第62話「リーベルの悪霊」

 人型二三号——

 ついさっきまでリルだったモノは、下で待機しているすべての精霊を呼び出した。

 同時に、上を仰ぐ魔法弩に矢が装填されていく。


 魔力砲同様、この弩も魔法そのものを射出できるが、今回は実物の矢を用いる。

 その矢に呼び出された精霊たちがそれぞれの力を込めた。


 ここまでは竜と魔法艦の戦い。

 結果は、竜に敵わないということが改めて確認された。

 霊式艦といえども従来の魔法艦のように振舞うなら、先人たちと同じ末路を辿るのだ。


 しかしここからは違う。

 人であろうとしていた少女は後ろに下がった。

 代わりに前へ出てきたのはリーベルの悪霊。

 竜の相手は魔法艦から幽霊船に切り替わった。


 艦の見た目に変化はないが、竜騎士たちは新たな敵が現れたと警戒すべきだったのだ。

 その甲板に立つ小さな少女の変化に着目しろというのは酷かもしれない。

 それでもこの変化に気付けなかったことが、彼らの命取りとなった。


 悪霊は攻撃タタリを開始した。


 ビィンッ!


 四基の魔法弩は順に矢を射出していった。

 四本の弩矢たちはまっすぐ小竜隊に向かって上昇していく。

 当然だが弩は発砲炎を生じないので、射られた側は発見しにくい。


 だがこの隊を率いる隊長は優秀だった。

 敵は最新鋭艦だと聞いていたので、上に向かって撃てる何かがあるだろうと予測していた。

 敗戦後のリーベルの新兵器に、竜への備えがないと考える方がおかしい。


 最初の急降下のとき、隊長は甲板に弩が四基あるのを発見していた。

 第二次急降下では飛んでこなかったが、今回も飛んでこない保証はない。


 そのため、弩に対する警戒を解いておらず、発射に気付くことができた。

 直ちに竜を操り、弩矢をスレスレで躱そうとする。


 初撃を易々と食らうような未熟者が先頭に立つことはできない。

 だから先頭竜に初弾を命中させるということは至難なのだ。

 撃つ者が人であろうと、悪霊であろうとこのことに違いはない。


 先頭の動きに合わせて後続の竜たちも僅かにずれた。

 これから弩矢が通る軌道に竜は一匹もいない。

 残念ながら矢はハズレが確定した。


 その様子を見た悪霊は悔しがるどころか、逆に不敵な笑みを浮かべた。

 狙っていたのは竜ではない。

 目だ。


 矢は何も魔力の光を放っていないが、確実に精霊の力が込められている。

 一本目に込めたのは土精の力だった。

 その矢が先頭竜の前で弾け、砂や土埃を巻き散らした。


 隊長は飛んでくる弩矢を見て、魔法矢ではなく普通の弩矢であると思っていた。

 ならばその軌道から外れさえすればよく、すれ違っていくところを見届ける必要はない。

 回避確実となったいまは連撃目標を凝視していた。

 瞬きもせずに。


 竜騎士は急降下中も溜炎が発射されるまで目標を見続けていなければならない。

 そのために強風の中でも目を見開いていられるように訓練している。

 その見開いていた目に砂礫が襲い掛かった。


「うぐっ⁉ 目がっ……⁉」


 隊長が味わっている苦しみを騎竜も味わうことになった。

 すぐ後ろの二番も。

 竜も人も悶え苦しんでいる。


 助かったのはその後ろの三騎のみ。

 もう急降下どころではない。

 臨時に指揮を執ることになってしまった三番が叫んだ。


「降下中止っ! 全騎上昇しろ!」


 竜騎士の兜には伝声筒が取り付けてあるので全隊員に伝わっている。

 三番から五番は素早く上昇に転じたが、苦しんでいる隊長と二番が遅れた。


 視力を失った竜は姿勢を制御できなくなり、錐揉みしながら高度を下げていく。

 跨る二人の竜騎士に三番の指示は届いていたが、天地がわからないので上昇しようがない。

 もはや急降下というより墜落中だった。


 その二騎を二本目の弩矢が襲う。

 二本目に込められていたものは氷精の力だ。

 この矢も落下方向前方で弾けた。

 矢から解放された力は空中に留まり、あっという間に凍てつく雲を形成する。


 雲は優しく受け止めるクッションのようだが、火竜種にとって冷気は大敵だ。

 入れば命はない。


「降下前方に冷気!」


 墜落中の伝声筒に、三騎からの悲痛な叫びが届く。

 だが竜も人も盲目でどうしろというのか?

