第64話「イスルードの幽霊船」

 敵脱走艦は自らの煙幕の中で、三姉妹の集中砲火を受けて沈んだ。

 いま頃は艦も乗員も海の底だ。


 ただしこれは末妹だけの主観だ。


 他の者たちは煙幕が晴れた後、別のものを見ていた。

 滅多打ちにしたはずの敵艦は健在だった……


 特に竜騎士たちからは惨状がよく見えた。

 次女は沈没寸前、三女は破壊され、末妹の姿が見えないから最初に沈められてしまったのだろう。

 そう解釈した。


 敵は煙幕の流れに従って末妹がいた場所に移動しており、次女にトドメを刺そうとしているようだ。

 三騎は翼を畳ませて降下速度を上げた。


 竜はすでに去ったと油断し、敵艦の注意は完全に次女へ向いている。

 沈める機会はいましかない。


 見つかればあの弩矢が飛んでくる。

 だが、それ以上に厄介なのは障壁だ。

 いまは困る。


 ただでさえ火力が減ってしまったのだ。

 空に対して無防備でいてもらわなければ、核室を破壊できない。


 突入角度七〇度から八〇度の間。

 こうなると急降下というより落下という方が近い。


 普段は五〇度から六〇度位だが、それでは気付かれてしまう。

 もう空と見せかけてトルビーヌの艦砲で狙うといった芸当はできないのだ。

 敵の視界外から攻撃しなければならなかった。


 警戒していた弩矢は飛んでこなかった。

 トルビーヌ三艦との撃ち合いで弩が破壊されたのかもしれない。


 普段より急角度で降下しているのは、単に見つからないためだけではない。

 五個から三個に減ってしまった分、速度を上げて溜炎の貫通力を高めておかなければならなかった。


 やがて敵の甲板がくっきり見えてきた。

 攻撃開始だ。


 臨時に指揮を執ることになった三番手の声が四番と五番の伝声筒に伝わる。


「目標、甲板中央! 三番用意よし!」


 四番と五番もこれに応える。


「四番用意良し!」

「五番用意良し!」


 竜たちが口を開き、中に溜まっている炎が漏れて降下の風に流される。

 発射の寸前、先頭を降下していた三番は海賊エルミラと目が合った。

 彼女はこちらに気付いて驚いていた。


 馬鹿め。

 もう遅い。


「三番、撃てぇぇぇっ!」

「四番、てぇぇぇっ!」

「五番、撃てぇぇいっ!」


 空中で彼らの掛け声が連続する。

 溜炎を発射し終えた三番は急降下から反転し、急上昇をかける。

 続いて四番、五番。


 非常に忙しい攻撃なので、彼らは命中したかどうかを見届けたことはない。

 戦果はいつも背中で確認している。


 だから今日も——


 ドカァァァンッ!


 上昇に転じた背中に爆発音と衝撃波がやってきた。

 攻撃成功だ。

 だが振り返って戦果を見るのは、十分な高度に到達してからだ。


 初めに三番が振り返った。


「やったぞ! 隊長たちの仇を討——」


 言いかけていた言葉が止まってしまった。

 上昇中の自分たち目掛けて、一本の弩矢が迫っていたからだ。


「全騎散開!」


 勝利に興奮してはいたが、浮かれてはいなかったので反応が速かった。

 素早く左右に分かれ、弩矢に道を譲った。


 弩矢を見送った後、全員海を見渡したが敵艦は真ん中から二つに折れて炎上中だ。

 次女は戦闘どころではないし、そもそもトルビーヌ型は弩を搭載していない。


 では、いまの弩矢は一体どこから?


