第65話「竜より厄介な敵」
イスルード島南西沖、ファンタズマ号甲板——
人型による第四艦隊旗艦の解体作業が続く。
実砲弾に火の力を付与し、その上から貫通強化の魔法をかけた。
二つの異なる魔法を同時に発動する複合精霊魔法だ。
この砲弾をひたすら撃ち込んでいた。
相手が魔法艦なら障壁を突破するためにいろいろと織り交ぜなければならないが、竜母艦にその必要はない。
鋼化装甲板を持たず、魔法兵も乗っていないこの艦はただの大きな的だ。
砲弾は木製の舷側を貫き、艦内で爆発した。
その作業をエルミラたちが呆然と眺めている。
艦隊は従来の魔法艦と霊式艦は別物だと思い知っただろうが、彼女たちも思い知った。
今日乗ったばかりの仲間たちは何も知らない。
特殊な艦だと伝えてあったし、こういう艦なのだとすんなり受け入れたかもしれない。
だが彼女は違う。
リルが人型と交代すると、気の質が禍々しいものに変わった。
身体は同じだが同一人物ではない。
同時にこの艦の質も変わった。
人知の及ぶ魔法艦から、人知の及ばない幽霊船へと。
普段から見ていた彼女だから気付けたことだ。
今日初めて見た帝国艦隊の者たちは、こちらの乗員たちと同様だったことだろう。
ハーヴェン軍の地下アジトで兵士から帝都の怪談を教わった。
正直、幽霊船呼ばわりされるのは心外だったが、いまの戦いを見た後では申し開きのしようがない。
女将がこの艦で帰国するのに反対した理由がよくわかった。
こんな恐ろしい呪物は誰の手にも、どの勢力にも渡してはならない。
己の浅はかさに気付いたエルミラは、呆けて忘れていた大事なことを思い出した。
——リルの消耗!
敵旗艦からは次々と生存者が海に飛び込んでいる。
戦闘不能だ。
これ以上霊式艦の本領を発揮する必要はない。
急いで人型に駆け寄った。
「おい、もう十分だ! いますぐやめろ! リル、返事をしろ! リル!」
遮光航行だけでもリルは疲れていた。
いや、遮光は「だけ」呼ばわりできるような容易い魔法ではない。
魔法を学び始めた者は最初に教わる。
魔法とは、世界に満ちる〈気〉の力を利用する方法なのだと。
神聖魔法なら神、精霊魔法ならより高位の精霊。
力の呼び名が違うだけで、仕組みは同じようなものだ。
その力の使い方がわかれば奇跡の起こし放題だ!
……よくわかっていない者は魔法にそんな夢を見る。
そしてもう少し学びが進むと、彼らはがっかりする。
大いなる力は確かに無限だが、その力をどれだけ行使できるかは術者の力量に依る。
もしくはどれだけ犠牲を払えるかに依る。
力を使えば疲労するし、無限に代償を支払い続けることはできない。
結局、魔法は有限なのだ。
複合精霊魔法は、そんな魔法の中でも大魔法と呼んで良いだろう。
人型は戦闘が始まってからその大魔法を連発し続けた。
勝手にリルの命を消耗させながら。
もう勝負はついた。
旗艦は火だるまだ。
トドメなら、もう刺し終えている。
ここから先はただの人殺しだ。
自分たちが生き延びるためでも何でもない。
そんなことに——
「リルの命を使うな!」
エルミラの気迫が悪霊に打ち勝ったのか?
あるいはただ力尽きただけか?
肩を揺さぶられた人型は気を失い、膝から崩れた。
***
リルは人の気配で目が覚めた。
人型ではなく、リルがだ。
あのとき、女艦長に一喝されてリルが前に出てきてしまった。
そうなっては人型が後ろに引き下がるしかない。
ゆえに目覚めたのはリルの方だ。
彼女は薄暗い船室でベッドに寝かされていた。
あれからどれ位時間が経ったのだろう?
仰向けなので正面に天井が見える。
あと二つの頭も。
マルジオの娘たちだ。
何か異変があったらすぐに知らせようと、ずっと傍らで見守っていた。
「お姉ちゃんが起きた!」
妹が振り返って誰かに知らせると、二人分の靴音が近付いてきた。
マルジオと奥さんだ。
「気が付いたか。良かった」
「まだ寝てなさい。あまり顔色が良くないわ」
それはそうだろう。
たった
とんでもない負担だったはずだ。
エルミラが止めなければ本当に危なかったかもしれない。
リルは身体を起こそうとするが、姉妹二人掛かりで阻止された。
姫様のお言いつけだという。
目覚めても安静にしていないといけないから、しっかり見張っているようにと。
——!
そうだ、エルミラたちは?
人型がリルの後ろから見ていたように、彼女も人型の後ろで見ていた。
旗艦を滅多打ちにしていたところまでは記憶がある。
その後どうなった?
現在の状況は?
砲音は聞こえないから戦闘中ではなさそうだ。
ならば知らせに行っても良さそうなのに、一家は誰もそうしない。
まだ警戒を解けない状況なのか?
