第63話「ファンタズマvsトルビーヌ」

 誰も操る者がいなくなったトルビーヌ型の長女は波間に消えた。

 これを見た残りの姉妹たちはファンタズマから距離を取る。

 用心のためだ。


 時間が経てば経つほど、甲板の揺れがひどくなっていく。

 狙って当てられる状況ではないが、それは敵も同じだ。


 長女はツイてなかったのだ。

 当たったのはこちらの油断と、敵が幸運に恵まれたのだ。


 幸運はそう何度も訪れるものではないが、万が一に備えて遠くから囲むことにした。

 艦砲は当てにできないが、こちらには竜が三騎残っている。

 三姉妹はまだ我が方が有利であると信じていた……


 長女がなぜ沈んだのか、愚かな妹たちは目の前で見てもなお理解できなかった。

 海戦が終って命があったら、このことを教訓にできるかもしれない。

 現実を正しく認識できない者は敗れると。


 お望み通り死ぬほど遊んでもらった長女は満足して眠りについた。

 次は私と遊んで、と三姉妹は遠巻きに旋回を続ける。

 第四次急降下まで時を稼ぐのだ。


 距離は十分とった。

 もし撃ってきても姉さんの艦砲は当たらない。


 だが、当たりっこないと言われると当ててみせたくなる。

 空間鏡の白枠で囲まれている次女に、白点が重なった。


 ドォンッ!


 姉さんが発砲した。

 火薬の炸裂音がしたから、実砲弾が飛んでくる。

 おそらく貫通弾だ。


 砲弾はまっすぐ伸びていき、舷側中央に命中した。

 この距離では当たらないと、回避を怠っていたからだ。

 幸い、魔法兵が障壁を展開していたのと、何の付与も施されていない通常弾だったために被害はなかった。


 幸運が二度続いた。

 珍しいことが起きるものだと、これでもまだ楽観的だった。

 そこへ発砲音が間隔を空けて続いた。

 優しい姉がじっくりと妹に教え聞かせるように。


 第二射命中。

 障壁により被害はなし。

 幸運が三度続いたと珍しがった。


 第三射命中。

 同じく被害はなかったが、甲板から楽観的な空気が消えた。


 第四射命中。

 真面目に回避しようとしたが、回避する先を読まれていた。

 障壁により艦体に被害はなかったが、甲板に動揺が走った。


 第五射、次女に続いていた三女に命中。

 二艦の間は離れており、発砲前にはその場で僅かに旋回して向きを修正していた。

 ゆえに誤射ではなく、狙って撃ったものである。


 すべて被害は生じなかったが、妹たちは青ざめた。

 長女が沈められたのは油断ではなかった。

 悪霊姉さんはこのうねりの中でも正確に当ててくる。


 三姉妹は規則正しい艦隊行動をやめ、一斉に姉さん目掛けて突撃を開始した。


 相手は揺れも遠距離も苦にせず、一方的に当ててくる化け物なのだ。

 遠くから綺麗な円を描いていたら狙い撃ちにされる。

 ならば多少の犠牲は覚悟して至近砲撃に賭けるしかない。

 相手は両舷一〇門。

 こちらは片舷合計一五門。

 数の勝負に持ち込むのだ。


 三艦は少しでも的を散らそうとジグザグに航行しながらファンタズマに接近していく。


 対するファンタズマは煙幕を展開し始めた。


 三艦の艦長たちは嘲笑った。

 円の中心でそんなことをして何になるのか?


 煙幕で見えなくてもこちらは別に困らない。

 そこにいることだけわかっていれば問題ない。

 煙幕に向かって貫通弾をありったけ撃ち込むだけだ。


 こちらから見えないということは、相手も見えないはずだが、煙幕の中から勘で撃ってくる可能性はある。

 内心冷や冷やしながら、それでも三艦は勇敢に接近していった。


 いつ撃ってくるか……


 警戒していた発砲がないまま、全艦、砲撃予定位置に差し掛かる。

 敵艦首前方に末妹、左右から煙幕を挟むように次女と三女。


 なぜ撃ってこなかったのか疑問だが、敵の都合など関係ない。こちらは準備が整っている。

 一斉射撃を開始した。


「撃てぇぇぇっ!」


 ドォン! ドンッ! ドドドォン……


 ドガァッ! バキバキバキッ! ガァン! バリリィッ!