 考えられることは、火に包まれながら海賊エルミラが撃ち返してきた可能性だ。

 海の藻屑になる前にやり返そうという執念だったのかもしれない。


 放っておけば敵は沈む。

 だが旗艦がこちらに向かっている。

 そのとき燃え残っていたら。旗艦が攻撃されるかもしれない。


 ただの弩なら舷側に刺さるだけだが、魔力を付与して撃ってこられたら魔力砲で撃たれているのと変わらない。

 あの弩は危険だ。


 小竜隊は第五次攻撃を決意した。

 目標、海賊エルミラ。

 彼女と弩を潰す。


 敵は大火災になりながらまだ漂っているが、いつ転移が始まるかわからない。

 そこで通常の一点集中攻撃ではなく、遠巻きから自由に攻撃する。


 四番・五番から了解が返ってきた。

 三騎は再び曇天に突っ込んでいく。

 雲の上で竜に炎を溜めさせるのだ。



 ***



 ここに一つの報告書がある。

 イスルード南西沖、海賊エルミラ追撃戦についてのものだ。


 報告者は第三艦隊ロイエス提督。

 壊滅した第四艦隊の生存者から聴取したとある。


 エルミラ追撃については第三艦隊にもウェンドア司令部から指令があった。

 先行した第四艦隊が足止めしている間に現場海域に急行せよと。

 挟み撃ちにする作戦だったのだ。


 ところが到着したときに海賊の姿はなく、残されていたのは旗艦の残骸のみ。

 漂っていた水兵たちを救助したが、全員意味不明なことを繰り返すばかり。

 幽霊船とか、祟りとか……


 やがて彼らの錯乱状態は治まっていったが、それでも混乱しているのか、聴取した内容は要領を得ないものだった。

 報告書はそんな断片的な証言を根気強く繋ぎ合わせて作られた。


 次の無敵艦隊と目されていた帝国第四艦隊が壊滅……

 あの海で一体何があったのか?



