第57話「エルミラの矛盾」

 陸で最強を誇るブレシア騎兵も、洋上から撃たれては勝ち目がなかった。

 これを退けるには砲兵隊を連れてくるしかないが、それでは最大の武器である速さが死んでしまう。


 騎兵が沿岸で魔法艦に遭遇したら、さっさと森にでも逃げ込むことだ。

 妖魔艦という例外はあったが、最近の魔法艦は森まで追いかけてきたりはしない。


 銃と魔法で戦うのか、退却するのか。

 早く決めないから痛い目を見たのだ。

 騎士団は判断の遅さが災いして大損害を被ってから逃げていった。

 リルの大勝利だ。


 これより乗艦する。


 ファンタズマは停泊場所から動いてしまったので、新たなボートが必要だ。

 その点も抜かりはない。

 騎士団が敗走を始めた時点でリルはボートを下ろし始めていた。

 人数が多いので二艘だ。

 これも少女の力で操ることができる。


 一行が浜に辿り着いたときにはすでに二艘は到着しており、馬車の組合せ通りにそれぞれのボートへ乗り込んだ。

 浜までは運んでもらったが、帰りは人力で漕ぐ。

 リルを徒に消耗させたくない。


 街道ではエルミラたちが先頭だったが、今度はノルト隊が前を行く。

 漕ぎ手が多いのであちらの方が速い。

 先に乗り込んで配置についていてもらった方が効率的だ。


 ノルト隊は全員兵士だったので手際がよい。

 後から着く頃にはボートの収容を終え、マルジオ一家の乗り込みを手伝ってくれた。


「急がなくても大丈夫だ。慎重にな」


 エルミラはこれから縄梯子を上る姉妹を安心させた。


 まずは姉、続いて妹の順で上がらせていく。

 もっと怖がるかと思ったが、楽しそうに上っていった。

 子供は適応能力が高くて助かる。


 むしろ大変だったのが夫婦の方だ。

 海洋王国に暮らす者が全員船に慣れているわけではない。

 二人共、揺れる海上で縄梯子を上るのは初めてだった。


「落ち着いて一段ずつ足をかけていけば大丈夫だ」


 そう声をかけるしかない。

 無理でも何でも、とにかく上るしかないのだが。

 何かしてやれることがあるとしたら、少しでも安定するように縄梯子を押さえていることくらいだ。


 上では子供たちが、下ではエルミラたちが励まし、夫婦はやっと上り始めた。

 まずは奥さんが、最後にマルジオが。


 彼の番はうるさかった。

 正午は穏やかだったが、午後になって風と波が強まってきた。

 その風に煽られる度に野太い悲鳴が上がるのだ。

 それでもなんとかうるさい親父を上げることに成功した。

 ボートに残っていた者もこれでやっと上がれる。


「艦長、お先にどうぞ」


 魔法兵が縄梯子を押さえてくれた。


「ありがとう」


 エルミラは一言礼を述べ、素早く甲板に上がった。


「おかえりなさい、エルミラ」


 甲板ではリルが出迎えてくれた。

 お姉ちゃんは先に上げた姉妹たちに挟まれ、まるで三姉妹のようだ。

 体格的にリルが一番年長者だったので自動的に長姉にされてしまっていた。


「ただいま、リル」


 帰艦の挨拶に続けて、危ないところを助けてくれたことを感謝した。

 見事な機転だったと褒めると、少女は嬉しそうにした後、もう一人の功労者のことを伝えた。


「女将さんが教えてくれたの」


 話を聞き、エルミラは舌を巻いた。

 様々な情報を集め、挟撃位置と時刻を予測し、ファンタズマを所定位置へ移動させておく。

 魔法抜きでも恐ろしい女将だ。


 ——本当に私は無力だな……


 リル、女将、じい、仲間たち。

 彼らが助けてくれたから彼女はいまここにいる。


 それに引きかえ、彼女がここまでしてきたことと言えば……

 帝都で兵士を殴り倒して脱走し、ウェンドアまでの帰り道でゴブリンを斬った。

 アジトでは解放軍司令に啖呵を切って、また脱走。

 街道で騎士団と戦闘を繰り広げ、危うくマルジオたちを巻き込むところだった。


 まるであばずれではないか……

 海賊と呼ばれても仕方がない。


 すべてはこれからだ。

 これから彼らに恥じない艦長になれば良いのだ。

 そのためにもいまは生きなければならない。


 乗員たちは事前に決めておいた通りの配置についている。

 ファンタズマ号の準備は整った。


 エルミラは息を大きく吸い込み、注目する皆に向けて——


「帆を張れ! 取舵、方位二二〇!」

了解アイマム! 取舵、方位二二〇!」


 じい、いや副長が命令を復唱し、操舵手と操帆手たちが作業を開始した。


 ファンタズマは動き出した。

 緩やかに左旋回していく。


