第61話「ありがとう」

 イスルード島南西沖——

 島影はもう見えず、そこはもう沖というよりセルーリアス海に入ったと言って良い。

 その海域ではアレータ海海戦が再現されようとしていた。


 あの戦いは本番まで小竜隊を隠し抜いた帝国艦隊の勝利だった。

 戦いは、奥の手を隠し持っている方が強いのだ。


 では、つい最近まで秘匿されていて、まだその性能の全容が明らかになっていないファンタズマはどうだろうか?

 ……残念ながら今日は秘匿されていた側が不利と言わざるを得ない。


 秘匿兵器の恐ろしさとは〈初見〉とか〈未知〉ではないだろうか。

 未知のものを初めて見て、すぐに対応できるものは少ない。


 第四艦隊がファンタズマを見るのは初めてだろう。

 だが、エルミラたちも初めてだ。


 大敗戦以来、王国では空から攻撃されるということを想定するようになった。

 彼女も座学や訓練を受けてきたが、実際に竜と戦うのは今日が初めてだ。


 聞くのと見るのでは大違い。

 迫力が違う。

 恐怖が違う。


 それでも生き抜くためには戦うしかない。

 怖いと蹲っていても誰も助けてはくれないのだ。


「じいは高速艦を頼む。私は竜に備える!」

「アイアイマム!」


 乗員たちの艦内配置を一部変更した。

 操船担当と魔法兵の配置はそのまま。

 砲手を数人、竜の迎撃に回すことにした。

 その指揮を彼女が執る。


 彼女はいつか一艦の艦長になって大海原を往きたかった。

 そうなったら竜と戦う日も来るかもしれないと思い、座学も訓練も大真面目だった。

 当時は海に出られると本気で信じていたのだ。


 自分の立場がわかっていない愚か者の妄信だったが、それがこんな形で役立つとは……


 竜の迎撃は三人一組で行う。

 大砲は避けられるので使用せず、弩か銃を使う。

 ただの銃弾では竜の鱗を貫くことができないので、攻撃担当二名に対し、弾丸に付与魔法をかける魔法兵が一名つく。


 今回はその魔法兵をエルミラが務める。

 ファンタズマには魔法弩が四基あるが、今回は銃を選んだ。

 それぞれ離れて設置されているので付与のために甲板を走り回らなければならなくなるからだ。


「射撃用意!」


 二丁の長銃が曇天を狙う。

 小竜隊はまだ雲の向こうにいる。

 どの方位から降下してくるかわからないので、三人は背中を合わせて一二〇度ずつ見張った。


 竜炎を溜めるのにそれほど時間は掛からない。

 もう口一杯に溜めて降下を始めている頃だ。

 どの方位から来る?


 見付けたのはエルミラの右後ろの銃兵だった。


「直上!」


 残り二人も反射的に真上を見上げた。

 そこには黒い点が五つ。

 黒点の中央が赤く揺らめいている。


 来る!


「左は遠射、右は近射! 一番を狙え!」

「アイアイマム!」


 迎撃する際、竜の先頭から番号をつけていく。

 小竜隊は火力不足を補うため、先頭から順に同一箇所に連撃する。

 そのため通常は先頭、つまり一番を狙う。


 問題は、火竜小隊に雷竜が混ざっている場合だ。

 こちらは水壁で溜炎を防ごうとするが、それでは雷竜に対して危険だ。

 そこで先頭の火竜ではなく、後続の雷竜を狙う場合がある。

 そういうときに番号がつけてあると標的誤認がなくて良いのだ。


 目標が決まったら、いよいよ射撃する。

 このとき、同時には撃たない。


 竜は降下中も微妙に軌道修正できるので、発砲炎が見えたら僅かにずれて回避しようとする。

 そこで一人目が撃ち、どちらに回避するか見極めた二人目が命中させるのだ。

 一人目を遠射、二人目を近射という。


 僅か数秒。

 その間にどれだけ降下針路をずらせるか、どれだけずらされずに済むか。

 これはそういう攻防だ。


 黒点はさっきより大きくなっている。

 さっきまでぼんやりとした揺らめきだったものが、いまなら牙から漏れる炎なのだとはっきりとわかる。


 十分に引き付けて……


「撃てぇっ!」


 パァンッ!


 まずは遠射。

 これは外されてしまう。


 先頭は隊長や熟練の竜騎士が務めることが多いが、いくら何でも小さな弾丸を目視することはできない。

 そこで彼らは発砲炎から弾道を予測して騎竜に回避させる。


 その戻ろうとする動き目掛けて近射をお見舞いするのだ。

 もちろんさらに回避される可能性はあるが、急降下中に二度も回避行動を取った後、改めて重要箇所を狙い直すのは困難だ。

 そのときは仕切り直しになり、何もせずに高空へ帰っていく。


 エルミラたちの頭上で先頭竜は僅かに身をよじって遠射を避けた。

 そこを本命の近射で——


 ドォン!