 ***



 時は煙幕を展開し始めた頃に遡る。


 ファンタズマ号乗員たちは絶句していた。

 柩計画書に目を通していたエルミラでさえ言葉が出ない。


 あれほど苦戦していた風力艦を人型は易々と沈めた。


 自分たちでは風力艦群に勝ち目はない。

 そこへさらに竜が飛来し、すべての望みは絶たれた。

 しかしこれは従来通りの魔法艦として戦おうとしたからだ。


 現れた追手は、竜と魔法艦が連携する新しい魔法艦隊だった。

 この艦隊との戦いは、残念ながらエルミラたちの敗北だと言わざるを得ない。

 彼女は人としては真っ当な人間だったが、常識に囚われていては勝てないのだ。


 彼女のやり方ではリルを守れない。

 だから人型が出てきた。


 魔法艦はおしまい。

 ここからは人型による霊式艦本来の戦いだ。


 艦が煙幕にすっぽりと包まれた頃、甲板が急に真っ暗になった。

 エルミラ以外の乗員たちは驚いていたが、人型は気にしない。

 あとで艦長に聞け。


 遮光航行だ。


 そのまま水流を操りながらゆっくりと後退し始めた。

 白波が立たないように、煙幕を掻き分けないように。


 後退は船二隻分程で終わり、取舵を切りながら前進。

 次女の艦首前方につける。


 三姉妹の一斉射撃が始まったのはその後だった。

 すでに脱している敵艦がそこにいると信じて……

 つまり次女と三女は死に物狂いで貫通弾を撃ち合っていたのだ。


 轟音と怒号の傍ら、空間鏡の中では煙幕が東風に流されて末妹を包んでいた。

 次は闇精の出番だ。


 人型から指示を受けた闇精は、末妹の方を向いて何らかの魔法を発動した。

 闇精の魔法、それはファンタズマの影を作り出すこと。

 その影を末妹に貼り付けたのだ。


 煙幕が晴れて、次女と小竜隊三騎が見た敵艦はこれだった。


 ファンタズマの影武者にされた哀れな末妹は、帝国軍御自慢の溜炎で轟沈した。


 人型は身代わりに沈む末妹の最後を見届けない。

 そんなことより、残る小竜隊へ刺すトドメの準備で忙しい。

 魔法弩だ。

 矢に魔法を込めると、直ちに射出した。


 攻撃を終えて上昇中の三騎を襲ったのはこの矢だ。

 小竜隊に気付かれてしまって誰にも当たらなかったが、別に惜しくはない。

 狙っていたのは竜ではなく、いまにも降り出しそうな曇天だったから。


 弩矢は雲に突っ込んでいき、込められていた魔法が発動した。

 込めらえていたのは氷の魔法。

 氷に刺激された雲の中で雷が溜まっていく。


 そこはもはや雷の地獄。

 しかし三騎は下から飛んできた矢のことばかり気にして、上への警戒を怠った。

 彼らはそのまま雲へ。

 直後、雲の中で幾筋もの稲光が走った。


 そこが地獄だと気付く方が早かったのか?

 あるいは落雷の方が早かったのか?

 尋ねてみたくても、もはやそれは叶わない。

 全員、消し炭になって海に落ちていったから……



 ***



 小竜隊は全滅した。

 しかし幽霊船の祟りはまだ終わらない。

 再び闇精を呼び出して次女を影武者に仕立て、ファンタズマは沈没寸前の次女に化けさせた。


 そこへ第四艦隊旗艦が到着した。


 人型はこれ見よがしに一門だけ撃ってみせたので、旗艦からは敵艦に抵抗しているように見えたことだろう。


 竜母艦はただの小竜運搬船ではない。

 万が一に備えて通常の大砲ではあるが、最低限の武装はしている。

 旗艦は救援のため、この砲でへの砲撃を開始した。


 人型は芝居がバレないよう、弱々しく一発ずつ通常弾を撃ち続けた。

 それを次女だと信じている旗艦の者たちは、自分たちが頑張らねばと奮起した。


 敵艦はなぜか障壁を展開しておらず、通常弾でもダメージを与えることができた。

 鋼化装甲板があるはずなのだが、すでに風力艦との戦いで損傷していたのかもしれない。

 ならば竜母艦の砲でも叩けると、砲手たちは死に物狂いで撃ち込み続けた。


 障壁も装甲板も失っている敵の舷側は脆く、あっという間に大穴が開いた。

 さらに撃ち込んでその穴を拡大していくと、どんどん艦体が傾いていき、ついには横転した。


 彼らは勝った。

 半分水没した敵艦は重たい艦尾から沈んでいき、砕けた幽霊像が天を仰いでいる。

 まるで浮かばれない霊が天に召されるのを待ち望んでいるかのように。


 旗艦の甲板が勝利の雄叫びで包まれたが、士官たちはすぐに静まらせた。

 撃沈してもまだ終わりではない。


 次は海賊共の逮捕と次女の救助だ。

 旗艦は次女と敵艦の間に入るように進み、そこで錨を下した。


 次女はもう助からない。

 伝声筒でこっちに乗り移るよう伝えたいが、なぜかずっと応答がない。

 こうなったら直接行って伝え、避難を急がせるしかない。


 次女側舷側ではボートを下す準備が進められた。

 一方、敵艦側舷側では砲の代わりに長銃が並んでいる。


 どうせここで命が助かっても、手下共はウェンドアで絞首刑が待っている。

 首領のエルミラは帝都に送られ、そこで……


 どの道、死ぬ定めの者たちではあるが、命令は敵艦の即時撃沈だ。

 即時射殺ではない。


 戦いは終わった。

 相手が敵であろうとも、海に投げ出されている者を見殺しにはしない。

 これは法ではないが、海の掟のようなものだ。


 旗艦はその掟に従い、浮き輪を投げ込んだ。

 同時にロープを一本だけ垂らす。

 引き上げるのは一人ずつだ。

 拘束が済むまで浮き輪に掴まって浮かんでいてもらう。


 相手はただの海賊ではない。

 魔法に長けたリーベル人は丸腰でも油断できない。

 一度に大勢救助して、奴らが甲板で暴れ出したら面倒だ。


 少し待つ。


 …………


 ……妙だ。

 奴らが一人も浮かんでこない。

 そういえば、沈没確実となった敵艦から海に飛び込む者はいなかった。


 全員自らの運命を悟って自害したのか?