 方向を失っている二騎はそのまま突っ込んでいった。


 雲はそれほど厚くはないが、リルの消耗を顧みずに人型が作った超低温の雲だ。

 一秒あれば生物を氷像に変えることができる。


 ボフッと雲に突っ込んでいった竜と人が、数秒後には下から飛び出した。

 彼らは真っ白な竜騎士像に変わっていた。


 真っ白な竜も口を大きく開けて、まるで溜炎を吐き出す寸前のようだ。

 これが芸術家の作品だったら、迫力満点の力作と褒められたことだろう。


 しかしこの氷像の作者は芸術家ではない。

 このままだとその力作が甲板に墜落してくるので、木っ端微塵に粉砕するだけだ。


「邪魔ダ。消エロ」


 二つの芸術品にそれぞれ一本ずつ弩矢が命中した。

 矢に込められていたものは火精の力。

 鏃が中心まで刺さったとき、像の内部で力が解放されて爆発した。


 ボチャッ! ドボンッ!


 艦直上で爆発したので破片が四方八方に飛び散り、あちこちで小さな水柱が上がった。


 これで残るは三騎。


 先に射出を完了した魔法弩には次の弩矢が装填されている。

 いま精霊が力を込め終えた。


 初めて計画書を読んだロレッタ卿は外道の業だと断じた。

 同時に、対竜兵器という側面だけを見るならば百点満点だとも。


 かつて竜は探知の目を掻い潜って奇襲を仕掛け、的を絞らせない飛行で魔法を完封した。

 その結果があの歴史的な大勝利だ。


 では、もしも竜を先に発見でき、その動きをどこまでも目で追うことができたら?

 どんなに高速・変則的に飛ぼうとも正確に命中させる腕前があったら?


 そのもしもを実現したのがファンタズマ型だ。

 人型の目、空間鏡は残り三騎も見逃しはしない。

 次の矢を放とうした、そのとき——


 ドンッ! ドォン! 


 竜の上昇を援護しようと四姉妹が砲撃を仕掛けてきた。

 高波に翻弄されながら撃っても、当たらないことはわかっているのだが……


 狙い通りに飛んでいったものも途中で波のうねりに飲み込まれた。

 全弾命中せず。

 だが、その砲音が人型の癇に障った。


「ウルサイ」


 空間鏡の中では、竜だけでなく四隻にもずっと赤い印が付けられていた。

 風力艦は竜を始末した後にするつもりだったが、四姉妹はどうしても先に遊んでもらいたいらしい。

 人型は願いを叶えてあげることにした。


 さっきの魔法弩同様、両舷の魔力砲も独りでに砲撃準備を整えていく。

 今度は付与した実砲弾ではなく、魔法そのものを撃ち出す。

 精霊たちが人型の指示通り、全門に装填して準備は完了した。


 空間鏡の中に白点が五個、その点を囲むように四角い白枠が五個現れた。

 白点は砲口の先を表し、白枠は照準を表している。


 白枠は白点を残して移動していき、やがて一隻の敵艦に集束していった。

 艦首前方に張り付いている長女だ。

 ……彼女はさっき船首像を破壊した。


 まず、人型は水精に命じて左へ急旋回しようと見せかけた。

 長女もこれに合わせて急加速をかける。


 さっきから何回も繰り返されている光景だ。

 艦首前方から離れようとしない。


 四姉妹が敵艦首・艦尾に張り付いているのはただの意地悪ではない。

 風力艦はその速力のために装甲を犠牲にしている。

 互いに舷側を向け合い、正々堂々撃ち合ったら勝ち目はない。

 彼女たちにはこの戦法しかないのだ。


 人型はずっとリルの目の奥から四姉妹を観察してきた。


 本来の目的を忘れて竜に媚びる愚かな妹たち。

 その身軽さは竜の攻撃を躱し、反撃に転じるためのもの。

 決して竜騎士たちに気に入ってもらうためではない。


 これ以上は見るに堪えない。

 長女へ砲撃を開始することにした。

 左旋回から急に右旋回へ。

 ただし、エルミラたちが振り落とされないギリギリの速さで。

 それでも妹たちには十分だった。

 なぜなら……


 ファンタズマの急速航行は水精と風精を組合わせたものだが、トルビーヌ型は風精のみ。

 停止や横滑りの速度は同じ位だが、その場での旋回速度は水精を使えない分、ファンタズマに分があった。

 だから左と見せかけて急に右へ変更されたら妹たちは付いて行けない。


 長女をついに左舷側砲の正面で捉えた。

 空間鏡でも白枠と白点が重なった。


 平時ならここで撃てば命中確実だ。

 しかしうねる波の中では発砲寸前に下から突き上げられ、至近でも外れる可能性がある。

 ゆえに四姉妹も牽制の砲撃に切り替えた。


 姉も自分たちと同じ魔法艦。

 条件は同じだと安心していたようだが、それは間違いだ。

 姉にあって妹たちにないものがある。

 空間鏡だ。


 デシリア型空間鏡はファンタズマのために作られた一点物の呪物だ。

 いずれ量産されるようになったのかもしれないが、作者も製作法も不明な現在、世界に一つしかない秘宝といえる。


 妹たちは水平飛行の竜へ反撃する艦だったので、砲手の練度を向上させればよく、搭載する必要はなかったのだ。


 対して姉は違う。

 そんな秘宝を搭載しているのは敵を早く発見し、正確に攻撃するため。


 敵の速度、針路、風向き、波の方向等。

 そしていま最も重要な情報——

 遠くで起きた高波が、あとどれ位で本艦に到達するか?

