第60話「竜と四姉妹」
敵先頭艦は命中確実だった砲弾を楽々と躱した。
艦首前方を横切っていくのを見送ると、再び加速を開始。
その風精帆が東に向かってはち切れんばかりに膨らんだ。
悪霊姉さんの挨拶が済んだので、今度は妹たちの番だ。
ファンタズマからでも、敵甲板で砲術士官の右手が上がっているのを確認できる。
「撃てぇぇぇっ!」
「てぇーっ!」
各艦砲術士官の掛け声に砲手たちの復唱が木霊する。
四姉妹はもう間近に迫っている。
いまから転舵して挟撃を避ける猶予はない。
このまま陣形中央を突破するしかない。
そこをすれ違い様、左右から至近砲撃を加えるつもりなのだ。
帝国の陣形は斜線陣なので同士討ちになる心配はない。
ドン! ドン、ドン! ドォン!
敵はファンタズマを正面に捉えた砲から順に撃ってきた。
高波に煽られながらではあったが、至近距離だったのでほぼ全弾が命中。
だがエルミラの咄嗟の判断が功を奏し、被害はなかった。
右舷をリルに任せて、魔法兵を左舷防御に集中させたのは正解だった。
敵艦隊が撃ってきたのは貫通強化の実砲弾二〇発
障壁を厚く重ねていなかったら、何発かは精霊室を貫いていたかもしれない。
撃ち終わった四隻はあっという間にファンタズマ後方へ流れていった。
そこで四隻は長女と次女、三女と末妹に組み直し、それぞれ左右に分かれて戻ってきた。
再び左右同時攻撃を仕掛けてくるのか?
しかし今度はエルミラが早かった。
改めてリルに指示しておいた艦首・艦尾の水流噴射で左へ急旋回した。
狙いは長女組。
提督が乗っているかは不明だが、先頭艦を務めていた長女の動きに後続が連動している。
最初に潰すべきは長女だ。
さっきの急停止には驚いたが、こちらも同様の芸当ができるのだ。
ファンタズマの左舷側砲が長女を正面に捉えた!
間を置かず、じいの右手が振り下ろされた。
「左舷、撃てぇぇぇっ!」
さっき一番砲は撃ってしまったので、残りの四門が一斉に火を吹いた。
ドドドドォン!
まさかその場で急旋回するとは予測していなかった姉妹たちは勢いがついている。
急停止することは可能なのだが、直後に迫る次女と衝突してしまう。
悪霊姉さんの貫通弾を自分から全速力で貰いに行く……
命中したら艦尾まで貫通して、後ろの次女にも当たるのではないだろうか。
勝負あった。
じいですらそう思った。
そのとき——
ギギィッ!
長女と次女が同時に左へずれた。
通常の帆船は艦体に対し横向きに帆が張られているが、トルビーヌ型にはもう一つ、縦向きに張られている帆がある。
その縦向きの帆を左へ全開にしたのだ。
トルビーヌの帆は風精帆だ。
自然風がどうあろうと、開いた向きに合わせて吹く。
そこだけ突風が吹いて、長女と次女をずらしたのだ。
残念ながら、砲弾はまたもや次女の後方で波に呑まれた。
「なるほど、これなら竜の攻撃を躱せるかもしれない」
エルミラは苦々しさを込めてその能力を認めた。
そして悟った。
こいつらを振り切って逃げることは不可能だと。
幸いなことにまだ竜は来ていないのだから、いまのうちにここで叩くのだ。
その判断は正しい。
けれど、速度で勝る四艦をたった一隻でどうやって撃破しようというのか。
残念ながらエルミラに何か策があるわけではなかった。
そのせいで地獄を味わうことになる。
平行移動で砲撃を躱した長女組はそのまま移動して、ファンタズマの艦首前方に張り付いた。
三女組は艦尾後方。
舷側砲で追い払おうと旋回すれば、その動きに合わせて先回りする。
上から見たらまるで仲良し姉妹が踊っているように見えるだろう。
踊りには歌が必要だ。
四姉妹は姉の周囲を踊りながら歌い始めた。
魔力砲で。
ドンッ! ドドォンッ! ドンッ……
ファンタズマは艦首と艦尾に集中砲火を受け続けている。
いまは障壁と土壁で凌げているが、いつまでも続けられない。
何か突破口はないかと必死に考えていたとき、高波が快走する三女を一瞬だけ離水させた。
この偶然訪れた千載一遇の機会を逃しはしない。
空中に放り出された三女へ一斉射撃を仕掛ける。
だが自然は平等だ。
誰にも依怙贔屓はしない。
高波は、砲口が火を吹く寸前のファンタズマを下から突き上げた。
向きを変えられてしまった砲弾が当たるはずはなく、見当違いの方向へ飛んでいった……
その間に三女は着水、再び踊りに加わる。
甲板のあちこちで残念がる声が聞こえるが、こればかりは仕方がない。
波はますます高くなっている。
あれほどの高速で走り回っているのだから、そのうちまた波に打ち上げられるときはやってくる。
耐えてその機会を狙おうとエルミラが切り換えていたときだった。
突然、リルが叫んだ。
「みんな、何かに掴まって!」
一番反応が早かったのはエルミラだ。
帝都で出航するときの情景が浮かんだのだ。
あのときは、タラップとその上にいた帝国兵が水面に落下し、彼女も甲板を転がって頭をぶつけてしまった。
次に反応できたのはじいだ。
傭兵も海賊も勘と反応の良さが命だ。
只事ではないと即座に悟り、姫様に見倣った。
後の者たちも艦長・副長に続いてマストにしがみついたり、ロープに掴まったり。
リルは上を見上げていた。
——上?