 バキバキッ……!


 近射寸前で轟音と木造構造物の破壊音、それと少しの揺れが妨害してきた。

 艦首に展開していた障壁をトルビーヌ型の砲撃が突破し、艦首の幽霊像を破壊した。


 幸い、艦本体に被害はなかった。

 突破されはしたが、障壁に減殺された敵砲弾に鋼化装甲板を貫通する力はなかったのだ。


 竜は?


 頭上に集中していた三人は揺れに備えることができず、甲板に倒れ伏した。

 近射が飛んでこないと安心した先頭竜は、落ち着いてファンタズマの甲板中央を狙う。


 連撃の初弾が来る!

 だが、倒れていた近射担当が僅かに早かった。


 彼もうつ伏せに倒れていたが、立ち上がらずにそのまま回転して仰向けになった。

 正面に先頭竜を捉えると、間髪入れずに引き金を引いた。


 連撃の初弾が吐き出される寸前、銃弾はその鼻先に命中した。

 これにはたまらず、竜は耳をつんざく悲鳴を上げながら急上昇。

 身悶えしながら高空へ逃げていった。


 そうなったら騎乗している竜騎士の制御もきかない。

 落ち着くまでしがみ付いているしかない。


 けれど、これで終わったわけではない。

 上空で竜の痛みが引いたら、再び仕掛けてくる。

 次も退けられるかどうか……


 そして敵は竜だけではない。

 空から海に視線を戻すと、じいをからかって遊んでいるトルビーヌ四姉妹が……

 対竜戦のために砲手二名を取られ、四姉妹に対処する火線が減ってしまった。

 こちらも苦戦中だ。


 四姉妹に気を取られていると、急降下にやられる。

 だが、竜に気を取られていても四姉妹にやられる。

 竜と魔法艦の見事な連携だ。


 第四艦隊は世界初の水空同時攻撃部隊。

 まだ訓練中だというが、帝都の悪霊を退治すれば皆が認めるだろう。

 彼らこそが次の無敵艦隊だと。


〈海の魔法〉は今日滅びる。

〈海の竜騎士〉がトドメを刺す。


 イスルード島南西沖を表す名は特にないが、今日からこう記されるだろう。

〈海の魔法〉終焉の地、と。



 ***



 世界には死霊魔法をはじめとする外法がいまでもある。

 各国は条約を結び、使用も習得も禁止しているが今日までなくなることはなかった。

 それは各国が本気でなくそうとは思っていないからだ。


 他国に使わせないように牽制しつつ、我が国だけは内密に禁呪の力を手に入れたい。

 だからせっかくの禁止条約も単なる建前に成り下がった。


 そんな欺瞞の産物がファンタズマだ。


 王国にせよ、共和国にせよ、リーベルという国が健在なら帝国はこれを拿捕するだろう。


 外法によって建造された艦とその乗員たち。

 しかも艦長はリーベル王女。

 重大な条約違反の証拠と生き証人たちだ。


 世界にリーベルの罪を喧伝できる。


 しかしその敵国はもう存在せず、拿捕しても権威失墜の役には立たない。

 まだ誰も知らない段階なら、禁呪の力を研究するという使い道もあった。

 実際、それが狙いで帝都に係留していた。


 だが人質の王女が脱走し、よりにもよって接収したこの艦を奪った。

 多くの兵や市民が目撃し、その能力の不気味さから帝都で噂になってしまった。


 箝口令も効果はなく、各国密偵にも知られてしまっただろう。

 リーベルの外法だったのに、今度は帝国の外法と喧伝されてしまう。


 また、魔力砲を使わずにガレーを沈めた戦闘力は危険だと判断された。

 本当は人手が足りなくて使用できなかっただけなのだが……


 このような理由で、見つけ次第撃沈と決まったのだった。

 霊式艦が帝国の下にあると都合が悪いのだ。

 最後に望むのは、第四艦隊の初陣に華を飾り、跡形なく散ってくれること。


 しかし易々と散るエルミラたちではない。

 生きようと懸命に足掻き続けた。


 小竜隊は竜母艦を中心とした半径内を飛んでくる。

 だから溜炎の連撃を何度でも躱せるという前提だが、その半径から出ることができれば小竜隊を振り切れる。


 だがトルビーヌ型がそうはさせてくれない。

 こいつらが囲みの中央に釘付けにしてくる。


 打開策は急旋回で舷側砲正面に捉えることだが、こちらの砲は完全に沈黙してしまった。

 高波が複雑になり、砲で狙える状況ではなくなってしまったのだ。


 じいは敵艦撃沈を諦め、敵兵への銃撃に切り替えた。

 彼自身も霊弓カヌートでマストを操っている敵兵を狙った。


 揺れる甲板から、同じく揺れる敵艦の一人を狙う。

 信じられない離れ業だったが、見事命中させた。


 この機を逃してはならないと、長銃の射程に寄せようとしたが、代わりの者がすぐにマストの操縦についてしまった。