 球体の中で、そのすべてが精密に表示されていた。


 旧王国海軍では魔力付与した実砲弾を〈付与弾ふよだん〉と呼び、貫通強化の魔力を付与したら〈貫通弾〉、氷の魔力なら〈氷装弾ひょうそうだん〉と呼んでいた。

 また魔力砲は魔法そのものを発射することもでき、これを〈魔法弾〉と呼ぶ。

 氷の魔法なら〈氷力弾ひょうりょくだん〉だ。


 魔法弾は火薬で撃ち出す付与弾と違い「ドォン!」という爆音ではない。

 五門に装填された魔法はそれぞれの音を立てながら、長女目掛けて飛び出していった。


 順に撃ち出した五個の砲弾はまっすぐ飛んでいくが、やはり高波が初弾を襲った。


 付与弾ならこれで水没して終わりだが、今回は魔法弾だ。

 初弾は氷力弾だった。

 何かに接触したとき魔法が発動し、周囲を凍結させる。

 パキッ、ピキッという音を立てながら瞬時に高波を凍らせた。


 そこへ二発目の魔法弾が命中。

 二発目は火力弾だ。

 爆発し、凍った高波を粉砕する。

 もう長女まで遮るものはない。

 残り三個の魔法弾が長女に迫る。


 長女側の魔法兵たちは魔法障壁を重ねて備えた。


 発砲炎も轟音もなかったから魔法弾が飛んでくる。

 実砲弾を防ぐ対物障壁ではなく、魔法障壁を展開しよう。

 彼らは咄嗟にそう判断した。


 的確で素早い判断能力だったが、残念ながら不正解だった。

 人型が狙ったのは風力艦の〈足〉だ。


 三個の魔法弾は魔法障壁に触れた途端、茶色に弾けた。

 土精による土力弾だ。

 べったりとした大量の泥が障壁に張り付いた。


 彼らは濡れた甲板へ雷力弾が来ると読んでいたが外れた。

 雷の障壁では土の重さを防げない。

 長女を守る障壁はあっけなく圧壊した。


 甲板に重い泥が降り注ぎ、喫水が下がった。

 装甲を捨てて身軽になった長女が、いまはネヴェル型や防盾艦より重くなってしまった。

 転覆しないようにバランスを取るのがやっとだ。


 ファンタズマは一連射終了後、命中を見届けることなく右へ急旋回していた。

 自慢の足が止まってしまった長女を右舷側砲が捉える。


 彼女はもはや快足のトルビーヌではない。


 形勢は逆転した。

 それでも白旗は掲げられていない。

 姉は丸腰となった長女に容赦なく魔法弾を撃ち込んだ。


 装填した魔法の構成は途中まで一緒だ。

 一発目は高波を警戒した氷力弾だったが、波は来なかったのでそのまま甲板に命中し、泥も人も凍らせた。

 そこへ二発目の火力弾が甲板中央に命中し、凍りたての甲板とマストを破壊する。


 マストが根本から折れるバキバキという音は、離れていたエルミラたちの耳に届くほど大きかった。


 すでに泥の重さで転覆寸前だったが、懸命の操船でマストに引っ張られて横転することだけは避けられた。

 そんな彼女らに雷力弾二発が無慈悲に襲い掛かった。


 三発目は甲板に電撃をお見舞いし、四発目はマストが抜けた穴に飛び込んでいった。

 艦内に青白い稲光が走る。


 最後の五発目は再び火力弾。

 穴に吸い込まれていき——


 ドガァァァンッ!


 艦内で起きたこの爆発が致命傷になった。

 甲板と艦内をくまなく電撃が走り、その後を念入りに爆炎が舐めていった。

 長女は二つに折れた。

 どちらの断片からも、ボートを下ろして退艦する者はいない。


 残りは次女以下三隻と、曇天に逃れようと上昇を続けている三騎。


 見逃してはいない。

 長女への攻撃中もすべての敵の動きを追尾している。


 幽霊船と遭遇すると不幸になるという言い伝えがある。

 祟りは長女だけで終わりではない。

 見た者すべてに、等しく降りかかるのだ。

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