易々と哨戒網を突破された。


 敵は射線から外れた安全な所で嘲笑っていたことだろう。

 見よ、帝国の馬鹿共が無駄な砲撃を繰り返していると。


 きっと他にも恐るべき能力を隠し持っているに違いない。

 その能力に第四艦隊はやられたのだ。

 断じて幽霊船の祟りなどではない。


 シオドアはロイエス提督のように執念深い人間ではない。

 それでも悔しかった。


 白昼堂々、正面から蹴散らされたというなら自分たちが弱かったのだと諦めがつく。

 だが、突破されたのかどうかも不明で、そもそもいたのかどうかも艦隊内で首を傾げているような有様だった。


 突破されていたとわかったのは、陸軍の騎士団が艦砲射撃を受けたからだ。


 みっともない……

 一体何のために毎日二重三重の哨戒網を張っていたのか。


 あれから時々考えていた。

 竜に敗れたリーベルの魔法使いは、なぜあのような艦を作ったのだろう?


 世界最高の頭脳集団、リーベル王国海軍研究所。

 常人のシオドアにそんな頭脳集団の難しい理屈はわからない。


 とはいえ、彼らも人間だ。

 喜怒哀楽の情はあっただろう。

 そういう部分は自分たち凡人とそう違わないはずだ。


 無敵と自惚れていた彼らがちっぽけな竜に大恥をかかされた。

 頭が良い彼らは非難を悉く論破するだろうが、敗北したことが消えるわけではない。


 何とか面目を施さなければならない。

 それがあの闇精艦だ。


 晴天の日中は竜の独壇場。

 ならば昼間は竜に譲り、魔法艦は夜戦に特化していくしかない。

 竜と魔法艦の両方を手に入れた帝国軍でもそう考えた。


 夜は始まったばかり。

 闇に溶け込める新型が最も力を発揮できる時間帯だ。


 しかも夜行性の獣と違って、この艦は不得意な昼戦で第四艦隊を滅ぼした。

 何らかの呪物の力だと思うが、昼専用ということはあるまい。

 夜もその力は発揮できると用心するべきだ。


「七対一か……」


 シオドアは別に卑怯とは思わない。

 己の有利で相手の不利を突く。

 それが戦いだ。

 七隻がかりで袋叩きにするという提督の作戦に異論はない。

 ただ本当にこちらが有利なのだろうかと疑問が消えないのだ。


 島の東と西に分かれていたので、第四艦隊と演習する機会はなかった。

 それでも、もしやっていたら……


 第三艦隊は八隻。

 対する第四艦隊は五隻。

 数だけ見れば有利だが、小竜隊を持たず、対竜戦の備えもない第三艦隊に勝ち目はない。


 提督や他の艦長たちと、このことについて話すときがある。

 例えば魔法艦のみの我々が竜と戦うことになったら、どんな戦法があるだろうか、と。


 答えは……


「面倒臭いことは飲んで忘れろ」


 誰も明言できず、誤魔化すように酒を注がれるだけだった。


 あの海戦後、他国も竜騎士団を持つようになった。

 現代は空対海の時代ではなく、空対空の時代なのだ。

 敵竜騎士団を探知したら、味方竜騎士団に救援要請して第三艦隊は後退すれば良い。

 魔法艦でどう対応すべきかなど、まさに面倒臭いことだった。


 今日、敵はその面倒臭いことをやってのけた。

 自分たちは考えること自体諦めてしまったのに……


 第四艦隊には小竜隊だけでなく、トルビーヌ型四隻が配備されていた。

 いわば水上の小竜隊といえる四隻だった。

 敵はこれすらも……


 四隻から七隻に増えても、その内容を考えると有利になったとは思えない。

 不安が拭えない。


 そしてもう一つ不安に感じていることがある。

 先頭を行くアルンザイトの魔法兵が敵艦を探知し続けているのだ。

 これは不気味だ。


 追いかけられているときだからこそ、ウェンドア沖のように姿を消すべきではないのか?

 なぜ魔法兵に姿を晒しながら逃げる?