 連続する轟音の後に命中音と破壊音が続く。

 まるで古い館を解体するような音だ。

 それらの音に負けまいと次女と三女の甲板で怒号が轟く。


「撃ってきたぞ!」

「怯むな! 撃ち返せぇっ!」


 敵は三艦の砲撃開始に合わせて、煙幕の中から猛烈に反撃してきた。

 至近距離での貫通弾の撃ち合いだ。

 双方タダでは済まない。


 次女も三女も煙幕側の舷側がボロボロだ。


 トルビーヌ型が撃ち合うのは無謀だった。

 悪霊姉さんには鋼化装甲板があるので、我慢比べでは三姉妹が不利だと言わざるを得ない。


 けれども魔力砲の数では勝っている。

 きっと煙幕の中で自分たち以上にボロボロのはず。

 必ず撃ち勝ってみせると三姉妹は闘志を燃やした。


 撃ち合いはいつまでも続いた。

 姉さんに撃たれた舷側には、応急修理では直しきれない大穴が開いてしまった。

 そこから海水が入り込み、傾いた甲板を魔力砲が滑り落ちていった。

 仕方なく、反対側の舷側砲を煙幕に向けて砲撃を続行する。


 煙幕から飛んでくる貫通弾は一向に減らない。

 防御力がこちらより上だとはいえ、両舷から撃たれながらよくぞこれだけ撃ち返せる。


 乗っている兵員の違いもあるのかもしれない。

 向こうはリーベルの魔法艦にリーベル兵だけが乗っている。

 こちらは帝国兵とリーベル兵の混成部隊だ。

 両者は普段から仲が悪い。


 帝国兵による迫害を取り締まるのは容易いが、まだイスルード島の統治は始まったばかり。

 いまは上から押さえつけておかないと、リーベル兵が反乱を企てるかもしれない。


 だが押さえつけが強すぎれば却って反乱を招く。

 今日まで反乱は起きていないが、反目は続いていた。

 いつまで経っても息が合わず、帝国海軍は魔法艦の全力が出せないという問題を抱えていた。


 その問題が現在の戦況にも影響を及ぼしている。

 魔法は術者の状態によって効力が変わる。

 同じ障壁でも、煙幕の中で必死に戦っている魔法兵と嫌々渋々従っているこちらの魔法兵では厚みと強度が違うのだろう。


 帝国士官たちは歯噛みしながらも彼らを励ました。

 本音は後ろから鞭で打って気合いを入れてやりたい。

 リーベル兵を励ましたくなどない。


 だが、彼らは魔法兵だ。

 槍を持たせてただ突撃させればよい奴隷兵ではない。

 鞭打てば集中が途切れて障壁が消える。


 士官と魔法兵の忍耐、それと砲手たちの懸命な砲撃はついに実を結んだ。

 煙幕からの砲撃が止んだ。


 ドガァァァンッ! メキメキッ、バキ、バキバキッ!