 さらに狙撃を警戒した敵魔法兵たちがマストに集まり、障壁を何枚も重ねた。


 そこから遠巻きに撃ってくるが、付与のない通常の砲撃だ。

 撃沈する気のない、ただそこに釘付けにしておくための牽制。

 だがそれで十分だ。


 艦砲で沈めることに拘る必要はない。

 高波に邪魔されることのない、空から攻撃すれば良いのだから。


 曇天のすぐ上ではちょうど竜たちが口の中に炎を溜め終えた。

 先頭の竜騎士が高く上げていた右手を一気に振り下ろす。

 第三次急降下攻撃の開始だ。


 エルミラたちの奮戦の甲斐あって、ここまで何とか切り抜けることができたが、「辛くも」とか「運良く」という言葉がつく。

 それをずっと続けることはできない。

 運はいつか尽きるのだ。


 仮に続けられたとしても、速力で勝る敵からは逃れられない。

 そして竜たちがトドメを刺しにこちらへ向かっている。


 いまのところ、艦もリルも無事だ。

 さっき船首像を壊されたときに少し頭が痛かったくらいだ。

 それもいまは治まっている。


 皆、少女と艦を守ろうと必死だ。

 甲板で飛び交う掛け声にかき消され、か細い声は誰にも届かない。

 それでも少女はお礼を言いたかった。


「守ってくれてありがとう」


 彼女は出会ったばかりの新しい仲間たち、白髭のおじさん、そして最後にエルミラを見た。


 少女と霊式艦は一心同体。

 宿屋号で人型がひっくり返っていても、この艦が本体だ。

 自分の身体の中で話している声はすべて聞こえている。

 エルミラは声が大きすぎるのだ。


「いままで人として扱ってくれてありがとう」


 残念ながら当のエルミラは上空に集中していて気づいてはいない。


 けれど、がっかりはしない。

 逆にその懸命さが嬉しくて少女は微笑んだ。


 そして、そのまま静かに目を閉じた。


 これからすることを目撃した者は、少女を化け物と呼ぶかもしれない。

 自業自得だ。

 私は人間ではありません、と自白するような行いをするのだから。


 でもエルミラだけは変わらず、リルと呼んでくれるかもしれない。

 だって、女将さんと初めて出会った日の艦長室で——


「胸糞悪いっ!」


 計画書を読んだエルミラは激怒してくれた。

 得体の知れない少女が人間ではなかったと知った後も「リル」と名前で呼んでくれた。

 そんな彼女なら怖がらないでくれるかもしれない。


 初めての友達。

 その友達が連れてきてくれた仲間たち。


 それを、殺そウトスル敵ハ——


「ユルサナイ」


 二つの対竜兵器、ファンタズマ型とトルビーヌ型。


 トルビーヌ型を生み出した魔法使いたちは竜の動きに着目した。

 連撃が終わった竜は降下から上昇に転じるが、一瞬、水平飛行になる。

 無理に撃ち合わず、まずは回避に専念し、水平飛行になった敵を撃とうという理知的な発想だ。


 だがファンタズマ型は違う。

 敗戦で頭に血が上っている最中に柩計画は発案された。

 そこに込められているものは怨念だ。

 やられた恨みは必ず晴らす。


 悪霊は触らないのが一番だ。

 触らなければ祟りに遭うこともない。


 だが第四艦隊は、そんな怨念の篭った幽霊船ファンタズマに溜炎や砲弾を何発撃ちこんでしまっただろうか?

 だから祟りに遭うのだ。


 リルは目を瞑ったまま上を見上げ、カッと見開いた。

 普段の彼女の瞳は綺麗な緑に澄んでいた。

 だがいまは違う。

 その瞳には憎悪の赤が灯っている。

 彼女の怨念に操られ、甲板の全魔法弩が独りでに空を狙い始めた。


「リル?」


 エルミラは魔法弩の傍らにいたので気付くことができた。

 以前、見たことがある。

 あれは確か、宿屋号から出発した後のことだ。

 少女が空間鏡と一緒に動かすのを見せてくれた。


「——っ⁉ リルッ⁉」


 返事はない。


 当然だ。

 もうリルではなくなったのだから。


 彼女は人型二三号。

 複合精霊魔法で竜を滅ぼすため、外法の奥義を尽くして生み出された死なない召喚士。

 幽霊船の化身。


 人型の目と化した空間鏡は、曇天の中を降下している小竜隊全騎に赤い印を付け、その動きを捕捉している。

 発見済みのものなら、曇天に隠れようとも追えるのだ。

 上を仰ぐ各魔法弩は印に連動し、細かく微調整を繰り返している。


 竜と四姉妹はが過ぎたのだ……

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