 だがそれなら死体が浮かんでくるはずだ。

 それもない。


 様子がおかしいと囁き始まった頃、ようやく敵艦沈没位置から少し離れたところに、浮かんでいる人影が見えた。

 ようやくか、と士官たちは片目を瞑って望遠鏡で確認した。


「……っ⁉ どういうことだ⁉」


 彼らは見たものの意味がわからなかった。

 その人影は、帝国海軍の士官だったのだ。


 彼らにとって不可解でも、客観的に見ていれば何の不思議もない。

 旗艦が本物の次女に全力でトドメを刺していたのだから。

 どこへも逃げられない次女の乗員たちは、艦と運命を共にするしかなかったのだ。


 士官の死体も別に不思議なことではない。

 闇精が魔法で作った〈影〉がすべてを隠していたのだ。

 浮上してきたのではない。

 波に流されて魔法の効果範囲から出ただけだ。


 天を仰ぐ幽霊像がいよいよ水没する。

 その直前に影は消え、船首像が砕けた幽霊から本来の妖精トルビーヌの像に戻った。


 それに気付いた者たちが騒いだ。

 あれは味方だったんじゃないのかと。


 じゃあ、我々が次女だと信じていたものは……?

 恐る恐る振り返ると……

 そこにいたのはボロボロの次女ではなく、悪霊姉さんだった。


 空間鏡の中で、白枠と白点が旗艦に集中している。

 姉さんの砲撃準備はすでに完了していた。


 反応が早かった者が欄干から乗り出し、漕ぎ出そうとしていたボートに向かって叫んだ。


「戻れっ! 敵だ!」


 そこへ別の叫び声が被さる。


「敵艦から発砲!」


 空間鏡で狙う必要もないほどの至近距離から魔力砲を撃ち込まれた。


 竜母艦は本格的な砲撃戦は想定していない。

 この艦種の主目的は、小竜を状態良く作戦海域まで運ぶことなのだ。

 撃ち合わず、後方から竜を飛ばして待機している艦に鋼化装甲板は不要だと考えられてきた。


 だから今日、ファンタズマの至近砲撃に耐えられるはずがなかった。


 旗艦は次女に左舷を向けていた。

 その左舷に貫通弾と火力弾が直撃した。

 左舷とその上の甲板は吹っ飛び、メインマストが折れた。

 ボートに戻るよう叫んだ彼もこの攻撃で……


 右側甲板で士官の一人が必死に小竜隊を呼び続けるが応答はない。

 すでに全滅しているのだから。


 小竜は陸軍の大型種に比べれば小型だというだけで、民家ほどもある大きい動物だ。

 それを五匹乗せて運ぶのだから、竜母艦は魔法艦の何倍も大きな艦だ。


 ゆえに一回の斉射では足りない。

 攻撃は第二射、第三射と続いた。


 たとえ護身用でも、こちらを攻撃できる砲が完全に潰れるまで。

 帆柱がすべて折れて追跡不能になるまで。

 悪霊の怒りが治まるまで……


 こうして第四艦隊は壊滅した。


 悪用されれば世界の均衡が崩れる、とロレッタ卿が危惧する強力な呪物。

 未完成とはいえ、竜と魔法艦の混成部隊を単艦で血祭りに上げる化け物。

 第四艦隊がただの魔法艦と侮ったものはそういうものだった。


 帝都の怪談など迷信だ。

 幽霊船とやらの残骸を晒し、皆の目を覚ましてやろうと意気込んでいたが、結果はその逆。

 迷信が晴れるどころか、幽霊船の恐ろしさが増す結果となってしまった。


 この件について、帝都だけでなくウェンドアでも箝口令が布かれたが、効果は薄かった。

 各国密偵たちは帝国の恥を見逃さない。

 噂は外から伝わってしまった。


 ガレーの次は精鋭艦隊……

 幽霊船に手を出す者は祟られる。


 人々は〈イスルードの幽霊船〉と恐れた。

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