リルはベッドに横たわったまま、艦体に意識を向ける。
船首像が砕けている以外は外側に異常はない。
浸水もない。
次は甲板に意識を向ける。
外は月夜だ。
いつの間にか厚い雲はどこかへ行ったらしい。
艦は東風を受けて西へ全速航行中のようだ。
甲板の様子は——
艦首方向から順に全員の無事を確認していくと、エルミラと白髭のおじさんが舷側に並んでいるのが見えた。
頻りに後方を気にしている。
一体何だろう、と空間鏡に注目してわかった。
戦闘はまだ終わっていなかった。
ファンタズマ号は現在、新たな追撃を受けている。
新たな追手は帝国第三艦隊。
狂気の海賊狩り、ロイエス提督が追いついてきた。
***
第四艦隊の犠牲は無駄ではなかった。
壊滅は想定外だったかもしれないが、海賊の足止めという主目的は果せた。
おかげで第三艦隊は追いつくことができた。
できればネイギアスの領海に入る前に仕留めたい。
今回の騒ぎは〈老人たち〉の耳にも入っているはず。
奴らも艦隊を出動させて、リーベルの秘密兵器が逃げ込んでくるのを待っているに違いない。
もし領海に逃げ込まれたらあの艦が奴らの手に渡り、すぐに量産されるだろう。
姿が消える
それだけは絶対にだめだ。
敵も艦隊もまだセルーリアス海に入ったばかり。
ネイギアス連邦の領海は遥か先だ。
しかし追う者と追われる者の速力が同じ位で、受けている風も同じなら、いつまで経っても距離が縮まらない。
ロイエスは焦っていた。
司令部からは南へ急行し挟撃せよ、と命令されていたが、提督の独断で針路を第四艦隊が待ち伏せていた場所よりさらに西へ設定していた。
敵は一隻。
第四艦隊には小竜隊が配備されている。
戦力不足ということはない。
必要なのは火力ではなく
万が一抜かれたときに備えて、第三艦隊が次の網になるべきだと考えたのだ。
艦長たちには反対されたが、ウェンドア沖から風を斜めに受けて南西へ急がせた。
当然後で怒られるが、道に迷った振りでもして誤魔化し、通用しなければ一人で処罰を受けるつもりだった。
提督自ら堂々たる命令違反だが、この判断は正しかったと言わざるを得ない。
事実、第四艦隊は敵を止められなかった。
よって次の網が必要になった。
途中、寄り道せずにまっすぐやってきたおかげで、右舷方向、沈みかけた夕日に向かって西進する敵影を捕捉できた。
提督の表情が苦い。
処罰覚悟でここまで来たのに……
夕日は西に沈む。
その夕日に向かっている姿が右舷に見えたということは、風下へ逃げられた後だということだ。
これではだめだ。
風は東から吹いているのだから、艦隊が西側で待ち構えて敵の頭を押さえなければ網にならない。
艦隊はウェンドア沖からここまで全速航行でやってきた。
これ以上早く到達することは無理だった。
それに午後から強まってきた風で波が高い。
魔法艦は小型艦だ。
ガレー船よりはマシだが、波に強いわけではない。
深追いすれば転覆の危険もある。
常識のある理知的な提督ならここで退却を命じる。
ロイエス提督も普段は理性的な老紳士だ。
だが、宿屋号でズタズタになっている彼の似顔絵が証明している。
痛めつけられた海賊たちが証言している。
奴は狂っていると。
だから提督が敵を目の前にしながら、諦めて退却するなどありえない。
忘れてはいけない。
彼は先日、艦長たちに執念深さが足りないと説いた人物だ。
執念深い提督は命じた。
「全艦、下段魔力砲を投棄せよ」
また、下段の砲に装填する砲弾と火薬を捨てさせた。
さらに提督自ら魔法兵に何かを尋ね、予備の帆や修理用木材もその大部分を投棄させた。
とにかく捨てられる物は片っ端から夜の海に捨てていった。
アルンザイトは二段砲列ではないので砲の投棄は免れたが、それ以外については同じだ。
真意がわからない者たちにとっては狂気の沙汰だ。
これから敵と戦おうというのに武器を捨てろなどと。
提督の伝声筒には艦長たちからの抗議や再考を求める声が引っ切り無しだ。
当然だ。
ネヴェル型の強みは攻撃力だ。
なのに、半分捨ててしまったら長所が失われてしまう。
しかし、それは提督も承知の上だ。
その上で艦長たちとは別の考えを持っていた。
いま必要なのは攻撃力ではなく速力だ。
追いつけなければ、せっかくの二段砲列も使いようがないではないか。
敵を捕捉した直後、魔法兵が第四艦隊旗艦の残骸を探知した。
生存者の反応もあるという。
救助のために一隻置いてきたが、それでも艦隊にはまだ七隻ある。
七対一なら一段砲列でも十分だ。
艦長たちは不服だが、提督の命令には逆らえない。
渋々、投棄していった。
効果はすぐに現れた。
魔法兵に探知してもらうと、緩やかではあるものの距離が詰まり始めたという。
しかしそれでは遅い。
そこでさらに物資を捨てさせたのだ。
捨てられる物はすべて捨てた。
これ以上は航行に差し支える。
改めて、どれ位距離が詰まったかを探知させた。
結果は……
今度は提督を満足させた。
これで戦える。
ロイエスは前方の暗い海を睨みながら全艦に告げた。
「敵は一隻で第四艦隊を壊滅させた化け物だ。何を仕掛けてくるかわからん。油断するな!」
狂気の海賊狩りは相手が新米海賊だろうと容赦しない。
エルミラたちにとっては第四艦隊より厄介な追手だ。
絶対に油断してくれないから付け入る隙がない。
リーベルの悪霊に帝国の狂気がジワジワと迫っていた。
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