台座にしがみつきながらエルミラも見上げてみた。
だがリルが見ているものを確認することはできなかった。
顔を上に向けるのと同時に艦が大きく左にずれ、視界がぶれてしまったからだ。
「うおっ⁉」
「わっ⁉」
甲板のあちこちで野太い悲鳴が上がった。
彼らはまだ慣れないだろうが、彼女はよく知っている。
ファンタズマの平行移動だ。
普段はやらないが、危険が間近に迫ったときにこれで緊急回避するのだ。
左へずれて空いた水面に何かが命中した。
ドゴォッ! ドボォッ! ボウゥッ! ドゴッ、ドボンッ……!
衝突した衝撃音と高い水柱が上がり、すぐ横だったのでその水が甲板に降り注いだ。
音は五回、しかし水柱は一本。
遅れて突風が甲板を舐めていく。
その数、五回。
五——
リーベル人にとって不吉な数字だ。
王国海軍と魔法使いにとっては特に。
突風が止み、エルミラたちは一体何だったのかと吹き抜けていった先を見上げた。
そこにはかつて無敵艦隊を滅ぼしたのと同じ〈五〉がいた。
ファンタズマの甲板で誰かが呟いた。
「竜だ……」
それは魔法艦の天敵。
帝国第四艦隊所属の小竜隊〈五〉匹だった。
***
無敵艦隊に大勝利した帝国では、竜騎士団最強論が大勢を占めるようになった。
イスルード島を直接統治することになったとき、彼らは魔法艦など不要だと主張した。
海軍内でも賛同している者が多く、反対するのは真に実力差を理解している者たちだけだった。
彼らは決して魔法艦の方が優秀だと言っているのではない。
快晴日中の竜と雨天夜間の魔法艦という役割の違いがあると言っているだけだ。
だが、自分たちの竜騎士が勝った、勝ったと、頭に血が上っている連中には通じない。
そこで魔法艦必要論者たちは、こう提案した。
〈巣箱〉と呼ばれていた竜槽船は改良を繰り返し、現在は
その竜母艦が小竜隊出動中に、大頭足の襲撃を受けたらどうやって撃退するのか?
帝国にはリーベルのような海軍魔法兵がおらず、海中から忍び寄られても知る術がない。
だから竜母艦の護衛に魔法艦を使おう、と。
敵は水上艦だけではない。
竜母艦は小竜のためだけに特化した艦であり、大頭足に対しては確かに無防備だったのだ。
それに護衛だけでなく、敵艦の注意を魔法艦が水平方向に引き付け、小竜隊の急降下を支援するという点も魅力的だった。
こうして編成されたのが帝国第四艦隊だ。
第四艦隊はロイエス艦隊のような単なる魔法艦隊ではない。
帝国は初めて手に入れたこの魔法艦という呪物の扱い方がよくわからなかった。
そこで第三艦隊はこの習熟に努めた。
名提督の指揮の下、艦隊の努力は実り、ついに大頭足を撃退できるほどになれた。
魔法艦隊としては一人前になれたと言って良いだろう。
ロイエス将軍を含めた一部の者たちは少しでも無敵艦隊に近付けたいようだが、あくまでも竜を補佐するための魔法艦だ。
帝都、特に宮廷では次の計画に移ることができると考えていた。
次の計画、それは竜と魔法艦を組合わせること。
魔法艦は必要だと説いた擁護派の連中が言っていた。
小竜隊が落ち着いて急降下攻撃できるように、敵艦の目を魔法艦に引き付ける、と。
さっそくイスルード東岸で艦隊は編成され、訓練が始められた。
実現できれば、これからの帝国海軍の主戦法になっていくだろう。
だが訓練は失敗の連続で、中止も囁かれていた。
魔法艦は船としては速かったのだが、竜の速度にはついていけなかったからだ。
これでは組み合わせた意味がない。
不要論の再燃などあってはならない。
擁護派はもっと速い艦を探した。
それが霊式艦とは別の工廠で眠っていたトルビーヌ型だ。
本来は対竜兵器として誕生した風力艦だったが、組ませてみると意外にも小竜と相性が良かった。
その速力で敵艦を翻弄し、注意を水平方向に釘付けにしておき、急降下攻撃の成功率を高めるのだ。
逆に、上空からの攻撃に気を取られている敵艦へ水平射撃を仕掛ける。
小竜隊と風力艦で水空同時攻撃を仕掛ける艦隊。
それがこの第四艦隊だ。
かつて無敵艦隊は敗れた。
アジトでハーヴェンが言っていた通り、〈海の魔法〉はそのとき終わったのかもしれない。
竜だけでも全滅したのに、今度は竜と魔法艦が連携して襲い掛かってくる……
連撃を外された竜は高空へ飛び去っていったが、四姉妹は飽きもせずにじゃれつき、姉から離れようとしない。
状況は絶望的だ。
それでもエルミラとじいは乗員たちを鼓舞し、絶望に飲み込まれまいと必死だ。
リルは……
少女は、空高く上がっていく五匹の小竜をいつまでも見ていた。
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