 少し遅れて爆発音と破壊音。

 見事、幽霊船に撃ち勝ったことを告げる音だ。


 艦は大破。

 死傷者多数。

 それでも苦しんだ末の勝利に、次女の甲板は沸いた。


 いまは仕方ないが、興奮が治まったら彼らには現実が待っている。

 現実は惨憺たる有様だ……


 マストは柱こそ無事だったが縦方向の帆桁が折れ、この場での修理は無理だ。

 横方向の帆桁は無事だったが、帆が焼け落ちている。


 さらに深刻なのは浸水だ。

 甲板から喫水付近までくまなく砲撃を受け、外から艦内の様子が見えるほど破壊されてしまった。

 その大穴から高波がどんどん入ってきて艦の傾斜が止まらないのだ。


 もう自力で帰港するのは無理かもしれない。


 まだ水兵たちは騒いでいるが、艦長たちは修理か退艦か話し合いを始めていた。


 簡単に決められる選択ではないが、どちらを選んでも一つだけ共通していることがある。

 ここに竜母艦を呼ぶということだ。


 修理しても無事な艦に曳航してもらわなければならない。

 退艦の場合も拾いに来てもらう必要がある。

 いま無事な艦は旗艦のみ。

 後方待機の竜母艦だけだ。


 煙幕で見えないが、あの大きな破壊音は間違いなく撃沈している。

 まだ正確な被害状況はわからないが、安全は確保されていると判断し、旗艦へ救援を要請することに決まった。


 旗艦が現場海域に到着するまでしばらくかかる。

 それまで修理しながら待機することにした。



 ***



 撃ち合いの最中から煙幕は東風に流されて末妹にかかっていた。

 戦い終わったいまも甲板は真っ白なまま。


 一斉射撃中、この白靄のせいで末妹の砲手たちは装填作業に苦労した。

 幸い、敵艦首前方についたので一発も反撃がなく、撃ち負けることはなかったが。


 激しい砲音の応酬がしばらく続いていたが、さっき大きな爆音と破壊音が聞こえてきた。

 敵艦の様子は見えないが、砲音が歓声に変わっていたことで我が方の勝利を知った。


 伝声筒から呼ぶ声がするので出てみると次女の艦長だった。

 筒からはあちらの歓声があふれ出し、艦長から敵艦撃沈と伝えられた。

 この戦闘で最も犠牲と功績が大きかったのは次女と三女だ。

 末妹の艦長は健闘を称えた。


 その後、三女の健闘も称えようとしたが応答はなかった。

 撃ち合いの最中に伝声筒を失ったのかもしれない。

 まだ真っ白で何も見えないが、東風がもうすぐすべてを吹き飛ばしてくれる。

 それから信号で伝えれば良い。


 待っていると徐々に靄が晴れてきた。


 艦長は部下に命じて三女への信号を用意させた。

 その間に靄は完全に吹き流されて視界が戻った。

 果たして敵艦は……


 囲みの中央に艦影はなかった。

 靄に包まれている間に海中に没したか?


 右前方にはボロボロになった次女の艦尾が見える。

 左前方には……


 左前方に三女はいなかった。

 代わりにそこにあるのは三女だった残骸。

 いくつかに千切れて燃えながら漂っていた。


 三女は撃沈されていた。

 応答がなかったのはそのためだ。

 海に投げ出された乗員たちが次女の方へと泳いでいる。


「本艦も救助に当たる」


 次女も辛うじて浮かんでいる状態だ。

 あれだけの遭難者を乗せる余裕はない。

 末妹の艦長は部下たちに、ボートをすべて下して彼らを救助するよう命じた。


 水兵たちはボートの用意をしながら、日没前に終わって良かったと喜んでいた。

 波は高いが、明るいうちなら救助しやすい。


 だがその頭上、天から降ってくる三つの影があった。

 小竜隊の三騎だ。

 曇天の上で態勢を整え、降下してきたのだ。

 第四次急降下攻撃だ。


 このとき末妹は疑問を抱くべきだった。

 三女の遭難者たちはなぜ近くの末妹を無視し、離れた次女を目指していたのか?

 大きく傾いてしまった次女はなぜこちらに救助を要請しないのか?


 そして——

 敵艦を撃沈したのに、なぜ竜たちは急降下しているのか?

 一体何に向かって?


 それはもちろん敵に向かってだ。

 溜炎が五連撃から三連撃に減り、敵の注意を逸らす高速艦群は壊滅した。

 この急降下で仕留めなければ次はない。


 目標——敵魔法艦。

 弩による迎撃なし。

 突入角度良し。


 必殺の意気に燃える三騎は最後の三連撃を敵に向けて放った。


 結果は……

 狙い通り甲板中央に命中。

 初弾が開けた穴へ、続く溜炎二発が飛び込んでいく。


 小竜隊一個小隊が五匹で編成されているのは障壁を破るためだ。

 三発で障壁を突破し、四発目で甲板に穴を空け、五発目で露わになった核室を破壊する。


 一発で全壊させるのは難しいが、それでも目的は果たせる。

 核室に亀裂が入れば、そこから中の精霊が出てきて暴れ出す。

 制御不能に陥った精霊艦はこれでお終いだ。

 亀裂を入れるだけなら一発でも十分足りる。


 今回は三連撃。

 通常ならあと二発足りないところだが、敵は障壁を展開していなかった。

 おかげで甲板に穴を開けるところまでを初弾で達成できた。


 残り二発。

 これなら核室に亀裂どころか、全壊にできるかもしれない。


 程なく——


 ドカァァァンッ!


 二発の溜炎に撃たれた敵艦は大爆発を起こした。

 溜炎は艦底まで貫通し、その途中で火薬庫に引火したらしい。


 ……これは不可解だ。

 現役の魔法艦は精霊艦だが、この艦種は爆沈しない。

 艦船の形をしているので撃沈というが、ただの比喩であり、正確には転移消滅のことだ。


 精霊艦も火薬を積んでいるから、それが爆発して核室を壊すことはあるかもしれない。

 その場合は爆発も転移する。


 精霊艦の撃沈は一瞬の出来事なので、後には何も残らない。

 いまのように艦中央から二つに割れて長々と燃えているのはおかしいのだ。


 三騎が敵艦ファンタズマと目していたもの、それは——

 トルビーヌ型の末妹だった。

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