 考えられるのは罠の可能性だ。

 この先で仲間が待ち伏せしているのかもしれない。

 だが、これは逆にチャンスかもしれなかった。


 策というものは相手が思惑通りに動いてくれることが肝要だ。

 しかし意志ある相手は想定外の動きをすることがある。

 それも計算に入れておかなければ策は破れるのだ。


 エルミラ王女——

 いや、海賊エルミラがどれほどの策士か、見せてもらおうではないか。


 シオドアは伝声筒を取り出した。

 呼びかける相手は旗艦ノイエッド。

 提督に提案することがあるのだ。

 彼はすぐに応答してくれた。


「どうした? シオドア」

「はっ、至急お許し頂きたいことがあります」


 彼は手短に考えたことを説明した。

 わざと姿を現している敵の意表を突かねばならず、そのためにをしなければならない。


 静かに聞いていた提督もそのに対しては「さすがにそれは……」と呻いた。


 だがこれが成功すれば敵を包囲できる。

 囲んでしまえばトルビーヌ型よりネヴェル型の頑強さが光る。

 敵にどんな仕掛けがあろうと、強引に仕留めることができるかもしれない。


 少し思案した後、


「怒られるどころか、司令から鉄拳制裁モノだな」


 提督は大笑いした。

 すでに高価な魔力砲を大量に投棄してしまい、司令部に帰ったら査問委員会行きは免れない。

 彼の提案は司令から提督への鉄拳をさらに増やす内容だった。


「ここまできたら何も恐れることはない」


 開き直った提督はシオドアの作戦を許可した。


「ワシの尊い犠牲を無駄にするなよ?」

「はっ、必ずや」


 通信を終えたシオドアは副長と魔法兵を呼んで準備を始めさせた。

 敵艦と戦端を開く前にしなければならないことが他にもある。

 アルンザイトは忙しくなった。



 ***



 ファンタズマ号甲板——


 エルミラはじいと相談中だ。

 日没間近、新たな追手が広域表示の空間鏡に入ってきた。

 拡大して確認した結果、追手の編成は先頭のスキュート型一隻と後続のネヴェル型七隻だと判明した。


「スキュート型……」


 彼女は嫌な気分になった。

 島に接近した夜を思い出す。

 遮光していたのに、危うく十字砲火でやられるところだった。

 あの勘の良い帝国軍人はスキュート型の艦長だった。


 地下アジトで聞いた話によれば、西の海に出ている魔法艦は多いが、殆どがまだ訓練中だという。

 すぐに動けるのは東の第四艦隊と西の第三艦隊のみ。


 だから追いかけてきているのは、間違いなくあの夜の連中だ。


 だがいまさら何を恐れることがあろうか。

 あの夜は知らずにコソコソ通ろうとしたが、ファンタズマは本気を出せば易々と一個艦隊を滅ぼす力があるのだ。


 いま追ってきているのは数が多いだけの通常の魔法艦隊だ。

 さっきの艦隊より楽な相手——のはずだった。


 ところがそうはいかなかった。

 いまこの艦は遮光も何もせずに通常航行を続けているが、これは罠へ誘導しているわけではない。


 人型がリルの犠牲を顧みずに本気を出したせいで、リルが倒れてしまったのだ。

 現在、複合精霊魔法は使用不能だ。

 もう緊急回避もできない。


 やはり都合の良い大魔法など存在しなかった。

 これが単艦で精鋭艦隊を壊滅させた代償だ。


 核室内にはまだ各精霊が待機している。

 力を引き出して魔力砲に注力することはできる。

 ただ、制御してくれる召喚士が不在のまま実行するのは怖い。


 リルが関わっていないものは詠唱陣だけだ。

 いまのファンタズマは精霊の力に頼らず、すべてを人力でやらなければならない。

 世界初の魔法艦、初代ペンタグラム号のように……


 魔法艦の生みの親、ロレッタ卿。

 霊式艦は彼女の意図しない進化の先に生まれた。

 いわば究極の失敗作といえる。


 遙か昔、彼女は宮廷に居並ぶ者たちをこう一喝した。


 ——人知を超えた妖魔の力などあてにせず、あくまでも人として全力を尽くすべき——


 だが欲に目が眩んだリーベル人たちは耳を貸さず、間違った力を追い求め続けた。


 そして今日。

 リーベルの英知を結集した失敗作ファンタズマは力を失い、ロレッタの子ペンタグラムと認められる姿になった。

 生みの親が意図した正しい姿に。


 そのロレッタの子に失敗作の子孫たる精霊艦が襲い掛かる。

 何とも皮肉な運命だ。


 師匠はそう自嘲していれば良いかもしれないが、弟子エルミラは笑っている場合ではない。

 空間鏡の中で敵艦隊が増速しているのだ。


 ネヴェル型とファンタズマの速度は同じ位だ。

 逃げる者も追う者も速度が同じなら距離が縮まることはない。

 夜になるまではそうだった。

 ところがさっきからジワジワと詰め寄ってきているのだ。


 なぜ?

 どうやって?

 疑問だが考えている場合ではない。

 目の前で起きている出来事に対応するのが先だ。


 しかしこちらはすでに全速航行だ。

 畳んでいる帆は一枚もなく、これ以上速度を上げる手段がない。

 あとは身軽になるしか……


 最初に考え付いたのは食器や予備の資材を捨てることだが、それほど重量軽減になるとは思えない。

 弾薬も捨てようか?