 風は北から南へ強く吹いていた。

 これを斜めに受けて全速で南西を目指す。


 北はウェンドア港があるので警備厳重だが、南には何もない。

 王国時代から南の海は手薄だ。

 うまくいけば戦わずに離脱できるかもしれない。


 おそらくこんな辺鄙なところまで哨戒の網を広げてはいないだろう。

 ただ、東の港にいた軍艦がウェンドアへ回航するときがある。

 これと遭遇する可能性があった。


 また、ファンタズマを騎士団に見られた。

 いま頃、通報を受けた魔法艦隊がウェンドア沖から南下を始めたかもしれないが、同じようにこちらも南下する。

 速度が同じ位ならその距離が縮まることはない。


 しかし竜なら追いつける。


 竜たちとは必ず戦いになる。

 その戦いに勝利し、敵を振り切りらなければ女将に連絡できない。

 それまで一家には鋼化装甲板で守られた船室にいてもらう。


 一家が下に去り、甲板には戦闘員のみが残った。


 リルは?


 エルミラに尋ねたら即答するだろう。

 少女は唯一の例外だ。

 断じて戦闘員ではない、と。


 そして抱える矛盾に唇を噛む。


 アレータ海の大敗北を教訓にこの艦は作られた。

 思い上がっていた魔法使いたちが反省し、真摯に竜への対抗策を考えたところまでは良い。

 ただ、真摯に考えた結果がこの外法の塊を生み出すことなのか?


 柩計画に関わった魔法使いたちが目の前に現れたら、ハーヴェンに浴びせた言葉をそいつらにも浴びせてやりたい。

「おまえたちは間違っている!」と。


 でも……


 これからその間違いに助けてもらう自分たちは何だ?

 いくら間違っていると否定しようと、いざ竜が飛来したら少女に本領発揮してもらうしかないではないか。


 力一杯否定してきた実家の悪行が彼女たちの命を救う。

 そのとき彼女は歯軋りしながら、前言を撤回しなければならなくなる。

 外道共おまえたちは間違っていなかった、と。



 ***



 時刻は遡る。

 密偵騒ぎでノルトが渋々、アジトへ道案内をしていた頃、第三艦隊はウェンドア沖にあった。


 その旗艦ノイエッド号では各艦長が集まって定時報告会が行われていた。

 といっても幽霊船侵入の一件以来、特に報告するほどの出来事はなく、異常なしと報告する会になっていた。


 あの日は大変だった。

 何も見えない海に向かって砲撃したり、そのまま大頭足狩りになったり……

 結局、提督がいると主張した幽霊船はおらず、大頭足にも逃げられた。

 交易船団を救助できたことが救いだ。

 そうでなければいま頃、笑い者になっていたところだ。


 それからは平和が続いていた。

 本日も異常なし。

 引き続き、兵たちの連携強化及び魔法艦習熟に努める。


 報告会はこれで終わった。


 全員ロイエス提督に敬礼し、それぞれの艦に戻ろうとしていたときだった。


 敬礼を終えた提督が直立不動のまま動かない。

 テーブルに広げてある地図を見つめているようだった。

 一人の艦長がその様子に気付いた。


「提督、何か気掛かりでも?」


 アルンザイト号艦長、シオドアだ。

 何をそんなに熱心に見ているのかと提督の視線を辿る。

 それは西海岸の地図だった。


 帰りかけていた艦長たちも彼の声に気付いて注目する。

 提督は全員を一瞥した後、その胸中を語り始めた。


 それは先日の幽霊船についてだった。


 あの日、幽霊船退治と船団救助が重なり、艦隊は救助を優先した。

 正直、艦長たちは本当に幽霊船がそこにいたのか、いまでも半信半疑だ。

 仮に提督の話が本当なのだとしたらすでに上陸されてしまったのだろうが、後は陸の仕事だ。


 艦長たちの中ではもう終わった話だった。

 そんな諦めの良い艦長たちに彼は尋ねた。


「諸君、海賊狩りに必要なものは何だと思う?」


 艦長たちは思い思いの答えを出していった。

 海賊の情報、武器弾薬の十分な備え、兵の練度。


 もちろんそれらも大事だが、いま提督が尋ねているのはそういうことではない。

 海賊狩りを生業としてきた海の武人が考える必要なもの。

 それは——


「執念深さだよ」


 狙った獲物は世界の果てまで追いかける。

 地獄に逃げたら地獄まで追いかける。

 彼はそうやって海賊たちを討伐してきた。

 仕事熱心を通り越して狂気に近い。


 幽霊船のことは、皆にとって終わった話だったかもしれないが、この提督の中ではいまも現在進行中の一件だった。

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