 これはあった方が良いが、なければ魔力砲が使えなくなるわけではない。


 ただ魔法兵を装填に回す分、障壁が薄くなってしまう。

 それにネヴェル型のように大量に積んでいるわけではないから、すべて捨てても大幅な増速は見込めない。


 一か八か、手動で風精の力を帆に当てようかとも考えたがやめた。

 自分たちだけならやってみようとも思うが、ここにはマルジオ一家もいるのだ。


 やりたいのは一瞬だけの急加速ではない。

 継続的な増速だ。

 召喚士なしに増速などしたら、確実に精霊が暴走する。


 エルミラとじいはこれといった良案が浮かばなかった。

 よってこれから敵艦隊に追い付かれるのは確実となった。

 いまはどう逃げるかではなく、どう戦うかについて話し合っていた。


 そのとき、彼女の背後から呼ぶ声がした。


「エルミラ」


 振り返ると、そこには少し顔色が戻ったリルが立っていた。

 あくまでも少しだ。

 本調子でないことは明らかだ。


「リル、おまえは下で休んでいてくれ」

「でも!」


 少女は空間鏡の中で追い上げてきている敵艦隊に目をやった。

 見られたくないものを見られてしまった。

 もっとも、見せないようにしても無意味なのだが。

 少女が見えたものを、空間鏡を通して皆にも見せてくれているのだから。


 エルミラは竜さえ片付けばあとは何とかなる、と少女を宥めた。


「…………」


 もちろん嘘だ。

 この艦の特殊能力があったからこれまで切り抜けてこられたのだ。

 それを封じたファンタズマは大昔のペンタグラムに逆戻りした。


 古の魔法艦……

 同じ古代でも英雄譚に登場する伝説の聖剣なら恐るべき力を発揮してくれる。

 だが聖剣と魔法艦は違う。

 魔法艦は兵器だ。

 兵器は基本的に新しい方が強い。


 詠唱陣と鋼化装甲板しか持たないペンタグラムがネヴェル型と喧嘩したら必ず負ける。

 しかも一対七だ。

 これからエルミラがやろうとしている戦いはそういう戦いだ。


 リルは皆を守るため、一緒に戦うと言い張った。


 第三艦隊を退けることだけ考えるならば少女は正しい。

 だが、これ以上は少女の命に係わる。

 エルミラは首を横に振った。


「リル、おまえは竜から私たちを守ってくれた。ありがとう。だから——」


 彼女は地下アジトで解放軍司令ハーヴェンに啖呵を切ってきた。

 リルを人型扱いするなと。

 大口を叩いておきながら、困る度にリルの力を当てにしていたら、結局あの人でなしと同類ではないか。


 だからこれ以上、人型には頼らない。

 あくまでもリルがやれる範囲内に限定するし、今日はもうやりすぎたから彼女の出番は終了だ。


 少女は人型に命を差し出して私たちを助けてくれた。

 今度は私たちが命をかける番だ。


「だから、今度は私たちを信じてくれ」


 そう言われてしまっては少女には返す言葉がない。

 これ以上ゴネたら信じていないことになってしまう。


 渋々了承して船室に戻りかけた。

 数歩歩いたとき、何かを思い付いて振り返る。

 細い指で空間鏡を指差しながら、


「何か見つけたらすぐに知らせるから!」

「ああ、これは使わせてもらうよ」


 夜の海は遮光中と同じだ。

 空間鏡があれば助かる。


 リルはエルミラの言葉に納得して甲板を下りて行った。


 少女が去った甲板は再び緊迫した。

 宥めるために何の心配もいらないと伝えたが、本当は深刻な状況だ。


 夕方までのような霊式艦としての戦いはできない。

 初代ペンタグラム対現役の魔法艦隊。

 ……このままでは敗北必至だ。


 しかし本物の初代とすべてが同じというわけでもない。

 女将の時代と違う点が二つある。


 一つ目は乗っている魔法兵だ。

 初代に乗っていたのは急拵えの魔法兵たちだったが、こちらには元陸軍ではあるが本職の魔法兵たちが乗っている。


 二つ目は……


 エルミラは魔法剣マジーアを抜いて付与の詠唱を始めた。

 彼女は海軍魔法兵団の魔法剣士。

 女将の時代にはなかった兵科が現代にはある。

 海戦時の主な役割は敵艦斬り込みだ。


 彼女の剣が仄かに青白い光を帯びた。

 かけたのは切断力強化の付与魔法だ。

 追いついてきた艦をこの剣で斬る。


 鞘に収めながら、彼女は空間鏡に変化があったことに気が付いた。

 敵艦隊はすでに謎の増速中だが、その先頭艦スキュート型だけがさらに増速してきた。

 こちらの艦尾に追突したいらしい。


 それを見たエルミラは不敵に笑った。


「奇遇だな。私もどうやって接舷しようかと考えていたところなんだよ!」


 魔法剣の標的が決まった。

 アルンザイトだ。

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